相馬氏(そうまし)は、武家・華族だった日本の氏族のひとつ。平安時代末に千葉常胤の二男師常が下総国相馬郡を領して相馬を称したのに始まる。奥州合戦の軍功で陸奥国行方郡を与えられて1323年に重胤が同郡小高に移住。江戸時代には宇多郡中村に居を移して中村藩主家となり、明治維新後は華族の子爵家に列した。通字は「胤」(たね)。
歴史
封建時代
系譜上は桓武天皇の子孫桓武平氏の平将門と伝えられるが、直接の祖は千葉常胤の二男師常である。師常は下総国相馬郡を領して相馬を称した。
文治5年(1189年)の奥州合戦で戦功をあげ、源頼朝より陸奥国行方郡(福島県相馬郡)を与えられた。元亨3年(1323年)に相馬重胤が行方郡小高(南相馬市小高区)に移住して本拠とするようになり、奥州相馬氏の祖となった。これ以降一族の岡田氏や大悲山氏などと共に磐城地方(福島県東部)で勢力を拡大。南北朝争乱では北朝に属した。天文9年(1540年)以降は伊達氏と勢力を争って抗争を繰り返した。
義胤の代に豊臣秀吉に臣従して小高の本領を安堵される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に徳川家康の出陣要請に応じなかったため、戦後に改易されたが、慶長7年(1602年)に徳川家光誕生の慶事により義胤の息子利胤に本領が安堵された。慶長16年(1611年)に宇多郡中村城へ移り、以降江戸時代を通じて中村藩6万石の外様大名家として続いた。歴代藩主の官位は従五位下で長門守や讃岐守、因幡守などが多い。
最後の中村藩主誠胤は、幕末の戊辰戦争では、仙台藩の圧力で奥羽越列藩同盟に参加したが、ただちに官軍に降伏したため、処罰はなく本領を安堵された。
明治以降
明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると相馬家も大名家として華族に列した。最後の藩主の相馬誠胤は明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還により中村藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県まで藩知事を務めた。鎌倉時代から廃藩置県まで領地の場所が変わらなかった大名家は珍しかった。
明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事として誠胤が子爵に列せられた。
2代子爵孟胤は宮内省に勤務し、新宿御苑勤務や式部官、朝香宮御用掛などを歴任し、東京府の多額納税者でもあった。
3代子爵恵胤の代の昭和前期に相馬子爵家の邸宅は東京市淀橋区下落合にあった。
平成23年(2011年)の東日本大震災の際、当主相馬行胤(彼の父の代から北海道に移住していたが、先祖の旧領の福島県相馬市でシイタケ農園を経営して北海道と福島を行き来していた)は、福島第一原子力発電所事故の被災者20~30家族ほどの広島県東部神石高原町への集団移住を神石高原町町長牧野雄光とともに計画した。
相馬氏歴代当主
※陸奥相馬氏
- 相馬師常(千葉常胤の子)
- 相馬義胤(相馬師常の子)
- 相馬胤綱(相馬義胤の子)
- 相馬胤村(相馬胤綱の子)
- 相馬師胤(相馬胤村の子)
- 相馬重胤(相馬師胤の子、陸奥へ下向)
- 相馬親胤(相馬重胤の子)
- 相馬胤頼(相馬親胤の子)
- 相馬憲胤(相馬胤頼の子)
- 相馬胤弘(相馬憲胤の子)
- 相馬重胤(相馬胤弘の子)
- 相馬高胤(相馬重胤の子)
- 相馬盛胤(相馬高胤の子)
- 相馬顕胤(十三代相馬盛胤の子)
- 相馬盛胤(相馬顕胤の子)
- 相馬義胤(十五代相馬盛胤の子)
- 相馬利胤(相馬義胤の子。中村藩初代藩主)
- 相馬義胤(相馬利胤の子)
- 相馬忠胤(土屋利直の子)
- 相馬貞胤(相馬忠胤の子)
- 相馬昌胤(相馬忠胤の子)
- 相馬叙胤(佐竹義処の子)
- 相馬尊胤(相馬昌胤の子)
- 相馬恕胤(相馬叙胤の孫)
- 相馬祥胤(相馬恕胤の子)
- 相馬樹胤(相馬祥胤の子)
- 相馬益胤(相馬祥胤の子)
- 相馬充胤(相馬益胤の子)
- 相馬誠胤(相馬充胤の子。中村藩末代藩主)
- 相馬順胤(相馬充胤の子)
- 相馬孟胤(相馬順胤の子)
- 相馬恵胤(相馬孟胤の子)
- 相馬和胤(相馬恵胤の子。競走馬スーパークリークの生産者)
- 相馬行胤(みちたね、相馬和胤の子)- 実子3人あり
系譜
関連人物
関連氏族
- 対立氏族
- 友好氏族
戦国期家臣
- 一門
- 草野氏
- 木幡氏
- 佐藤氏
- 水谷氏
- 泉田氏
- 江井氏
- 大悲山氏
- 藤橋氏
- 相馬文書
- 奥相茶話記
- 東奥中村記
脚注
参考文献
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 相馬 サウマ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2469-2478頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/328 国立国会図書館デジタルコレクション。
- 七宮涬三 『下総・奥州相馬一族』 新人物往来社、2003年。ISBN 4-404-03146-7。
- 千田稔 『華族総覧』 講談社〈講談社現代新書〉、2009年。ISBN 978-4-06-288001-5。
- 中山良昭 『江戸300藩 殿様のその後』 朝日新聞社〈朝日新書〉、2007年。ISBN 978-4-02-273160-9。
- 丹羽基二『姓氏 : 姓氏研究の決定版』樋口清之監修、秋田書店、1970年7月。ISBN 4253002099。 NCID BN0043951X。OCLC 23327630。全国書誌番号:73001393。
- 『寛政重修諸家譜』巻第五百十六
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 新田完三『内閣文庫蔵諸侯年表』東京堂出版、1984年(昭和59年)。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
関連項目
- 相馬郡 (下総国)
- 相馬郡
- 相馬野馬追
- 相馬中村藩
- 相馬市
- 中村町 (福島県)
- 中村城 (陸奥国)
- 小高城
- 相馬中村神社
- 相馬神社 (相馬市)
- 東百官(相馬百官)
- 桓武平氏
- 千葉氏
- 佐竹氏(相馬叙胤の実家)
- 土屋氏(相馬忠胤の実家)
- 同慶寺(曹洞宗寺院、相馬氏の菩提寺)
- 磐城の戦い:戊辰戦争での中村相馬氏についてはこちらも参照。
- 相馬事件
- 志賀直道(相馬家家令、相馬事件の一方の当事者で志賀直哉の祖父)
- 一言主神社 (常総市)
- 福島第一原子力発電所事故:福島第一原発は江戸時代の中村藩内で、中村城(藩主相馬氏)と磐城平城(藩主安藤氏)から等距離、同じく戦国時代の中村城(城主相馬氏)と飯野平城(城主岩城氏)からも等距離に位置している。
外部リンク
- 千葉氏の一族
- “武家家伝_陸奥相馬氏”. 風雲戦国史-戦国武将の家紋-. 播磨屋. 2017年6月9日閲覧。
- “武家家伝_下総相馬氏”. 風雲戦国史-戦国武将の家紋-. 播磨屋. 2017年6月9日閲覧。
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