真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)は、日本における真言系仏教宗派のひとつで、古義真言宗に属する。総本山は仁和寺。
真言宗御室派の歴史は仁和寺の開創に始まる。真言宗の事相の流派「広沢流」の本拠として発展し、仁和寺門跡に2世性信入道親王(大御室)が就任されて以降、江戸時代末期まで門跡には法親王(皇族)を迎えた。1167年(仁安2年)5世覚性入道親王(紫金台寺御室)が綱所の印璽を下賜され、日本総法務に任ぜられると諸宗格山を支配し、日本仏教界に君臨した。塔頭寺院・子院が60余を数えた時期もあった。なお紋所は、桜に引両である。
中世に入ると、応仁の乱の戦火で、仁和寺が全焼したことが原因で衰退した。戦国期以降は足利氏・織田氏・豊臣氏が復興に努めたが、本格的な再興には至らなかった。
江戸時代に入り、江戸幕府による資金援助があり、現在地に堂塔の再建がなり、再興を果たした。
明治政府の宗教政策により、他の真言宗宗派と1879年(明治12年)に合同する。勅命により、30世純仁法親王(楞厳定院御室)が還俗し改称した小松宮彰仁親王が、1883年(明治16年)に仁和会を組織し、仁和寺の復興に尽力。31世以降は門跡に皇族を迎えることは無くなった。
1900年(明治33年)9月、仁和寺を本山とする真言宗御室派として独立する。
1926年(大正15年)には(真言宗高野派(総本山金剛峯寺)・真言宗大覚寺派(大本山大覚寺))と合同して金剛峯寺を総本山とする古義真言宗を組織する。
1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって合同し、大真言宗が成立する。が、戦後独立し、1946年(昭和21年)、再び真言宗御室派として発足した。
古義真言宗の教義に準じる。
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