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知多四国霊場


知多四国霊場


知多四国霊場(ちたしこくれいじょう)または知多四国八十八ヶ所(ちたしこくはちじゅうはちかしょ)は、愛知県の知多半島にある地四国(霊場巡礼)。弘法大師(空海)にゆかりのある寺院が集まった八十八箇所であり、知多半島を一周する順路を取っている。九州の篠栗四国八十八箇所、瀬戸内海の小豆島八十八ヶ所霊場とともに「日本三大新四国霊場」とされる。三河新四国八十八ヶ所霊場とともに愛知県における二大霊場巡礼とされる。

行路

名古屋市、半田市、常滑市、東海市、大府市、知多市、豊明市、知多郡阿久比町、東浦町、武豊町、美浜町、南知多町の寺院からなる。知多半島の付け根にある豊明市の曹源寺を第1番札所とし、知多半島の東岸を南下し、三河湾に浮かぶ篠島と日間賀島も訪れる。知多半島の先端にある師崎から向きを変えて西岸に移り、伊勢湾に沿って北上する。全行程は194㎞であり、徒歩ならば約12日~15日、車ならば2泊3日で巡ることができる。88の寺院に加えて開山所と番外が10あり、計98の札所が存在する。参拝者は年間約5万人とされ、自転車やタクシーなどによる巡礼も行われている。

歴史

弘仁5年(814年)、東国を行脚していた弘法大師(空海)は三河国を巡った後、大井の聖崎(現在の知多郡南知多町)から知多半島に上陸した。知多半島の風土や地形が四国に似通っていることに驚き、「西浦や 東浦あり 日間賀島 篠島かけて 四国なるらん」という歌を詠んだとされている。この逸話から、大井の聖崎には上陸大師像が建立されている。

約1000年後の文化6年(1809年)、古見(現在の知多市)の妙楽寺の第13世亮山阿闍梨和尚が弘法大師の夢告によって霊場の開創を発願した。当時の知多半島には約300の寺院があったが、真言宗の寺は約30に過ぎなかったため、他宗の寺院にも依頼して知多四国霊場を開創している。亮山は3回にわたって四国に巡拝を重ねると、百姓の岡戸半蔵や武士の武田安兵衛の協力も得て、文政7年(1824年)に各札所に木像を奉安し終えた。亮山に加えて半蔵行者と安兵衛行者の3人は、知多四国霊場の三開祖として祀られている。

霊場一覧

1番~20番

21番~40番

41番~60番

61番~88番

開山所

番外札所

脚注

参考文献

  • 大塚耕平『愛知四国霊場の旅』中日新聞社、2020年

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
  • 知多四国霊場 (@chitasikoku88) - X(旧Twitter)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 知多四国霊場 by Wikipedia (Historical)


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