千葉市(ちばし)は、千葉県の中央部にある市。千葉県の県庁所在地及び人口最多の市であり、政令指定都市の一つ。
都市雇用圏における東京都市圏の中心都市の一つであり、6区の行政区を持つ。業務核都市、国家戦略特区、構造改革特区、都市再生特別地区、国際会議観光都市、保健所政令市、グローバルMICE都市に指定されている。仙台市に次いで日本の市町村で12番目の人口を持つ都市であり、100万人未満の市の中で最多である。
なお、人口は100万人未満であるものの、人口密度は100万都市である神戸市や札幌市などよりも高い。
千葉県中央部に位置し、日本の首都である東京都の都心や成田国際空港・東京国際空港から約25 - 35キロメートル圏内にある、東京湾に面した県内最大の都市である。市政の中心地は亥鼻地区(中央区の本千葉駅、県庁前駅周辺)、市域の中央駅は千葉駅(中央区)、経済活動の中心地は千葉都心(中央区の千葉駅・千葉中央駅・千葉都市モノレール1号線沿線周辺)、蘇我副都心(中央区の蘇我駅周辺)、幕張新都心(美浜区の海浜幕張駅周辺)、教育の中心は稲毛区であり千葉大学の本部をはじめとして、多数の私立大学や高等学校が存在する。
国際拠点港・日本三大貿易港の千葉港を有する港湾都市で、京葉工業地帯の中核・工業都市である。市内にはアジア地域有数の国際見本市である幕張メッセがあり、首都圏の中でも多種業務機能が集積した首都機能の一翼を担い、中心業務地区 (CBD) の千葉都心・幕張新都心を中心に世界に開かれた国際都市の役割を担う。
1126年、千葉氏の実質的な初代当主である千葉常重が猪鼻台(現在の亥鼻城址周辺)に居館を築いたことにより広義の城下町として繁栄し、その後は千葉妙見宮(千葉神社)の小規模な門前町となる。近世には千葉佐倉街道(千葉街道)や東金御成街道の宿場町となり、佐倉藩の外港でもあった。1873年、千葉県庁が千葉町(現在の千葉市中央区本千葉町)に置かれたことにより、千葉県内の政治・経済・文化の中心地、交通の要衝として発展し、ウォーターフロント開発による千葉港や京葉工業地帯の整備による港湾都市・工業都市として、約100万規模を有する都市へと成長した。また、東京都の都心と成田国際空港の中間地点に位置することから首都圏の中でも幕張新都心や千葉港のような国際戦略に重要な機能・施設が多く、グローバル都市としての役割が強い。先端技術産業の集積地となっている。
東京都特別区部への通勤率は20.0%といわゆる「千葉都民」が一定数存在する(2015年国勢調査)。昼夜間人口比率は100を下回っているものの、97.5% とベッドタウンとしての機能が強い東京の周辺に位置する首都圏の都市では昼間人口が比較的多い方であり、関東有数の巨大商圏による商業集積や企業の本社を持つ一方で、独立した支店経済都市として東京都の都心だけに依存しない独自の経済圏(千葉都市圏)を形成している。また、一部の企業が支店や支社を千葉市に置いて首都圏(特に東関東)を管轄下に置いているケースも見られ、広義の拠点都市としての機能もある。
千葉市には、都心・新都心・副都心と異なる名称を与えられた地区があるが、3者とも機能的には「都心」としている。
千葉市都市計画マスタープラン によると下記のような集約型都市構造としている。
千葉県の中央部(ほぼ中西部)に位置し、中心市街地は東京都の都心と成田国際空港の中間地点(約25 - 35キロメートル)である。
地形は、臨海部および各河川下流域に広がる関東平野の平地とその周辺部は下総台地の台地・谷津から構成される。郊外や臨海部を中心に大規模な住宅団地が多くある一方、若葉区、緑区には豊かな自然環境と住宅地が共存している。かつての海岸線は現在の国道14号・国道357号・国道16号をなぞる線にほぼ等しく、遠浅の海が広がっていたが高度経済成長期以降の大規模な海面埋立により、新たに広大な土地が誕生した。美浜区のほぼ全域および中央区の一部がこれに該当する。現在の海岸線は中央区部分ではほぼ工業施設または港湾で占められている一方、美浜区部分には長大な人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)も造成されている。美浜区全域、中央区と花見川区の一部を除いて標高20メートル以上の台地に位置しており、緑区土気町など標高90メートル以上に位置する地域も存在する。なお最高地点は緑区板倉町の標高103.6メートル、最低地点は美浜区豊砂の標高0.7メートルである。
地域によって気候は異なるが、一般には夏季はそれほど猛暑にはならず、冬季も若葉区や緑区など内陸部を除き暖かくて温和な太平洋側気候である。年平均気温は、過ごしやすい16.2度である。
千葉特別地域気象観測所(旧千葉測候所)の観測によると、1月の平均気温は6.1℃、最低気温は2.4℃と高く、沿岸部は東京湾からの風や高い水温の影響で冬日になることは少なく、過去最低気温(1966年4月 - )は-5.2℃(1967年2月13日)とかなり高い。一方、若葉区、緑区などの内陸部は風が弱く、放射冷却により冬日になりやすく氷点下まで冷え込むこともある。そのため中央区の港湾部に立地し都市部特有のヒートアイランドによる影響も強い千葉特別地域気象観測所の観測気温と内陸部の気温とでは大きく異なることがある。実際に千葉特別地域気象観測所では2016年(平成28年)1月24日から25日にかけての寒波の時、南西諸島や伊豆諸島、小笠原諸島などの島嶼部を除いた全国の観測地(気象官署・アメダス)の中で唯一、冬日を観測しなかった。
8月の平均気温は27.1℃、最低気温は24.3℃であり、共に千葉県内の気象観測地点の中では高めの傾向にある。これは、ヒートアイランドの影響に加え、沿岸部の埋立地に立地する千葉特別地域気象観測所は東京湾から吹き付ける湿度の高い熱風の影響で夜になっても気温が下がりにくいからである。そのため、東京湾沿岸地域の日中は海のない内陸県のような猛暑(35℃以上)とはなりにくいものの、夜は蒸し暑くなりやすい。過去最高気温は38.5℃(2015年8月7日)である。
冬季、南関東を南岸低気圧が通過する場合、千葉市付近は暖気と寒気の境界線となりやすく、県内北西部(東葛・葛南地域)や東京・横浜が大雪の場合でも県内南部(君津・木更津地域)などでは雨や霙となり、それほどの積雪量にならない場合も多く、年間平均降雪量も7センチメートルと東京(8センチ)や横浜(9センチメートル)に及ばない。しかし、寒気の引き込みが強い場合は、標高が100メートル前後と高く気温が低い地区(緑区土気周辺など)で降雪量が多くなりやすく、毎年10センチメートル前後の積雪となるのも珍しくない。過去に1951年(昭和26年)2月14日から15日にかけての関東平野部(1都6県)では記録的大雪を観測しており、南岸低気圧の影響で内陸部の白井(現・若葉区野呂町)で133センチメートル、市街地に近い仁戸名(現・中央区仁戸名町)で91センチメートル、市街地の都(現・中央区都町)で80センチ の積雪となったことがあるなど、低気圧の進路や寒冷渦の影響などによっては稀に雪の積雪量が多くなることがある。
千葉市若葉区桜木には世界でも最大規模の貝塚および環状集落である特別史跡「加曽利貝塚」がある。縄文時代の痕跡が色濃く残っており、この場所では約7000年前の竪穴建物跡が発見されているが、当時の貝塚は残されていない。巨大な貝塚が作られ始めたのは約5000年前の縄文中期である。初期には小規模な貝塚と建物群があったが、後にその上に直径約130メートルのドーナツ形の貝塚が約1000年かけて形成されていることからも、多くの人々が暮らしていたとされている。
『日本後紀』大同元年正月癸巳(1月28日)(806年2月20日)条に、「千葉国造(ちはのくにのみやつこ)大私部直(おおきさいべのあたい、直はカバネ)善人」という人物が登場しており、大化の改新以前より千葉市に国造が置かれていた可能性が高く、律令制成立後も下総国千葉郡と呼ばれる郡が成立した。さらに『倭名類聚鈔』には千葉郡にあった7つの郷の一つに「千葉郷」と呼ばれる郷があったことが記されており、同郷は現在の稲毛区穴川・黒砂付近を指していたと考えられている。
平安時代に平常重が千葉郡千葉郷・池田郷一帯に千葉荘を開き、1126年(大治元年)、猪鼻台(現在の亥鼻城址・亥鼻公園周辺)に居館(亥鼻城)を築いて、千葉介を名乗り 千葉氏の実質的な初代当主となる(千葉常重)。都川周辺は広義の城下町 として繁栄した。常重の子、千葉常胤は鎌倉幕府を開いた源頼朝の重鎮となる。以後、子孫が室町時代まで下総国守護職として周辺を支配した。
下総国から西へ東京湾を渡った相模国金沢(現在の神奈川県横浜市金沢区)の称名寺には、鎌倉時代の千葉寺や千葉市の大日寺で書写された仏教関係の文書が多数残されている。東京湾対岸の称名寺に多数残されているのは、僧侶が東京湾の水運を使って下総国と相模国の間を往来していたためとされ、都川河口(現在の千葉市中央区寒川町付近)は下総国の地方船着場(湊)として利用されていた。しかし、享徳の乱に乗じた原胤房と馬加康胤によって千葉胤宣が討たれ、千葉氏宗家が滅びた後は、千葉妙見宮(千葉神社)の小規模な門前町となった。
江戸時代には、現在の千葉市域の大半が佐倉藩の所領となった他、市域内に生実藩・曽我野藩の2小藩が置かれた。その他に幕府領(天領および旗本・与力知行所)となっている地域もあった。
後に江戸から佐倉城を結ぶ佐倉街道が整備されると、船橋宿から分岐して寒川湊(現在の千葉港)を結ぶ千葉佐倉道(千葉街道)や東金御成街道が整備され、将軍が休息・宿泊する為に千葉御茶屋御殿(千葉市若葉区御殿町)、千葉御殿(千葉市中央区中央)も造られた。千葉市内には御殿が2カ所存在し、小規模な宿場町となる。
江戸時代末期ごろから海運業が盛んとなり、曽我野浦(曽我野県、現在の千葉市中央区蘇我)や登戸浦(現在の千葉市中央区登戸)は、物資を江戸へと船で運ぶ拠点となっていた。曽我野浦では、東金や九十九里沿岸から馬の背で輸送された〆粕・干鰯・年貢米・鮮魚などを荷受けし、五大力船で江戸に廻送した。登戸浦は、江戸築地に荷揚場を持ち、都川の水運で運ばれた年貢米や海産物を房総半島から江戸に運び、佐倉藩の外港でもあった。江戸時代後期の浮世絵師である葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「登戶浦」に当時の活気が描かれている。
戊辰戦争後の1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県では、現千葉市は印旛県の領内に入れられた。しかし、明治初期の1873年(明治6年)には印旛県と木更津県が合併されて千葉県が誕生し、旧両県の境で千葉氏の本拠地でもあった現千葉市(亥鼻地区)に県庁が設置され、これ以後は千葉県の県庁所在地として発展することとなる。1894年(明治27年)には国鉄による総武鉄道の開通により、政治と交通の中心地として整備が進んだ。
市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を編入するとともに、海面の埋め立てを進め、1922年(大正11年)5月27日、内務省告示第131号により港湾指定を受け、後の千葉港となる。1940年(昭和15年)には、東京湾臨海工業地帯計画が内務省土木会議で決定され、その一環として、千葉市今井町地先海面300ヘクタールの埋め立てを計画して200ヘクタールの埋立てを行い、市域は拡大していく。
戦前(第二次世界大戦勃発前)には、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都「千葉」として軍都「習志野」とともに発展した。千葉市内には1908年ごろの陸軍歩兵学校、気球聯隊など陸軍関係の学校や施設が多く残り、例として千葉公園内には戦跡として練習用トンネル、架橋演習用橋脚、荒木山などが残されている。1945年(昭和20年)6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ市域の7割が壊滅する甚大な被害を受け、その後、第二次世界大戦は終結となる。
戦後、宮内三朗市長(名誉市民第1号)の元で大規模な埋め立てと市町村合併が行われた。現在の緑区のうち、旧土気町であった部分はかつては上総国山辺郡(今の山武郡)に属していた地域である。1948年(昭和23年)7月16日、千葉港の港則法に基づく港域が決定され、日本における戦災復興都市計画の一環として川崎製鉄株式会社(現在のJFEスチール株式会社)を今井町地先埋立地(現在の蘇我副都心)に誘致し、京葉工業地帯の中心都市として再建された。周辺は企業城下町の雰囲気を色濃く残し、西口がある川崎町にはJFEスチール東日本製鉄所、東口にはJFE体育館(旧:川鉄体育館)・千葉メディカルセンター(旧:川鉄病院)・JFEスチールの社宅や独身寮などが建設され、工業都市として発展した。
1954年(昭和29年)2月27日、千葉港が法務省令第14号により出入国管理令上の出入国港に指定、同年3月20日港則法に基づく特定港に指定され、1953年(昭和28年)7月1日、政令第150号により国際貿易港として関税法上の開港に指定。これにより後の1982年(昭和57年)10月に、千葉港開港記念日を「7月1日」として制定された。
「日本の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序ある発展を図る」ことを目的として1956年(昭和31年)に「首都圏整備法」制定され、千葉市が近郊整備地帯に指定された。これにより、1960年(昭和35年)には、大宮団地の整備事業が開始され、以後土地区画整理事業が相次いだ。特に、1967年(昭和42年)には、海浜ニュータウン計画を発表、稲毛、検見川、幕張に計画人口約24万人の大規模なニュータウン建設が計画された。その後、独立都市の計画として「幕張新都心(A地区)基本計画」を発表し、業務中枢機能の東京一極集中に歯止めをかけることを目的に、住宅中心の土地利用計画を大幅に見直し、業務機能を持つ「新都心」を建設することを決定した。
『千葉県新総合五ケ年計画』では、千葉県内における進学率の上昇、学生数の増加に対応して幕張新都心に教育文化機能を充実させる「学園のまち」構想を示した。1981年(昭和56年)より順次、大学、高校などの文化・教育施設が立地し、西千葉駅周辺(稲毛区)、本千葉駅周辺(中央区)、おゆみ野(緑区)、幕張新都心文教地区(美浜区)に文教都市を形成した。また、首都高速湾岸線や東関東自動車道、JR京葉線などのインフラ整備が急ピッチで進む。
1983年(昭和58年)千葉新産業三角構想策定(基幹プロジェクト)および幕張新都心事業化計画(千葉新産業三角構想)を策定し「幕張新都心構想」「かずさアカデミアパーク構想」「成田国際空港都市構想」の3つを基幹プロジェクトとした『千葉新産業三角構想』が決定。東京都心と成田国際空港の中間に位置する千葉市は、業務機能の集積を核とした新都心として構想されるようになり、その開発誘導施設として幕張メッセを位置づける「幕張新都心事業化計画」も同年発表される。1989年(平成元年)10月、国際見本市として幕張メッセが完成。同月、第28回「東京モーターショー」が幕張メッセで開催され、史上最高の15カ国が参加。192万人が訪れ、幕張新都心は名実ともに国際コンベンション都市として誕生した。1990年(平成2年)3月には、幕張メッセの海側に総面積(延床)4万4782平方メートル、3万人収容という国際級規模の千葉マリンスタジアムがオープンし、1992年(平成4年)3月からは千葉ロッテマリーンズのホームグラウンドとなっている。また、幕張テクノガーデンのオープンを皮きりに、業務地域の建設が順調に進んだ。幕張新都心の総合的な街づくりに対して、日本都市計画学会賞「石川賞」が千葉県に贈られ、質の高いインフラ整備と優れたデザインによって事業者を誘導するなど、先進的で官民一体となった業績が評価され、自治体では初の受賞となった。
1992年4月1日には、全国12番目の政令指定都市に移行し、6つの行政区が発足した。
蘇我副都心では、JFEスチール東日本製鉄所の沖合い埋立地区への移転に伴い、千葉市が蘇我特定地区整備計画を策定し、ハーバーシティ蘇我として再開発が行われた。2005年(平成17年)4月27日に第1期として開業し、その後千葉市蘇我スポーツ公園内にフクダ電子アリーナが整備され、同年10月16日に開業してからはジェユナイテッド市原・千葉のホームスタジアムとなっている。フクダ電子アリーナの完成後、蘇我スポーツ公園内(スタジアムの東隣)に多目的広場(フクダ電子スクエア)などが建設されたほか、隣接地にジェフのクラブハウスや練習所を兼ね備えたユナイテッドパークが整備されている。これにより、延べで年間2000万人が来場する施設となった。
千葉駅は2011年(平成23年)から建て替え工事が進められてきており、2016年(平成28年)11月20日、53年ぶりに新しい「千葉駅」として開業した。改札など駅機能を3階に集約することで、ターミナル駅として利便性も向上している。駅西口には2013年(平成25年)10月1日に千葉都市計画事業千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業の中核施設として複合施設のウェストリオ (WESTRIO) が開業し、ビルが3棟並ぶ。2018年(平成30年)6月28日には千葉ステーションビル主体の駅ビル「ペリエ千葉 (Perie)」が開業し、構内にはエキナカ(地上3、4階の2フロア)、改札外にはペリエ千葉の本館、ペリチカ、ストリート1、ストリート2と約8万3000平方メートルの大規模な駅ビルが隣接している。駅周辺は都市の国際競争力強化の観点から特に重要な地域として都市再生緊急整備地域に指定されており、千葉駅東口地区第一種市街地再開発事業、千葉駅西口地区第二種市街地再開発事業(B工区) など、更なる都市再開発事業が続いている。
2015年(平成27年)、幕張海浜公園にて「レッドブル・エアレース・千葉 2015」が日本初開催される。更に幕張海浜公園D・Eブロックが「JFAナショナルフットボールセンター」の建設候補地となる。2016年(平成28年)、千葉市が東京圏の国家戦略特別区域に指定され、ドローン宅配便や自動運転モビリティなどの実用化に向けた検討を行う近未来技術実証や、規制改革メニュー活用事業、児童福祉施設の設備および運営に関する基準の緩和や都市部におけるオンライン服薬指導の実施などの規制改革提案が行われている。
2020年には幕張メッセにおいて東京2020オリンピック競技大会の3競技(フェンシング、レスリング、テコンドー)、東京2020パラリンピック競技大会の4競技(ゴールボール、シッティングバレーボール、車いすフェンシング、テコンドー)の会場となることが決定。更に2018年(平成30年)10月15日、重点戦略5の都市資源を活用し、統合型リゾート(IR)導入の可能性に国の動向を注視しながら検討を進めている。
2003年(平成15年)2月、隣接する四街道市の住民の発議によって法定合併協議会が設置され、千葉市への編入として行政区名を「四街道区」とする方針が決まったが、四街道市議会内で編入への賛否が拮抗したことから賛成派・反対派双方による発議により編入の是非を問う住民投票が行われることになり、2004年(平成16年)5月16日の投票で反対意見が賛成を上回り、6月28日に千葉県に合併協議会の解散を届け出て編入は白紙となった。
2015年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.05%増の971,882人であり、増減率は千葉県下54市町村中12位、60行政区域中15位。
千葉市役所を中心として6つの区が設置されている。
以下の6区で構成されている。人口はいずれも2024年3月1日時点の推計人口。
2000年(平成12年)には市制施行80周年を記念して、各区の「イメージカラー」と「シンボルマーク」が発表された。なお、シンボルマークの使用については各区の許可が必要である。
千葉市に置かれる国際機関は以下の通り。
千葉市に置かれる主な国の行政機関は以下の通り。
行政機関
司法機関
千葉市に置かれる主な県・市の行政機関は以下の通り。
工業
臨海部(中央区川崎町、新浜町、蘇我町、美浜区新港を中心とした地域)は千葉港を中心とした京葉工業地帯の一角をなし、中央区部分にはJFEスチール東日本製鉄所(旧川崎製鉄千葉製鉄所)、JERA千葉火力発電所などが所在し、美浜区新港には食品や金属加工関連の事業所が多い。また、北部地域(花見川区千種町、稲毛区六方町を中心とした地域)では、鉄鋼加工や機械工業が盛んである。
商業
第二次大戦前には旧:省線千葉駅(のちの旧:国鉄千葉駅 (初代))、旧:京成千葉駅、県庁を結ぶ現・栄町通りがメインストリートとなっていた。しかし、戦災(千葉空襲)を経て第二次大戦後の都市整備に伴い、両千葉駅が移転したことで新駅周辺に商業集積が移動。特に国鉄千葉駅(二代目。現:JR千葉駅)前にはそごう千葉店、ニューナラヤ(現:千葉三越跡)といった大型小売店が店舗を構えたことから、千葉県最大・関東有数の商業拠点として栄えてきた。
バブル景気の時期には、幕張新都心、蘇我副都心、千葉みなとなどの臨海部に商業施設が建設され、郊外での大型ショッピングセンターなどが相次いで建設された。これ以来、地域が幕張(美浜区)を中心とした西半分と、亥鼻城周辺(中央区)を中心とする東半分に大きく二分されている。
概して、幕張新都心は大企業や多国籍企業が多く立地し、中心市街地(JR・千葉都市モノレール千葉駅、JR東千葉駅、JR本千葉駅、亥鼻城近辺)は古くからの地元商店街的な色彩が目立つ。
また、一部の企業が支店や支社を千葉市に置いて千葉県と茨城県を管轄下に置いているケースも見られ、広義の東関東の拠点都市としての機能がある。
農業
東京大都市圏の近郊型農業地。都市化の進展による農地の減少が課題となってはいるが、若葉区や緑区、花見川区北部に農地が広がる。
市街地の後背部に都市近郊の優良農地を有し、水田を中心とした土地基盤整備を始め、施設・機械の近代化など生産基盤の強化を図る。農業生産基盤である農地は、本来の生産機能の他に、防災機能、治水機能、環境保全・自然景観の保持やレクリエーションの場の提供など、都市の緑の空間としても重要な役割を果たしている。落花生やニンジンなどの畑作が中心だが、ブドウや梨などの果樹栽培もある。酪農も盛んで、飼養頭数、産出額は県下2位である。また落花生の生産量、作付け面積共に、隣接する八街市についで全国2位である。
千葉市の中心市街地は千葉都心(千葉駅から千葉中央駅、本千葉駅、千葉みなと駅周辺)、蘇我副都心、幕張新都心近辺に位置するが、東部の千葉都心・蘇我副都心と、西部の幕張新都心に大きく二分されている(詳細は後述の#商業の節)。一般的に「千葉市街地」というと千葉駅から千葉中央駅にかけて、もしくは千葉都市モノレール1号線沿い(千葉みなと駅から県庁前駅間)にかけての市街地を指すことが多い。
JR東日本「千葉駅」から京成電鉄「千葉中央駅」、千葉都市モノレール「葭川公園駅」にかけての中心市街地(富士見地区から中央地区)には企業のオフィスビル、銀行や商業施設、家電量販店などが林立する繁華街となっており、関東有数の市場規模である巨大商圏となっている。また市街地中心部に位置する中央公園(葭川公園駅最寄り)は市民の憩いの場として様々なイベントが行われている。
千葉駅には駅ビル(ペリエ千葉)、複合施設(ウェストリオ)、ホテル(サンルート千葉)、センシティ(センシティタワー、そごう千葉店、オーロラモールジュンヌ)、商業施設(シーワン)が入居・接続しており、千葉駅から千葉中央駅の両駅間は約1キロメートルほどの商業施設(建物)で繋がっている。
市街地は地場資本の奈良屋(後に専門店ビル・セントラルプラザ)・田畑(後の千葉パルコ)・扇屋(後にジャスコ傘下入り)といった百貨店が並び、ダイエーや丸井、十字屋、緑屋が進出するなど活況を呈していたが、現在では駅直結のそごう千葉店、オーロラモールジュンヌなど駅付近に商業施設が集中し、駅から離れた場所にあった商業施設はマンションなどに転用されている。また、市街地から少し逸れた中央区栄町地区は、かつては県下一の賑わいをみせていたが、千葉空襲の被害を受けたあと、風俗店、キャバレー、コリアンタウン、小料理屋などが集中する歓楽街と化し、国鉄千葉駅が現在の位置に移転した後は商業拠点も駅に近い中央区富士見地区に移転した。市は地元商店会と共に栄町の再生に取り組み始めている。
駅周辺は都市再生緊急整備地域に指定されており、千葉駅東口地区、西口地区の再開発事業が続いている。
千葉市の古くからの中心部であり、周辺は官庁街のほか、千葉大学(医、薬、看護)をはじめ千葉県立千葉中学校・高等学校などが集約する文教地区として知られる。千葉中央駅にはシーワンと接続の商業施設(ミーオ)、ホテル(京成ホテルミラマーレ)、シネマコンプレックス(京成ローザ10イースト・ウエスト)などを有している。
JR東日本「千葉駅」から千葉都市モノレール「県庁前駅」周辺には、かつての下総国守護所があった亥鼻城跡(亥鼻公園)を囲むように、千葉県庁、千葉県議会棟庁舎、千葉県警察本部、千葉市消防局、千葉地方検察庁・千葉区検察庁、千葉地方裁判所・千葉家庭裁判所など行政機関が集中する。
JR東日本「千葉みなと駅」周辺には国際拠点港湾である千葉港の港湾地区を中心に千葉ポートタワーや千葉県立美術館、千葉市役所をはじめ、港湾施設(千葉みなと桟橋、ケーズハーバーなど)、複合施設(千葉ポートスクエア)、商業施設(ミハマニューポートリゾートなど)、企業(京葉銀行千葉みなと本部など)、ホテル(オークラ千葉ホテルなど)、結婚式場(ベイサイドパーク迎賓館など)など港湾都市として整備されており、ウォーターフロントの開発が集中する。歴史的建造物として国の登録有形文化財に登録されている日本勧業銀行本店(現在の千葉トヨペット本社)がある。
蘇我地区は戦災復興の一環として誘致された川崎製鉄の企業城下町である。千葉市は、蘇我駅周辺地区を千葉都心・幕張新都心に続く第三の都心と位置付け、2003年から川崎町地区の旧川鉄千葉製鉄所のほぼ全域と蘇我駅周辺地区を含めた蘇我臨海地区土地区画整理事業を開始し、大型商業施設や球技場を中核とした商業地区や公園施設の整備が行われている。これに伴い、土地区画整理後に商業施設やフクダ電子アリーナが建設され、将来的な周辺人口増による利用者増を見越して、千葉市とJR東日本により駅施設の拡充が行われている。2004年8月に駅本屋の拡充が、2005年に西口駅前広場の整備が終了している。JR東日本蘇我駅周辺にはハーバーシティ蘇我などの大型商業施設やジェフユナイテッド市原・千葉のホームスタジアムであるフクダ電子アリーナなどが整備されている。
幕張新都心地区には、大規模見本市や国際会議などが開かれる幕張メッセ(国際展示場・国際会議場)・幕張イベントホールをはじめ、日本を代表する多国籍企業や外資系企業が入居する超高層ビル(ワールドビジネスガーデン・幕張テクノガーデン)、宿泊施設および大規模商業施設が数多く進出しており、国際機関および国家機関(官公庁)の研究・研修機関を中心とした教育・研究施設や、幕張ベイタウン・幕張ベイパークの中高層マンション群などにより「職・住・学・遊」の複合機能の集積が進む。ベイエリアには、人工海浜やヨットハーバーなどが整備されている。最寄り駅はJR東日本「海浜幕張駅」。
サッカー日本代表の拠点である高円宮記念JFA夢フィールドや本田圭佑自社グラウンドゾゾパークホンダフットボールエリア、プロ野球チーム・千葉ロッテマリーンズの本拠地である千葉マリンスタジアムを有し、国際千葉駅伝、レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ日本会場(幕張海浜公園)、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技会場(幕張メッセ)など、一大スポーツ拠点ともなっている。
東京都心・東京国際空港と成田国際空港のほぼ中間地に位置するため、そのアクセスの良さから年間約2,700万人が訪れる。
各区の重要地域拠点(稲毛、幕張、都賀、鎌取)、生活拠点(検見川浜、稲毛海岸、土気、誉田、千城台、西千葉、検見川、幕張本郷、浜野)の市街地はそれぞれの拠点駅前を中心に形成されている。
生活拠点地区は駅前に拠点性を持つ大型商業施設(複合施設)や動線整備がされている。
元々の市外局番は「0472」だったが、政令指定都市昇格4週間後の1992年(平成4年)4月29日から「043」に変更され、市内局番は200番台になった。新規加入は300番台が割り当てられる(市外局番「0434」であった佐倉市、四街道市、八街市なども同日に「043」になり、市内局番は400番台になった)。ただし、花見川区の八千代市に接している一部の地域(柏井町・柏井・横戸町・横戸台など)は買い物などの生活基盤が八千代市であることなどを理由に住民の希望で市外局番が「047」(変更前は0474-8nで単位料金区域も八千代市扱い)となっており、同じ千葉市内でありながら「043」地域から「047」地域に電話をする際(逆も)には市外局番からかけなければならない。
「花の都・ちば」のシンボルキャラクターとして、ちはなちゃんが使用されている。パンフレットや看板などによく印画されているため、街中でも見ることができる。
宿泊施設
千葉市は、1市で1つの二次医療圏(千葉保健医療圏)を構成する。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。
医療提供施設は特筆性の高いもののみを記載する。
一次医療圏(市内)
二次医療圏
構造改革特区に指定されており、千葉国際教育特区構想が認可された。
※千葉市内に本部を置く大学は太字で表示
国公立
私立
私立
私立32校の専修学校がある。以下、主な専修学校一覧。
県立
市立
私立
学校名のリストおよび各学校の記事については、各区記事および「千葉県小学校一覧#千葉市」または「千葉県中学校一覧#千葉市」を参照。
千葉市の小学校・中学校の数は、以下の表の通り(千葉市教育委員会事務局、学校教育部学事課より)。
国立
各種学校
学校教育以外の教育訓練施設
高等学校
1950年(昭和25年)から1961年(昭和36年)まで、以下の高等学校はナンバースクールであった。
一高 千葉高等学校
二高 千葉女子高等学校
三高 千葉東高等学校
中学校
1947年(昭和22年)から、以下の中学校はナンバースクールであった。1952年(昭和27年)の新宿中学校・蘇我中学校の開校により、ナンバースクールは廃止された。
※四中の椿森中学校は、校舎が定まらず翌1948年(昭和23年)に開校した。
現在では、緑町中学校の校章が数字の「五」を象っていることや、中学校の名簿の順番が加曽利中学校から始まることなどに名残が残っている。
千葉市の施設
千葉県の施設
その他
野球
サッカー
バスケットボール
バレーボール
陸上競技
プロレス
ボクシング
千葉市で開催された主な大会一覧。
車いすバスケットボール日本選手権を3連覇した強豪の千葉ホークスの本拠地であり、また世界的に有名な競技用車椅子メーカーのオーエックスエンジニアリングが千葉市内に本社に持つ。
熊谷俊人市長は「車椅子スポーツのメッカを目指す」と発言するなど障害者スポーツに力を入れている。2015年10月には車いすバスケットボールの「2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ」が千葉ポートアリーナで開催された。
市内に空港はなく、千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)もしくは東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)が最寄りとなる。
成田国際空港
鉄道網が発達しており、3つの事業者が運行する12の旅客鉄道路線と、46の鉄道駅がある。このうち千葉駅・海浜幕張駅・稲毛駅は、JR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインする。一方で市内最多の利用者数を誇る千葉駅は県内では西船橋駅、船橋駅、柏駅に次ぐ4位に位置している。
中心となるバス停:千葉駅バスターミナル
市域のほとんどで広義の京成グループの会社の手による路線バスが運行されている。また、公営交通(市営バス)の運行は実施してない。
乗車方法は一部の均一路線を除き、基本的に後乗り前降り後払い方式。運賃は整理券を用いた区間制を採っている。
市内において、バス共通回数券は現在発行されていない。ただし、九十九里鉄道を除く各社では非接触型ICカードであるPASMO・Suicaが利用できる。
首都高速湾岸線 - E51東関東自動車道
首都高速7号小松川線 - E14京葉道路
E14館山自動車道
首都圏中央連絡自動車道(圏央道)
E82千葉東金道路
千葉外房有料道路(千葉県道67号生実本納線)
中央区中央・本町の広小路交差点は国道14号の終点と国道51号の起点を兼ねており、戦前から千葉市における国道の結節点であった。
千葉市道
千葉市道路には以下の愛称が付けられている。
旅客船・遊覧船としては千葉中央港旅客船桟橋(千葉みなと桟橋)より運航されている。
他、幕張ビーチ花火フェスタ(千葉市民花火大会)の納涼船なども期間限定で出航している。
市内には稲毛ヨットハーバーなど係留ないし保管する機能を持つ港湾施設もある。
東京湾を望む幕張地区(美浜区)に、全国的に有名なイベントや会議などが開催される複合的コンベンション施設の幕張メッセや、千葉ロッテマリーンズの本拠地千葉マリンスタジアムなどがある。近年では、「花の都・ちば」を都市イメージとして確立すべく事業を展開している。
「千葉市観光協会」も参照
※前述の旧跡や文化施設を除く名所
幕張メッセ(幕張イベントホール)ではアジア地域有数の国際見本市会場及びMICE施設として大規模なイベントが多数行われている。
毎年あるいは数年おきに開催される主なイベントを以下に記す。
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