アラン・メンケン(Alan Menken、1949年7月22日 - )は、アメリカ合衆国のミュージカル音楽および映画音楽の作曲家、ピアニスト。舞台音楽とディズニー映画の映画音楽で特に知られる。
『リトル・マーメイド』(1989年)、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ポカホンタス』(1995年)でそれぞれアカデミー賞2部門を受賞している。ほかに『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1986年)、『ニュージーズ』(1992年)、『ノートルダムの鐘』(1996年)、『ヘラクレス』(1997年)、『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)、『魔法にかけられて』(2007年)、『塔の上のラプンツェル』(2010年)、『ソーセージ・パーティー』(2016年)などの作曲もしている。また ブロードウェイなどのミュージカルでの作曲でも知られている。 ディズニー映画の舞台化も多いが、ほかに『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ (ミュージカル)』(1982年)、『クリスマス・キャロル (ミュージカル)』(1994年)、『シスター・アクト〜天使にラブ・ソングを〜』(2009年)などの舞台作品の作曲も行なっている。
ハワード・アッシュマン、ティム・ライス、グレン・スレイター、スティーブン・シュワルツ、デイヴィッド・ジペルなどの作詞家とコラボレートしている。アカデミー作曲賞、アカデミー歌曲賞各4回、計8回アカデミー賞を受賞しており、音楽関連の部門でアルフレッド・ニューマンの9回に続く2番目の受賞回数となっている。またグラミー賞11回のほか、トニー賞など様々な賞を受賞している。
1949年7月22日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークにあるフレンチ・ホスピタルで生まれた。父親ノーマンは歯科医師およびブギウギのピアノ奏者で、母ジュディスは女優、ダンサー、脚本家であった。メンケンの家系はユダヤ系ベラルーシ人移民であった。少年時代から音楽に興味を深め、クラシック音楽を学びピアノおよびバイオリンを習い、幼い頃に作曲を始めた。9歳でNew York Federation of Music Clubs Junior Composers Contestに出場し、自身の作曲の『"Bouree"』は審査員たちから称賛された。
ニューヨーク州ニューロシェルにあるニューロシェル高等学校に進学し、1967年に卒業した。在学中、ピアノの練習に飽きており、バッハやベートーベンの曲を自分流にアレンジして弾いていた。
1967年9月、ニューヨーク大学の医学部に進学したが、その後、文化人類学専攻、哲学専攻、音楽学専攻へと移り、最終的に音楽学(“Musicology “)で学位を取得した。
1971年、ニューヨーク大学スタインハート・スクールから卒業した。当初、父のように歯科医になるべく医学部進学を目指し、音楽学には興味はなかったが、最終的には音楽学部で卒業した。リーマン・エンジェルによるBMIのワークショップに参加した際、ほかの作曲家たちと出会い音楽学部進学を決めたのである。大学進学前、第二のボブ・ディランを目指し、それまでピアノで作曲していたがギターで作曲をしていた。大学を卒業後、BMIリーマン・エンジェル・ミュージカル・シアター・ワークショップに参加した。
卒業後、ロック・スターかアーティストを目指した。しかしBMIミュージカル・シアター・ワークショップに参加し、リーマン・イーグルを師と仰ぐとミュージカルでの作曲への興味が増した。1974年から1978年、BMIワークショップで『Midnight』、『Apartment House』(ミュリエル・ロビンソン作詞)、『Conversations with Pierre』、『Harry the Rat』、『Messiah on Mott Street』(デイヴィッド・ジペル作詞)などを披露した。この間、バレエおよびモダン・ダンス伴奏者、クラブでの音楽担当、ジングル作曲、編曲、『セサミストリート』での作曲、ヴォーカル・コーチなど様々な職を経験し、ザ・ボールルーム、レノ・スウィーニー、トランプスなどのクラブで自身の作品を演奏していた。1976年、『ニューヨーク・タイムズ』紙のジョン・ウィルソンはエンジェルのBMIワークショップのメンバーたちは『ブロードウェイ・アット・ザ・ボールルーム』シリーズの一部を上演し始めたと報じた。1977年、ウィルソンはザ・ボールルームでのメンケンの伴奏について、単なる伴奏ではなく声でも参加していたと記した。
メンケンは『New York's Back in Town』、『Big Apple Country』、『The Present Tense』(1977年)、『Real Life Funnies』(オフ・ブロードウェイ、1981年)、『Diamonds』(オフ・ブロードウェイ、1984年)、『Personals』(オフ・オフ・ブロードウェイ、1985年)などのレヴューに作品を提供していた。1979年、ニューヨークにあるウエスト・バンク・カフェにてチップ・ジエンが出演するメンケンのレヴュー『Patch, Patch, Patch』が上演された。
スティーヴ・ブラウン作詞の『Atina, Evil Queen of the Galaxy』など上演されなかった作品の作曲も行なっている。1980年、ディヴァインから依頼され、ブラウン作詞『The Thorn』の作曲も行なった。これは映画『ローズ』のパロディだが、上演後も利益を上げることはできなかった。未完成のミュージカル『Babe』(1981年頃)でハワード・アシュマンとコラボレートし、トム・アインと『Kicks: The Showgirl Musical』(1984年)、デイヴィッド・ロジャースと『夏の夜の夢』を基にした『The Dream in Royal Street』(1981年頃)でコラボレートした。ロバート・J・シーゲル監督の映画『The Line』(1980年)で音楽を担当した。
1979年、カート・ヴォネガットの長編小説『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』のミュージカル化『Kurt Vonnegut's God Bless You, Mr. Rosewater』において脚本家ハワード・アシュマンはメンケンとエンジェルを作曲家として指名し、WPAシアターで上演され高評価を得て、興行的にはまずまずの成績でようやく成功を収めた。数ヶ月後、オフ・ブロードウェイのエンターメディア・シアターに進出し、さらに6週間上演された。
1982年、メンケンとアシュマンは1人の人形遣いを含む演者9名で上演するミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ (ミュージカル)』の作詞作曲を行なった。1960年公開の同名のブラック・コメディ映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を基にしたミュージカル作品であった。1982年、WPAシアターで開幕して脚光を浴びた。マンハッタンのイースト・ヴィレッジにあるオルフェウム・シアターに移行し、5年間上演され続けた。当時、オフ・ブロードウェイで最高興行収入を記録した。世界中でツアー公演を行ない、数々の賞を受賞し、1986年にはリック・モラニス主演で『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』としてミュージカル映画化され、メンケンとアシュマンは主題歌『Mean Green Mother From Outer Space』で初めてアカデミー賞にノミネートとされた。1983年、功績を称えられBMI特別功労賞を受賞した。
1987年、モルデカイ・リッチラーの小説『ダディー・クラヴィッツの徒弟時代』(1959年)のミュージカル化『ダディー・クラヴィッツの徒弟時代 (ミュージカル)』で作詞家デイヴィッド・スペンサーと共に作曲し、フィラデルフィアで上演された。2015年、度重なる改訂後にモントリオールで上演された。1992年、メンケン作曲、スペンサー作詞による『Weird Romance』がWPAシアターで上演された。1994年、チャールズ・ディケンズの短編小説『クリスマス・キャロル』を基にしたマイケル・オクランの脚本により、リン・アーレンと共に作曲したミュージカル『クリスマス・キャロル (ミュージカル)』がマディソン・スクエア・ガーデンのパラマウント・シアターで上演された。好評を博し、以降ニューヨークでは毎年ホリデー・シーズンに上演されている。
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の成功により、メンケンとアシュマンはウォルト・ディズニー・スタジオ制作の映画『リトル・マーメイド』(1989年)の音楽を手がけることとなった。アンデルセンの童話のミュージカル・アニメ映画化であり、ディズニー映画『白雪姫』(1937年)や『シンデレラ』(1950年)と同等に扱われることが予想されたため、2人にとって大きな挑戦であった。『リトル・マーメイド』は批評的にも商業的にも成功し、新しいディズニー時代の幕開けとしてメンケンは「ディズニー・ルネサンス」の立役者のひとりとなった。本作の楽曲、主題歌『アンダー・ザ・シー』はアカデミー歌曲賞に選出され、メンケンとアシュマンにとって初のアカデミー賞受賞となった。またメンケンはアカデミー作曲賞も受賞した。
メンケンとアシュマンは映画『美女と野獣』(1991年)でアカデミー歌曲賞に3曲がノミネートされ、タイトル曲『ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣』で受賞した。メンケンはアカデミー作曲賞も受賞した。1991年にアシュマンが亡くなった当時、2人は映画『アラジン』(1992年)の作曲中であった。ティム・ライスがアシュマンの後継となり、音楽を完成させた。1992年、楽曲『ホール・ニュー・ワールド』でアカデミー歌曲賞を受賞した。1992年公開の実写映画『ニュージーズ』で作詞家ジャック・フェルドマンと共に作曲し、アカデミー作品賞を受賞した。作詞家スティーブン・シュワルツと共にミュージカル・アニメ映画『ポカホンタス』(1995年)を作曲し、アカデミー歌曲賞およびアカデミー作曲賞を受賞した。1996年、2人はミュージカル・アニメ映画『ノートルダムの鐘』で作曲を行なった。1997年、ジペルと再度組んでミュージカル・アニメ映画『ヘラクレス』の作曲を行なった。
1993年のマイケル・J・フォックス主演の映画『ライフ with マイキー』、2004年のホリデー映画『NOEL ノエル』、2012年の映画『白雪姫と鏡の女王』の音楽の作曲を行なった。ディズニーではほかに『ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)、『ボクはむく犬』(1959年)のティム・アレンによるリメイク映画『シャギー・ドッグ』(2006年)、『魔法にかけられて』(2007年)、『塔の上のラプンツェル』(2010年)の音楽を作曲した。2017年3月、ディズニーは実写映画『美女と野獣』を制作し、1991年版の音楽に加え、メンケンとライスが新曲を作曲した。2017年、パセク&ポールと共に実写映画『アラジン』の作曲を、リン=マニュエル・ミランダと共に実写映画『リトル・マーメイド』の作曲を開始した。また、シュワルツと共に『魔法にかけられて』の続編『Disenchanted』の作曲を行なうこととなった。
アカデミー作曲賞4回、アカデミー歌曲賞4回の計4回アカデミー賞を受賞しており、アルフレッド・ニューマンの9回に続く2番目に最多受賞の作曲者となっている。全体で見てもウォルト・ディズニーの22回、ニューマンに続き、衣裳デザインのイーディス・ヘッドと共に3番目である。存命人物としては最多受賞となっている。2001年、ディズニー・レジェンドを受賞した。
1994年、ミュージカル『美女と野獣』でブロードウェイ・デビューし、2007年に閉幕するまで13年間上演された。1997年、作詞家ティム・ライスと共に聖書に登場するダビデを主題とするミュージカル『ダビデ王』の作曲を行ない、ブロードウェイにあるニュー・アムステルダム・シアターにてコンサート版が上演された。2003年から2004年、ブロードウェイにて『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ (ミュージカル)』が上演された。
2008年から2009年、メンケンが作曲した舞台版『リトル・マーメイド』がブロードウェイで上演され、トニー賞オリジナル楽曲賞にノミネートされた。2009年、メンケンが作曲した『シスター・アクト〜天使にラブ・ソングを〜』がロンドンで初演され、2011年、ブロードウェイで上演され、トニー賞作曲賞にノミネートされた。2010年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を埋め込まれた。2010年12月、NPRのクイズ番組『Wait Wait... Don't Tell Me!』にゲスト出演した。
2012年、ミュージカル『ニュージーズ』でトニー賞作曲賞を受賞し、2014年に閉幕した。2012年、ミュージカル『奇跡を呼ぶ男 (ミュージカル)』の作曲を行ない、ブロードウェイで短期間上演された。2014年、ミュージカル『アラジン』がブロードウェイで開幕し、トニー賞作曲賞にノミネートされた。2013年、ジョージア州アトランタで行なわれたジュニア・シアター・フェスティバルの授賞式にゲスト出演した。この時、制作秘話を交えながら未発表曲を含む演奏が行なわれた。
2014年、カリフォルニア州のラホヤ・プレイハウスにてミュージカル『ノートルダムの鐘 (ミュージカル)』が上演された。2015年、モントリオールにて『ダディー・クラヴィッツの徒弟時代 (ミュージカル)』改訂版が上演され、2016年、ペーパーミル・プレイハウスにて『ブロンクス物語』が上演された。
ダウンタウン・バレエ・カンパニーに勤務中、バレエ・ダンサーのジャニス・ロズウィックと出会った。1972年11月に結婚し、ニューヨーク州ノースセーラムに住んでいる。アナとノラの2人の娘がいる。
アカデミー賞8回、ゴールデングローブ賞7回、グラミー賞11回、トニー賞1回、ドラマ・デスク・アワード1回、外国批評家賞2回受賞している。さらに2002年にディズニー・レジェンド、1998年にリチャード・カーク特別功労賞、2013年にフレディ・G・ミュージカル功労賞、2013年にオスカー・ハマースタイン賞などを受賞している。アメリカン・フィルム・インスティチュートは1991年の映画『美女と野獣』のタイトル曲『ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣』をアメリカ映画主題歌ベスト100に選出した。 ディズニー映画でノミネートされたほかの5曲を以下に示す:
2006年、アメリカン・フィルム・インスティチュートはミュージカル映画ベストに唯一のミュージカル・アニメ映画として『美女と野獣』(1991年)を22位に選出した。メンケンの作品でノミネートされたほかの4作品を以下に示す:
太字のものは受賞作品。歌曲賞に映画タイトルを記述していないものは、同年の作曲賞と同じ映画。
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