東鹿越駅(ひがししかごええき)は、北海道空知郡南富良野町字東鹿越にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)根室本線の駅(廃駅)である。JR北海道の駅番号はT35。事務管理コードは▲110406。
当駅の付近では鉄道開通間もない明治30年代末ごろから、石灰石の採掘が行われており、1908年(明治41年)には現在の東鹿越駅付近で王子製紙(以下、王子)による鉱山経営が始まった。この王子の鉱山から産した石灰石の出荷は、1924年(大正13年)に完成した馬車軌道(のちにガソリン機関車や蒸気機関車も使用)によって運搬し、隣駅の鹿越駅から発送していた。しかし、1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦を受け、特に製鉄用としての石灰石の増産命令が政府から出され、同年には石灰石発送のための専用線と、それを分岐する信号場を根室本線上に設置することとなった。これが当駅の起源である。ここで産された石灰石は日本製鐵(初代、現在の日本製鉄の前身のひとつ)輪西製鉄所(現:日鉄北日本製鉄所室蘭地区)で使用され、1943年(昭和18年)には鉱山の経営も王子から日鉄傘下企業の日鉄鉱業に移っている。
東鹿越信号場は、その後仮乗降場として旅客の取り扱いも行うようになったが、日鉄鉱業の鉱山開発・発展に伴う乗降人員の増加により、仮乗降場としての取り扱いでは支障をきたすようになり、日鉄鉱業、北海道農材工業、地元住民の運動により、1946年(昭和21年)には正規の駅となった。それに際して日鉄鉱業は、駅舎・ホーム・宿舎を建設し、国鉄に提供している。
その後石灰石は、製鉄のほか製糖、パルプ製造向けに発送が続いたが、1997年(平成9年)に釧網本線中斜里駅に隣接したホクレン中斜里製糖工場向けの貨物列車が終了し、旅客列車のみの発着となった。
2016年(平成28年)には利用客僅少により廃止の検討がされていたが、同年8月31日に襲来した台風10号による被災により、根室本線は当駅 - 上落合信号場( - 新得駅)間で鉄道運行を休止したため、当駅は代行バスと列車の乗り継ぎ拠点となった。その後新得方面は復旧のめどが立つことなく、2024年(令和6年)4月1日の富良野駅 - 新得駅間の鉄道営業廃止に伴い当駅は路線と共に廃駅となった。
かつての隣駅であった鹿越駅の東方に所在するため。
廃止時点では島式ホーム1面2線と木造駅舎を有する地上駅であった。跨線橋はなく、駅舎とホームは構内踏切で連絡していた。無人駅であった。ホーム上には「石灰石」と書かれた大きな岩がある。
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅(事実上の休止駅)となっていた。
前述したように、当駅の設置理由であった日鉄鉱業東鹿越鉱業所へ続く専用線が接続していたが、1997年(平成9年)3月に釧網本線中斜里駅で接続するホクレン農業協同組合連合会中斜里製糖工場向けの1日1往復(末期の本数)の石灰石輸送列車が廃止されて以降、貨物列車の発着はなく、そのまま2024年4月1日付で廃駅となった。貨物設備や接続する専用線もなかった。
乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
当駅発の石灰石発送トン数は以下の通りであった。
設置の経緯からもともと駅前には集落がなく、駅背後の日鉄鉱業鉱業所に附随して住宅街があるのみであった。
また、駅と石灰石鉱山は空知川が作り出した谷の中腹に設けられていたが、後年金山ダム建設によって空知川の水位が上昇し、駅前は人造湖のかなやま湖となっている。
このほか、駅から谷を下った空知川のほとりには農村もあったが、かなやま湖に没している。
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