小林 昭二(こばやし あきじ、1930年〈昭和5年〉 - 1996年〈平成8年〉8月27日)は、日本の俳優、声優。本名同じ。
東京府豊多摩郡出身。血液型はAB型、身長は164センチメートル、体重は58キログラム。日本大学芸術学部映画学科中退。
劇団俳優座養成所の第2期生で、同期には小沢昭一や土屋嘉男がいる。1952年に新東宝の映画『殺人容疑者』で銀幕デビュー。1953年4月に劇団仲間に入団し、同年6月に退団。1954年10月から1956年11月までは新協劇団に所属。1957年3月から1959年8月までは再び劇団仲間に所属。1960年4月から1962年2月までは劇団新人会に所属。1962年3月から俳優小劇場に所属。その後は舞プロモーションに所属していた。
舞台を中心に各社の映画に出演する一方、円谷プロダクションや東映製作の特撮テレビ作品で活躍。『ウルトラマン』のムラマツキャップ(隊長)役や『仮面ライダー』の立花藤兵衛役などが広く知られる。また、『ゴジラシリーズ』や『ガメラ2 レギオン襲来』など、日本の代表的な特撮シリーズに多く出演している。
時代劇や現代劇で数々の作品に出演しており、悲運な小市民から重厚な黒幕、さらには狂気を感じさせる極悪大盗賊など、善役から悪役まで幅広い役柄を演じ、いぶし銀の存在感を見せた。コメディ演技も得意としていた。市川崑監督からの信任も厚く、金田一耕助シリーズには全作出演している。地味な役ばかりだが、最終作『病院坂の首縊りの家』では『無法松の一生』を想起させる渋い見せ場が用意され、貢献に報いられた。また、ジョン・ウェインの声の吹き替えや時代劇作品のナレーターなど、声優としての実績も数多い。
1996年8月27日に肺癌のため、昭和大学附属藤が丘病院で死去。65歳没。
後輩役者の面倒見がいいという面でも信頼され、初代『ウルトラマン』の出演者やスタッフからは普段から「キャップ」と呼ばれ親しまれていた。ムラマツキャップ役を演じるにあたって、黒部進ら共演者に「子供番組であるからといって、子供にこびることはない。一般ドラマと同じように演じること」と諭したという。
『ウルトラマン』の前に『ウルトラQ』第19話にゲスト出演しており、この時の印象について「面白いフィルムだった」と述懐している。
後年、俳優の京本政樹との対談の中で『ウルトラマン』に出演が決定して、科学特捜隊のコスチュームについて「恥ずかしかった」と述べており、「こんなの着てやるのかと思ったら本当に降りようかと思った」と笑いながら答えている。
第26・27話「怪獣殿下 前・後篇」で大阪城ロケを行ったが、当時無免許だった小林は隊員服のまま科特隊専用車で城下を一周したところ、警察に捕まってしまった。平謝りだったが、撮影中に免許をとり、「パトカー連れて帰って来た」と有名になったという。
第37話「小さな英雄」で、デパート内で科特隊員が怪獣ピグモンを発見するシーンのロケで、先に科特隊の反応を撮影し、のちにピグモンのみを撮影したため、ラッシュで出演者の驚く表情が少々大げさに映っていることを見た小林は、「ピグモンを見ての反応としてはおかしい」として撮り直しを進言し、撮影スケジュールが押す中で、再びデパートでのロケ撮影が行われた。絵づくりに対するこだわりのうかがえるエピソードである。
『ウルトラマンG』では、アーサー・グラント隊長の吹き替えを担当した。本作の声優の中で京本政樹と柳沢慎吾は、アフレコ未経験に近い状態であったため、京本は小林に迷惑をかけてしまったと述べている。ある回のアフレコ終了後、京本は自家用車で小林を送る際に検問に引っかかってしまい、京本の運転手が免許証を提示するのに手間取っていた。代わりに応対した小林に警察官が敬礼し、ノーチェックで通されたという。
1997年の映画『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』には、同作の第1作同様かつての『ウルトラマン』のレギュラー俳優がゲスト出演しており、前年に逝去した小林も二瓶正也の持つ遺影として登場した。
東映プロデューサーだった平山亨によれば、TBSで『ウルトラマン』と次回作『キャプテンウルトラ』の番組引継ぎパーティーが行われた際に小林と歓談する機会を持ち、小林の子供番組に対する
「仮面ライダーシリーズ」では出演者のみならずスタッフからも「おやじさん」として親しまれていた。『仮面ライダー』に主演した佐々木剛は、大野剣友会も含め若手の多い現場で揉め事が起きなかったのは小林の存在によるところが大きかったことを語っている。また、佐々木が火傷を経て芸能活動を再開した直後に再会し、佐々木が舞台でセリフが上手にしゃべることが出来ない旨を小林に相談すると、芝居のコツなどをアドバイスしている。
宮内洋とは『仮面ライダーV3』で共演後も時代劇などで会うことが多く、共演の際にも小林を「おやっさん」と呼んで慕っており、逝去後に「素晴らしい人だった」と悼んでいる。
『仮面ライダーX』放送時、自身の出演していない放送の回までチェックして、主演の速水亮に「今回の芝居はここが良かった」と電話で演技をアドバイスしていた。速水は「本当に普段から頼りがいのある"おやじさん”そのものでした」と語っている。『仮面ライダーストロンガー』出演時も初主演の荒木茂らを食事に連れていったという話が残っている。
『仮面ライダーアマゾン』主演の岡崎徹は、小林について「一見おっとりしているイメージだが、現場の責任をすべて背負い込んでいる感じで、本来は自分の演技だけに集中すべき部分を若手である自分に気を遣って、その一方でスタッフに対する気配りも忘れない人だった」と述べている。
後年、『テレビ探偵団』にゲスト出演し、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』を振り返った。その際、『仮面ライダー』の第68話で藤兵衛がライダーだけでなく怪人(イカデビル)までに特訓しているシーンが話題になって理由を問われると、「おやじさんは博愛主義者なんですよ。だからライダーだけでなくショッカーにも…」と語っていたが、本当は敵の弱点を知るための偽装特訓であり、司会者から「おやじさん、いい加減なこと言っては駄目ですよ」と突っ込まれる一幕もあった。しかし、当時の歴代仮面ライダー(『仮面ライダーBLACK RX』まで)が紹介され、「私は7号までですね」と『ストロンガー』まで出演したことはしっかりと覚えており、ライダーたちに対しても「長く一緒にいると情が沸く」と語っていた。
1979年に再開した新シリーズ『新・仮面ライダー』の企画段階で、平山は再び小林に立花藤兵衛として出演することを依頼したところ固辞され、「スケジュールも合わせるし、出演料もできるだけのことはするから」と再三頼み込んだが「お金のことなんかではない」と返事された。困り果てた平山は東武ホテルで小林とついに直談判に及んだところ、小林は「役者ってのはわがままなもので、先へ先へ進んでいこうなんて思うのよ。お世話になって、こんなに思ってくれて、こんなこと言っちゃ申し訳ない、とんでもない
後年、『とんねるずのみなさんのおかげです』内コーナードラマの『仮面ノリダー』においても“おやっさん”こと立花藤兵衛役を演じたが、これは同番組スタッフの熱心なオファーが実ってのものだった。1997年の仮面ノリダーでの最後の決戦『恐怖ラッコ男』でも回想シーンとアミーゴに飾られている遺影として登場した。
2016年の映画『仮面ライダー1号』では、本郷猛が拾い上げる写真として『スカイライダー』の特別番組以来37年ぶりに登場した。
『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演したことについて「自分は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演した。その間にいくつも子供向け作品は出たが、いずれもこの2作品を超えられなかった。面白かった作品に結果的に出演できただけ」と述べている。
当初、小林自身はジョン・ウェインを吹き替えるのには「ミスキャストとしか思えなかった」と語っている。ウェインの作品で演じやすいタイプは軍人役や西部劇のガンマンで、逆に苦労したのが若かりし頃のウェインであるという。特に『駅馬車』では「声を張り上げながら出していた」と当時の思い出を振り返っている。
小林はウェインについて「彼は世界的スターだったが、世間では大根役者と言われ名優扱いはされなかった。しかし私の視点では、細かい演技が非常に巧みで喜劇的な息の使い方も上手い俳優だったんですよ。彼のアテレコは演技の勉強になりました」と評している。
岡崎徹は、父親が洋画のファンであり、その中でも小林が吹き替えを担当していたジョン・ウェインの西部劇の大ファンであったことから、『アマゾン』で小林と共演できたことが嬉しかったと述べており、小林のサインを父親に送ったことがあるという。
小林のウェインの吹き替えは音声業界でも評価が高く、小林、納谷の両者と共演していた大平透は「納谷悟朗も、もちろん上手いですけど、でもやっぱり小林昭二はそれなりのものを持っていた。」と後年語っていた。
『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)で共演した佐々木勝彦は、自身も吹き替えをやりたいと小林に話したところ、「そんなに簡単なものではない」と小林から心構えを教えられ、後に声優の仕事を務めた際に勉強になったと述べている。
小林の吹き替えたウェインはフィックスとして現在も吹き替えファンから高い支持を得ている。
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