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石川雅規


石川雅規


石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。

大卒のNPBフランチャイズ投手としては史上初の22年連続勝利を達成している。また、投手としては史上初の1年目からの22年連続安打も達成している。

経歴

プロ入り前

下新城小、 秋田北中卒。秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した(石川とバッテリーを組んでいた主将で捕手の太田直は現在、秋田商硬式野球部監督である)。1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では完投するも8失点を許し、チームは敗退した。高校時代の同級生にはタイ女子レスリングナショナルチームコーチの秋田谷康二、また中学時代のチームメイトには中泉松司(元秋田県議会議員、元参議院議員)がいる。

1998年に青山学院大学文学部史学科へ進学。シンカーを習得し、東都大学リーグでは2年からエースとして活躍した。1999年の大学選手権では3試合に完投し、決勝でも早大の先発鎌田祐哉・藤井秀悟と投げ合って優勝。秋の第30回明治神宮野球大会2回戦対創価大戦では延長18回を完投した(引き分け)。大学3年生で2000年シドニーオリンピックに出場し、前年に行われた予選では古田敦也とバッテリーを組んだ。大学時代の通算記録は、51試合23勝8敗、防御率1.63、284奪三振。最高殊勲選手1回(2年生春)、最優秀投手3回(2年生春・秋、4年生春)、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞した。

2001年ドラフト会議では、自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団した。 ドラフト会議の前段階では、当初は巨人が石川を獲得する方針で、ほぼ内定していた。しかし、同年夏の高校野球・第83回全国高等学校野球選手権大会では、日南学園高校の寺原隼人が活躍し、自由獲得枠の対象ではない高校出身の寺原を1巡目で指名することになった。元巨人球団代表の清武英利は、この意思決定は長嶋茂雄監督の意向だったとの、当時のスカウトからの伝聞情報を紹介している。

巨人の元スカウトである上田武司によると、青山学院大学のグラウンドに毎日のように訪れ、巨人への入団内定を取り付けた。2001年8月23日に浜松市で実施された、青学大と社会人・ヤマハ硬式野球部が対戦したオープン戦では、試合終了後に現地で監督、部長、石川本人と話し合い、「巨人でお世話になります」と快諾してもらった。ところが、東名高速道路を走行中に、スカウト部長から携帯電話で、石川獲得は方針転換すると知らされた。青学大の監督が新横浜駅に到着するのを待ち、なじみの寿司屋で土下座すると、「つい2、3時間前に話はついたのに、それはないだろう」と言われた。この時は情けなくて、本気でスカウトを辞めようとまで思ったようだ。

石川獲得には近鉄も獲得に乗り出しており、近鉄スカウトの中川隆治が青山学院大のOBだったことから近鉄のキャンプにも参加した。その際、近鉄監督だった梨田昌孝、一軍投手コーチだった小林繁からも入団を勧められたが、最終的には、ヤクルトの正捕手だった古田敦也にボールを受けてもらいたいという思いが強く、入団した。

ヤクルト時代

2002年、春季キャンプで一軍に帯同。ローテーションの都合で開幕一軍こそ逃したものの、4月4日の広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)で先発。6回2/3を無失点で抑えて初登板を初勝利で飾った。この年は新人ながらローテーションを守り続け、12勝を記録し、新人王を受賞した(秋田県出身のプロ野球選手としては初受賞)。

2003年、年間を通してローテーションを守り抜き、12勝を記録して優秀JCB・MEP賞を受賞した。また、7月13日にプロ入り後初の地元(秋田県立野球場)で凱旋登板し、勝利を収めて故郷に錦を飾った。オフに青山学院大学時代の同級生と結婚した。

2004年、春季キャンプ中に発症した左肘痛の影響で開幕は二軍でスタート。4月半ばに一軍に昇格。昇格後はローテーションを守り抜き、11勝を記録。オフに長男が誕生した。

2005年、オフに左足を疲労骨折したが、開幕には間に合わせる。初の開幕投手を務め、7回1失点で勝利を収める。6月には交流戦の休養日の影響で自身初のシーズン中の二軍落ちを経験。最終的には10勝を記録し、入団から4年連続で2桁勝利(球団では佐藤進・西村竜次に次いで3人目)を記録した。

2006年、2年連続で開幕投手を務め、6回2失点で勝利投手となる。7月、監督推薦でオールスターゲームに初出場。1試合目の3番手として登板し、2回を1奪三振の無失点に抑えた。チームのローテーション投手が安定しない中、唯一ローテーションを守り10勝を記録する。ヤクルトでは球団史上初、セ・リーグでは堀内恒夫・江夏豊に次ぐ3人目の、入団から5年連続の2桁勝利を達成した。

2007年、シーズン序盤は不調に苦しみ、中継ぎへ配置転換される。5月に二軍に降格。再び昇格するものの6月に再度二軍に降格した。シーズン中盤からは復調し、7点台だった防御率を4点台まで改善させた。9月13日の読売ジャイアンツ戦(神宮)でプロ初完封を果たす。成績は序盤の大不振がたたり、入団後初めて規定投球回に到達せず、自己最低の4勝に終わった。

2008年、投手キャプテンに就任。シュートを習得してシーズンに臨んだ。自身3度目の開幕投手を務め、6回2/3を2失点で勝利投手となった。4月までに5勝、防御率1点台を記録し、月間MVPを受賞。交流戦では12球団1位の防御率1.18という好成績を残した。8月には監督推薦でオールスターゲームに2度目の出場。第2戦に2番手として登板し、見事勝利投手に輝いた。この年は、自己最多のイニング数を投げ、前年の不振を払拭する活躍を見せたが、打線の援護から見放された為に勝ち星は12勝にとどまった。10月12日の横浜ベイスターズ戦(神宮)においてシーズン初のリリーフ登板。1/3を無失点に抑え広島のコルビー・ルイスを0.003差で逆転して初タイトルとなる最優秀防御率を獲得する。またゴールデングラブ賞を受賞した(投手部門での受賞は球団初)。10月に次男が誕生。

2009年、選手会長を務める。2年連続の開幕投手になったが、4回5失点でKOされ敗戦投手になったが、次の中日ドラゴンズ戦でシーズン初勝利を挙げる。前半戦は不調だったが、後半戦から調子を取り戻し、館山昌平と共にヤクルト投手陣の屋台骨を支えた。クライマックスシリーズ出場を賭けた10月9日の阪神タイガース戦では7回1/3を自責点0で勝ち投手となり、チーム初のクライマックスシリーズ出場に貢献した。この年は自己最多の13勝を記録。勝率はプロ入り8年目で初めて6割を超えた。

2010年、3年連続の開幕投手を務めたが、調子が上がらず開幕から6連敗、防御率は4点台と安定感を欠いていた。チームの成績不振の責任をとって高田繁監督が休養した直後の試合でようやく初勝利を挙げるものの、6月終了の時点では2勝8敗と散々な成績だった。しかし7月以降に急激に盛り返す。7月には自身2度目の月間MVPに輝き、無傷の11連勝を記録するなど抜群の安定感を誇った。最終的には13勝8敗、防御率3.53と前年とほぼ同じ成績まで持ち直してシーズンを終えた。

2011年、4年連続の開幕投手を務めた。5月14日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で史上128人目の通算100勝を達成した(球団では通算5人目)。10年目の100勝達成は球団としては金田正一に次ぐスピード記録だった。この年は勝ち星が思うように伸びなかったが、最終的に10勝を記録、4年連続の2桁勝利を達成した。

2012年、5年連続の開幕投手を務め、開幕戦の巨人戦(東京ドーム)で9回一死まで巨人打線を無安打に抑えた。史上初の開幕戦ノーヒットノーランは果たせなかったが、トニー・バーネットとの完封リレーで4年ぶりに開幕戦を勝利で飾り、球団新記録である開幕戦4勝目を挙げた。8月21日の巨人戦(神宮)で谷佳知から史上132人目の通算1000奪三振を達成した。しかしシーズン通しての防御率は3点台後半にとどまり、2桁勝利も途切れた。

2013年、新球フォークを習得して臨んだシーズン、この年はチームの低迷に沿うように自身の勝利数も伸び悩む。自身のシーズン最終登板で11度目となる規定投球回数に到達し、前年度より成績は持ち直したものの、不運な失点や途中離脱も重なり自身の役割を全うできないシーズンとなった。オフには新たに3年契約(年俸1億8000万円・3年契約中2年目経過で契約の見直し)を結んだ。

2014年、開幕から絶不調で、3,4月の月間防御率は7.24と打ちこまれる登板が続いた。しかし、5月7日の広島戦(神宮)で自身2年ぶりの完封でシーズン初勝利を挙げると、ここから順調に調子を上げていき、6月11日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、山田哲人の先頭打者本塁打の1点を守り切りシーズン2度目の完封勝利を達成。1回表の先頭打者本塁打による1-0の勝利は球団では1959年の国鉄時代以来55年ぶりと記録的快挙となった。最終的にはチーム唯一ローテーションを1年間守り切り、唯一規定投球回に到達。両リーグ1位の援護率5.86と強力打線にも恵まれ、自身3年ぶり10度目の2桁勝利を達成し、6勝に終わった前年から巻き返しを果たすシーズンとなった。ただし、四球は自己最多、前年より防御率は悪化し規定投球回に到達したなかではセ・リーグ最下位に陥るなど、課題も残るシーズンとなった。

2015年、シーズン序盤は調子が上がらず登録抹消された期間もあったが、8月25日の登板以降は6連勝を記録し、チームの14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。9月の成績は、5戦5勝防御率1.21と抜群の安定感でチームを牽引し、この活躍が評価され自身3度目の月間MVPを受賞した。9月10日の明治神宮球場での対DeNA戦で6回を1失点に抑え現役最多11度目の2桁勝利を達成。9月27日の2位巨人との直接対決では中4日で登板し、体調不良に見舞われながらも5回を1失点に抑え、更には決勝点となる適時打を打っており、9月の活躍の象徴となった。また、この試合で自身最多タイとなる13勝目を記録し、規定投球回数にも到達した。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは2度先発投手を務めたが第一戦で4回3失点、第五戦で5回途中4失点でいずれも負け投手でチームも1勝4敗で敗退。12月7日の契約更改では約2000万円増の年俸2億円でサインした。2012、2013年に並ぶ自己最高額となった。

2016年、左ふくらはぎに不安をかかえ迎えたシーズン序盤は不安定な投球が多く、5月18日の広島東洋カープ戦後の5月22日に左ふくらはぎ痛で登録抹消。6月1日の北海道日本ハムファイターズ戦で復帰するが、3回4失点と怪我の影響を隠しきれず再び登録抹消。7月18日の横浜DeNAベイスターズ戦で復帰し、7回1失点で勝ち投手となりその後は比較的安定した投球を重ねる。8月27日の阪神タイガース戦で9回途中2失点で史上48人目の通算150勝を達成(球団では史上3人目)。しかし怪我での長期離脱が響き3年ぶりに2桁勝利に届かず、また2007年以来2度目の規定投球回に到達しなかった。

2017年、2012年以来6年ぶり8度目の開幕投手を務め、DeNA相手に6回2失点で勝利を飾った。ただ、シーズンでは防御率5.11、4勝14敗でリーグ最多敗戦投手となるなど、苦しい1年となった。

2018年、3月31日の開幕第2戦のDeNA戦(横浜スタジアム)に先発し、6回2/3を3失点で同年初勝利を挙げ、自身の連敗を11で止めた。6月12日の西武戦(埼玉県営大宮公園野球場)で通算160勝目を挙げ、最終的に7勝6敗と3年ぶりに勝ち越した。

2019年、開幕ローテーション入りし、5月12日の巨人戦でシーズン初勝利。8月14日の横浜戦では8回に伊藤裕季也に本塁打を打たれるまでベイスターズ打線を無安打に抑え、8回1失点で6勝目を挙げる。9月4日の巨人戦では6回1失点で通算170勝目を記録するなど比較的好調で、チームトップの8勝を挙げた。規定投球回にこそ到達しなかったが、WHIP1.15は2008年に次ぐ自身2番目の好成績だった。

2020年、6月19日に開幕投手を務めたが、40代としては22年ぶり史上5人目であった。10試合目の登板となった9月30日のDeNA戦(横浜スタジアム)にてシーズン初勝利を挙げ、この勝利で鹿取義隆に並び、2人目の大卒で19年連続勝利となり、19年連続先発勝利とすると大卒投手では石川が初めてとなった。また、40代での勝利は球団では新浦壽夫、木田優夫に次いで3人目であるが生え抜き投手では石川が初めてであった。シーズン成績は15試合に登板して2勝8敗、防御率4.48で終えた。

2021年、開幕ローテーション入りが確実視されていたが、オープン戦では2試合連続で炎上し開幕二軍スタートとなった。4月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)でシーズン初登板し5回2失点と好投するも打線の援護が無く敗戦投手となったが、第2打席に藤浪晋太郎から内野安打を打ち、これがルーキーイヤーから続く20年連続の安打となった。登板翌日に登録抹消されたが、6月4日の西武戦(明治神宮野球場)に再び先発登板し、雨の中西武打線を5回まで1失点に抑えると、5回裏の途中に降雨コールドとなったため5回1失点で自身6年ぶりの完投勝利を挙げた。この勝利で石川は大卒投手では史上初となる20年連続勝利を達成。プロ1年目から20年連続勝利は鈴木啓示以来、36年ぶり7人目、セ・リーグでは金田正一に次ぐ2人目、左腕では4人目のタイ記録となった。また、40代投手の完投は球団初で、41歳4か月での白星は、新浦壽夫の41歳3か月を抜く球団最年長勝利となった。6月25日の巨人戦に先発し、セ・リーグ記録となる295試合連続先発登板を記録。11月1日、雄平の引退試合となったシーズン最終戦で6回表に雄平が右翼手の守備に就いたと同時に3番手として中継ぎ登板し、セ・リーグ記録であった連続試合先発出場記録が306で途切れた(プロ野球記録311まであと5に迫っていた)。最終的には4勝5敗、防御率3.07の成績を記録した。オリックス・バファローズとの日本シリーズ第4戦(東京ドーム)に先発すると、6回3安打1失点に抑え、日本シリーズでは自身初の勝利投手となる。この勝利によって、1950年の若林忠志以来2人目となる40代での勝利投手で、シリーズ史上2番目、セ・リーグでは最年長記録となった。オフに現状維持となる推定年俸9000万円で契約を更改した。

2022年、4月23日の対阪神戦で勝利を挙げ、デビューから21年連続勝利を記録。史上3人目の快挙を果たす。12月5日には現状維持の9000万円で契約を更改し、22年目、43歳のシーズンに挑むことになった。

2023年、5月10日の阪神タイガース戦で勝利投手となり、デビューから22年連続勝利を記録。大卒としては21年に新記録を達成済みで、自身の記録をさらに伸ばした。5月23日の阪神タイガース戦でレフトへの安打を放ち、22年連続ヒットを記録した。プロ1年目の02年から続く記録であり、「投手としてプロ1年目から」としては最長記録である。

選手としての特徴

スリークォーターからスライダー、シンカー、カットボール、シュート、稀にカーブやチェンジアップなど、多彩な変化球で打たせて取る投球が持ち味であり、球界を代表する技巧派投手の一人と称される。基本的に速球は平均球速約135km/h、最速140km/hと遅いため、変化球のキレとコマンド力で補っている。ストライクを取る能力に非常に長けていて四球が少なく、通算与四球率1.78を記録している。これは1000投球回以上の現役選手の中では2位の記録である(2023年時点)。

2008年の日本シリーズでの岸孝之の活躍に刺激を受け、オフに90km/h前後のスローカーブを習得。「カツオカーブ」と名付ける。カツオカーブの名は本人のあだ名(エピソード参照)と、鰹の泳ぐ速さがおよそ時速80kmであることからきている。

人物・エピソード

  • 公称167cmと、プロ野球の投手としては非常に小柄な体格から、「小さな巨人」「小さな大投手」といったキャッチフレーズが用いられている。
  • 打撃も比較的得意であり、2003年には1試合複数安打を3度記録、2007年までに1試合3打点も2度達成している。打撃練習が好きで、プロで本塁打を打つことを目標のひとつにしている。
  • 脚力があり、2006年10月13日には選手兼任監督だった古田敦也の代走として途中出場したことがある。
  • 2005年オフに川島亮・米野智人・青木宣親と自主トレをした際に、サザエさんの登場人物である「磯野カツオ」に風貌が似ていることから、青木に「カツオ」とニックネームを付けられた。本人も気に入っているようで、石川の着るアンダーシャツの首の部分には鰹をデザインしたマークが入っている。2009年から球団でも「カツオボーイフィギュア」を発売するなど、カツオキャラクターを使ったファンサービスを行っている。ヤクルトの球団マスコットのつば九郎からは「かつおくん」と呼ばれている。また、2019年8月13日のDeNA戦(神宮)では、球団設立とアニメ放映開始がそれぞれ50周年を迎えたヤクルト球団とアニメ「サザエさん」によるコラボイベントが実施されたが、始球式での磯野サザエの投球に対して石川が打席に立つこととなり、磯野一家との共演となった。
  • 2005年5月9日のソフトバンク戦でトニー・バティスタに死球を当て、走りながら向かってくるそぶりを見せたバティスタから逃げ出したことがある。しかし、バティスタ本人は走って行く動きだけで乱闘はせず、そのまま一塁まで走っていった(表情や仕草からジョークと思われる)。これには石川本人も苦笑いを見せ、ソフトバンクベンチからも笑いが起こった。さらに動揺しているところを次の打者の松中信彦に2点本塁打を打たれた。この様子はプロ野球珍プレーなどでたびたび紹介されている。
  • 牛乳が大の苦手。バラエティ番組で寝起きドッキリを受けた際、牛乳を無理矢理飲まされて表情を強張らせたことがある。
  • 同じ左腕である山本昌のような息の長い投手を目指しており、山本と石川自身の年度別成績表を自身のロッカーに貼っている。山本とはかつてオフに自主トレを共に行っていた。
  • ロジンバッグに触れた後、手についたロジンを息で拭き落とすという動作を投球前に頻繁に行う。
  • 2010年より地元秋田市で活動するプロバスケットボール球団、秋田ノーザンハピネッツに対して継続支援している。

詳細情報

年度別投手成績

  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

通算打撃成績

  • 2021年度シーズン終了時

タイトル

  • 最優秀防御率:1回(2008年)

表彰

  • 新人王(2002年)
  • ゴールデングラブ賞:1回(投手部門:2008年)
  • 月間MVP:3回(投手部門:2008年3・4月、2010年7月、2015年9月)
  • 最優秀バッテリー賞:1回(2015年 捕手:中村悠平)
  • スピードアップ賞:1回(2002年)
  • 優秀JCB・MEP賞:1回(2003年)
  • 日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2002年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2009年)
  • 燕市年間ヒーロー賞:1回(2016年)

記録

初記録
投手記録
  • 初登板・初先発・初勝利:2002年4月4日、対広島東洋カープ3回戦(明治神宮野球場)、6回2/3を無失点
  • 初奪三振:同上、1回表に前田智徳から空振り三振
  • 初完投勝利:2002年9月8日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、9回1失点
  • 初完封勝利:2007年9月13日、対読売ジャイアンツ23回戦(明治神宮野球場)
  • 初ホールド:2008年10月12日、対横浜ベイスターズ24回戦(明治神宮野球場)、7回表一死に4番手で救援登板、1/3回無失点
打撃記録
  • 初安打:2002年5月6日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、3回表に安藤優也から右前安打
  • 初打点:2002年9月8日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、4回裏に野口茂樹から遊撃適時内野安打
節目の記録
  • 1000投球回:2008年5月29日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(明治神宮野球場)、1回表一死目に高口隆行を投犠打で達成 ※史上311人目
  • 1500投球回:2010年9月28日、対横浜ベイスターズ23回戦(横浜スタジアム)、1回裏一死目に石川雄洋を見逃し三振で達成 ※史上163人目
  • 100勝:2011年5月14日、対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)、8回2/3を6安打無四球無失点 ※史上128人目
  • 1000奪三振:2012年8月21日、対読売ジャイアンツ15回戦(明治神宮野球場)、5回表に谷佳知から空振り三振 ※史上132人目
  • 2000投球回:2013年9月24日、対読売ジャイアンツ18回戦(明治神宮野球場)、9回完投で達成 ※史上86人目
  • 150勝:2016年8月27日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、8回2/3を6安打2失点 ※史上48人目
  • 2500投球回:2017年6月13日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦1回戦(明治神宮野球場)、5回を7安打6失点 ※史上46人目
  • 1500奪三振:2018年8月5日、対阪神タイガース13回戦(京セラドーム大阪)、3回表に小野泰己から空振り三振 ※史上55人目
  • 500試合登板:2021年9月3日、対広島東洋カープ22回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、先発投手として登板、5回0/3を1失点 ※史上103人目
  • 3000投球回:2022年6月30日、対広島東洋カープ12回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回表一死目に堂林翔太を三ゴロ ※史上28人目
  • 500先発登板:2022年8月23日、対広島東洋カープ19回戦(明治神宮野球場)※史上7人目、大卒では史上初
その他の記録
  • 23年連続勝利:2002年 - 2024年 ※史上4人目
  • 1年目から23年連続勝利:同上 ※史上最長タイ、大卒初
  • 大卒選手の実働23年:2002年 - 2024年 ※史上初
  • 大卒選手の新人から23年連続一軍出場:同上 ※史上初
  • 先発登板124試合連続無完投:2015年5月2日 - 2021年4月16日 ※日本記録
  • 306試合連続先発登板:2009年4月3日 - 2021年10月23日 ※セ・リーグ記録
  • 40代で日本シリーズ登板:2021年第4戦 ※史上7人目
  • 40代で日本シリーズ勝利投手:同上 ※71年ぶり2人目、セ・リーグの投手では史上初、史上2番目の年長記録(41歳10か月)
  • 40代における日本シリーズ最多奪三振:5奪三振(同上)
  • 投手による22シーズン連続安打:2002年 - 2023年 ※NPB歴代2位
  • 1年目から投手による22シーズン連続安打:同上 ※史上最長
  • 開幕投手:9回(2005年、2006年、2008年 - 2012年、2017年、2020年)※40代で記録したのは史上5人目
  • オールスターゲーム出場:2回(2006年、2008年)

背番号

  • 19(2002年 - )

関連情報

著書

  • 『頭で投げる。』(ベースボール・マガジン社:2011年5月)
  • 『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社:2016年5月)
Collection James Bond 007

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 秋田県出身の人物一覧
  • 青山学院大学の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 石川雅規 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
  • 選手名鑑 - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  • 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 石川雅規 by Wikipedia (Historical)


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