カステルフランコ・ヴェーネト(伊: Castelfranco Veneto)は、イタリア共和国ヴェネト州トレヴィーゾ県の都市であり、その周辺地域を含む人口約33,100人の基礎自治体(コムーネ)。県都トレヴィーゾ、コネリアーノに次ぎ、県内第3位のコムーネ人口を有する。
中世にトレヴィーゾ市が築いた城砦を起源とし、旧市街は当時の重厚な城壁と塔に囲まれている。画家ジョルジョーネの出身地であり、また3本の鉄道幹線が集まる交通の要衝である。
トレヴィーゾ県南西部に位置するコムーネ。県都トレヴィーゾから西へ約24km、パドヴァから北へ約30km、ヴィチェンツァから東北東へ約34km、州都ヴェネツィアから北西へ約40kmの距離にある。
隣接するコムーネは以下の通り。PDはパドヴァ県所属。
気候分類では、zona E, 2429 GGに分類される。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される。
1195年、トレヴィーゾ市が抗争関係にあったパドヴァに対して築いた城砦が、この都市の起源である。1246年にはエッツェリーノ3世・ダ・ロマーノ (Ezzelino III da Romano) によって占領されたが、彼の死後の1259年にトレヴィーゾ市に返還されている。1329年にはヴェローナの支配者であったカングランデ1世・デッラ・スカラ (Cangrande I della Scala) がこの都市を獲得した。
1339年、この都市はトレヴィーゾとともにヴェネツィア共和国に編入され、以後1797年までその統治下にあった。
カステルフランコ・ヴェーネトには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
この都市の最も古い区画は、中世の城壁と塔に囲まれている。この区画は1211年にトレヴィーゾ市の人々によって築かれた(チッタデッラ参照)。
この都市は、ルネサンス期の画家ジョルジョーネ生誕の地である。1723年に完成したサン・リベラーレ大聖堂(カテドラル)には、ジョルジョーネの傑作とされる作品の一つ『玉座の聖母子と聖リベラーレ、聖フランチェスコ』(1504年頃)がある。一般に『カステルフランコ祭壇画』(Pala del Giorgione) や『カステルフランコの聖母』といった名で呼ばれるこの祭壇画の背景には、この都市の旧市街の塔が描かれている。
カテドラルはフランチェスコ・マリア・プレーティ (Francesco Maria Preti) によって設計されたロマネスク様式の建物である。このカテドラルには、他にパオロ・ヴェロネーゼのフレスコ画の断片7つがある。
1877年に開業したカステルフランコ・ヴェーネト駅 (Castelfranco Veneto railway station) は、3本の鉄道路線の集まるジャンクションである。トレント=ヴェネツィア線 (it:Ferrovia Trento-Venezia) 、モンテベッルーナ=カンポサンピエロ線 (it:Ferrovia Montebelluna-Camposampiero) (カラルツォ=パドヴァ線 (Calalzo–Padua railway) )、ヴィチェンツァ=トレヴィーゾ線 (it:Ferrovia Vicenza-Treviso) が交わるこの駅は、州内で最も乗降客の多い駅の一つである。
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