中津(なかつ)は、大阪府大阪市北区の町名。または、同区大深町の北西部、同区大淀北の淀川河川敷、淀川区新北野なども含んでいた、旧:西成郡中津町に該当する地域名。現行行政地名は中津一丁目から中津七丁目。
町名としては、大阪市北区中津一丁目から中津七丁目まである。東西約1.5km、南北約1kmの地域で、淀川の南側に沿うような形で位置している。2005年の国勢調査によると、人口は9,486人。
淀川を挟んだ北側には十三東、新北野、木川西、木川東、東は豊崎、西は大淀北、大淀中、南は大深町、芝田に囲まれた地域である。
梅田から北へ0.5Kmほどという地理条件から、梅田に連なるオフィス街となっている。また近年では住民の都心回帰傾向がみられることに伴い、地下鉄中津駅周辺を中心に超高層マンションが増加している。
アクセントは「なかつ」の「な」に置かれる。
この地にはかつて、旧淀川の支流のひとつ、中津川が流れていた。中津川は細い川の上に蛇行して流れていたため、しばしば洪水を起こしていた。記録によると、平均して10年に一度の割合で洪水に見舞われていた。正保 - 慶安年間に西成郡小島村(のちの十三東之町)で中津川改修工事が行われ、のちに中津村の一部となる小島新田・小島古堤新田が旧河道に誕生した。
1889年4月1日の町村制施行により、西成郡下三番村・光立寺村・小島新田・小島古堤新田・成小路村が合併して中津村が発足。村名は中津川の左岸に位置していたことによる。
1898年から1910年にかけて、おおむね中津川の流路に沿って淀川放水路(新淀川。現在の淀川)を開削する淀川改修工事が行われた。このため、中津川は新淀川の流路の一部ないしは河川敷に転用されて現存しない。また、新淀川の開削によって、中津村では大字小島新田・小島古堤新田のそれぞれ大半が河川敷となり、新淀川の右岸に位置するようになった成小路が左岸の下三番・光立寺と分断されるようになった。
中津村は1911年2月1日に町制を施行して中津町となったのち、1925年4月1日に大阪市へ編入され、新設の東淀川区に属した。
光立寺村に皮多村が存在しており、絵地図に「光立寺村ノ内皮多」と記されている。1953年2月、大阪市同和事業促進協議会ができた時、中津地区はいち早く加入した。当時は131世帯、590名の部落であると報告され、位置は中津本通の一部、中津浜通2 - 3丁目の一部である。
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。北区内の全ての市立中学校と、大阪市内の小中一貫校が対象で学校選択が可能(抽選を実施)。
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
阪急電鉄が地域のやや西よりを南北方向に通過している。中津には阪急電鉄の中津駅があり、神戸線の普通電車と宝塚線の準急・普通電車が停車する。ただし、京都線については中津駅にホームがないために全列車が通過する。
また、阪急中津駅から東に500mほど離れた場所に大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) 御堂筋線の中津駅もある。Osaka Metro御堂筋線は地域の南端を沿うように南から北東に走り、梅田・難波・新大阪などへは乗り換えなしで行くことができる。
国道176号が阪急電鉄の線路と並行する形で、地域の西よりを南北方向に走る。国道176号は大阪駅方面から十三大橋を渡って十三方面へと延びている。また地域の東側(厳密には中津ではなく豊崎7丁目になる)では新御堂筋が南北方向に通っている。
バス路線は大まかに分類すると、いずれも大阪駅前(梅田)を起点とした、国道176号経由の系統と、地下鉄中津駅経由の系統の2系統が走っている。前者の系統は大阪シティバスと阪急バスがそれぞれ運行し、後者の系統は大阪シティバスが運行している。また、廃線された路面電車の阪神北大阪線を引き継ぐ、阪神バスの北大阪線が野田阪神と中津、天六を結ぶ。
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