CHAGE and ASKA(チャゲ・アンド・アスカ)は、日本の音楽ユニット。通称:チャゲアス。略表記:C&A。公式ファンクラブはTUG OF C&A。
高校の同級生同士であったChageとASKAで結成し、1979年に「ひとり咲き」でデビュー。1980年に「万里の河」、1986年には「モーニングムーン」がヒット。1991年に「SAY YES」がオリコンチャート13週連続1位を獲得し、ダブルミリオンを記録。1992年にはアルバム『SUPER BEST II』もダブルミリオンを記録し、オリコンアルバム年間1位を獲得。シングルでは「if」がミリオンを記録。1993年に「YAH YAH YAH/夢の番人」がオリコン史上初となる同一歌手でシングル2作目のダブルミリオンを記録し、オリコンシングル年間1位を獲得。1994年には「HEART/NATURAL/On Your Mark」と「めぐり逢い」がミリオンを記録。自身初の海外ツアーを開催し、1996年にアジア出身者初の『MTV Unplugged』に出演して、2000年には韓国で日本人初の大規模ライブを行った。
2009年にデュオでの無期限活動休止を宣言し、2013年に再始動を発表したがASKAの一過性脳虚血発作の疑いと薬物事件により白紙となり、デビュー40周年となる2019年8月25日にASKAが脱退を発表した。
アマチュアで活動していた時は互いのニックネームを合わせた“チャゲと飛鳥”で活動を行なっていたが、ポプコンに出場した際にその司会者を担当していた大石吾朗が本番で“チャゲ&飛鳥”と言った際に2人は「&(アンド)」の方が良いと思ったと言う。
ChageとASKAの出会いは高校時代からであり、ASKAが高校2年生の時に父親の仕事の関係で札幌から福岡へ転校したことがきっかけである。2人が会話をしたのは高校3年生の時で、Chageが学園祭のために組んだバンドで練習をしていところ、隣の教室から、バンド演奏にも勝るようなASKAの大きい歌声が聞こえてきたという。当時、高校内ではASKAは剣道の腕前が優れていることで有名であったため、ChageはASKAに「お前、剣道じゃなかったのか」と声をかけたという。
2人とも第一経済大学(現:日本経済大学)へ入学し、在学中にASKAはChageにヤマハ『第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)』への出場を声をかけ、別々で出場した。同コンテスト福岡大会でChageがグランプリを獲得し、ASKAが最優秀歌唱賞となった。九州大会へ進む際に、ヤマハの九州地区担当ディレクター・秋吉恵介の勧めにより初めてChageとASKAによるデュオが組まれた。その後、7人編成のバンドチャゲと飛鳥として活動を始め、1978年10月開催の『第16回ポプコン』の直前にチャゲ&飛鳥となり、「流恋情歌」で念願の『つま恋本選会』に出場し入賞する。
1979年5月開催の『第17回ポプコン』には「ひとり咲き」で『つま恋本選会』に出場するが、またしてもグランプリ獲得にはならず入賞となった。しかしデビューの話は進行していき、7人編成のバンドとしてではなくChageとASKAのみでデビューという方向で話が進んでいった。これで7人編成のバンドは解散となり、『第18回ポプコン』九州大会のゲスト出演という形で7人編成最後のステージを行った。このライブでは、それまで未完成だった楽曲「歌いつづける」をバンドを去る5人への餞の曲として完成して披露した。
1979年8月25日に「九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!」というキャッチコピーでワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)からシングル「ひとり咲き」でデビューした。1980年2月には『第16回ポプコン』で披露された「流恋情歌」が2枚目シングルとして発売され、4月にはそれらのシングルを収録した1枚目アルバム『風舞』が発売された。その後、自身初となる全国コンサートツアーが9月まで開催された。
同年9月には3枚目シングル「万里の河」を発売。自身初となるオリコンチャートトップ10入りを果たし、50万枚を超えるヒットとなった。10月からは『学園祭コンサート』を開催した。1981年2月に2枚目アルバム『熱風』を発売した。「万里の河」のヒットもあり、オリコンアルバムチャート1位を獲得。3月からは約60公演となるコンサートツアー『熱風』を開催した。さらに8月には田園コロシアムで『The 夏祭り'81』を開催した。10月には5枚目シングル「男と女」を発売した。1982年は1年を通して、ツアーの開催など多忙に活動を行い、シングルとアルバムは2枚ずつの発売となった。1983年も前年同様にコンサートツアーを積極的を開催し、その中でも9月に史上初めてとなる国立代々木競技場第一体育館をコンサート会場として使用した。1984年2月に10枚目シングル「MOON LIGHT BLUES」を発売した。この当時、「ひとり咲き」や「万里の河」の路線イメージを脱却するため、打ち込みの音を利用するサウンドとなった。しかし、所属レコード会社のワーナー・パイオニアは否定的であったことから2人との間に亀裂が入った。3月から8月までコンサート『SUPER EVENT "INSIDE"』を開催した。4月にはChageが石川優子とコラボして発売した「ふたりの愛ランド」が45万枚を記録するヒットとなった。
1985年2月に12枚目シングル「誘惑のベルが鳴る」、13枚目シングル「オンリー・ロンリー」を2枚同時に発売。3月から12月にかけてコンサートツアー『SHAKIN' NIGHT』、福岡・大阪で『THE 夏祭り'85』を開催した。開催中となる10月にレコード会社をキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍。ワーナー・パイオニアとの契約が完全に終了してから、移籍先を探してキャニオン・レコードへの移籍となった。移籍後、初作品となるベスト・アルバム『Standing Ovation』を12月に発売した。1986年2月にはキャニオン・レコード移籍後初となった14枚目シングル「モーニングムーン」を発売した。この年はシングル4枚、アルバム2枚、アナログ盤限定でミニアルバム1枚を発売し、コンサートも夏に横浜スタジアムで開催するなど、1年を通して精力的な活動を行った。1987年3月にはベスト・アルバム『SUPER BEST』を発売し、4月からは全国55箇所で全国ツアーを開催した。9月にはASKAが当時使用していた飛鳥涼の名義で「MY Mr.LONELY HEART」を発売した。同年にChageとASKAは光GENJIへ楽曲提供を行い、シングルとしては「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」がヒットした。
1988年2月には20枚目シングル「恋人はワイン色」が発売され、自身初のドラマ主題歌に起用された。この年はシングル・アルバム共に2枚ずつ発売され、ASKAはソロ活動も並行に行われた。5月から8月、10月から12月までは前年ツアーを開催している。デビュー10周年を迎える1989年となり、3月には23枚目シングル「WALK」、6月に24枚目シングル「LOVE SONG」を発売した。デビュー日の8月25日には12枚目アルバム『PRIDE』を発売した。1981年の『熱風』以来となるオリコンアルバムチャート1位を獲得した。しかし、10月にChageは新しいバンドとなるMULTI MAXを結成し、ASKAは12月渡英したことでCHAGE and ASKAが活動休止となった。1990年4月にChageも渡英して、ASKAと合流してロンドンでレコーディングを始めた。6月に2人が日本へ帰国後に25枚目シングル「DO YA DO」が発売され、1981年発売の「万里の河」以来となるオリコンチャートトップ10入りを果たした。8月には13枚目アルバム『SEE YA』が発売され、50万枚を超える売上となった。発売後にはアルバムを引っ提げ、全国60箇所でライブ『SEE YA』が1991年2月まで開催された。
1991年1月にアルバム『SEE YA』から26枚目シングル「太陽と埃の中で」をシングルカットして発売された。シングルカットながらも50万枚を超える売上を記録。3月から6月まではChageがMULTI MAXとして、ASKAがソロの活動を行った。特にASKAのソロ3枚目シングル「はじまりはいつも雨」がロングヒットとなり120万枚を記録した。7月から2人がCHAGE and ASKAとして活動を始め、フジテレビ系列ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌となった27枚目シングル「SAY YES」を発売。オリコンチャートで13週連続1位を獲得し、累計では280万枚以上を売り上げて自身最大のヒット作品となった。9月から全国ツアー『SAY YES』を開催し、10月には14枚目アルバム『TREE』を発売した。当時の最高初週売上であった99万枚を記録し、累計で235万枚を記録。11月にはアルバムに収録されていた「僕はこの瞳で嘘をつく」を28枚目シングルとしてシングルカットして、80万枚を超える売上となった。1992年になり、3月から全国ツアー『CONCERT TOUR 1992 BIG TREE』が開催され、ベスト・アルバム『SUPER BEST II』が発売された。270万枚を売り上げ、同年のオリコン年間アルバムランキングで1位を獲得。さらに第6回日本ゴールドディスク大賞では主要7部門中6部門受賞した。6月にASKAが渡英、7月にChageが渡英してレコーディングが開始された。その後、29枚目シングル「if」が発売され、110万枚を記録。10月には30枚目シングル「no no darlin'」を発売。11月には前述のシングルを収録した15枚目アルバム『GUYS』を発売。140万枚を超える売上を記録した。Chageは10月には帰国し、年末までMULTI MAXとして活動を行った。
1993年1月にASKAが帰国し、3月には31枚目シングル「YAH YAH YAH/夢の番人」が発売された。「YAH YAH YAH」がフジテレビ系列ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌に起用されたこともあり、240万枚を超える売上を記録。同年のオリコン年間シングルランキング1位を獲得した。さらに第7回日本ゴールドディスク大賞を2年連続で受賞した。3月から5月にかけてフジサンケイグループのイベント「LIVE UFO」の一環として、東名阪でコンサート『LIVE UFO '93 CHAGE&ASKA GUYS 〜夢の番人〜』を開催。5月にはモナコで開かれたThe World Music Awardsにアジア代表として初出場した。8月に32枚目シングル「Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは」を発売し、80万枚を記録。10月には16枚目アルバム『RED HILL』を発売して160万枚を記録。さらにアルバム発売と同時にコンサートツアー『史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994』が開催された。同時に1993年からセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとのチャリティー活動で「Save the Children with CHAGE and ASKA」という募金活動を始めた。
デビュー15周年を迎える1994年も第8回日本ゴールドディスク大賞グランプリシングル賞などを受賞。5月にはThe World Music Awardsを3年連続受賞し、アジア代表として出場した。さらに初のアジアツアー『ASIAN TOUR 1994』を香港・シンガポール・台湾で開催。8月には35枚目シングル「HEART/NATURAL/On Your Mark」が発売され、115万枚を記録。さらにベスト・アルバム『Yin&Yang』も発売され、70万枚を売り上げた。11月に36枚目シングル「めぐり逢い」を発売し、125万枚を記録。シングルとして5作目のミリオンセラーとなった。12月には全英語詞の楽曲「Something There」をエンディングソングとして起用したハリウッド映画『Street Fighter』が全米を皮切りに全世界で公開された。
1995年1月から3月にかけて、ASKAはソロ活動を行った。5月に37枚目シングルとして「Something There」を発売。55万枚を超える売上を記録。6月には17枚目アルバム『Code Name.1 Brother Sun』を発売し、75万枚を記録。発売直後後にコンサートツアー『CONCERT TOUR '95~'96 SUPER BEST 3 MISSION IMPOSSIBLE』を開催。さらに11月と1996年3月にアジアツアー『ASIAN TOUR II - MISSION IMPOSSIBLE』を台湾・シンガポール・香港にて計5公演開催した。1996年2月に38枚目シングル「river」を発売し、4月には前述のシングルを収録した18枚目アルバム『CODE NAME.2 SISTER MOON』を発売。45万枚を超える売上となった。6月にはアジア出身者としては初となる『MTV Unplugged』へ出演を行い、7月にチャカ・カーン、ボーイ・ジョージ、マイケル・ハッチェンスら海外の実力派アーティストによるトリビュート・アルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』を発売した。この作品はビルボード誌にも取り上げられた。
1997年以降はChageはMULTI MAXとして、ASKAはソロを中心に活動を始めた。
1999年3月に東芝EMI移籍後初作品とった39枚目シングル「この愛のために/VISION」を発売した。CHAGE and ASKAとしての活動を再開し、5月にはアコースティックライブを赤坂BLITZで開催した。デビュー20周年を迎えた8月25日には自身初のセルフプロデュースによる19枚目アルバム『NO DOUBT』を発売した。発売後にはコンサートツアー『CONCERT TOUR 電光石火』を開催し、11月には『ASIAN TOUR NO DOUBT』として北京・上海公演を行った。12月にベスト・アルバム『CHAGE&ASKA VERY BEST ROLL OVER 20TH』を発売。45万枚を超える売上を記録した。大晦日には故郷福岡で初のドーム公演にして初のカウントダウン・ライブ『千年夜一夜ライブ 〜福岡ドーム 僕らがホーム〜』を開催した。
2000年8月に韓国の第3次日本文化開放に伴い、ソウルの蚕室体操競技場で日本人アーティスト初の大規模公演を2日間行った。2001年1月にユニバーサルミュージックへ移籍し、4月に41枚目シングル「ロケットの樹の下で」を皮切りにシングル4枚を発売した。8月には各野外イベントに出演を行い、9月からホール会場中心のコンサートツアー『CHAGE and ASKA CONCERT TOUR 01>>02 NOT AT ALL』を翌年5月まで開催。ツアー中の12月には20枚目アルバム『NOT AT ALL』を発売した。2002年9月には21年ぶりの学園祭ライブを青山学院大学で開催し、直後にコンサートツアー『CHAGE and ASKA CONCERT TOUR 02-03 THE LIVE』が翌年5月まで開催された。さらにセルフカバー・アルバム『STAMP』が発売された。2003年8月には野外イベント『サウンドコニファー229』で小田和正や財津和夫などと共演を行った。『RISING SUN ROCK FESTIVAL』やその他のイベントにも精力的に出演を行った。9月にSTARDUST REVUEとのコラボレーションシングル「デェラ・シエラ・ム」を発売。年末は札幌ドームで2度目となるカウントダウン・ライブ『CHAGE and ASKA COUNT DOWN LIVE 03>>04 in SAPPORO DOME』を開催した。
2004年4月から12月までコンサートツアー『CHAGE and ASKA CONCERT TOUR 2004 two-five』を開催し、デビュー25周年となる8月25日には45枚目シングル「36度線 -1995夏-」が発売された。発売直後にライブ『CHAGE and ASKA 25th Anniversary Special チャゲ&飛鳥 熱風コンサート』を東京・お台場野外特設会場で開催した。11月には、慶應義塾大学三田祭の前夜祭ライブを行い、12月に46枚目シングル「僕はMusic」を発売した。2005年はお互いソロ活動を中心に行い、2006年12月に国立代々木競技場第一体育館にて『Point Green Live 2006』が開催され、徳永英明、岡本真夜とともに出演した。2007年1月に47枚目シングル「Man and Woman」、48枚目シングル「Here & There」を同時に発売。直後には21枚目アルバム『DOUBLE』を発売した。3月から7月にかけてコンサートツアー『CHAGE and ASKA Concert tour 2007 DOUBLE』を開催し、11月からは、上海大舞台(旧称:上海体育館)での公演を皮切りに8年ぶりにアコースティック・ライブ『CHAGE and ASKA Concert 2007 alive in live』を行った。
デビュー30周年を迎える2009年に入り、1月に一部のメディアがCHAGE and ASKAの解散を報道した。所属事務所のロックダムアーティスツは解散を否定し、後日にCHAGE and ASKAとしての活動を無期限休止にして、お互いソロ活動に専念することを正式発表した。2月にはベスト・アルバム『CHAGE and ASKA VERY BEST NOTHING BUT C&A』が発売された。
2013年1月に公式サイトにてCHAGE and ASKAの活動再開することが発表された。同年8月末に国立代々木第一体育館において、復活ライブを開催する予定であったが、6月にASKAに一過性脳虚血症の疑いで静養が必要と診断されたため、ライブを延期することが発表された。しかし、8月に週刊文春がASKAの薬物使用疑惑を報じた。10月にASKAは活動自粛する形となったが、2014年5月に覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕された。そして逮捕に伴い、ASKA、CHAGE and ASKAの音楽・映像および関連商品の販売中止・回収と、全楽曲・映像のデジタル配信停止が発表された。6月にはロックダムアーティスツが、ASKAの契約解除を発表。CHAGE and ASKAのファンクラブ「TUG OF C&A」も8月末を以って休止する予定であることも併せて発表。さらに7月にはセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンからの申し出より「Save the Children with CHAGE and ASKA」の活動を終了した。
2017年2月にASKAが薬物事件後初めてソロでオリジナル・アルバムを発売して、音楽活動を一部再開した。
5月に公式サイトでアルバム『CHAGE&ASKA VERY BEST ROLL OVER 20TH』がChageのライブツアーの5月18日以降の公演で、会場販売されることが発表された。ASKAの逮捕の影響で、CHAGE and ASKA及びASKAのCD・DVD等は販売中止となり、廃盤状態になっていた。また、ASKAの逮捕後にCHAGE and ASKAのCDが再発売されるのは今回が初めてである。その後も順次に作品の再発売が発表され、7月にはアルバム『CHAGE&ASKA VERY BEST ROLL OVER 20TH』、11月には2000年より前に発売されたアルバムとシングルの配信が再開された。さらに『VERY BEST ROLL OVER 20TH』に続き、『SUPER BEST II』『THE STORY of BALLAD』『THE STORY of BALLAD II』のCDの販売が再開された。
2018年3月に映像作品『千年夜一夜ライブ 〜福岡ドーム 僕らがホーム〜』『ASIAN TOUR IN TAIPEI』『MTV UNPLUGGED LIVE』『CHAGE and ASKA LIVE DVD BOX 1』『CHAGE and ASKA LIVE DVD BOX 2』『CHAGE and ASKA LIVE DVD BOX 3』の販売が再開され、4月にはヤマハミュージックコミュニケーションズから再発売された『風舞』から『NO DOUBT』までのアルバムが販売再開された。11月に2001年以降に発売されたユニバーサルミュージック発売元の作品が販売再開された。
デビュー40周年となる2019年8月25日に『CHAGE and ASKA LIVE DVD BOX 4』『CHAGE&ASKA LIVE IN KOREA 韓日親善コンサート Aug.2000』を発売した。『DVD BOX 4』は期間限定発売の完全受注生産であり、「CHAGE and ASKA ASIAN TOUR 1994 LIVE IN HONG KONG」「CHAGE & ASKA CONCERT TOUR 電光石火 ~TUG OF C&A PRESENTS PREVIEW in 幕張メッセ~Aug.1999」「CHAGE & ASKA LIVE IN KOREA 韓日親善コンサート Aug.2000」が収録される。そして、同じ日にASKAがCHAGE and ASKAからの脱退を発表した。
2020年5月に1989年から1994年にかけてVHSビデオで発売されて廃盤となっていた『WALK』『SEE YA』『TREE』『Go to Eleven~GUYS〜』『RED HILL』『On Your Mark』をDVDで順次発売されることが発表された。
Chage、ASKA各々の自作曲をレパートリーとし、大半のシングル曲の作詞作曲はASKAが担当している。メインボーカルは原則的に作曲者が担当するが、Chageが作曲、ASKAが作詞を手がけた楽曲や、初期の一部のChage曲ではASKAがメインボーカルを務めている。デビュー当時はギターでの楽曲作りをしており、"演歌フォーク""大陸的なサウンド"などと評されていた。しかし、デビュー5年目となる1984年頃から、キーボードやコンピュータなどを使った楽曲作りと変わり、ポップスやロック色が強まっていった。1990年に発売されたアルバム『SEE YA』は、ロンドンで制作され、そして1991年に大ヒットとなる「SAY YES」が発売された。このヒットにより、チャゲアスは「シンセサイザーを使ったロマンチックなバラードを歌うラブソングの旗手」というイメージが定着した。なお、コンピュータでの打ち込みは小室哲哉が率いるTM NETWORKがイメージされているが、実際はチャゲアスも早くからコンピュータでによる打ち込みを始めている。
作品に関して、大衆から売上枚数が注目されたりすることがあるが、「SAY YES」「Something There」の発売時に2人は「楽曲を作った時のテンションが注がれている状態で発売することが自分達のやり方」「売上枚数の数字ばかりが注目されるが、それらに対して意味はない」とコメントしている。
コンサート等でステージに立つ際の2人の距離(正確には2人の使用するマイクスタンドの間隔)は基本的に「210cm」と決まっており、2004年のコンサートツアーの際に発行されたオフィシャルブック『two-five』の中でも取り上げられている。理由について、『two-five』では「手を伸ばしても相手にぶつかることなく、三歩足を踏み出せばそれぞれの肩に触れることができる」「お互いがお互いを引き立て合い、時に大きく、時にCHAGE and ASKAとしてのまとまりを見せてくれる」と述べられている。また、フジテレビ系『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』では実際にライブ映像などを元に画像解析を行ってこれを検証したことがあり、その際にも検証に使用されたほぼ全ての映像で2人の距離が210cmであることが確認されている。しかし実際には、テレビ番組などではもっと狭い距離の場合も多い。
1991年にシングル「SAY YES」が250万枚以上の売上を記録し、1980年代のレコード市場には予測できなかった記録を作り、1992年に第6回日本ゴールドディスク大賞を受賞した際シングル390万枚を売り上げての受賞をし、1990年に記録したサザンオールスターズの60.4万枚の記録を大きく更新した。翌年の1993年の第7回も受賞しており、アルバム売上が409万枚となり、1990年代のCDとMDの普及の基となった。また、自身のライブ「CHAGE&ASKA CONCERT MOVIE GUYS」を1992年末に上映した。今では、ライブを映画化することは多々あることだが、当時ライブを映画化にするのは失敗すると言われてた時代に大ヒットさせ、この常識を覆した。
他には1983年に国立代々木競技場第一体育館で初となるコンサート開催を行なったり、日本人初として1996年にはMTVアンプラグド出演、2000年には韓国で日本人初の大規模ライブを行なっている。
2006年9月に自身のアルバム21枚、Chageのアルバム1枚、ASKAのアルバム5枚、MULTI MAXのアルバム6枚がiTunes Storeにて全世界に配信された。日本のメジャーアーティストが全アルバムを配信するのは初の試みである。シングルは日本でのiTunes Storeが開始された2005年8月から配信されている。
デビュー当時からASKAは音楽番組での披露の際は、テレビサイズ(番組の放送時間に合わせて、楽曲を短く演奏すること)に抵抗があり、フルサイズでの披露を強く希望していたという。また、「テレビサイズを受け入れなかったから、自分たちの輪郭を世の中に見てもらえるようになった」と語っているが、「SAY YES」の頃からはテレビサイズも受け入れ始めたとしている。
ファンクラブのファンは8割以上が女性であり、年齢別だと「SAY YES」「YAH YAH YAH」が発売された時期の10〜20代からの支持が最も多い。
CHAGE and ASKAの2人には人気、収入の格差などで不仲説が度々流れることがあるが、2人は高校からの付き合いでもあり、テレビ出演時に喧嘩は一度もないとChageもASKAもお互い不仲説を否定している。
1996年にチャゲアスの活動休止を発表し、翌年の1997年からお互いソロ活動が発表された際も、解散説がメディアによって流れた。2009年の時の無期限活動休止の際は、2人の不仲説や音楽性の違いで解散するとメディアで流れた。実際もChageとASKAで話し合い「中途半端で活動するなら解散しよう」と話しあっていた。しかし、2人は色々と話を詰める内に「解散はやめよう」と決め活動休止を選んでいる。ASKAも「50歳になると色々考える時期で、1人で作るとしたらどれくらいやれるのか今は興味があるけど、気持ちが乗ってきたら、チャゲアスをやろうという気持ちもある」と話している。
2014年のASKAの薬物逮捕により、チャゲアスの解散が報道された。しかし、活動休止を継続していたが、2017年にASKAがフジテレビ系情報番組『ノンストップ!』に出演した際に「今、チャゲアスの復活はない。いずれは復活したい。」と述べた。
しかし、2019年にASKAは脱退を表明。形式上はChage1人のグループという扱いになっているが、これによりグループは事実上の解散となった。
2022年6月13日、ASKAが古舘伊知郎との対談で、「きっと、2人になれば“色々あったな”って言い合えるんですけど。なかなかその機会がなくても、もうお前そんなこと言ってる歳じゃないぞと。64、65になって、あと何年声が出るんだと。僕は自分にそれを突き付けてるから、あいつも同じように突き付けなきゃダメ。僕も頑ななときはありましたけど、今はもっと(CHAGEが)頑なだから。それをほぐしていくのが、僕の役目かもしれない」と話し、「CHAGE and ASKA」復活の可能性について言及した。
ミュージシャンやシンガーソングライターでは、堂本剛(KinKi Kids)、藤巻亮太(レミオロメン)、星野源、スキマスイッチ、鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)、綾小路翔(氣志團)、中田裕二、澤野弘之、小林祐介(THE NOVEMBERS)などがチャゲアスやソロの楽曲に影響を受けている。
ミュージシャン以外にも天海祐希、万城目学、村田修一、和久井映見、中野浩一、吉田秀彦、中島史恵、ビビる大木、ケンドーコバヤシ、小池栄子、松陰寺太勇(ぺこぱ)など、多岐にわたって活躍する人達がファンを公言している。
その中でもケンドーコバヤシはASKAの薬物事件をきっかけに楽曲を聞くようになり、チャゲアスに関して「素晴らしいアーティストだ」と述べている。
1990年代にテレビ等でChageとASKAのモノマネをする人が多く現れ、その中でもウッチャンナンチャンが自身の番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ系)の企画「CHAKE&YASKA 栄光の軌跡」で、チャゲアスのモノマネを行い、チャゲアス本人達にも公認とされた。
2003年にHMVが発表した『邦楽アーティストの重要な100人(Top 100 Japanese pops Artists - No.1)』の62位に選ばれている。
2018年に女性SPA!が調査した復活してほしい音楽グループランキングにて19位にランクインしている。
順位はオリコンによる最高順位である。太字の順位はオリコンによる累計売上枚数がミリオンセラー以上を記録してる作品。販売状況に関しては公式サイトの各作品のページを参照。
※一部作品はLDやβマックスでも発売された。「THE 夏祭り」はステレオ録画だがハイファイVHSデッキ発売前であったためノーマルステレオ。
※2012年4月・5月に、ハイビジョン機材で撮影されたライブ作品がBlu-ray化された。
※楽曲はオリジナル作品発売順に掲載してある(アルバム収録曲に複数のタイアップがある場合は、アルバム収録順に掲載)。
※下記スペシャル番組以外にも、1980年代からコンサート音源をラジオでオンエアしたり、コンサートの模様をテレビ放送することを行ってきた。
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