富山県立富山工業高等学校(とやまけんりつ とやまこうぎょうこうとうがっこう、英: Toyama Prefectural Toyama Technical High School)は、富山県富山市五福にある公立の工業高等学校。通称は「富工(とみこう)」。
設置学科
全日制
- 機械系の製図・工作・設計などの基礎的な知識と技術を学ぶ。実習中心でものづくりの基本についても学ぶ。
- 機械系の製図・工作・設計などの基礎的な知識と技術を学ぶ。また情報系のプログラミング・ソフトウェア・ハードウェアなどの基礎的な知識についても学ぶ。
- 材料の性質や加工・製造・用途などについての知識と技術を学ぶ。
- 電気基礎・電力技術・電子技術などの基礎的な知識と技術を学ぶ。
- 建築系の製図・設計・構造などの基礎的な知識と技術を学ぶ。2年次には、建築コースとインテリアコースに分かれて学習する。
測量や土木などの基礎的な知識と技術を学ぶ。
定時制
- 機械科(4年制、約40名)
- 電気科(4年制、約40名)
- 生産機械科(3年制、約40名)※1年次に昼は富山県技術専門学院で学び、夜は本校定時制で学ぶことにより3年間で卒業することができ、学習内容は機械科とほぼ同じである。
沿革
- 1948年(昭和23年)- 富山県立富山工業高等学校・富山市立富山工業高等学校・富山県立婦負高等学校・富山県立西部女子高等学校の4校を統合して富山県立富山西部高等学校となる。全日制に機械、電気、工業化学、土木、建築、木材工芸、金属工業、普通、農業、蚕業の諸学科を置く。
- 1950年(昭和25年)- 普通科を富山県立富山中部高等学校に、富山県立富山北部高等学校の薬業科を本校へ移す。
- 1951年(昭和26年)- 富山県立富山工業高等学校と改称。定時制に電気科新設、農業、園芸科を富山県立婦負農業高等学校(現・富山県立富山西高等学校)に分離。
- 1954年(昭和29年)10月21日 - 1947年(昭和22年)から8年がかりで建設されてきた校舎の落成式。
- 1963年(昭和38年)- 木材工芸科を工芸科と改称。薬業科生徒募集停止。
- 1964年(昭和39年)- 設計計測科新設。
- 1965年(昭和40年)- 定時制に生産機械科新設。
- 1969年(昭和44年)- 土木科生徒募集停止。
- 2010年(平成22年)- 富山県立大沢野工業高等学校と統合。富山県立富山西高等学校の土木科を本校へ移す。情報技術科を電子機械工学科と改称したほか、全日制全学科が「○○工学科」となる。
部活動
全日制
2012年(平成24年)夏の第94回全国高等学校野球選手権大会に硬式野球部が春・夏通じて初の甲子園出場。
- 運動系 - 野球、ハンドボール、サッカー、バスケットボール、ボート、ラグビー、バドミントン、陸上、ソフトテニス、卓球、山岳、バレーボール(男・女)、柔道、ソフトボール、剣道、ボクシング
- 文化系 - 放送、ボランティア、新聞、茶道、吹奏楽、写真、軽音楽
- 工学系 - 機械工学、建築工学、電子機械工学、パソコン、自動車整備、金属工学、電気研究、土木工学
定時制
- 運動系 - バドミントン、陸上、卓球
- 工学系 - 工学研究
資格
以下の検定または試験は、在学中に全員受験または受験可能である。学科によって受験する検定は異なる。
- 計算技術検定1~3級
- 情報技術検定1~3級
- 基礎製図検定
- 機械製図検定
- 初級CAD検定
- 危険物取扱者
- 第一種電気工事士
- 第二種電気工事士
- ボイラー技士2級(3日間の講習を受けてから)
- 2級建築施工管理技術検定(学科試験のみ受験)
- 情報処理技術者試験
進路
就職先
進学先
著名な出身者
- 梅津栄(俳優)
- 剣幸(元宝塚歌劇団月組男役トップスター・女優)
- 金山明博(アニメーター)
- 藤沢裕一(漫才コンビ「雷鳥」の弟)
- 三木康一郎(映画監督)
- 宮越孝治(競輪選手)
- 宮越大(競輪選手)
- 山田直稔(浪速商事株式会社会長・オリンピックおじさん)
- 岡島俊樹(元サッカー選手)
- 佐々木駿(ラグビー選手)
- 飴谷由毅(バスケットボール選手)
校歌
作詞:藤村作、作曲:福井直秋
アクセス
- 富山地方鉄道富山軌道線富山モビルディー富山Gスクエア五福前(五福末広町)及び富山大学前電停より徒歩5分
その他
- 2018年(平成30年)、頭髪に関する規則に違反した生徒68人が、教諭5人に髪を切られる体罰を受けていたことが公表されている。
脚注
関連項目
- 富山県高等学校一覧
- 日本の工業高等学校一覧
- 実業学校
外部リンク
- 富山県立富山工業高等学校 全日制
- 富山県立富山工業高等学校 定時制
- 富山工業高等学校 同窓会
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