岩田 徹(いわた とおる、1967年2月12日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。次男はボートレーサーの岩田凌。 甥はプロ総合格闘家の岩田虎之助。
PL学園高時代は外野手として、1984年に春・夏とも、副主将として甲子園準優勝という快挙を成し遂げる。同期に鈴木英之、旗手浩二、北口正光、1学年後輩に清原和博、桑田真澄、内匠政博、松山秀明、黒木泰典らがいた。
高校卒業後は、社会人野球の三菱自動車水島に所属した。社会人野球通算22試合、打率.333、6本塁打、13打点。
1988年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団。高校・社会人通じて外野手であったが、強肩であったことから捕手として指名された。
プロ1年目の1989年は開幕一軍を勝ち取り、プロ初安打を高校の後輩でもある巨人の桑田から放つと
5月31日の対ヤクルト戦では同期の新人・渡辺伸彦がラリー・パリッシュに死球を与えて乱闘騒ぎとなり、マスクを被っていた岩田はパリッシュを必死に抑えていた。以降は山田勝彦、関川浩一らの台頭でファーム暮らしとなる。
現役晩年は代打、外野手での出場が多くなった。1998年オフに任意引退、1999年3月23日に自由契約公示。
その後は、赤星憲広が設立した少年野球チーム「レッドスターベースボールクラブ」の設立メンバーとして10年間監督を務め2014年2月に退団した。退団後は小学生・中学生を対象とした野球道場を開くなどしていた。また、履正社医療スポーツ専門学校にて講師を務める傍ら、2010年からは社会人野球に参戦している同校の硬式野球部でコーチを務めた。
2022年1月には大阪偕星学園高等学校硬式野球部の監督に就任した。2023年7月 第105回全国高等学校野球選手権記念大阪大会にて同校8年振りの準々決勝進出ベスト8に導く。2023年8月下旬、高校側から指導停止の謹慎処分を受け監督復帰の予定であったが、自ら退任した。
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