田町駅(たまちえき)は、東京都港区芝五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
線路名称上の所属路線は東海道本線であるが、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、列車線を走る東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されない。また当駅は、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。駅番号は京浜東北線がJK 22、山手線がJY 27。
田町という駅名は、三田口(西口)周辺一帯に広がっていたかつての町名からとられたものである。『文政町方書上』によると、江戸時代に田畑が町屋へと移り変わったため、田町と呼ばれるようになったという。
明治初期は頭に芝を付けて「芝田町」と呼ばれていた(その後、1911年5月に「芝」の冠称が省かれる)。海岸に面した細長い範囲の町で、この海岸線に沿った海上防波堤の上に鉄道が敷設された。
1909年、この鉄道の新駅として、田町駅が芝田町一丁目に設置された。現在の芝浦口(東口)周辺一帯は当時まだ陸地ではなく、1913年に埋め立てられてから工業地帯へと変貌を遂げた。この芝浦口周辺は新芝町(後の西芝浦一丁目)と名付けられた。
駅名に採用された田町は、港区の発足した1947年に再び芝田町に町名変更となった。その後、住居表示実施に伴う町名・町域の変更により、1964年7月に一部が芝五丁目に、1967年4月に残りの全域が三田三丁目になり、地名としての田町は消滅した。
島式ホーム2面4線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。
京浜東北線と山手線は、田端駅から当駅まで、同一方向の電車は同じ島式ホームを共有する方向別複々線となっている。東京方面から京浜東北線南行(横浜方面)と山手線外回りとの相互乗り換えをする場合、線路別複々線配置となっている南隣の高輪ゲートウェイ駅・品川駅ではなく、当駅で乗り換えを行うことによりホーム間移動が不要となる。そのため、京浜東北線南行と山手線外回りの車内では当駅での乗り換えを促すアナウンスが流れる。
以前は乗降客が非常に多いもののホームが狭く、駅利用者が平日に集中するため、朝のラッシュ時にはホームに人が溢れがちで危険であった。さらには、バリアフリー化に合わせエレベーターやエスカレーターの設置の動きがあったが設置する充分なスペースが無かった。そのため、3・4番線ホームの拡幅、階段の増設・コンコースの増床等の駅構内の改良工事を行い、2004年に完了した。
直営駅である。管理駅でもあるが、当駅は自駅のみの単駅管理となっている。
(出典:JR東日本:駅構内図)
かつて浜松町寄りに1 - 4番線への出入りが可能な留置線が1本設置されていた。この留置線は当駅 - 新宿駅 - 田端駅間の列車の運転が行われた時に使用されていたもので、その後も早朝に東京総合車両センターから出庫・回送され当駅始発の山手線外回りとなる列車と、深夜に山手線内回り品川止列車が東京総合車両センターへ回送・入庫する際の方向転換に使用されていた。京浜東北線で留置線へ入・出庫する定期列車は無いが、2019年11月16日に行われた品川駅線路切替工事の際に、この留置線を使用した折り返し運転が実施されている。この留置線は、羽田空港アクセス線(東海道線との直通で山手線や京浜東北線との直通計画は無い)建設工事に伴う線路移設・空間確保のため撤去される計画であり、2022年3月に代替となる渡り線が山手線の品川寄りに設置されるとともに使用停止となった。
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は109,296人で、JR東日本の駅の中では恵比寿駅に次いで第24位である。
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
「三田口(西口)」と「芝浦口(東口)」の2か所が設置されている。詳しくは三田、芝(この2つは三田口)、芝浦(芝浦口)をそれぞれ参照のこと。
駅前を交通量の多い第一京浜(国道15号)が通っており、さらに日比谷通りとの交差点にも隣接している他、都営三田線や浅草線の三田駅も存在するなど交通の便がいいことから、森永製菓、森永乳業や日本電気、バンダイナムコホールディングスなど大企業の本社や、FCAジャパンやスカニアジャパン、アボットジャパンやSBJ銀行などの外資系企業のオフィス、官公施設が点在しており、高層・超高層のビルが多い。とりわけ、日本電気は本社がある「NECスーパータワー」だけでなく、当駅周辺のビルに数多く分散して入居している。
三田口周辺には、慶應義塾大学、戸板女子短期大学、普連土学園中学校・高等学校、東京女子学園中学校・高等学校をはじめとして教育施設も多いため、学生街の様相も呈しており、飲食店など商業施設も集積している。そのためか、都市銀行の大部分の支店は三田口側に集約されている。
また、港区内の他地域と同様にボツワナ、クウェート、ハンガリー、イタリアなどの大使館、芝税務署・三田労働基準監督署、港勤労福祉会館・障害者福祉会館などの官公庁および公共施設以外に、セレスティンホテルやアパホテルなどの宿泊施設、寺、神社、教会などの宗教施設が多数存在する。
地形的には、20世紀に入り芝浦口側が埋め立てられるまでは海辺であった駅周辺を離れると丘が多く起伏に富んでおり、やや離れた丘陵地には高級住宅やマンションが多く建っている。さらに近年は三田口側駅近辺にも高層高級マンションがいくつか建設されている。
なお、駅前のロータリーは構造上非常に狭くなっている。その中にタクシー乗り場があるので、一般車両の進入はあまり見られない他、バス乗り場も第一京浜に面してのみ設けられている。
駅開業後の1926年に開設された。当時、田町駅の乗降客数は1日約4万人を数え、その3分の1が芝浦方面の埋立地に建てられた工場の労働者による利用だったため鉄道省が当時の価値で総工費およそ17,000円を投じ、約40坪の改札口が設置された。
芝浦口側は、そのほとんどすべてが20世紀に入って新たに埋め立てられた地であるために、橋梁を除き全体に平らな土地で、運河も多い。さらに埋立地として新規開発された工業区域であることから、工場・倉庫・オフィスビルなどは多いものの、三田口側には多数存在する諸外国の大使館、寺・神社などの宗教施設は皆無で、官公施設や教育施設も少ない。
一方で、駅前の高層ビル「ムスブ田町」に三菱自動車やキオクシア、ファミリーマートの本社などが移転したほか、工場や倉庫の跡地、新規埋立地に大規模な再開発も進んだことから状況は変わりつつあり、愛育病院が移転してきたほか、新三井製糖の工場や都電車両工場等の跡地に建設された芝浦アイランドなどの大規模な高層マンション群の分譲や、その他の中小マンションの建設が進んだことから住人の数が急激に増えている。
これらの変化を受けて、駅前は2004年に路線バスの乗り入れができるように整備され、都営バスとちぃばすのターミナルとして機能している。また、駅前にあった港区立芝浦小学校は芝浦4丁目へ移転し、東京ガスの跡地にできたみなとパーク芝浦内に、スポーツセンター等が移転した。2008年5月29日には、自由通路先のペデストリアンデッキに、視覚障害者向けの電子情報案内盤をNPOと港区が共同設置した。案内盤はタッチパネル式で、地図のボタンを押すと目的地までの道順を音声で案内する。また、各種イベント情報なども表示する。
2021年3月1日には、NTT都市開発、鹿島建設、JR東日本、東急不動産の4社が、東京工業大学より同大学田町キャンパスの土地活用事業者に選定されたことを受けて、同年2月26日付けで東京工業大学と事業協定書を締結したことを発表した。これに伴い、民間施設(事務所、ホテル、商業施設、保育所、産学官連携施設など)や大学施設(教育研究施設、産学官連携施設)を併設した複合施設が建設され、複合施設が2030年6月頃に開業し、2032年4月頃にグランドオープンが予定されている。
三田口側に田町駅前、芝浦口側に田町駅東口・田町駅東口前の各停留所がある。なお、この他三田口側に存在する浅草線三田駅前・三田線三田駅前・田町駅西口の各停留所については「三田駅 (東京都)#バス路線」を参照。
戦前、国鉄では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の急行(快速に相当)と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では当駅東京寄りの内側線が留置線となっており、京浜東北線・山手線ともに外側線を走行し、田町 - 浜松町間で京浜急行線が内側に合流する形となっていた。この計画は対米戦により中止されたが、後に京浜東北線と山手線の分離運転工事(『東京縦貫複々線化工事』という)に活用された。この「京浜急行線計画」は現在の京浜急行電鉄とは無関係で、当時は「京浜電気鉄道」という社名だった。
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