豊島(としま)は、東京都北区の町名。現行行政地名は豊島一丁目から豊島八丁目。住居表示実施済区域。
東京都北区の俗にいう「天狗の鼻」の部分に当たる。王子・神谷・堀船、足立区新田・宮城と隣接する。町内には荒川、隅田川が流れる。
豊島五丁目には昭和47年頃から現在の都市再生機構によりおよそ5,000戸の豊島五丁目団地が建設され、現在も当時の建物が残る。
豊島四丁目には工場や物流施設が並んでいる。2003年には日本油脂王子工場跡地を都市再生機構が取得したがダイオキシン類の土壌汚染が確認され、跡地開発は一時中断。裁判ののち2014年4月には和解が成立した。その後2017年に商業施設と共同住宅が建設された。
住宅地の地価は、2023年(令和5年)7月1日の公示地価によれば、豊島4-7-4の地点で40万8000円/m2となっている。
武蔵国豊島郡の中心部であった地であり、平安時代頃より当時この地を治めていた豊島氏の発祥の地とされている。現在の豊島七丁目の清光寺には豊島氏の武将の一人である豊島清元の墓がある。
1871年(明治4年)11月14日に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1889年(明治22年)の町村制施行時点では北豊島郡王子村大字豊島であった。大字の時代の小字には、砂田(すなだ)、勢至前(せしまえ)、西(にし)、馬場(ばんば)、中豊島(なかとしま)、須賀(すか)、宮ノ前(みやのまえ)、原(はら)、下道(しもみち)、領家(りょうけ)、築地(つきじ、築紫とも)、飛地(とびち)があった。1908年(明治41年)8月8日、王子村は町制施行し王子町になる。大字豊島字築地には「王子三業地」と呼ばれる三業地があり、「築地通り」近辺には映画館(築地館)もあり栄えたが、これが現在の築地商店街である。
王子町は1932年(昭和7年)10月1日、東京市へ編入され王子区へ移行し、大字豊島は豊島町となる。1939年(昭和14年)に豊島町全域に堀船一丁目の一部を加えて豊島一~八丁目となった。1943年(昭和18年)7月1日、東京都王子区豊島となる。1945年(昭和20年)2月19日、空襲により、豊島地区は壊滅する。
第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)3月15日、王子区は滝野川区と合併し北区が成立する。
1950年(昭和25年)、駅近隣の路地に特殊飲食街(いわゆる青線)が立ち始める。東京都建築局から無届建築として中止命令をかけられたが、命令は無視されて少なくとも5軒が完成、営業を始めた。地域では「特飲街建設反対期成同盟」を結成、反対運動を続け数年で撤退に追い込んだ。
1966年(昭和41年)に住居表示により豊島一〜八丁目全域と王子二・三丁目の一部を合わせて現在の豊島一~八丁目になって現在に至る。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年10月時点)。
町内に鉄道は走っていないが、徒歩圏内に王子駅(京浜東北線、東京メトロ南北線、都電荒川線)、王子神谷駅(東京メトロ南北線)が存在する。
かつては、国鉄須賀線の(貨)須賀駅があったが、1971年(昭和46年)に路線とともに廃止された。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
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