一般社団法人日本プロ野球名球会(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Players Club)は、日本のプロ野球でプレーした選手および元選手による法人格をもった団体である。
通称:名球会(めいきゅうかい)。1978年7月24日に設立された。
設立当初の入会条件の中に昭和生まれであることが規定されていたため「昭和名球会」とも呼ばれていたが、現在は記録と実績で入会資格の条件を満たせば平成生まれ以降の選手も入会が認められている。
1978年7月24日に、任意団体として発足。発足時の会員は18名で、投手は稲尾和久、梶本隆夫、金田正一、小山正明、鈴木啓示、皆川睦雄、村山実、米田哲也の8名。野手は江藤慎一、榎本喜八、王貞治、高木守道、土井正博、長嶋茂雄、野村克也、張本勲、広瀬叔功、山内一弘の10名。
1981年9月8日、税法上の理由から株式会社として法人化し「株式会社日本プロ野球名球会」に改組(代表取締役は金田正一、取締役は王貞治、長嶋茂雄)。名球会事務所は代表取締役の金田正一の個人事務所「カネダ企画」内に置いていた。
2009年、名球会の組織の在り方について、創設者の金田とその他のメンバーが対立し、金田は代表取締役を辞任した。後任に王貞治が就任し、事務所も東京都中央区京橋のビルに移転。
2010年10月15日に一般社団法人として現組織「一般社団法人日本プロ野球名球会」を設立(理事長は王貞治、副理事長は柴田勲、理事は鈴木啓示、長嶋茂雄、東尾修、山田久志、山本浩二)。一方で金田はこれに参加せずに退会した。株式会社としての法人は、2011年2月12日の株主総会で解散した。
1978年の設立以来の「社会の恵まれない人達への還元とプロ野球の底辺拡大に寄与する」という目的に向かって「野球振興」と「社会貢献」という2つの分野において、継続した活動とともに社会情勢に対応した新しい活動に積極的に取り組んでいる。
「プロ野球の底辺拡大に寄与する」ことを目的とする分野では、子どもの頃から野球に親しみ自らプレーを楽しむ人々を増やし、プロ野球ファンの拡大と惹いてはプロ野球選手を目指す人々のモチベーションアップに繋がるべく、会員の影響力が強くおよぶ少年野球への指導・支援に力を入れている。
全国各地で、自治体、教育委員会、少年野球チーム、企業などからの依頼に応じて、まず野球に興味を持ってもらうために、野球に親しみ体験できる「名球会ベースボールフェスティバル」を行っている。そこでは、会員が体験指導する投球や打撃、守備に真剣に向き合っている子どもとともに、応援にきた兄弟、両親、祖父母が、それぞれの時代のヒーローに会える場としても楽しまれている。野球がうまくなりたい少年少女に、会員が直接指導する「名球会野球教室」が行われている。そこでは、投球、打撃、守備のエキスパートが、子ども一人ひとりに声をかけ、コミュニケーションをとりながら指導が行われている。
その後、グローバル化の進展にともない、日本国外で野球を楽しみ普及活動をしている組織などからの依頼もあり、現在はアジアの国々(台湾、韓国、フィリピン)に会員が出向いて、現地で少年少女への指導・支援も行われている。このほかにも、「名球会杯」と名前の入った少年野球大会の開催支援や野球用具の不足している地域の子ども達への用具の寄贈。また、グランド以外でも児童生徒、少年野球チーム、少年刑務所受刑者などの方々へ、会員自らの経験にもとづいた講演を行い夢にチャレンジする勇気を伝えている。
1980年代には村山実が経営していたリージェント・ファーイーストと提携して「gpc」ブランドの野球用品を展開し、プロ野球でも田淵幸一等が使用していた。以降もデサントが名球会のユニフォーム支給等をサポートしている。90年代までは胸にペガサスロゴ入り、白地のタテジマユニフォームを野球教室で着用した。
「社会の恵まれない人達への還元」を目的とする分野では、誰もが安全に安心して野球を楽しめる、よりよい社会づくりへの貢献を目指し、社会的弱者の方々への支援活動を中心にしながら更に幅を拡げた活動を行っている。
設立当初より、名球会と会員の抜群の知名度を活かして、チャリティイベントを行い、集められた浄財を寄付している。よく知られているイベントとしては、年末テレビでも放送される「名球会チャリティゴルフ大会」があり、そこで集められた浄財は地元の社会事業団へ寄付されている。最近では、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災者支援のためのトークショーや講演会を開催し募金活動を行っている。これら以外にも多くのチャリティイベントを行い、点字図書館や日本赤十字社などへの寄付活動を継続的に行っている。直接的な支援活動として、2012年5月から、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災者の暮らす仮設住宅を会員が訪ね、交流を図る“心のケアー”活動を国連の友Asia-Pacificと共同で継続して行っている。2012年7月に、国際親善という観点から韓国において、韓国プロ野球OB会「一球会」と共同で、聴力障害を持つ少年達への野球クリニックと日・韓プロ野球レジェンドマッチを行い韓国の野球ファンを楽しませている。また、記念事業や研修時の要望に応じ、地域住民、自衛隊員、企業人の方々へ、選手、監督として経験した記録や勝負、采配にまつわる話など多くの講演を行い教訓を伝えている。
名球会は、以下の入会資格を満たした上で、入会の意思を表示すれば入会が認められる。参加はあくまで任意で、入会するかどうかは本人の意思による。国籍は問わず、入会資格を満たして入会の意思を示せば外国人選手・元選手も入会できる。韓国プロ野球や台湾プロ野球、日米の独立リーグなど、NPB・MLB以外の記録は含まれない。また、NPB・MLBであっても、春季非公式試合(オープン戦)やポストシーズンでの記録は積算の対象外である。
2020年時点での入会資格は以下の通り。
新たに入会した選手に、歓迎の意を込めて先輩会員が名球会ブレザーを着せる「名球会ブレザー贈呈式」が行われている。以前は記録達成時の試合終了後に記者会見を開いたうえで行われていたが、現在は試合開始前の連盟表彰時などに行われる。
会員の構成と通算成績は次の通り。五十音順。所属球団の太字は、その球団に在籍時に達成したことを示す。
投手17名、打者48名、名誉会員14名。データはいずれも2023年シーズン終了時点。
上記の記録案件を満たしていなかった場合でも、「名球会の入会規定に相当する記録保持者」として特に理事会からの推薦を受け、かつ会員の4分の3以上の賛成があれば、特例で入会が認められる制度が2019年に設けられた。
会員のまま物故した会員は「名誉会員」となる。
金田と谷沢は2010年の一般社団法人移行時に参加せずにしばらくして退会扱い。堀内は一部会員との確執の末、自主的に退会した。榎本は初期メンバーであったが、その後の活動にもほとんど参加しなかったために除籍扱いとなった。
江夏は自身の不祥事の結果、しばらくの間は退会扱いだったが、現在は会員として復帰している。また野村もヤクルト監督就任以降はほとんど活動に参加せずに、2000年代後半に一時期メンバーから名前が消えていたが、のちに復活し、死去後も名誉会員として扱われている。
落合は2000安打達成時に入会を辞退。アルフォンソ・ソリアーノは2013年に日米通算2000安打を達成し、名球会入会の条件もクリアして入会資格を獲得。またソリアーノ本人も入会に前向きな姿勢を見せたが、NPBでは通算2安打に留まり、その後にMLBで1998安打を記録したという特殊な記録であったため、入会を認めるかどうかが同年12月の総会で話し合われることになったと報道された。しかし、その後の続報は全くなく、また曖昧となり、現時点では入会は認められていない。
2006年、通算1904安打で引退していた松永浩美が、元プロ野球選手によって開催されるプロ野球マスターズリーグで96安打を記録し、現役時代との合計安打が2000本となった。当時の名球会・マスターズリーグ双方の規定で、マスターズリーグでの記録がNPB通算記録と合算され、入会資格を得れば「名誉会員」として正会員に準ずる扱いをされると定められており、松永は初の名誉会員として表彰された。しかし、2009年のマスターズリーグ中断や名球会の改組等によりこの規定はうやむやとなり、現在の名球会HPにおける名誉会員の欄は物故者だけになっており、松永は掲載されていない。
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