等々力(とどろき)は、神奈川県川崎市中原区の町名。丁目のない単独現行行政地名。住居表示実施済区域。
多摩川を挟んで対岸の東京都世田谷区にも等々力という地名が現存し、両者は明治末期までひとつの大字であった(後述)。
中原区の北部に位置し、多摩川に面している。域内には等々力緑地が広がっており、その中には、川崎フロンターレのホームスタジアムとなっている等々力陸上競技場や川崎市とどろきアリーナなどの施設が所在している。
等々力は北端で多摩川を挟んで東京都の世田谷区玉堤・大田区田園調布と、南東端で小杉陣屋町・小杉御殿町と、西端で宮内と接している(特記のない町域は神奈川県川崎市中原区)。
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている。江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された。
大正末期、多摩川に堤防が築かれた後には当初は酪農なども行われた。その後当地が旧河道で大量の砂利が埋もれており東京横浜電鉄によって陸地からの採掘が行われ、「七つが池」と呼ばれる池ができた。昭和30年代にはその七つが池も埋め立てられ住宅地となっていったが、それと並行する形で等々力緑地の整備も進んでいき、現在見るような都市公園となっていった。なお、等々力緑地内に現在も残る釣池は、「七つが池」のうちの五号池が残ったものである。
対岸にある谷沢川が多摩川と合流する地点、あるいは谷沢川の途中にある不動の滝での水の轟音が由来と考えられている。戦国時代の文献には「とどろ木」や「兎々呂城」の形で残り、江戸時代に「等々力」の字が当てられた。
等々力は、1994年10月17日に住居表示が実施されているが、その際に宮内字中河原耕地・字下河原耕地、小杉字堤外も等々力に編入されている。
2024年(令和6年)3月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
2018年現在、当地に鉄道は存在しない。川崎縦貫高速鉄道が当地を通る計画があったが、2015年度を持って計画が休止となっている。
東急バス、川崎市交通局の2事業者が、川崎駅、武蔵小杉駅、武蔵中原駅、武蔵溝ノ口駅などの各方面へバスを運行している。
町内の警察の管轄区域は以下の通りである。
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