鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日 - )は、東京都出身の女優。宝塚歌劇団出身(1950年入団、1958年退団)。宝塚歌劇団37期生。旧芸名は鳳八千世。
1950年に埼玉県立越ヶ谷高等学校を中退して宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は43人中5位。配属組は最初月組で、その後、花組である。宝塚歌劇団在団中は主演娘役として活躍し、1955年の花組の舞台『キスメット』(相手役のトップスターは春日野八千代)はカラーフィルムが現存する。1958年3月31日をもって、宝塚を退団。最終出演公演の演目は花組公演『赤と黒』である。
宝塚退団後はフリーで映画に出演。その後、劇団欅、劇団昴に所属し、新劇の舞台でも活躍した。テレビドラマへの出演も多数ある。
現代演劇協会の理事長である福田恆存は、イプセン生誕150周年に当たる1978年に『ヘッダ・ガーブラー』を上演の後、鳳の評価を次のように述べている。
2014年、古巣・宝塚歌劇団100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。
映画『蝶々夫人』ではイタリアでの撮影のため、1954年10月2日、鳳と東郷晴子、伊吹友木子、淀かほる、梓真弓、筑紫まり、朝日奈世志子ら当時の宝塚歌劇団生徒約30名が羽田空港からイタリアへ出発。ローマで先にイタリア入りしていた八千草薫(蝶々さん役)、寿美花代と合流している。鳳ら生徒一行がローマ空港に到着した模様や映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。そして、全撮影を終え、同年11月12日午後10時、羽田空港着のエールフランス機で鳳ら一団は約40日ぶりに帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなった。映画制作費は当時の約2億円。
宝塚歌劇団時代
宝塚歌劇団退団後
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