広島県知事一覧(ひろしまけんちじいちらん)は、広島県成立後の歴代知事の一覧表である。
官選知事(1871年 - 1947年)
- 大参事→大参事心得(1871年)
- 河野敏鎌(1871年8月15日 - 1871年11月)
- 権参事(1871年)
- 千本久信(1871年11月15日 - 1871年11月27日)※未赴任
- 参事(1871年 - 1872年)
- 河野敏鎌(1871年11月27日 - 1871年12月26日)
- 伊達宗興(1871年12月26日 - 1872年8月27日)
- 県内を17大区・158小区に区画(1872年4月4日)。
- 権令(1872年 - 1876年)
- 伊達宗興(1871年12月26日 - 1875年1月25日)
- 県庁を広島から尾道に移転することを大蔵省に提議(1873年3月29日)するも却下。
- 藤井勉三(1875年1月25日 - 1876年2月23日)
- 地等条例公布(1876年10月25日)。県庁焼失(同年12月25日)。
- 令(県令 / 1876年 - 1886年)
- 藤井勉三(1876年2月23日 - 1880年4月6日)
- 県庁舎が水主町に落成し移転(1878年4月15日)。第1回通常県会開会(1879年5月1日)。尾道に第六十六国立銀行(1878年11月29日)、広島に第百四十六国立銀行(1879年4月21日)が設立。
- 千田貞暁(1880年4月6日 - 1886年7月19日)
- 宇品築港事業起工(1884年9月5日)。
- 知事(1886年 - 1947年)
- 初代:千田貞暁(1886年7月20日 - 1889年12月26日)
- 宇品築港竣工(1889年11月30日)。
- 2代:鍋島 幹(1889年12月26日 - 1896年4月23日)
- 日清戦争への県内動員態勢に協力。
- 3代:折田平内(1896年4月23日 - 1897年4月7日)
- 4代:浅田徳則(1897年4月7日 - 1898年5月14日)
- 5代:岩村高俊(1898年5月14日 - 1898年7月28日)
- 6代:服部一三(1898年7月28日 - 1898年12月28日)
- 7代:江木千之(1898年12月28日 - 1903年6月29日)
- 官立広島高等師範学校設立(1902年4月1日)。
- 8代:徳久恒範(1903年6月29日 - 1904年1月25日)
- 9代:山田春三(1904年1月25日 - 1907年1月11日)
- 日露戦争への県内動員態勢に協力。
- 10代:宗像 政(1907年1月11日 - 1912年3月28日)
- 「民政要綱」を定め地方改良運動の推進(1908年5月)。共同苗代設置規則制定(同年8月7日 / 1909年12月21日撤廃)。県立三原女子師範学校設立(1909年4月1日)。
- 11代:中村純九郎(1912年3月28日 - 1913年2月27日)
- 広島県原蚕種製造所・農事講習所を芦品郡広谷村に設置(1913年2月10日)。
- 12代:寺田祐之(1913年2月27日 - 1916年4月28日)
- 広島県物産共進会開催(1915年4月5日より)。県植民協会設立(同年7月)。広島県物産陳列館の開館(同年8月5日)。
- 13代:馬淵鋭太郎(1916年4月28日 - 1918年5月7日)
- 県物産陳列館で第1回広島県美術展覧会開催(1916年5月)。神石郡油木町に広島県種畜場を設置(同年7月14日)。
- 14代:安河内麻吉(1918年5月7日 - 1919年4月18日)
- 15代:若林賚蔵(1919年4月18日 - 1921年7月19日)
- 官立広島高等工業学校設立(1920年1月17日)。県内銀行の合同を斡旋(同年6月30日:芸備銀行設立)。県結核予防協会設立(10月)。
- 16代:依田銈次郎(1921年7月19日 - 1922年10月16日)
- 県立福山師範学校設立(1922年4月1日)。
- 17代:阿部亀彦(1922年10月16日 - 1923年10月25日)
- 18代:山県治郎(1923年10月25日 - 1925年9月16日)
- 官立広島高等学校設立(1923年12月10日)。
- 19代:浜田恒之助(1925年9月16日 - 1926年9月28日)
- 県内の郡役所廃止(1926年7月1日)。
- 20代:末松偕一郎(1926年9月28日 - 1927年11月7日)
- 21代:横山助成(1927年11月7日 - 1928年5月25日)
- 県立広島女子専門学校設立(1928年4月1日)。
- 22代:岸本正雄(1928年5月25日 - 1929年7月5日)
- 官立広島文理科大学設立(1929年4月1日)。
- 23代:川淵洽馬(1929年7月5日 - 1931年5月8日)
- 24代:白根竹介(1931年5月8日 - 1931年12月18日)
- 25代:千葉了(1931年12月18日 - 1932年6月28日)
- 26代:湯沢三千男(1932年6月28日 - 1935年1月15日)
- 農産漁村不況対策のため臨時県会を招集(1932年9月21日)。
- 27代:鈴木敬一(1935年1月15日 - 1936年4月22日)
- 28代:早川三郎(1936年4月22日 - 1937年1月8日)
- 満州国に単独で「広島村」を建設する方針を発表(1936年10月22日)。
- 29代:富田愛次郎(1937年1月8日 - 1938年11月9日)
- 日中戦争開始に際し「知事告諭」を出し県内動員態勢に協力(1937年7月)。
- 30代:飯沼一省(1938年11月9日 - 1939年9月5日)
- 31代:相川勝六(1939年9月5日 - 1941年3月26日)
- 県下いっせいに部落会・町内会の結成(1940年1月)。県主催紀元2600年奉祝博覧会開催(同年11月1日より)。
- 32代:吉永時次(1941年3月26日 - 1942年6月15日)
- 33代:宮村才一郎(1942年6月15日 - 1943年7月1日)
- 34代:横山助成(1943年7月1日 - 1944年8月1日)
- 35代:松村光麿(1944年8月1日 - 1945年4月21日)
- 36代:大塚惟精(1945年4月21日 - 1945年6月10日)
- 初代中国地方総監(1945年6月設置)に転じ被爆死。
- 37代:高野源進(1945年6月10日 - 1945年10月11日)
- 被爆を免れ比治山多聞院に臨時県防空本部を設置(1945年8月6日)。県主催の原子爆弾症講演会を初めて開催(同年9月3日)。県引揚民事務所設置(10月8日)。
- 38代:児玉九一(1945年10月11日 - 1945年10月27日)
- 中国地方総監と兼任。
- 39代:楠瀬常猪(1945年10月27日 - 1947年3月14日)
- 県庁に戦災都市復興協議会を設置(1945年12月1日)。
- 40代:武若時一郎(1947年3月14日 - 1947年4月16日)
- 第1回知事選挙(1947年4月5日)。
公選知事
選挙結果
選挙結果は[1]より引用。
第20回
※当日有権者数:2,304,302人 最終投票率:34.67%(前回比:+3.58pts)
第19回
※当日有権者数:2,336,691人 最終投票率:31.09%(前回比:-0.89pts)
第18回
※当日有権者数:2,299,697人 最終投票率:31.97%(前回比:-1.74pts)
第17回
※当日有権者数:2,307,449人 最終投票率:33.71%(前回比:+6.55pts)
第16回
※当日有権者数:2,298,803人 最終投票率:27.14%(前回比:-3.48pts)
第15回
※当日有権者数:2,268,208人 最終投票率:30.62%(前回比:-3.80pts)
第14回
※当日有権者数:人 最終投票率:34.42%(前回比:-13.24pts)
第13回
※当日有権者数:人 最終投票率:47.66%(前回比:+12.68pts)
第12回
※当日有権者数:人 最終投票率:34.98%(前回比:-3.96pts)
第11回
※当日有権者数:人 最終投票率:38.94%(前回比:-7.79pts)
第10回
※当日有権者数:人 最終投票率:46.73%(前回比:+2.87pts)
第9回
※当日有権者数:人 最終投票率:43.86%(前回比:+0.18pts)
第8回
※当日有権者数:人 最終投票率:43.68%(前回比:-5.08pts)
第7回
※当日有権者数:人 最終投票率:48.76%(前回比:+1.63pts)
第6回
※当日有権者数:人 最終投票率:47.13%(前回比:-16.00pts)
第5回
※当日有権者数:人 最終投票率:63.13%(前回比:+7.32pts)
第4回
- 1958年12月3日執行
- 現職の大原博夫(64歳)が無投票で3選。
第3回
※当日有権者数:人 最終投票率:55.81%(前回比:-25.44pts)
第2回
※当日有権者数:人 最終投票率:81.25%(前回比:+6.50pts)
第1回
※当日有権者数:人 最終投票率:74.75%(前回比:pts)
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