『忍者ハットリくん』(にんじゃハットリくん)は、藤子不二雄(1988年の独立後の数か月のみ藤子不二雄Ⓐ)名義で発表された日本のギャグ漫画作品。1964年の初出時から安孫子素雄の単独執筆作品。
本項では、この漫画を原作としたテレビドラマ、テレビアニメ、劇場アニメ、実写映画作品についても述べる。「ハットリくん」は、本作の主人公・ハットリカンゾウ(服部貫蔵)の呼び名である。
以下の#漫画連載以降は、特記のない限り漫画作品を基準として述べる。アニメ等の別媒体の作品は下記の各項を参照。ただし、#登場人物のみ、各媒体の事項を織り交ぜて述べる。
忍者の里、伊賀から忍術修行のため上京したハットリくんが、様々な騒動を巻き起こす物語。居候先の三葉ケン一との友情やギャグを描く一方で、様々な忍術を読者に紹介する要素も盛り込まれている。作者の安孫子によると、自分の作品の中では一番のお気に入りだという。
漫画雑誌『少年』(光文社)にて、1964年11月号から1968年2月号まで3年以上にわたって連載され人気を博した(以下、この連載漫画を「60年代連載版」と呼ぶ)。
1966年、1967年と2年連続でテレビドラマ化された。
1980年7月から1981年5月にかけて『少年ポピー』(少年画報社)に目玉連載の1作として再録連載された。
1981年夏、月〜土曜日に週6本の新作アニメを放送していた『ドラえもん』(藤本単独作)のアニメ原作用漫画のストックが尽き、週1回放送の30分番組に枠移動することが決定。月〜土曜日放送の後番組として『忍者ハットリくん』に白羽の矢が立つ。9月28日からアニメ放送が開始。それに先立ち、9月15日から『月刊コロコロコミック』にて新作漫画の連載が開始された(以下、この連載漫画を「80年代連載版」と呼ぶ)。
60年代連載版やモノクロ実写版、アニメ版は生活ギャグ中心のストーリー。80年代連載版では生活ギャグに加えて、様々な忍者のライバルが登場して戦ったり、連続ものの冒険物語もあったりとバラエティに富んだ内容となっている。
アニメは1987年に一旦終了。漫画連載は1988年に終了。その後、アニメが世界各国に輸出され放送されたことで、各国で人気となる。特に10億人以上の人口を擁するインドで2004年から放送が開始され国民的な大人気アニメ作品となった。
2012年にはインド向けに作られた新作アニメが放送を開始。2013年からはそれが日本でもテレビ放送され、2023年現在はネット配信で視聴可能になっている。
1980年代から末期にかけて住友銀行のノベルティーグッズのキャラクターになっていた。また、藤子不二雄Ⓐの出身地である富山県氷見市では忍者ハットリくんがPRキャラクターとなっており、市のイベントなどでは着ぐるみのハットリくんがしばしば登場する。また、氷見市の比美町商店街はハットリくんを中心とした藤子Ⓐ作品のキャラクターのモニュメントやアートが多数存在する「忍者ハットリくんロード」を中心とした「忍者ハットリくんに出会える街」として観光客を集めている。
藤子不二雄Ⓐデジタルセレクション『忍者ハットリくん』全4巻にて全話を読むことができる。
オバQブームと重なる時期の連載で、オバQと共に藤子不二雄の人気連載として注目を浴び、安孫子も力を入れて執筆していたが、同誌の休刊直前である1968年2月号で連載が終了した。掲載最終話は、特に最終回らしい内容ではない普通のエピソード「モンキー温泉ウキキのキーの巻」(後編)である。
藤子不二雄Ⓐデジタルセレクション『忍者ハットリくん』全8巻にて上記194回のうちの101回分を読むことができる。単行本未収録回の詳細は#未収録作を参照。
1980年代に合わせた新設定で連載を開始。安孫子はアニメ版の声優の個性溢れる演技に感銘を受け、筆が進んだと語っている(文庫版あとがきより)。この1981年からの連載漫画は月刊誌連載としては藤子Ⓐ作品の中では当時の最長記録となった(その後『プリンスデモキン』により記録更新)。1985年8月には『小学五年生』にて初めて最終回が掲載され(単行本未収録)、1988年4月に『月刊コロコロコミック』に掲載された2つ目の最終回にて、旧シリーズの開始から24年後、実質合計11年の漫画連載が終了した。
1983年〜1985年には、『パーマン』と共演した漫画『忍者ハットリくん+パーマン』の連載を安孫子が単独で執筆し、劇場版アニメも作られた。漫画『忍者ハットリくん+パーマン』は、てんとう虫コミックスレーベルの単行本『忍者ハットリくん』13巻(絶版)にのみ収録されている。
< >内は刊行年。※印は絶版。
80年代連載版を収録した単行本はてんとう虫コミックスとぴっかぴかコミックスを除く単行本では『新忍者ハットリくん』という書名になっている。
単行本の発行時期により、収録作品の設定が部分的に変更される場合がある。一例として、「みたか! しったか! ハットリ打法」(『少年』1965年(昭和40年)3月号掲載)では、ハットリくんが野球の腕を披露し、そこで「野球は忍法に似ている」という旨のセリフの後、3人のプロ野球選手の名前を出しながら「○○、○○、○○なら忍者になれる(○○は選手の名前)」という主旨のセリフを言って、ケン一が忍者の服を着た3人を想像しているシーンがある。この○○の中に入る選手の名前とケン一が想像している選手の絵がその都度変更されている。
月刊コロコロコミックの連載では、1982年から1986年にかけて5作の長編漫画が描かれた。下表のうち#1から#3は連載開始の翌年3月に劇場用アニメ映画としても公開された。#4と#5はもともと映画とは無関係な長編として連載され、映画は作られなかった。
声は1981年版 / 2012年版。1人のみで特筆の無い場合は両方で担当。
NET(現:テレビ朝日)系にて実写テレビドラマ化された。『全怪獣怪人 上巻』では本作品を特撮ホームコメディ最初の作品としているが、実際には同じ東映の『丸出だめ夫』が一ヶ月先んじている。
ハットリくんは「顔のマスク」を被った子役俳優で、声は熊倉一雄が担当した。
楽曲の一部は後に『仮面の忍者 赤影』に流用されている。
1983年発売の写真誌『スクランブルPHOTO』の記事などで杉良太郎がケムマキ役で出演していたという情報が一時期流れ、1987年ごろには広く信じられていたが、全くのデマであった。また、実写版の製作は東映京都だが、当時、杉は日活作品に映画俳優として助演していた。実際にケムマキを演じたのは関西を中心として活躍していた人気子役の傍田勉。
1966年4月7日から9月28日まで放映。東映京都テレビプロダクション製作。全26話。モノクロ作品。
忍者学校を卒業し、武者修行のため下界へ下りたハットリくんが、たまたま知り合ったケン一くんの家に居候する。
原作同様に現代が舞台だが、時代劇を得意とする東映京都の制作であったため、時代劇のイメージが強い作風となっている。ロケ地も京都周辺なのはこのためである。
オープニングには藤子不二雄のイラストが使用された。フィルムは長らく第1話「ハットリくん来たる」以外のポジフィルムは所在不明であったが、2010年に第14話「お食事騒動」の保存が確認されており、同年10月に東映チャンネルで放映された。
子役は双子の野村光徳と野村好徳が、原作をかたどったマスクを被り、交代で演じた。他に左卜全(木曽仲経脳屁之斎斎〈きそのなかのり のうへのさいさい〉)などが出演した。
出典:『宇宙船』vol.8(朝日ソノラマ)59頁
1作目から約1年後の1967年8月3日から1968年1月25日まで放映。東映東京撮影所制作。全26話。モノクロ作品。
山に帰って寂しい思いをしていたハットリくんが、流れ星から現れた忍者怪獣ジッポウと仲良くなり、たまたま山に遠足に来ていたフジ夫くんと友達になり、たるんだ下界を正すためにフジ夫くんのうちに居候し、騒動を起こす。
後に原作やアニメにも登場する忍者怪獣ジッポウは本作品が初出であり、当時の怪獣ブームの影響により考案された。『怪物くん』に登場したガメロが原型とされる。
制作は東映京都から東映東京に替わり、前作よりも現代的な作風となっている。プロデューサーの斎藤頼照は、「NET側よりホームドラマの作風に依頼されたが、脚本の井上ひさしは「ホームがないホームドラマにする」として毎回家を求めてさすらう内容になったため、破天荒になった」と述懐している。
オープニングにはスタジオ・ゼロのアニメーションが使用された。
当時中学生であった松坂慶子が出演していたことでも知られる。
ハットリくん役の町田は後のアニメ版でハットリくんの父上役でゲスト出演している。
第18話では藤子不二雄(藤本弘、安孫子素雄)が特別出演した。
1981年9月28日から1987年12月25日にかけ、テレビ朝日系にてシンエイ動画によりテレビアニメ化された。本編全694話+テレビスペシャル11話+4劇場版。この番組は、放送時間帯移動の変遷が大きかったのも特徴である(変遷の詳細は下記参照のこと)。CSチャンネルのテレ朝チャンネルでは、2000年代後半に平日7:30 - 8:00・14:30 - 15:00で再放送され、2016年以降は月曜夕方17時に1981年版が2話ずつ放送され、水曜17時~18時、日曜6時~7時に2012年版が放送された。2009年1月5日から2011年9月26日にかけてBS朝日アニメストリート内でも放送された。その後、「AbemaTV」の家族アニメチャンネルでも2016年4月11日のサービス開始と同時に配信を開始したが、オープニングとエンディングは割愛され、本編のみの配信となっている。
『ドラえもん』、『怪物くん』に続くシンエイ動画・テレビ朝日の藤子アニメ第3弾。夕方の帯(18:50 - 19:00)と日曜の朝(9:30 - 10:00)に放送されていた『ドラえもん』の後番組であり、夕方の帯番組版は『ドラえもん』(後期)と同様に第一家庭電器一社提供番組として放送。このアニメ版ではタツノコプロ出身の笹川ひろしが総監督に就任。それまでの藤子アニメとは一味違った新たな方向性を見出し、後続の藤子アニメにも大きな影響を与えた。特に劇中キャラクターがずっこける際に「ズコー!」と発するルーティンギャグは人気を博し、その後の笹川が関わった藤子アニメは、『パーマン』の「ヘコー!」や『オバケのQ太郎』の「オター!」「ズルー!」など、同様の演出が踏襲されている。また、笹川が過去に関わった『ハクション大魔王』に登場する「それからおじさん」に通じる、忍者姿のカラスで『ソレカラス』(声:梨羽由記子)というキャラクターも作られた。また原作のエピソードの少なさを補うため、アニメオリジナルのエピソードが数多く作られている。
1983年3月に、月曜19:00 - 19:30の週一の放送となり、15分2話形式となる(後に新作一本と過去の再放送2本となった)。なおこの月の関東地区では、帯、日曜、月曜7時と並行して放送されていた。特に一部地域で月曜はこの時期のみ40分枠だった。翌4月に『パーマン』が帯で開始されると帯放送からは撤退するものの、「藤子キャラ御三家」として、ドラえもん、忍者ハットリくん、パーマンの頭文字を取り「ドラ・ハッ・パー」という造語も流行した。
しかし1985年に『藤子不二雄ワイド』が放送開始されると再び時間帯移動する。他の藤子作品と共にこの番組枠内で放送された。その際、帯時代と同じ10分1話形式に戻され、キャラクターデザインや色指定も若干変更がなされた。1987年4月に『藤子不二雄ワイド』内で『エスパー魔美』の放映が開始されると、再び18:50 - 19:00の帯番組となり、『藤子不二雄ワイド』が終了した同年10月より『パオパオチャンネル』枠(金曜日)で放送された。なお、原作よりも一足早く1987年12月に放送は終了するが、「雪山のからくり山荘の巻」は最終回らしい内容ではなく、影千代がひっそりとプラカードを持って「おわり」と告げたのみである。翌回からは同一の枠で再放送が1989年6月30日まで続けられた。
香港では『忍者小靈精』のタイトルで放送され、広東語版主題歌「忍者」も作られた。2004年からはインドでも放送されている。
全話から計433話分をセレクトした上下巻形式による傑作選DVD-BOXも発売された。
2017年10月からAmazon Prime Videoにて本編全694話+テレビスペシャル3話が配信中。また2021年11月8日からYouTubeの「忍者ハットリくん公式チャンネル」にて18:30に1話ずつ配信されている(45日間限定。OP・EDはカット)。
基本的に子供向けアニメだが、森茉莉が本作の大ファンであり、当時、週刊新潮で連載していたコラム『ドッキリチャンネル』でたびたび絶賛していた。
※ハットリくんがサブタイトルを紹介するときには「-でござるの巻」を「-でござる(一呼吸置いて)のまっきっ!」と発音している。
放送系列は放送当時、放送日時は個別に出典が掲示されてあるものを除き、10分版については1982年12月中旬 - 1983年1月上旬時点、30分版については1985年3月中旬 - 4月上旬時点のものとする。なお、『藤子不二雄ワイド』内で放送された『忍者ハットリくん』については藤子不二雄ワイド#放送局を参照。
2012年2月14日、テレビ朝日社長の早河洋が定例会見で、同年5月からインドで『ハットリくん』の新作アニメを制作・放送すると発表。同国のキッズ向けチャンネル「Nick India」で5月14日より全26話(1話は2エピソードで構成)が放送された。インドでは前述のとおり2004年から『ハットリくん』のアニメを放送しており、これが人気を博し続けていることから、昨今高度経済成長を続ける同国でのコンテンツビジネスの収益拡大が見込めると判断、博報堂DYメディアパートナーズの協力のもと現地のアニメ制作会社リライアンス・メディア・ワークスとシンエイ動画が共同制作(実制作の大半は現地で実施)した。
ストーリーは藤子が新規に作ったもので設定などは原典と概ね同一であるが、現代(2012年ごろ)の世相に即して作っているため、スマートフォン、携帯電話、インターネットなど、日本版アニメの放送当時には一般的でなかったものも登場する。
当初から前述の会見で早河社長が日本にも逆輸入して放送することも検討していると発言していたが、2013年2月、CS放送の『アニマックス』で日本語吹き替え版を放送すると発表、同年5月13日より放送された。字幕放送も実施され、ハットリカンゾウが黄色字幕、ケン一が青色字幕、ハットリシンゾウが緑字幕、それ以外の人物は白色で表記される。日本語吹き替え版においてキャストはハットリカンゾウ役の堀絢子と獅子丸役の緒方賢一以外はアニメ第1作から変更、オープニング・エンディング曲は日本版アニメのオリジナル音源をそのまま使用している。サブタイトルの発音では「-でござる(一呼吸置いて)のまっきっ」の後に「ニンニン!」が加わっている。後にテレビ朝日のCS専門局『テレ朝チャンネル1』でも放送を開始した。
2014年7月11日にはインド版の日本語吹き替え版の第1シリーズDVD-BOXが『NINJAハットリくん リターンズ』のタイトルで発売された。発売を記念し一部エピソードが同年7月4日深夜(7月5日午前)にテレビ朝日(関東ローカル)にて特別番組として放送された。
2014年4月からはインドで第2シリーズを放送。日本でも同年7月21日よりアニマックスで日本語版の放送が開始された。2016年4月12日からはアニマックスで『新あたしンち』の後番組として第3シリーズを放送し、2017年2月2日からは第4シリーズを放送。
2019年以降も第5、6シリーズに相当する新作エピソードがインドでは放送されていたが、日本では放送や配信がされない状態が続いていた中、2022年2月1日よりdアニメストアにて第1~4期を含め日本でも配信され(オープニング・エンディングはカットされている)、2月22日からシンエイ動画公式YouTubeチャンネルにて配信を始めている。
単独で2作、『パーマン』とのコラボレーション作品として2作のアニメ映画が公開された。いずれも映画『ドラえもん』の併映作品で、映像ソフトは未発売。
1982年3月公開。『ドラえもん のび太の大魔境』、『怪物くん デーモンの剣』と同時上映。上映時間は31分。
ケン一がハットリくんの日記を盗み読みする形で始まる、複数の短編をつなぎ合わせたオムニバス形式の作品。以下のパートから構成されている。
映画の公開に先駆けて、1982年2月15日発売の『月刊コロコロコミック』3月号に同名の漫画が掲載された(藤子不二雄Ⓐデジタルセレクション『新忍者ハットリくん』1巻に収録)。漫画は以下のパートから構成されており、一部の内容は映画とは異なる。
上記のうち「奇怪! 機械流忍者ロボ丸の巻」は、1966年に雑誌『少年』に掲載された「ロボット忍者ロボ丸でござるの巻」(藤子不二雄Ⓐデジタルセレクション『忍者ハットリくん』2巻に収録)と「ハットリくん学校へ行くの巻」(同3巻に収録)の一部を組み合わせてリメイクした内容である。
1983年3月公開。『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』、『パーマン バードマンがやってきた』と同時上映。上映時間は53分。
映画の公開に先駆けて、1982年12月15日発売の『月刊コロコロコミック』1983年1月号から4か月にわたり同名の漫画が連載された(単行本収録状況は#長編を参照)。
2022年5月に、藤子不二雄Ⓐの追悼特番としてCSのテレ朝チャンネルにてHDリマスター版が放送された。
久し振りに伊賀の里に帰って来たハットリくんとケン一たち。しかし里には人影が無く、そこへ待ち受けていたのはコンピューターを操る忍者「メカマロ」(声:野沢雅子)と、その部下のメカ忍軍団であった。伊賀の里を解放するため、ハットリくんはメカマロと激闘を繰り広げる。
アニメの代表曲は以下の通り。下記の全ての作曲者は菊池俊輔。レコードはすべてコロムビアレコード。CD『忍者ハットリくん全曲集』でテレビアニメの主題歌、挿入歌を全て聴くことが出来る。
2016年現在、パチンコ・パチスロは計6種類が登場しており、全て大一商会による開発・発売でとなっている。
藤子Aの出生地、氷見市を走る氷見線・城端線で「忍者ハットリくん列車」が運行されており、氷見線沿線では服部カンゾウが車内アナウンス(自動音声)を担当している。
※1985年4月 - 1987年3月は「藤子不二雄ワイド」内で放送(セールスの次番組でもある)
※1987年4月 - 9月は帯番組枠、10月 - 12月はパオパオチャンネル枠
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