細川 俊夫(ほそかわ としお、本名:細川 常憲〈ほそかわ つねのり〉、1916年9月6日 - 1985年8月8日)は、日本の俳優・競歩選手。東京市赤坂区(現東京都港区)出身。父は床次竹二郎の懐刀と言われた政治家の細川政夫。
四男一女の次男。暁星小・中学校に学び、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。卒業前に松竹大船撮影所を見学に行った際、端正な容姿から俳優になることを勧められ、大学卒業後の1939年4月に松竹へ入社。同年の映画『あこがれ』で俳優デビュー。1940年に出征、歩兵第一聯隊に入隊(後に九八一部隊と改称)、満州・孫呉県に派遣され陸軍少尉として勤務。1943年に除隊し松竹に復帰して俳優業を再開する。
佐分利信監督の『叛乱』への出演を契機に1954年より新東宝に移籍して活躍し、『ソ連脱出 女軍医と偽狂人』で主演する。新東宝の経営が傾くとフリーランスに移行し、主に脇役として数多くの映画、テレビドラマに出演する。時代劇では上品で端整な容貌から、藩主役が多かった。
大学時代にマラソンを始め、軍隊でも続けていたが、戦後に競歩に転向。1953年・1954年と日本陸上競技選手権大会の男子50km競歩で2年連続優勝したという記録を持つなど競歩選手としても知られ、1964年に開催された東京オリンピックでは、競歩の日本代表コーチを務めた。また、へら鮒釣りでも有名で、TBSラジオで『万歳!釣り仲間』という番組を持っていたほか、テレビの釣り番組にも出演している。
囲碁仲間でもあった丹波哲郎は細川について、細川義季を祖とする細川氏本家の直系であり、言葉使いも丁寧で、柔和なヤサ男にみえる外見だが、それとは裏腹に、ロケ先で絡んできた地元のチンピラをあっという間にのしてしまうほど喧嘩に強く、短気で、家では亭主関白を通り越した「亭主天皇」だったと述懐している。
1985年7月始めに松竹の「俺ら東京さ行ぐだ」の青森ロケから帰った後、体調不良を訴え、7月17日に東京医科歯科大学医学部附属病院で検診結果、急性白血病と判明し入院、療養生活を送るも、8月8日午後1時38分帰らぬ人となった。68歳没。
1943年に結婚、二男二女がある。俳優の藤木悠は、義弟にあたる。細川の夫人の姉の椿澄枝は戦前に東宝の女優だった。ジャズシンガーの細川綾子は姪にあたる。
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