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NNNニュースプラス1


NNNニュースプラス1


NNNニュースプラス1』(英字表記:NNN NEWS PLUS 1)は、1988年4月4日から2006年3月31日まで(土曜日は1988年4月9日から2006年4月1日まで、日曜日は1996年4月7日から2000年9月24日まで)日本テレビ系列 (NNN) で放送されていた、夕方のニュース・情報番組である。略称は「ニュースプラス1」、「プラス1」。

概要

前番組『NNNライブオンネットワーク』は1年半で終了し、メインキャスターに『ズームイン!!朝!』で人気を得ていた当時日本テレビアナウンサーの徳光和夫を起用した当番組をスタート。テレビ欄でも「徳光のNプラス1」と表記し、「徳光が分からないとニュースじゃない」というキャッチフレーズとともに、誰にでも分かりやすいニュース番組を目指した。

1996年10月から他局に先駆けて放送時間を拡大。月曜 - 金曜キャスターの真山・木村コンビは2002年秋まで約8年半続いた。

2006年4月3日(土曜版は同月8日)からは、月曜 - 木曜の放送開始時刻を16:53 に繰り上げた上で『NNN Newsリアルタイム』に改題リニューアルした。

この改編には夕方ニュースを早い時間からスタートすることでゴールデンタイムへの視聴者の流れを強化したいという狙いがあったという。

歴史

月曜 - 金曜版

  • 1988年4月4日、第1回放送。前年に巨人を引退した江川卓が出演した。また、日本テレビ開局35周年番組『チョモランマはそこにある』(1988年5月5日放送)に先駆け、チョモランマ(エベレスト)からの生中継も行われた。
  • 1988年7月、よみうりテレビの2代目本社ビル移転を記念し、よみうりテレビとの共同企画として大阪のスタジオに徳光が赴き、同局の岡俊太郎キャスターと2人で番組を進行。関東ローカル枠でも一部を除き読売テレビと同内容で放送した。
  • 1989年10月、徳光が日本テレビを退社。フリーアナウンサーの立場でメインキャスターを継続した。また翌11月には徳光がビロード革命に揺れるプラハの模様を現地リポートし、体操選手時代にファンだったというベラ・チャスラフスカにインタビューを行った。
  • 1989年11月3日、広島カープのファンとして知られる久米宏が『ニュースステーション』(テレビ朝日)の企画「ジャイアンツエイド'89」で、読売ジャイアンツがこの年の日本シリーズを制した時の公約に従い、頭髪を坊主にして当番組へ生出演した。『おしゃれ』終了以来、約2年半ぶりの日テレ出演を果たした久米は「読売ジャイアンツ、バンザイ!」と叫び、「悔しいですね」と一言嘆いた。さらにはフリーになったばかりの徳光に「頑張ってください」とエールも送った。そしてジャイアンツの選手陣の寄せ書きサインが書かれた帽子をプレゼントし、テレビ朝日に向かう久米を送った。当初久米は3分間の出演の予定だったが、予定よりも4分オーバーし18時37分まで出演した。
    • 『報知新聞』によると、10月29日に読売ジャイアンツが日本シリーズを制し、日本テレビとテレビ朝日との水面下の交渉の末、11月1日に「バンザイ時の取材はNG」「久米のバンザイシーンのVTR放映はテレビ朝日及びオフィス・トゥー・ワン(久米の所属事務所)の許諾を得る」ことを条件に久米の出演が決まった。テレビ朝日としては、『プラス1』の裏番組としてNHKからフリーになった千田正穂を起用した『600ステーション』が10月2日から始まるも、視聴率が2パーセントから4パーセントと低迷していた。
    • この一件は翌日の民放テレビ各局の朝のワイドショーでも話題として採り上げられただけではなく、ネット局が飛び降りる18時30分からのスポーツコーナーでの出演だったため、中京テレビ・読売テレビなど一部系列局もローカル枠の開始を遅らせてこの模様をネットした。
    • 後に徳光は、この一件をきっかけに時間帯視聴率がトップだった『FNNスーパータイム』を『プラス1』が上回るようになったと話している。
  • 1990年4月2日、徳光が金曜日の放送を降板し、週4日の出演となる。これは徳光のフリー転身から半年が経過し、他局番組(『クイズダービー』『徳光のTVコロンブス』)の司会が相次いで決まったことによる。1990年4月6日から1991年9月27日まで金曜日は久能靖などが担当し、土曜・『NNN日曜夕刊』と同じフォーマットで放送していた。1990年4月1日に開局した石川県のテレビ金沢で放送を開始した。
  • 1991年4月1日、前週まで『600ステーション』(テレビ朝日)を放送していた長野県のテレビ信州、開局した長崎県の長崎国際テレビで放送を開始した。テレビ信州は長野朝日放送開局によるネットチェンジだった。
  • 1991年10月1日、徳光の勇退に伴い、元NHKアナウンサーの相川浩と元テレビ岩手アナウンサーの桜田順子がメインキャスターに就任する。併せてオープニングCGも更新された。従来の徳光和夫が立っていたスタイルとは違い、座って伝えていた。金曜・土曜・『NNN日曜夕刊』と同じテロップを使用していた。
  • 1992年10月5日、オープニングテーマが国府弘子作曲に変更。相川が降板。『NNNライブオンネットワーク』『NNNきょうの出来事Sports&News』キャスター・『ルックルックこんにちは』『午後は○○おもいッきりテレビ』のニュースコーナーを担当していた真山勇一がメインキャスターに就任。真山は前番組『NNNライブオンネットワーク』終了以来、4年半ぶりに夕方のニュースに再登板する。同時に大幅なリニューアルを開始。フジテレビ『スーパータイム』と同じようにキャスターが立ってニュースを伝え、ニュースの途中にアタック音を入れていた(土曜・『NNNニュースプラス1・サンデー』は除く)。また、ナレーションを取り入れるなどワイドショー化が始まった。この日から1996年8月頃まで、NNNの全ニュース番組のテロップはテレビ朝日と同じものになった(一部テロップは1988年4月4日から使用していた)。
  • 1993年5月31日、『NNN昼のニュース』、『NNNニューススポット』、『NNNきょうの出来事』の各番組と共に展開した2か国語放送を廃止。CNNニュースなど外部からの2か国語ニュース等に人気などを取られたことが理由とされる。6月1日以降はモノラル放送で通していた。
  • 1993年6月9日、『NNN皇太子さま・雅子さんご成婚スペシャル 麗しのプリンセス誕生! 14時間テレビ』の第四部『NNNニュースプラス1スペシャル 6/9華麗ご成婚雅子さま誕生特別完成保存版』(17時30分 - 19時)として放送。
  • 1994年2月、桜田が降板。アナウンサーとして金曜・土曜・日曜版を担当した後、報道記者に転じていた木村優子がメインキャスターに就任。以後、真山・木村コンビが『プラス1』の顔として定着していくことになる。
  • 1994年4月1日、開局した鹿児島県の鹿児島読売テレビで放送開始。
  • 1995年4月、18時台前半のネットスポンサーを廃止。
  • 1995年4月20日から5月11日まで、木曜日のみオウム真理教関連放送のため19:56まで延長放送。この間19時枠の『嗚呼!バラ色の珍生!!』は休止した。
  • 1995年公開の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』では本番組が劇中劇として登場。ガメラやギャオス襲来を真山・木村両キャスターが伝えている。
  • 1996年9月30日、17時30分開始に繰り上げ。全国ニュースも17時57分からに放送時間が繰り上がる。タイトルロゴ・オープニングテーマ・オープニングCGを全面的にリニューアル、ロゴと向日葵を用いたCGデザインはケネックジャパンが制作したもの(このオープニングは17時30分から放送していた地域・『サスペンス傑作劇場』終了後の読売テレビ・1997年3月31日から18時台にローカルニュースを放送していたテレビ金沢など一部地域に限られていた)。これは月曜 - 金曜は2000年9月まで、土曜日のテーマ曲は2002年9月まで使われた。
  • 1999年4月、6時台前半のネットスポンサーを復活。
  • 2000年10月2日、放送開始を17時に繰り上げ。この年にはプラスわんちゃんという番組のイメージキャラクターが登場し、2001年9月まで、このキャラクターは17時台オープニング映像にも登場していた。番組末期までは公式サイト内の「犬徒然草」のコーナーでもこのキャラクターを見ることができた。時間拡大とともに芸能ニュースのコーナーなどが開始した。
  • 2002年1月8日、リアルタイム字幕放送を全国ネットワーク放送時間帯に実施(土曜日も同様)。
  • 2002年9月27日、真山・木村コンビが揃って降板。この日のエンディングでは真山・木村と同じくこの日で降板する長谷川憲司が各々降板の挨拶を行った。その後、後任のキャスター陣(笛吹雅子・藤井貴彦・清原久美子)が登場して意気込みを述べ、最後は笛吹・藤井が真山・木村に花束を渡して番組は終了した。
  • 2002年9月30日からは真山・木村の後任となるメインキャスターとして、アナウンス職から報道記者に転じていた笛吹雅子と同年3月までサブキャスターとして出演していた藤井貴彦が登板(藤井は実質半年ぶりの復帰)し、オープニングと全国ネット枠の冒頭で笛吹・藤井が登板の挨拶を行った。同時にテーマ曲・スタジオセット・テロップデザインを大幅に刷新した。新体制初日となったこの日は、同日に小泉純一郎首相(当時)が行った内閣改造に関するニュースなどを伝えた。
  • 2004年3月2日、汐留・日本テレビタワーに移転した事に伴いスタジオセットを変更、スタジオ映像のみハイビジョン制作となり東名阪エリアでは画面サイズが16:9になる。移転後も3月27日までは従来のタイトル映像やテロップデザイン(書体のみ変更)のまま放送していたが、3月29日には本社屋移転によるイメージチェンジのため、オープニングCGと番組タイトルロゴを変更した(タイトルロゴに英字を使用)。それと同時に放送時間を17時25分に繰り下げ(2005年4月から金曜日は再び17時に繰り上げ)。
  • 2005年3月25日に藤井が降板。藤井はこれ以降、2010年春に『news every.』のメインキャスターに就任するまで夕方の時間帯から離れることとなる。同月28日からは後任として日本テレビ報道局記者の近野宏明が登板した。
  • 2006年3月27日から3月31日(土曜日の『プラス1サタデー』を含むと4月1日)までは、『プラス1』のスタジオではなく、報道フロアから放送された(『Newsリアルタイム』用にスタジオセットリニューアルのため)。
  • 2006年3月31日の『プラス1』としての最後の放送は、プロ野球開幕戦中継との兼ね合いで16:30 - 17:45に時間繰り上げ・短縮の上放送された。番組終盤では当番組開始からの18年間を振り返るVTRが流れ、VTRの最後で「しかし、スタートして18年が過ぎたこの春、『ニュースプラス1』には重大な転換期が訪れました」というナレーションがあったところで一旦CM入り。その後、CM明けで『Newsリアルタイム』へのリニューアルを告知する宣伝スポットが放送されたのに続いて笛吹・近野がセット建て替え工事中のスタジオで『リアルタイム』へのリニューアルを改めてPR、笛吹が涙ながらに挨拶を行ってひとまず18年間の歴史に幕を閉じた。
  • なお、同年4月3日に放送された報道特別ドラマ『アース・クエイク 平成18年春・東京大震災』では、笛吹・近野が本人役で出演。本番組のスタジオセットが地震の激しい揺れによって損壊し、2人が壊れたセットの下敷きになる様が描かれた場面があった。

土曜版・日曜版・久能靖時代の金曜版

  • 1989年1月7日、昭和天皇崩御のため、報道特番をネットしたNNSオブザーバー局(テレビ神奈川、テレビ埼玉、千葉テレビ、群馬テレビ)でも臨時に「プラス1」をネットした(『NNNきょうの出来事』も同様)。この日は土曜日だったが、徳光和夫など月曜 - 金曜のキャスターが担当していた。なお、本番組開始時に日本テレビは報道用のテロップをそれまでの写植によるテロップカードからワープロシステムに変えたが、この日は従前のテロップカードが使われた。
  • 1990年3月31日 - 芦沢俊美・井田由美が降板。芦沢は週後半の『NNN昼のニュース』担当や1991年に開催される世界陸上東京大会実況準備などのため降板。井田は『NNNきょうの出来事』(金曜・土曜・日曜)へ異動。
  • 1990年4月6日 - 久能靖・木村優子(1991年4月からは三崎由紀)に交代。同時に土曜日・『NNN日曜夕刊』に加え、金曜日も担当することになった。『NNN日曜夕刊』は1990年4月1日からテレビ金沢開局に合わせてのリニューアルとなった(『NNNきょうの出来事』も同様)。画面上に出ていたニュースの見出しを画面下に変更した(『NNN日曜夕刊』・金曜日・土曜日・日曜日の『NNNきょうの出来事』も同様)
  • 1991年10月5日 - 芦沢俊美・木村優子(1992年10月からは鷹西美佳)に交代。金曜日は月曜 - 金曜と同じ体制に戻る。
  • 1995年4月、土曜日前半のネットスポンサーを廃止。
  • 1996年4月6日 - 月曜 - 金曜と同じタイトルでの放送だった土曜日を、4月から『NNNニュースプラス1・サタデー』にタイトルを変更。
  • 1996年4月7日 - 日曜日は『NNN日曜夕刊』をリニューアルした『NNNニュースプラス1・サンデー』がスタート。
  • 1996年5月26日 - 1988年4月から通算6年8か月担当していた芦沢俊美が別部署異動のため降板。
  • 1996年6月1日 - 芦沢俊美から『ジパングあさ6』『ルックルックこんにちは』のニュースを担当している石田昭彦に交代。
  • 2000年9月、『NNNニュースプラス1・サンデー』と『独占SPORTS情報』の統合による『The独占サンデー』(後の『真相報道 バンキシャ!』)のスタートにより『NNNニュースプラス1・サンデー』打ち切り。再び5年ぶりに土曜日のみの放送となる。
  • 2002年1月、月曜 - 金曜版と同様、リアルタイム字幕放送を実施。
  • 2006年4月1日をもって『NNNニュースプラス1・サタデー』というタイトルでの放送を終了。この日はニューススタジオがセット建て替え工事で使用出来ないため報道フロアの顔出しブースから放送された。同年4月8日から『NNN Newsリアルタイム・サタデー』に改題された。

出演者

メインキャスター

  • 最終回時点の上記出演者は、全員後番組『NNN Newsリアルタイム』も続投。
  • 1 1996年3月まで土曜日の担当者全員と1990年4月から1991年9月まで金曜日の担当者は『NNN日曜夕刊』を兼務。
  • 2 『NNN昼のニュース』を兼務。舛方勝宏がスポーツ取材などで不在の場合『NNNきょうの出来事』(金曜日 ‐ 日曜日)を兼務
  • 3 月曜 - 金曜の『NNNライブオンネットワーク』から続投。
  • 4 『NNNニューススポット』、『NNNきょうの出来事』を兼務。
  • 5 芦沢の他部署への異動に伴う。
  • 6 日曜版の後番組『THE独占サンデー』も続投。
  • 7 『THE独占サンデー』を兼務。
  • 三崎・相川・桜田以外は出演当時日本テレビ所属。徳光は1989年10月よりフリーアナウンサーに転向した。久能は1990年9月にフリージャーナリストに転向したため、立場上は日本テレビ専属契約キャスターとなった。
  • 笛吹と日曜版終了後の鷹西はトップクレジット扱い。
  • 藤井は当番組を降板してから5年後、2010年3月末にスタートした『news every.』のメインキャスターに就任し当枠復帰を果たしている。
  • 1990年8月24日・1990年8月25日は木村優子が休暇のため、大島典子が代役を務めた。

サブキャスター、コーナー担当キャスター

  • お天気キャスター以外はすべて月曜 - 金曜の担当。週末のスポーツコーナーはメインが担当。
  • 上記の末期出演者は清原以外全員『NNN Newsリアルタイム』も続投。
  • 1 『NNNライブオンネットワーク』から続投。
  • 2 日高は1990年度末を待たずに降板(詳細な降板時期は不明)し、日本テレビを退社。穴埋めのサブキャスターには週末版を担当していた木村優子らがシフトで入った。
  • 3 日曜版も同様。
  • 4 交替で担当。
  • 5 『news every.』も続投。
  • 田中陽子・木原・松田・小菅・清原・陣内以外は出演当時日本テレビ所属。小西は当時読売テレビから出向。
  • 木原は月曜 - 金曜の『プラス1』を放送開始から放送終了まで出演したため、歴代出演者のなかでは唯一の皆勤となる(夏季休暇期間を除く)。末期はニュースや特集のナレーターも務めていた。

コメンテーター(月曜 - 金曜のみ)

  • 不明 - 2006年3月 田宮榮一(不定期出演)
元・警視庁捜査一課長、元・新宿警察署署長でもあり、主に重大な犯罪が発生した時や大物人物逮捕等の時に出演していた。『NNN Newsリアルタイム』→『news every.』(『every.』は不定期)にも出演。

ナレーション

  • 伊藤英敏、郷里大輔、茶風林、木原実

放送時間

すべて日本時間で記す。NNN枠以外は関東地方における放送時間。週末のNNN枠は放送開始から20分間。18時開始だった頃は、30分枠に短縮される年末年始の月曜 - 金曜に関しても同様の措置が取られ、いずれも18:20以後はローカル枠となっていた。

  • 1 関東地方のみローカル枠を内包。
  • 2 天気予報枠を吸収。
  • 3 『鶴ちゃんのプッツン5』の縮小に伴い、30分繰り上げ。
  • 4 16時台の情報番組枠の放送時間拡大に伴う。
  • 5 『汐留スタイル!』の放送終了に伴い、金曜のみ再び拡大。

放送内容

月曜 - 金曜18時台

当初、全国ネット枠の提供スポンサーは、前番組からの流れを引き継ぎ、ネットスポンサーとローカルスポンサーの混在のため、BGMも含めて各局個別でクレジットを表示していた。しかし1995年4月からは全国枠もローカルスポンサーのみとなり、この間一部地方局(ローカルスポンサーのない局)では提供ゾーンが無音ということも見られた。1996年10月のリニューアルの際に提供読みコメント自体が廃止されて以降は提供ゾーンのBGMも日本テレビからの送出となるが、暫くは全国枠もローカルスポンサーのみで、数年後の1999年4月に全国枠がネットスポンサーのみの体制に変更された。

2004年11月から2005年4月1日まで、月曜 - 金曜の放送では特別編成時を除き全国ニュースのオープニングと全国向けの挨拶が廃止され、ニュース映像(またはニュース読み)に右上ロゴ表示となった。しかし、場合によりロゴが表示されなかったり、中継の途中だったり、前のニュース映像が見切れていたりと中途半端だったことが多かったためか、4月4日の放送から再びオープニングが放送されるようになった。

当初は放送時間を18:00 - 19:30まで放送させる計画だったが、クロスネット局などからクレームがつき、19:00から30分間、情報番組の『追跡』が放送された。開始初期は、関東地区のみ17時前に15秒間生予告を放送していた(日高直人などサブキャスターが担当)。

18時台前半

開始当初は一般的なニュースとミニ特集で構成。

  • ニュース映像は各放送局が製作していたため、ニュースによって字幕の太さ や文字などの色が違っているなど字幕が全体で統一されていなかった。
  • 1992年10月、真山・桜田の体制になってからは、フジテレビ『スーパータイム』と同じく立って伝え、ニュースの途中でアタック音を入れていた。綿密に編集されたVTRに外部のナレーターがナレーションする方針を採り、テレビ朝日の『ニュースステーション』(現:報道ステーション)と同様、現在主流となっているVTR主導の番組作りの布石となる。そのため、17時台ではVTR主導ではなくキャスターが原稿を読む形式を採り、18時台及び裏番組との差別化を実施した。
  • なお、番組の初期(18:00開始時代)には18:20頃に木原による全国のお天気コーナーもあった。
  • 1996年9月までは地方局が飛び降りる18:29にキャスターが「時刻はまもなく6時半です」(徳光は「続いては地元密着のニュースです」)と飛び降りる地方局への挨拶代わりのコメントをし、画面右に「まもなく6:30」というテロップを出して全国枠を終了していた(後者のテロップは真山・木村時代には無くなり、日本テレビではスポーツコーナーの予告テロップを出していた)。
18時台後半

「プラス1特集」、「プラス1スポーツ」、「木原さんのお天気」の3本立てで、終盤にニュースをいくつか放送。

本来関東ローカルでの放送だが、年末年始の時期はローカルニュース番組休止に伴い臨時にネットする地方局もあった。

  • 「ジャイアンツ親父」こと徳光が出演していただけあって、スポーツニュースを全国向けニュースの後すぐ18:30から放送。そのあと特集と続いた。この編成は徳光の降板以後も続いた。
  • 1996年の17時台進出後は、『FNNスーパータイム』(フジテレビ)に対抗するべく、スポーツの前に特集を組む。そして、視聴率で完全に『スーパータイム』→『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』を抜き、2001年まで民放トップの状態が続いていた。
  • しかし2002年6月に、2000年4月のリニューアルでグルメ・ドキュメンタリーの2本路線を打ち出した『スーパーニュース』(フジテレビ)が夕方の視聴率争いで『プラス1』を抜き去るようになると、取材過程での不祥事が相次ぐなど苦戦を強いられた。さらに、2002年9月に真山・木村コンビが降板した事で、番組のパワーダウンが顕著に現れるようになっていった。
  • 2005年4月からはスポーツコーナーに芸能情報をあわせた「エンタメSPORTS」を放送。
  • そして、番組開始以来変わらなかったのが劇団花組芝居の木原による天気予報。『ヤン坊マー坊天気予報』として放送していたが1996年9月を以てスポンサー契約を解消した。マイスタジオを利用してマイスタジオ前 から伝えることで有名で、特に親子連れや小学生など一般人が毎日見学に来ていた。コーナー冒頭で現在の『news every.』に至るまで行っている「こんばんはー!」と木原と一般客が挨拶して始まるくだりもこの頃からあった。本社を汐留に移転後もマイスタジオ前からの中継は継続。18時台での親子連れなど一般客を入れての中継は大屋根広場に場所を移して、後番組『Newsリアルタイム』と現番組『news every.』でも行っている(2020年2月から2023年3月まではコロナ感染防止の観点から公開形式の放送は一時止めていた)。

月曜 - 金曜17時台

17時半スタート時代(真山・木村時代前期)

1996年10月にテレビ東京を除く在京キー局4局ではいち早く17時台へ進出し、18時台の視聴率上昇に貢献。この頃、系列局ではまだドラマ再放送やテレビ東京のアニメ番組を編成していた局が多く、北海道や東北、広島・福岡などでも自社制作の夕方ワイド番組を放送していたため、半数程度の系列局が17時台を放送した。『プラス1』の17時台進出成功をきっかけに、系列局は相次いで自社製作の情報番組を開始した事でネット局は減少する。更に『スーパーニュース』の17時開始で形勢逆転。2000年10月に17:00開始になった。

5分ほどのコーナーを小刻みに放送。オープニングのニュース以外は藤井貴彦がキャスターを務める。基本的にニューススタジオからは放送せず、18時台との区別化による変更を実施。18時台の全国ニュースでは、初期の頃は飛び乗り地域に配慮せず名前のテロップはなかった。

  • オープニングの挨拶・冒頭のニュース(1 - 2項目) - このコーナーのみ真山と木村が出演。この部分は報道局フロアかマイスタ外のどちらかで行っていた。
  • フラッシュニュース - 副調整室を背景にして
  • 木原さんの天気 - マイスタ外から。差し替えなしでネット、予報はネット局に配慮
  • ニュース特集 - 『あさ天5』のCGスタジオから。気になる言葉を解説
  • いちなな情報 - CGスタジオから放送。たまにマイスタジオから。詳細は後述
  • 木原さんのお天気ラボ - CGスタジオから。主に関東の天気(詳細は後述)。ネット局は差し替え可能。

真山・木村時代後期

2000年10月、藤井に加え山下美穂子が進行に加わる。このリニューアルから正式に西日本放送が17時台のネットを開始(17:30開始時代でも冒頭のニュース部分はネットしていた)。その後ローカルワイドを実施していない一部系列局も追随した。

いちなな情報
  • 17時台進出の際に設けられたコーナー、17:45頃 - 17:50頃の放送。生活情報を中心に取り上げ、人気を博した。実験のコーナーでは『所さんの目がテン!』の初代リポーターだった馬場憲治も登場。リポーターの一人であった古市幸子、清原久美子、安井まみ子は、後に別コーナーで番組に関わることになる。当初は報道フロアから後にCGスタジオからの進行で、17:00開始になってからは「いちなな横丁」なる架空の商店街をバックにして進行していた。
  • また、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』での「ドーバー海峡横断部」に藤井を参加させるため、お笑いコンビのウッチャンナンチャンの内村光良もリポーターとして登場した事もある(1999年)。
木原実のお天気ラボ
  • 同じく17時台進出の際に設けられたコーナー、17:51分頃から。気象予報士の木原実が相棒の花ちゃんと呼ばれる頭部が花の形をしたロボットのバーチャルペットと一緒に季節の話題から天気用語までを詳しく説明し、その後関東地方の天気予報(特別な事件・事故・災害で17時台から全国ネットの場合は全国の天気)を伝える天気コーナー。当時のプラス1の編成では17:57(のちに17:55→17:54)から全国のニュースを放送していたため、いちなな情報の次にお天気ラボのコーナーがあり、そのまま全国ニュースに突入していた。CGのフル活用やBGMが視聴者からかなり人気があったが、2001年のリニューアルでこの形態のコーナーとしては終了し、2002年9月までは同じ時間に「エンタメ5」のキャスターと一緒にマイスタジオ前から天気予報のみを伝える形式になった。ちなみにCG風景は当初は宇宙船内部の設定で、2000年秋のリニューアル後、野原に着陸した宇宙船の側にある小屋内部の風景にかわる。なお、花ちゃんは17時台進出時のオープニングにも出ていた。これとは別に「ごご5時ニッポン」の後にスタジオ外で天気を伝えるコーナーが登場し、今のスタイルの源流となっている。
ごご5時ニッポン
  • 17:00開始に伴い設けられたコーナー。2000年10月から2001年8月まで、17:10から。
  • ネット局(読売テレビ(1週だけ特別に参加)、山梨放送と、クロスネット局のテレビ大分、テレビ宮崎の計4局は不参加)を結んで、その時間の気温と天気、話題を放送するという“ズームイン!!朝!・お天気リレー”の様なコーナー。同じ時間に放送している系列地方局のローカルワイド番組の街頭リポーターが登場することが多かった。
  • ちなみに、ネット局においては自社制作ワイド番組内でのコーナー内包とされ、17:10頃にワイド番組設置のない局は裏送り参加のみであった。また、自社制作ワイド番組を放送していた地域でも、自社ワイドの番組の流れを削がれるという理由から裏送り対応をとる局も少なくなかった。
  • この時使用の温度計は『ズームイン!!朝!』と同じサイズのもの。時折、自社番組や24時間テレビでも使用。一部のローカルワイド番組で同時ネット、CS放送のNNN24(現:日テレNEWS24)でも時差ネットで放送されていた。
  • この時期、静岡第一テレビでは「CM未放送問題」が発生し、NNS会員資格が停止されていたことから『ズームイン!!朝!』への参加ができなかったため、こちらのコーナーへの素材提供が他局以上に多かった(報道ネットワークであるNNNの会員資格は停止されておらず、番組が報道局担当枠であったため、この枠への出中対応は可能だった。しかしながら静岡地区でのこの枠のネットはなく、あくまで「裏送り」対応)。
突撃!やすい
  • 17:00開始に伴い設けられたコーナー。2000年10月から2001年8月まで。
  • 「いちなな情報」を担当していた安井まみ子が都内の商店街から生中継し、商品を値切る。
一点突破!
  • 17:00開始に伴い設けられた、17時台のVTR特集コーナー。2000年10月から2001年8月まで。当初は「いちなな情報」の前枠でマイスタから進行していたが、2001年4月からはトップニュースと「ごご5時ニッポン」の間に移動し、ニューススタジオから真山・木村コンビも交えて進行していた。進行は一貫して藤井と山下が担当。
ココが気になる!
  • 17:00開始になって暫くしてから設置されたコーナー。2000年11月から2001年8月まで。報道記者が日替わりで登場し、主婦層の関心の高いニュース1項目を解説する。

真山・木村時代末期

2001年9月、本来の改編時期は10月であるが、それよりも1か月早い9月の時点で内容がリニューアルされ、この時期からは17時台の殆どに真山・木村コンビが登場するようになる。17時台ではストレートニュース程度しかなかったニュース部分を拡大し、さらに従来の生活情報部分も含め一つ一つのコーナーを長く取るようになった。これに加え芸能情報コーナーも設けられている。なお、このリニューアルの直後に「アメリカ同時多発テロ事件」が発生、ニュースに時間が割かれるようになり、それまでの生活情報色は大幅に縮小、時折「特撮」のコーナーで取り上げられる程度となった。なお、サブキャスターは2001年4月に山下から山王丸和恵へ交代し、2002年4月に藤井と揃って降板(藤井は一時降板)。長谷川憲司がエンタメ5を主に担当するキャスターとして加わった。

エンタメ5
  • 2001年9月から始まった芸能ニュースコーナー。『スーパーニュース』の「文化芸能部」に対抗する形で17:30頃から放送。
特撮
  • 2001年9月から開始された17時台の特集。正確なコーナー名は「NEWS特撮」(後に「プラス1特撮」に改題。改題時期不明)。水曜日には『Newsリアルタイム』でも継続された「北朝鮮の7日間」が放送された。2005年4月より『プラス1必見!』にタイトル変更(内容はほぼ同じで、「北朝鮮の7日間」も継続)。
なっ得!探検隊
  • 2001年9月から「いちなな情報」の後継企画として登場。「いちなな」と比べるとVTRの時間が長くなっているが、リポーターがスタジオに登場することはなく、企画も日替わりだった。
  • しかし開始早々、アメリカ同時多発テロ事件に伴う特別編成で1か月以上コーナー休止。10月半ばから週2回の放送として再開されるが、番組自体が以前と比べニュース部分に重きを置くようになり編成上足かせとなったためか、2002年1月頃にひっそりと終了した。

笛吹・藤井時代前期

2002年9月30日、メインキャスターが笛吹と藤井のコンビに入れ替わるが、当初1年間はコーナーの編成に大きな変更はなされず。「木原実の天気予報」をはさんで、17:30頃に「エンタメ5」を、17:40頃から特撮を放送した。

コメンテーター解説
  • キャスターがニュース原稿を読み、その後に専門分野のコメンテーターが解説を行う。コメンテーターは毎日3人 - 4人程度、代わり代わりに登場した。17時台前半は「1分 - 2分のニュースと解説、その後CMを4回 - 5回繰り返し」とCMを集中して放送、17時台後半はCMなしでそのまま18時台のニュースへと続く形をとった。
    • 大野元裕(中東調査会)
    • 佐々淳行(初代内閣安全保障室長)
    • 田宮榮一(元:警視庁捜査一課長、元:新宿警察署署長)
    • 重村智計(早稲田大学教授)
    • 中村慶一郎(政治評論家)

笛吹・藤井時代後期→笛吹・近野時代

2004年3月29日、日本テレビ放送網本社屋汐留移転を機に、タイトルロゴ・オープニングテーマ・オープニングCGを全面的にリニューアル、変更。特にロゴは初の英字となった。

これと同時に月曜 - 金曜16時台の情報バラエティ『汐留スタイル!』(のちにClick!、ラジかる!!を放送)の放送時間を30分拡大することとなり、放送開始時間を17:25に変更。ニュースを5分程度にまとめて放送した後に「特撮」、「エンタメ5」の順に放送。放送順序の入れ替えは特撮を休止させてオープニングのニュース拡大に対応させるためだった。のちに「エンタメ」、「特撮」の順序に再変更。

2005年4月8日からは金曜日のみ17:00からの放送に変更し、金曜日のみのコーナーが始まる(詳細は後述)。また、17時台のニュースは報道フロアから伝える形になった。

「北朝鮮の7日間」は『Newsリアルタイム』となった後も続けられた。

爆論!言わせてもらうぞ!!
2005年4月8日に始まった金曜日のみのコーナー。日本テレビ報道局の小西美穂が司会を務める討論コーナー。事前に収録して行われ、翌日に日テレNEWS24でディレクターズカット版として放送された。
直撃!コレなんで?!
理不尽な社会問題に対する調査報道コーナー。同様の企画は過去に特集で放送されていたが、それを単独コーナーにした。
エンタメ5
最新の芸能情報。一部地域でもネットされていた。
必見!
2005年4月に17時台の特集「特撮」を改題。一部の特集は、インターネットでも配信されていた。
北朝鮮の7日間
2002年頃から始まった企画。内容は朝鮮中央テレビの映像や観光ツアーから北朝鮮の思惑や実情などを分析することが多い。また、テレビで紹介された料理や、子供のすごい技などは必ず番組内でその道のプロや子供たちなどに実践してもらったりする。
プラス1特集/大注目
18時台の特集。当初は「プラス1特集」というコーナー名だった。グルメ特集や密着物を中心に放送。一部地域ではローカル番組内で大注目と同じ内容の特集を遅れて放送している。一部の特集は、インターネットでも配信されていた。
エンタメスポーツ
スポーツコーナー。当初はスポーツ情報のみだったが、2005年4月頃より芸能情報も放送している。一部地域でもネットされていた。
先出し!プラス1(※月曜日から木曜日までの『ラジかる!!』内)
『プラス1』の直前に放送されていた情報バラエティ『ラジかる!!』内で放送されたコーナー。近野または山本が当日の『プラス1』で放送するニュースの項目を紹介するいわばヘッドライン的なコーナー。月曜日から木曜日までの16:45過ぎから3分間放送。『プラス1』のキャスターと『ラジかる!!』の司会者とのやりとりもなされていた。

土曜日・NNNニュースプラス1サンデー・久能靖など担当時の金曜日

土曜日の30分番組として定着してからは、前半20分で全国のニュースとスポーツを伝え、後半10分はローカルパートとして各地のニュースと天気予報を伝えた(このような番組構成は次番組の『NNN Newsリアルタイム・サタデー』、現在の『news every.サタデー』にも引き継がれている)。なお。月曜 - 金曜版とは異なり、スポーツニュースのコーナーは設置されていない。日曜版のスポーツニュースは、直後の『独占!!スポーツ情報』で対応。土曜日はプロ野球ナイターがある場合、巨人戦(東京ドームのみ)のミニ中継を行っていた(この番組以降、1988年4月から行っていた)。また、プロ野球ナイターの途中経過やデーゲームの結果を伝えていた。『NNNライブオンネットワーク』の土曜日に放送されていた『健康と医学』のコーナーは当番組からは放送されなくなった。

土曜日(久能靖担当時は金曜日も含む)の内容は基本的に『NNN日曜夕刊』とテロップなどが同じであった。見出しタイトル部分の『NNN日曜夕刊』(1990年3月まで)『日曜夕刊』(1990年4月から)の部分のみ『NNNニュース プラス1』(1990年3月まで)『プラス1』(1990年4月から)となっていた。オープニングの音楽は月曜 - 金曜と同じだが、土曜日は『プラッス・ワン!!」』の音声がなかった(久能靖などの時代は金曜日に『プラッス・ワン!!」』の音声があった)。

土曜日の1989年9月30日までは、こんばんはと言った後、井田由美が「6時半になりました」と言って始まっていた(土曜の『NNNライブオンネットワーク』までと同じ)。

土曜日の最初のCM前、1988年4月から6月までは『NNNライブオンネットワーク』と同じ形(途中で提供スポンサーと『NNN日曜夕刊』全国ニュースエンディングのアレンジBGMが流れるもの)だったが、1988年7月2日からは芦沢俊美(久能靖時代は木村優子・三崎由紀、石田昭彦以降は鷹西美佳)がCM後のニュース内容と「コマーシャル(お知らせ)の後、お伝えします」「お知らせのあとはこのニュースからお伝えします」などの一言(2000年代になってからは鷹西が「コマーシャルの後は○○です」と言っていた)があった後、月曜 - 金曜と同じCM前のテーマ音楽が流れていた(1996年4月7日以降の『NNNニュースプラス1・サンデー』も同じ)。

1988年7月以降、土曜日・『NNN日曜夕刊』『NNNニュースプラス1・サンデー』エンディングは放送時間終了(NNN部分のみで終了する地域、NNNとローカルニュース天気予報を内包、NNNとローカルニュースを内包)が全国各地で異なっていた。土曜日の全国ニュース提供部分(18:48すぎ、1989年10月7日以降は18:18すぎ)に関しては、1988年7月以降からの『NNN日曜夕刊』同様に『ひき続きニュースをお伝えします』のテロップや音楽を使用していた系列局があった一方、『ひき続きニュースをお伝えします』と月曜 - 金曜のテーマ音楽を使用していた地域、18:48(18:18)に終了する地域(『NNNニュース プラス1 END』のタイトルあり、テーマ音楽は月曜 - 金曜と同じものか『NNN日曜夕刊』全国ニュースエンディングのどちらかを使用)など異なっていた。1992年10月以降も地域によっては初期の月曜 - 金曜テーマ音楽を放送していた局があった。1996年4月の『NNNニュースプラス1・サンデー(サタデー)』開始後、日本テレビでは『ひき続きニュースをお伝えします』のテロップは用いず、CM明けのローカル枠で伝えるニュースの予告テロップが表示されていた。

1988年6月までは、全国ニュースの最後に芦沢俊美・井田由美が「それでは失礼致します」「またあした」とあいさつをしていたが、1988年7月、日本テレビなどがローカルニュースを吸収した後はこのようなあいさつはされなくなり、日本テレビではエンディングで最後のニュース項目のVTRと原稿読みのまま唐突に番組が終わっていた(これは『リアルタイム』→『every.』も同様)

1996年4月7日開始の『NNNニュースプラス1・サンデー』は『NNN日曜夕刊』(15秒オープニングの後30秒CMあり)とは違い『NNNニュースプラス1・サタデー』と同じく、CMに入る前に「コマーシャルの後、お伝えします」とテーマ音楽を放送していた。 提供コメントは月曜 - 金曜版では1996年10月から廃止されたのは前述通りだが、週末版ではそれ以降も継続していた(前提供の場合、前述通り最初のCMに入る際はキャスターのCM明けの内容紹介をスタジオで行い、ニュース映像を背景に提供クレジットをコメント入りで表示していた。回線には無音のニュース映像しか乗らないため、日本テレビ以外はBGMごと音声を差し替えていた局が多かった)。

マル秘ウォッチ永田町
1週間の永田町(政界)の様子を振り返るコーナー。土曜日CM明け(18:09頃)に放送。元々は日テレNEWS24(時間帯によってはBS日テレで同時放送)の企画で、現在も放送中。インターネット配信もされている。なお、同コーナーは『NNN Newsリアルタイム・サタデー』でも継続。

テーマ音楽

年末版

年末には、スペシャル版を放送するのが恒例であった。

  • 2001年までは12月の最終水曜日に『超特大生放送プラス1』と題して17:30から3時間半にわたって放送。
  • 2002年と2003年は12月の最終日曜日に『バンキシャ!』と合体して『超合体!特大生放送!!バンキシャ!プラス1』を放送。日本テレビ本社(当時の麹町社屋)Gスタジオに両番組のスタジオセットを模したセットを建て込んで生放送され、司会は笛吹・藤井と当時の『バンキシャ!』のメインキャスター、福澤朗(当時日本テレビアナウンサー)・菊川怜(女優)が務めた。オープニング曲は両番組のそれをミックスさせたものを使用した。
  • 2004年12月30日には、『ニュースプラス1超強力スペシャル〜2004あのニュースの謎を解き明かせ〜』が放送されたが、一部地域では放送されず、各紙には「NNNニュース」とは表記されたものの、ロゴも放送されなかったため、いきなり笛吹が登場し、ニュースを放送、木原によるお天気で終わり、またいきなり、CMまた別番組が放送されてしまった。このニュース&天気は全国パートのみの6分間の放送だった。読売テレビは非ネットとしていたが、事件報道のために急遽放送した(放送中に被疑者が護送される)。
  • 2005年は12月28日の15:50 - 18:30に『ニュースプラス1超強力スペシャル〜2005あのニュースの謎を解き明かせ〜』と題して放送。前年同様、一部地域ではローカル情報番組などを放送するためにネットされなかった(しかし、去年よりもネット局は増加)。なお、全国ニュースは18:15から『NNNニュース』として放送されたが、今回もキャスターがいきなり出てニュース読みから始まった。他局配慮のためか冒頭で、画面右上に『NNNニュース』というテロップは表示された(一部地域のみ)。ちなみに18:15になると、「それではここで全国ニュースをお伝えします」のアナウンスで入った。また、『NNNニュース』となっていたが、通常の『NNNニュース』のタイトルロゴやテロップは使用されず、テロップは通常の『プラス1』でのテロップを使用した。読売テレビのみ『NNNニュース』は5分間だった。

ネット状況

系列局での番組タイトル

いずれも月曜 - 金曜版のタイトル。以下の記号は2006年3月の放送終了時点。

  • ●印…フルネット(16時・17時台の両パートを放送。天気コーナーは差し替え。また、ローカル番組のニュースコーナーで、17時台の一部分を数分間ネットする局も含む。)
  • ☆印…18時台において「エンタメスポーツ」をネット。
  • ★印…17時台において「エンタメ5」をネット。
  • 系列局の月曜 - 金曜夕方のニュースは日テレNEWS24の『ウォッチ・ザ・にっぽん列島』でも一部分を放送していた(札幌テレビ、中京テレビ、読売テレビ、福岡放送と日替わりで1局の計5局のニュースを放送)。
  • 番組開始にあたりそれまで『Today』などをタイトルに冠していた殆どの地域が『(ニュース)プラス1』(その前後に局略称あるいは地名が入る)に改題。既存のタイトルで継続する事となった青森・山形・秋田・山口・徳島でもタイトルの末尾に『プラス1』のロゴを付随させたため、番組初期は地域によってタイトルが異なっていた裏番組の『FNNスーパータイム』(フジテレビ)とは対照的に実質全系列局で番組タイトルが統一されていた。当時『プラス1』をタイトルに冠していた局では「徳光(・○○)のプラス1」のようにメーンキャスターの名前を新聞でのタイトルにする局も多かった。

土曜版

備考

  • 青森放送では、月曜 - 金曜の18:08頃のローカル提供クレジットおよび土曜のエンディングクレジット時のBGMは、1990年代中期に『NNN日曜夕刊』の全国ネットエンディングで使われた曲と同じであった(『Newsリアルタイム』 でも引き続き使われている)。また、土曜日のエンディングの番組タイトルスーパーは1996年4月に『プラス1サタデー』とタイトル変更された当時のロゴが最後まで使われた。
  • 福井放送、日本海テレビ、山口放送は最後まで初代のタイトルロゴを使用していた。また、地上デジタル開始前の局は2代目のタイトルロゴを使用しているところも多かった。
  • 日本海テレビでは初期、週末は全国ニュースが『NNNニュースプラス1』または『NNN日曜夕刊』、ローカルは『ニュース日本海プラス1』と、同じプラス1でテーマ音楽もタイトルロゴも同じながら別々の番組として放送していた。後者のエンディングは、関東での本編月曜 - 金曜エンディングと同じ音楽である。この頃、徳光と日本海テレビアナウンサーらが月曜 - 金曜の『ニュース日本海プラス1』の宣伝CMを作っており、徳光が終盤で「ニュースは新鮮!日本海!」と叫び、全員でタイトルコールをして締めていた。なお、日本海テレビは全国ニュースのプラス1が2006年に終了した後も、同年9月まで引き続き夕方ニュース全体を『プラス1』と呼んでいた(タイトルロゴは変更)。

インターネット配信

  • 2006年2月から、月曜 - 金曜の全国ニュースと特集コーナーの「大注目」、「必見!」は、インターネットで動画配信されていた。2006年2月6日からインターネットでの無料配信がスタートした。配信されるのは月曜 - 金曜17:50 - 18:17の全国ニュース部分である(CMはカット)。スポーツ映像など一部映像は権利の都合上、お断り画面に差し替えまたはカットされているため、その部分の穴埋めで関東ローカル枠の一部分も配信されることがある。また、特集コーナー「大注目」と「必見!」も配信されていた。
  • キャスター日記は『映像ブログ』という形で、終了後のキャスターの様子やトークを動画で配信していた。
  • 動画ニュースとキャスター日記は月曜 - 金曜の20:00過ぎに更新される予定となっていた。また、「大注目」と「必見!」は毎週水曜日に更新された。
  • なお、第2日本テレビでは、土曜日のコーナー『マル秘ウォッチ永田町』の配信も行っている(内容は放送終了後に更新)。

関連項目

  • NNN(Nippon News Network)
  • 日テレNEWS24(旧:NNN24)
  • NNNニュース
  • 全日本プロレス中継 - 「プロレスニュースプラス1」というパロディコーナーがあり、ロゴも同一のものが使用された。また、初期のプロレスニュースではプラス1のセットを借用していたこともあった。
  • 欽きらリン530!! - 本番組初期において、「追跡」と本番組との3番組で帯生放送ゾーンのタッグを組んでいる扱いであった。
  • ガメラ 大怪獣空中決戦 - 1995年に公開された映画で、劇中に本番組が登場した。

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • ニュースプラス1 - 公式サイト

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: NNNニュースプラス1 by Wikipedia (Historical)