『MBSヤングタウン』(エムビーエスヤングタウン)は、1967年(昭和42年)10月2日からMBSラジオで放送されているラジオ番組。通称は「ヤンタン」で、番組開始から1970年(昭和45年)9月までのタイトルは『歌え! MBSヤングタウン』。
当ページでは曜日別の呼称として、便宜上「ヤン○」(○は曜日名の頭文字)という略称を使用する(#エピソードを参照)。なお、現在放送中の金曜日についてはMBSヤングタウン金曜日、土曜日についてはMBSヤングタウン土曜日、日曜日についてはMBSヤングタウン日曜日のページを参照。
1960年代後半から、深夜番組の黄金期を築いてきた番組で、中元清純作曲のフュージョンによるテーマソング(通称『MBSヤングタウンのテーマ』)が代々、使われている。
なお、MBS以外のラジオ局が制作・放送した『ヤングタウン』のうち、TBSラジオが1969年(昭和44年)10月から1986年(昭和61年)9月まで関東ローカルで毎週土曜日に放送していた『ヤングタウンTOKYO』シリーズは当番組の姉妹番組に当たる。
NRNに加盟する地方局への裏送り番組として、1975年(昭和50年)4月から1986年(昭和61年)3月まで文化放送が制作していた『ヤングタウンAM』については、当番組とは直接の関係がない。
現在もパーソナリティを務めている笑福亭鶴瓶は1975年(昭和50年)から、明石家さんまは1976年(昭和51年)から出演している。
1960年代前半までのMBSラジオは在阪ラジオ局の聴取率において、ラジオ大阪(OBC)とABCラジオの後塵を拝していた。特に深夜帯では、『アナウンサーコーナー』と『ABCヤングリクエスト』の前に、大きく水をあけられていた。
MBSは1967年の春、ラジオ制作部の渡邊一雄ディレクター(当時)が、ラジオ編成部からの指示で、若者向け深夜番組の準備を開始。アップテンポなトークで、フォークソングやロックをふんだんに流す番組の計画を練り上げた。
MBSは当番組の本放送を始めるまで、平日の深夜に半年限定。15分間のパイロット番組を放送。渡邊は入社 2年目ながら「若者の兄貴分」という雰囲気を漂わせていた、斎藤努アナウンサーを、この番組のパーソナリティに抜擢した。
渡邊は本放送を前に、聴取対象を25歳以下の若者に限定し、「子供相手の放送」にしないことと、彼らに連帯感を持たせるべく、毎日放送千里丘放送センター(当時)内で最も広い第1スタジオで、放送日の夕方に公開収録を実施することを決定。
『歌え! MBSヤングタウン』のタイトルで、1967年10月1日(日曜日)、0:10からの110分番組として本放送を開始した。なお翌日の2日にオールナイトニッポンが放送開始されている。
開始当初は斎藤が全曜日の公開収録で、パーソナリティを務めた。高橋キヨシ(ギタリスト)と十川尚子(ピアノ・エレクトーン奏者)をレギュラーに起用した。また、関西地方で活動するアマチュアのフォークグループ(アマチュアバンド)2組を日替わりで出演させるとともに、プロのバンドやフォーク歌手を随時ゲストに迎えていた。
第1回のゲストは、当時アマチュアで活動していたザ・フォーク・クルセダーズであった。
本放送に際しては、MBSラジオ編成部の計らいで、自社制作番組では最も多額の予算を付けられていた。開始当初は公開収録への人出や局内の評価は芳しくなかったが、回を重ねるたびに収録への参加者が増加。ヴィレッジ・シンガーズをゲストに迎えた公開収録(1968年1月)に観覧希望者が殺到したことから、以降の放送では、往復ハガキでの応募を条件に観覧希望者へ参加整理券を配布するようになった。
1968年からはMBSテレビで、毎週日曜日に放送していた『スミ子と歌おう』をヒントに、オリジナルソングを毎月1曲ずつ放送する「ヤンタン今月の歌」(後述)を始めた。
しかし、斎藤は同年4月からプロ野球中継の実況・リポーターも兼務。当番組への出演日が週の前半(月 - 水曜日)に限られるため、それまで月曜日の1コーナーにレギュラーで出演していた桂三枝(現・六代桂文枝)を、週の後半(木 - 土曜日)のパーソナリティに抜擢した。
同時に、収録での演奏に対するアマチュアバンドの応募件数が増加の一途をたどっていたことから、千里丘放送センター第一スタジオなどで、定期的にオーディションを実施するようになった。
これを機に番組の聴取率は、当時の深夜番組の平均の20倍に相当する4%にまで上昇。当時駆け出しの落語家だった三枝を一躍スターダムに押し上げた。
MBSテレビでも、1969年7月から、斎藤・三枝の出演で当番組のテレビ版にあたる『ヤングおー!おー!』を放送。同年10月からはTBSラジオで、公開生放送形式で『ヤングタウンTOKYO』を開始した。
三枝は当番組と並行しながら『ヤングタウンTOKYO』に放送開始から1975年9月まで、パーソナリティとして出演。毎週土曜日、当番組の収録を終えた後、飛行機による移動を経て、『ヤングタウンTOKYO』の生放送に臨んでいた。
1970年には、『ヤングおー! おー!』や大阪万博(千里丘放送センターの近隣で開催)の人気に押されるかのように、当番組への参加者が激減。『ヤングおー! おー!』が軌道に乗ったこともあって、当番組では同年9月、公開収録をいったん終了した。
1970年10月から、千里丘センター内ラジオ スタジオからの生放送へ移行するとともに、番組タイトルを現在の『MBSヤングタウン』に改称。当番組を放送する前の初心に還ることを目的に、斎藤を含む、MBSの男性アナウンサーと女性タレントのコンビ(後述)が週2日ずつ、パーソナリティを務めるようになったが半年後、タレントのレギュラー出演を復活。
お笑い主体の路線へ回帰するとともに、人気のアーティストやバンドをゲストに迎えての公開収録を土曜日に再開した。
1972年4月、「今月の歌」を終了させる一方で、10月からは、放送時間を3時間に拡大。1973年4月には夜ワイド枠の放送に昇格して、放送開始時間を22:00に繰り上げた。
1974年2月1日から4月5日までは『只今ヤンタン準備中』(放送時間は平日21:50 - 22:00)が出演者による番宣を兼ねた番組が放送された。
1974年10月、日曜日のヤングタウンがスタート(放送時間は最初22:30 - 24:10、のちに22:30 - 23:55)。しかし1年6か月後の1976年3月改編で日曜日のヤングタウンは終了、「ヤン日」はその後1983年10月の再スタートまで途絶える。
1976年4月、『ヤンタンパートII 〜こんばんはこんちゃんです〜』が月曜 - 木曜23:40 - 24:25の枠でスタート(当時24:00までだった本編を短縮)。近藤光史と尾田かずみのパーソナリティが月 - 木の全曜日出演、1977年3月まで放送。
1976年、1977年の在阪ラジオ局聴取率調査で、当番組の平均聴取率が10%台にまで到達。在阪 全局、全番組の中で、谷村新司、佐藤良子が出演する水曜日が1位。笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵が出演する木曜日が2位を記録している。
この時期を境に、MBS全体の聴取率はOBC、ABCを上回るようになった。
『歌え! MBSヤングタウン』時代から、当番組への出演を続けてきた三枝は、1979年12月1日(土曜日)の放送を最後に勇退。同年4月からレギュラーで共演していた明石家さんまを、後任のパーソナリティに起用した。
この時期から、鶴光、谷村、ばんばひろふみに加えて、さんま、島田紳助・松本竜介、笑福亭鶴瓶、原田伸郎、大津びわ子、やしきたかじん、嘉門達夫、西川のりお、チャゲ&飛鳥、ダウンタウン、渡辺美里など、多彩なパーソナリティが登場。
ある曜日のパーソナリティが別の曜日の放送にもゲストで登場するなど、曜日の枠を越えながら、番組を盛り上げるようになった。
また、土曜日の公開収録を1985年3月で終了させる一方で、リスナーも参加・鑑賞できるイベントを積極的に実施。
「ヤンタンオールスターズ」(出演者、スタッフで結成した草野球チーム)が松山千春、とんねるずなどの芸能人チームと対戦した「ヤンタン野球大会」(後述)や、1981年にSABホールで開かれた角と鶴光による「ど角・ど鶴のええか、ええかコンサート」などが人気を博した。
その一方で、長年のライバルであった『ヤンリク』は、1986年10月3日で、20年半もの歴史に終止符を打っている。
1986年4月には、金曜日のみ『MBSヤングタウン』と『ヤンタンキンド館』の2本立て体制で放送。同時に土曜日と日曜日のみ放送開始時間を繰り上げた(土曜日・21:35 - 23:40、日曜日・21:30 - 23:15)が、半年後の1986年10月には両日とも元の22:00スタートに戻っている。月 - 木曜日にも1987年4月から1990年4月まで、『MBSヤングタウン』直後の24:45 - 26:30に姉妹番組として『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』(『ヤンタンミュージックゾーン THE REQUEST』)を放送していた。
1987年度のナイターオフ期間には、平松邦夫の出演で、金曜日の19~20時台に『平松邦夫のミセスヤングタウン』を放送していた。
MBSは1990年に、千里丘放送センター内のスタジオ機能を現在の社屋(大阪市北区茶屋町)へ移転。当番組は8月31日まで、同センターから放送。
9月1日から現在まで、茶屋町本社内のラジオ スタジオを主に使用している。
在阪 FMラジオ局の台頭、コーナースポンサーの撤退により、1990年代 初頭から番組の人気に翳りが出始めた。1980年代の人気を担った前述のパーソナリティが続々と退任。一時は、東京を中心に活動するタレントや若手ミュージシャンを前面に押し出す路線に転換。『ヤンタン』の名を冠した姉妹番組を続々と放送していた。
1991年10月 - 1993年3月までは、日曜日のみ『ヤンタン スペシャルサンデー』とのタイトルで放送。1992年10月 - 1995年3月までは、『ヤンタン ミュージックゾーン ザ・リクエスト』とほぼ同時間帯(平日午前0時台 - 2時台)に放送する番組として、MBSの若手アナウンサーによる『ヤンタンMUSICネトランジェ』(金曜日のみ『ヤンタンMUSICネトランジェ 金曜スペシャル』)を放送していた。
1994年1月から、月 - 木曜日の放送枠を22:00 - 23:00、23:00 - 1:00の2つに分割。前者は音楽リクエスト番組『ヤンタン はなまるリクエスト』。後者はトークバラエティ番組『ヤンタン あそびのWA!!』を放送。金曜日は『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を22:00 - 1:00に放送した。
1995年10月、『ヤンタン はなまるリクエスト』の放送時間を22:00 - 0:00の2時間に拡大。『ヤンタン あそびのWA!!』を終了させる一方で、『MBSヤングタウン』のタイトルを21ヶ月振りに復活させたうえで、放送枠を月 - 木曜日 0:00 - 3:00(金曜日は1:00 - 3:00)に編成した。
1997年4月、『ヤンタン はなまるリクエスト』『ヤンタン はなまるフライデースペシャル』を終了させる一方で、ヤンタン放送開始30周年を記念して『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を開始。『MBSヤングタウン』の放送日を金、土、日曜日に縮小した。
1997年10月、月 - 木曜日の『MBSヤングタウン』を22:00 - 0:00で再開する一方で、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』の放送枠を月 - 水曜日の0:00 - 2:00へ移行。
1999年4月、『MBSヤングタウン MUSIC MAX』を終了。『MBSヤングタウン』の月 - 金曜日で、放送枠を23:00 - 25:00に繰り下げるとともに、パーソナリティを一新した。
1999年10月、『MBSヤングタウン』の平日放送を終了。当初は完全終了を予定していたが、明石家さんま(土曜版パーソナリティ)と笑福亭鶴瓶(日曜版パーソナリティ)が番組の続行を懇願した結果、土・日曜日のみ22:00 - 23:30の時間帯でレギュラー放送を続けている。
平日には、『MBSヤングタウン』の血統を引き継ぐ番組として、2020年4月改編の時点で『アッパレやってまーす!』(月 - 木・土曜22・23時台)、『ザ・ヒットスタジオ』(火 - 木曜24時台)、『オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜』(土曜深夜)をMBS東京支社からの生放送で編成している。土曜日はハロー!プロジェクトの新旧メンバーが「ヤン娘。(やんむす)」として代々パートナーを務める一方で、MBS東京支社内のラジオスタジオで前日(金曜日)に収録した内容を原則として放送。日曜日は「鶴瓶のすわるラジオ」のタイトルで出演者が座りながらトークを展開する街頭収録を放送した。
MBSが開局60周年を迎えた2010年8月30日から9月3日までの1週間に渡って『毎日放送 開局60周年記念番組 MBSヤングタウン スペシャル』を基本として、22:00(JST)から放送(当時編成されていた『MBSタイガースライブ』のナイトゲーム中継を延長した場合には開始時間の繰り下げで対応)。三枝が六代 桂文枝を襲名する直前の2012年7月14日(土曜日)には、「六代 桂文枝 襲名企画」の第1部として、『復活! 桂三枝の歌え! MBSヤングタウン』を公開収録形式での16:00 - 17:38に放送した。
『歌え! MBSヤングタウン』としての放送開始から50年を迎えた2017年、土曜日の年内最終放送(12月30日)を『20周年モーニング娘。のMBSヤングタウン』(矢口真里、吉澤ひとみ、田中れいな、道重さゆみの出演によるモーニング娘。結成 20周年記念番組)として編成。翌31日(日曜日)の20:00 - 23:30には、当番組の50周年特別番組『MBSヤングタウン 50年クロニクル』(いずれも事前収録)を放送した。
2018年4月6日からは、アリスがパーソナリティを務める『MBSヤングタウン金曜日』として、金曜日のレギュラー放送を18年半振りに再開。堀内孝雄以外のメンバー(谷村新司、矢沢透)がかつて平日版のパーソナリティであったアリスがメンバー全員でレギュラーパーソナリティを務めた。毎日放送が当番組の放送開始 50周年のタイミングで、1986年12月まで金曜日のパーソナリティを務めた谷村に31年半振りのパーソナリティ復帰を打診したことをきっかけに「2019年に再始動を控えるアリスの腕ならし」を兼ねて、平日版の復活に至った。同年5月の再始動以降も事前収録を中心にレギュラー放送を継続した。
日曜日は「すわるラジオ」を経て、MBS本社内のスタジオで収録した内容を中心に放送していたが、2020年4月改編から放送の体制を大きく変更。大阪のMBS本社からの生放送を本格的に復活した。一方で、毎月最終週は鶴瓶に代わって、三遊亭とむと福島暢啓(MBSアナウンサー)がコンビでパーソナリティを務めている。三遊亭とむは真打への昇進に伴い、芸名を錦笑亭満堂に改名。2023年6月より、日曜日に出演中。
ラジオ・テレビ兼営局だったMBSは、2021年4月1日(木曜日)付でラジオ放送の事業と免許を「株式会社MBSラジオ」へ移管した(MBSもテレビ単営局として存続)。当番組は兼営局時代のスタジオを使い続けながら、翌2日放送の金曜版からMBSラジオの本社(または東京支社)で制作している。
2021年10月4日より、月曜日 - 木曜日のレギュラー放送を22年振りに再開。金曜日を除いて、放送時間を22:00 - 23:30に統一した。金 - 日曜日のパーソナリティは続投する一方で、レギュラー放送を22年振りに再開する月 - 木曜日は月曜日に工藤遥(モーニング娘。のメンバー時代にも土曜版へ出演)と若月佑美(元乃木坂46)のコンビ、火曜日にオーイシマサヨシ、水曜日にAぇ! groupから週替わりで2名、木曜日にAマッソがパーソナリティを務める。月・火・木曜放送分は事前収録で、火・木曜は前述した『MBSヤングタウンNEXT』と同様に収録と連動したリアルタイム配信をRadiotalkで実施。2021年10月1日まで22:00から放送して来た『アッパレやってまーす!』の月曜日 - 木曜日は当番組の後枠で継続中(放送開始時間は基本として、23:30)。
MBSラジオは日本プロ野球のシーズン(3月下旬から日本シリーズ終了までの期間)中にプロ野球のナイトゲーム中継をレギュラーで編成(2014年以降の中継タイトルは『MBSベースボールパーク』)。シーズン中は月、金、土曜日で中継を20:35までに終了した場合は火 - 木曜日で中継を21:40までに終了した場合は日曜日で中継を21:00までに終了した場合は曜日を問わず、中継を予定していた試合の中止・不成立(ノーゲーム)・予備日開催の消滅などに伴う取り消しの場合とナイトゲームが最初から一切組まれていない場合(主に月曜日)に限り、当番組を定時で放送している。上記以外の場合は中継の終了時間に応じて、放送枠の完全スライド方式で放送時間を順次繰り下げるか、放送を休止することで対応。
2020年9月27日は『ナダル加藤あばれるのMBSヤングタウンNEXT』を放送。放送上は事前収録だが、Radiotalkは収録と連動したリアルタイム配信を実施した。『ナダル加藤あばれるのMBSヤングタウンNEXT』としての放送はこの日限りであったが、2021年度のナイターオフ期間(2021年12月 - 2022年3月)からは大阪で「次代の漫才界を担う」と目される漫才コンビをパーソナリティに起用した『MBSヤングタウンNEXT』を編成。ナイターオフ期間中は週3回(毎週火 - 木曜日)、前述したプロ野球シーズン(ナイターイン期間)中は月1回のペース(2022年には土曜日 → 2023年には日曜日の夜間)で生放送を実施している。
若月と工藤は2023年9月で月曜日のパーソナリティを卒業。翌10月からは、『MBSヤングタウンNEXT』のパーソナリティ経験者から初めて、カベポスターが当番組のパーソナリティに新たに加わった。
一方で、金曜日のパーソナリティを務めていた谷村新司は2023年3月24日放送分から休演。急性腸炎の手術を受けたことに伴う措置で、休演後は2024年からの復帰に向けて療養に専念していたが、2023年10月8日に74歳で死去。金曜日は谷村の逝去後(放送上は2023年10月20日以降)も堀内と矢沢が出演を継続。2人と谷村が一緒に映っている写真を公式サイトなどに残していたが、2024年3月29日を以て、『アリスのMBSヤングタウン』は終了した。
2024年4月5日から、金曜日のパーソナリティをアリスから伊原六花に交代。金曜日を『伊原六花のMBSヤングタウン』のタイトルで放送。当番組は『歌え! MBSヤングタウン』のタイトルで放送を開始してから、2024年4月で56年目に入るがレギュラーパーソナリティを女性が単独で務めるのは伊原が初めてである。
1985年3月までは、MBS千里丘放送センター内の第一スタジオ(後にミリカホールに変更)で公開録音。同年4月以降は非公開のスタジオ収録に移行。現在は、MBS東京支社スタジオで毎週金曜日に収録。
1974年10月に放送開始したが、1976年4月改編を以て 一旦終了。1983年10月16日から放送再開。再開当初の放送時間は23:00 - 25:00だったが、1985年4月14日から他曜日と同じく、22:00スタートに変更(23:45まで)。笑福亭鶴瓶がパーソナリティを務める1999年以降は「すわるラジオ」と称して、街頭で収録した時期があった。2020年3月まではMBS本社(または東京支社)のスタジオで収録した内容を基本的に放送していたが、同年4月以降は本社からの生放送を毎週実施している。
2010年8月30日から9月3日まで放送された。
当番組で三枝と長らく共演した後に、羽衣国際大学で名誉教授になった斎藤努が、久々にラジオ番組へ出演。三枝のパートナーとして、公開収録の進行役を務めた。月亭八方、桂きん枝、杉田二郎などがゲストで登場。
かつて当番組で使われたジングルや音源を挿入し、『歌え! MBSヤングタウン』時代の企画を復活。杉田が、歌と演奏を披露した。
三枝は当番組の放送の翌々日(2012年7月16日)に「六代 桂文枝」を襲名。当番組が「桂三枝」名義で出演する最後の番組になった。
オープニングは、西靖が、口上代わりのナレーションを担当した。
2017年12月31日(日曜日)の20:00 - 23:30に、事前収録方式で放送。放送時点で日曜版のアシスタントを務める福島暢啓(毎日放送アナウンサー)がスタジオ進行を担当したほか、平日版のパーソナリティ経験者である原田伸郎・嘉門タツオ・伊東正治や、 放送時点で『ヤマヒロのぴかいちラジオ』『茶屋町ヤマヒロ会議』(いずれもMBSラジオ)のパーソナリティを務める山本浩之(フリーアナウンサー)をスタジオゲストに迎えた。
また、前述の出演者によるスタジオパートとは別に、平日版のパーソナリティコンビ(桂文枝・斎藤努、角淳一・笑福亭鶴光、明石家さんま・大津びわ子、谷村新司・佐藤良子)、平日版パーソナリティの1人だった根本要、放送時点での日曜版レギュラー出演者(福島・笑福亭鶴瓶・田口万莉・三遊亭とむ)が登場する「スペシャルトーク」を収録。事前の募集を通じてリスナーから寄せられた秘蔵音源、平日版の放送から生まれたヒット曲、往年のリスナーやつんく♂からのメッセージも交えながら、50年の歴史を時代ごとに紐解いていた。
MBSラジオでは、平日版の開始から55周年に当たる2023年を「『ヤンタン』55周年イヤー」と位置付けたうえで、「ヤンタンGOGO (55) Tシャツ」などの55周年記念グッズを製作。「MラジSTORE」(「Mラジ」ことMBSラジオの公式オンラインショップ)で同年4月から順次販売する一方で、一部のグッズ(クリアファイルなど)を「非売品」扱いで関係者に頒布している。
「『ヤンタン』55周年イヤー」は2023年の9月まで設定されているが、9月4日(月曜日)から10月1日(日曜日)までの期間には、「『ヤンタン』55周年イヤー」を締めくくる目的で以下の特別企画を順次実施している。
(1)「『MBSヤングタウン』リバイバルWEEK」(9月4日 - 10日の放送分に設定)
(2)「ヤンタン展」(入場無料のイベント)
(3)「ヤンタン展」会場での公開収録
2024年1月2日(火曜日)の15:00 - 17:30に新春特別番組として放送。当番組を作り上げているスタッフによる初の特別番組で各曜日のヤングタウンをスタッフ自ら制作エピソードとともに振り返った。また2022年から2023年にかけて行われたヤングタウン放送55周年企画の秘話についても初めて明かされた。
『MBSヤングタウン』の全曜日レギュラー放送が復活したことを契機に、『ヤングタウン』の次世代(NEXT)を担うパーソナリティを発掘・育成すべく、2021年度から日本プロ野球(NPB)のオフシーズン(ナイターオフ期間)を中心に放送。ナイターオフ期間の放送では、よしもと漫才劇場を拠点に活動している吉本興業所属の漫才コンビが日替わりでパーソナリティを務めることから、放送上は『(パーソナリティのコンビ名)のMBSヤングタウンNEXT』というタイトルを用いている。
通称は『ヤンネク』で、ナイターオフ期間のレギュラー放送が終了するたびに、「ヤンネク大感謝祭トゥデイ」(当該期間にパーソナリティを務めたコンビが一堂に会するインターネット配信連動型の有料イベント)をよしもと漫才劇場で開催している。
2021年度の「第1期」(2021年11月30日 - 2022年3月24日)には、ツートライブが火曜日、滝音が水曜日、カベポスターが木曜日のパーソナリティを担当していた。当初はナイターオフ期間限定での放送を予定していたが、木曜分(『カベポスターのMBSヤングタウンNEXT』)のみ、2022年度のナイターイン期間(2022年4 - 10月)にも編成。MBSラジオがNPBのナイトゲーム中継を放送しない土曜日に、月1回のペースで19:00 - 21:00に放送を続けていた。
なお、MBSラジオは2022年度のナイターオフ期間に、カベポスターを『夕凪カベポスター』(2022年11月3日から毎週木曜日18:00 - 20:00に生放送)のパーソナリティへ起用した。当番組では、1日(火曜日)から「第2期」の放送を開始する一方で、カベポスターに代わってマユリカがパーソナリティ陣に参加。「第2期」では、火曜日に滝音、水曜日にマユリカ、木曜日にツートライブが2023年3月までパーソナリティを務めた。また、YouTubeに番組の公式チャンネルを設けたうえで、生放送と同時に収録していたスタジオ動画を音声と合わせて放送後に3ヶ月限定で配信している。
2023年度のナイターイン期間には、前年度に続いて月に1回のペースで生放送。4月16日・5月21日・6月25日・7月2日・8月27日・9月10日(いずれも日曜日)には、NPBの全試合がデーゲームで組まれていたことから、『夕凪カベポスター』(18:00 - 20:00)とのセットで当番組を20:00 - 20:55に放送していた。いずれも、放送の3日後からは、前述したスタジオ動画をYouTubeの公式チャンネルから配信。その一方で、ナイターイン期間には前年度と違って、吉本興業所属の漫才コンビを「マンスリーパーソナリティ」として月替わりで迎えていた(4月16日:滝音、5月21日:バッテリィズ、6月25日:ツートライブ、7月2日:三遊間・どんちっち、8月27日:マユリカ、9月10日:ドーナツ・ピーナツ)。
『夕凪カベポスター』は2023年9月10日で放送を完全に終了したが、カベポスターは『NEXT』のパーソナリティ経験者から初めて、同年10月2日から『MBSヤングタウン』のパーソナリティを毎週月曜日に務めている。その一方で、『NEXT』は2023年度のナイターオフ期間にも、「第3期」扱いで2023年11月7日(火曜日)からレギュラーで放送。「第3期」では、ツートライブを火曜日・滝音を水曜日の出演へ戻す一方で、ドーナツ・ピーナツを木曜日のパーソナリティへ正式に起用している。
この他にも、大谷武文、田中文夫、宇野幹雄、増谷勝己、影山貴彦、三村景一、新堂裕彦、神津梓などが、ディレクターやプロデューサーを歴任。1970年代から1980年代までは、『ヤングおー!おー!』のスタッフから放送作家に転じた寺崎要が、番組全体を統括するチーフ構成の任に当たっていた。
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