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坂井英光


坂井英光


坂井 英光(さかい ひでみつ、1975年4月11日 - )は地方競馬・東京都騎手会(2018年5月21日 - 2019年11月30日)に所属していた元騎手で現在は大井競馬場に所属の調教師である。父は元名古屋競馬場の厩務員で、実弟に坂井薫人元騎手(現在大井競馬厩務員)。息子はJRA所属の騎手坂井瑠星。全日本騎手連盟会長、東京都騎手会会長をつとめた。

いわゆる「栗田一門」門下であり、引退した市村誠(現調教師)・赤嶺亮(現調教師)・早見多加志・脇本一幸が同門に当たる。

来歴

大井・物井榮厩舎所属としてデビュー。初騎乗は1995年4月11日で、翌1996年には全日本新人王争覇戦に出場したりもしたが、しばらく成績は伸び悩み、2000年には27勝をマークしたが翌2001年には14勝と大きく後退するなど一進一退の状況が続いた。しかし2003年の後半ごろから徐々に上昇のきっかけを掴むと、翌2004年から一気にブレイク。62勝で南関東13位までジャンプアップした。

2005年は83勝で南関東10位、そして2006年には自身初となる年間100勝超え(103勝)を果たし、南関東7位にランクイン。大井競馬での成績に限れば2005年・2006年ともに3位であり、内田博幸・的場文男のスタージョッキーに続く位置まで上り詰めた。

2006年1月7日、中山競馬場第1競走で中央競馬初騎乗(16頭立て8着)。同日の第9競走でアヤパン(16頭立て5番人気)に騎乗し、5戦目で中央初勝利を挙げた。

成績が伸び始めてもなぜか重賞には縁がないままであったが、2007年1月17日のニューイヤーカップ (浦和競馬場) でレッドドラゴン号を優勝に導き、悲願の重賞初制覇を遂げた。

2007年4月22日、東京競馬場フローラステークス (GII) で中央重賞初騎乗(14番人気10着)。その後、同年の七夕賞、関屋記念、2008年の日経賞、2009年の青葉賞、2010年の共同通信杯、カペラステークスに騎乗しているが中央重賞は未勝利である。

2010年1月3日川崎競馬第10競走宝船特別で、ムーンライトクロスに騎乗して勝利、地方競馬通算1000勝を達成した。

2011年1月23日午前7時ごろ、大井競馬場で調教中に馬が転倒し落馬。頭蓋底骨折、両肺挫傷、第8胸椎圧迫骨折で全治3か月と診断された。

2018年5月21日付で栗田裕光厩舎から東京都騎手会(中央競馬のフリー騎手に相当)所属に変更となった。2018年11月12日大井競馬第11競走深秋賞をノアブリジットで勝利し、地方競馬通算2000勝を達成。

2019年11月14日、新規調教師免許試験に合格し、これに伴い翌15日の騎乗をもって騎手を引退し、調教師へと転身する予定であると報じられた。同月15日に大井競馬第8競走品川かえで賞で、スターリットに騎乗し地方競馬通算2028勝目を挙げ、有終の美を飾った。同年12月1日付で調教師免許を取得。翌2日に大井競馬場で引退式が行われる。

2021年4月1日、大井競馬小林牧場分厩舎にて開業する。

主な騎乗馬

  • レッドドラゴン(ニューイヤーカップ)
  • トキノミスオース(ロジータ記念)
  • コウエイノホシ(大井記念)
  • ブルーホーク(サンタアニタトロフィー) ※今までで一番思い出に残っているレースとして挙げている。
  • ナンテカ(鎌倉記念)
  • バックアタック(ユングフラウ賞)
  • イーグルショウ(川崎マイラーズ)
  • ヒロアンジェロ(トゥインクルレディー賞)
  • オリークック(ローレル賞)
  • ピサノエミレーツ(せきれい賞)
  • ジーエスライカー(船橋記念、アフター5スター賞)
  • フジノウェーブ(東京スプリング盃)
  • ジョーメテオ(ゴールドカップ、アフター5スター賞)
  • キャプテンキング(ゴールドカップ、フジノウェーブ記念、ブリリアントカップ、川崎マイラーズ)

主な管理馬

太字はダートグレード競走

  • シュアゲイト(2023年 サンタアニタトロフィー)
  • サヨノネイチヤ(2023年 勝島王冠・2024年ブリリアントカップ)
  • デュードヴァン(2024年 川崎マイラーズ)
  • ジャスティン(2024年 東京スプリント

出典:

出典

外部リンク

  • 坂井英光オフィシャルブログ「英光の架橋」
  • 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト
  • 調教師登録情報 - 地方競馬情報サイト

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 坂井英光 by Wikipedia (Historical)



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