民主左派党(みんしゅさはとう、トルコ語: Demokratik Sol Parti、略称:DSP)は、トルコ共和国の中道左派政党。
民主左派党は、元首相のビュレント・エジェヴィトを中心に、1985年に旧共和人民党の左派メンバーを中心に結成された。エジェヴィトは、1980年の軍事クーデターにより政治活動を禁止されていたため、初代党首には、夫人のラフシャン・エジェヴィトが就任した。1987年にオザル政権が行った国民投票の結果、旧政治家の政治活動禁止処分が解除されると、ビュレント・エジェヴィトが公式に党首に就任した。
民主左派党は、1987年の総選挙から国政選挙に参加したが、議席獲得に必要な得票率10%に届かず、議席獲得はならなかった。1991年の総選挙で7名の当選者を出し、1995年の総選挙では76議席を獲得した。
1997年にイスラーム系政党の福祉党政権が軍部の圧力により退陣に追い込まれると、祖国党、民主トルコ党と共に後継のユルマズ内閣を組織し、エジェヴィトも副首相として入閣した。
1999年1月にユルマズ内閣が退陣すると、エジェヴィトはデミレル大統領より組閣要請を受けて、民主左派党、祖国党、民族主義者行動党による連立政権を発足させた。1999年2月には、クルド独立派のゲリラ指導者であるアブドゥッラー・オジャランが逮捕されたため、エジェヴィトの支持率は急上昇した。同年の総選挙で民主左派党は136議席を獲得し、議会第1党に躍進した。エジェヴィトは2002年まで政権を維持したが、2000年末の金融危機を発端に、大規模な経済危機が発生し、エジェヴィトの健康問題も顕在化して、政権は求心力を失っていった。
民主左派党は、2002年の総選挙で公正発展党の躍進のため惨敗し、議席を失って院外政党に転落した。エジェヴィトは2004年に党首を辞任し、後任の党首にはゼキ・セゼルが選出された。
2007年の総選挙にあたり、共和人民党との選挙協力を行い13議席を獲得した。
民主左派党が参加した総選挙での得票率、獲得議席数は以下の通り。
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