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リョーマ (ベンチャー)


リョーマ (ベンチャー)


株式会社リョーマは、かつて1987年から1992年まで存在した、大阪府大阪市淀川区にあったプロモーション会社。当時、関西の現役大学生を中心としたベンチャー企業として話題になった。創業2年で売上5億円を達成したが、1992年に経営破綻した。

リョーマに関わった学生には、のちに起業家・経営者となったものが多い。リクルートを主に担当していた加藤順彦は、リョーマの学生スタッフを集めるにあたって、「全員が将来社長をめざす、梁山泊のような組織を目指している」という口上を用いていたという。

沿革

  • 1986年11月15日 合宿制の運転免許学校の斡旋所MY LICENCEを大阪市淀川区西中島のワンルームマンションにて開業
  • 1987年6月1日 MY LICENCEを法人化し、株式会社リョーマ設立。資本金100万円。代表取締役社長真田哲弥(2021年11月現在、KLab株式会社取締役会長)、代表取締役専務西山裕之(2021年11月現在、GMOインターネット株式会社 取締役副社長)。ふたりは大阪星光学院中学校・高等学校の同級生であり、大学に入学以降も学生サークル活動を共にしていた
  • 1987年11月 合宿免許の斡旋事業を運転免許事業部とし、新たにマーケティング事業部を設置。サークル情報誌の編集と営業を開始
  • 1988年3月  真田が社長退任。西山から抜けたいと相談され、真田自身が抜けることにしたという。。かわって西山が代表取締役社長に就任
  • 1988年4月 日本信販をメインスポンサーとした大学・短大新入生対象の学生サークルの無料情報誌「VIEPLANマガジン関西版」を発行
  • 1989年4月 学生サークル情報誌を独自ブランド「OMOLOGUE」(オモローグ)にて東京・大阪にて発行。東京版は真田哲弥、金野策一らが企画した株式会社東洋センカ(1991年にセンカ・コミュニケーションズに社名変更)による在京の大学生組織SYNに委託。
  • 1989年9月 玉置真理(のちのザッパラス社長)、真田、西山らによって株式会社ダイヤル・キュー・ネットワーク設立(社長は玉置)。同社には山下伸一郎、杉山全功、加藤順彦 など多くのリョーマ関係者が関わった
  • 1991年4月 代表取締役社長に林圭介が就任
  • 1992年9月 経営破綻

脚注

参考資料

  • 大柴貴紀 (2012年10月19日). “KLab真田さんの武勇伝と日本ITベンチャーの夜明けの話”. インターネット界隈の事を調べるお. 2021年11月14日閲覧。 - 個人ブログではあるが、情報がまとまっているので参考になる。大柴は加藤と交流がある。
  • 岡本呻也 (2000). ネット起業!あのバカにやらせてみよう. 文藝春秋 

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: リョーマ (ベンチャー) by Wikipedia (Historical)