RX-7(アールエックス-セブン)は、マツダがかつて製造していたロータリーエンジン搭載のスポーツカーである。
マツダ・サバンナクーペの後継として、サバンナRX-7(SAVANNA RX-7)の名で1978年3月に発売された。1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機に、マツダが当時展開していたアンフィニブランドからの発売となり、名称がアンフィニ・RX-7(εfini・RX-7)へ変更されたが、1997年10月のアンフィニブランドの廃止で再びマツダブランドに戻されている。2002年8月、自動車排出ガス規制の強化を受けて生産を終了。累計生産台数は81万台。
3代ともリトラクタブル・ヘッドライトを採用しており、FD型は日本車で最後までリトラクタブル・ヘッドライトを装備した車種となった。
2004年、米国のスポーツカー専門誌スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門でFD型が第10位に、また同1970年代部門でSA22C型が第7位を獲得している。徳大寺有恒はFC型について「耐久性はポルシェにはかなわないが、その他の性能ではRX-7のできは上々で、総合点ではポルシェ944を凌ぐ」と評された。
販売店系列はマツダオート店→マツダアンフィニ店の専売モデルだったが、モデル末期にはユーノス店が統合されたマツダアンフィニ店とマツダ店で販売された。
1978年3月30日に発表された。車両型式はSA22C、開発コードはX605。プラットフォームはマツダ・SAプラットフォームを採用している。
0-400 mが15.8秒というタイムは、排ガス規制以前に日産・フェアレディ240ZGが記録した水準に戻っており、日本車としては高性能であった。福野礼一郎は「軽い速い低い、それは確かに間違いありませんでしたがついでに何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じ」「足回りもブレーキもスポーツカーとしてはちょっと脆弱」と書いているが、基本構成に関しては「初代RX-7、いいパッケージです」「いつかマツダがもう一回RX-7のモデルチェンジをやる日がくるなら、なんともぜひこういうパッケージに戻してもらいたいですね」と評価している。
スポーティな感覚を手軽な費用で手に入れられるとして、アメリカではダットサン・240Z(S30)などとともに「プアマンズ・ポルシェ」(貧乏人のポルシェ)と呼ばれた。
1980年に外観のマイナーチェンジを実施し、テールランプとフロントスカートのデザイン変更によってCd値0.34を達成した。
1982年には6PIエンジンに変更され、10モード燃費は10.2 km/Lを達成した。
1983年のマイナーチェンジで、ホイールハブのボルトピッチ(PCD)が同業他社の後輪駆動車と同様に改められ、4穴PCD 110 mmの特殊形状から一般的な4穴PCD 114.3 mmに変更された。また、北米仕様車では新たにVINコードの型式名を採用したため、FB3Sの呼称を用いるようになった。
基本は単室容積573 cc×2の12A型水冷2ローターエンジンを搭載。当初は自然吸気(NA)仕様のみであったが、1983年のマイナーチェンジで日本仕様のみターボ仕様が追加された。海外では、1984年 - 1985年にかけて13B型 EGI NA仕様搭載車が販売されている。
折からのオイルショックの影響を受け、排気ガス規制対応としてREAPSと呼ばれる排気ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し、従来に比べて40%の燃費向上を達成した。その後、1979年には燃費対応のため希薄燃焼型の触媒方式に変更されている。1982年以降のNA仕様の形式名は12A-6PIで、後年のRX-8タイプSと同一となる6PIが採用されている。
スペック面では、NA仕様は130 PS @ 7,000 rpm、最大トルク16.5 kgf・m @ 4,000 rpm、パワーウェイトレシオ7.6 - 7.8 kg/PS。ターボ仕様は165 PSを発生する。NA仕様は4バレルのダウンドドラフトキャブレタを1基使用し、ターボ仕様はEGIを使用した。
マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパは、世界ラリー選手権(1982年 - 1986年)グループBのカテゴリーに参戦するための車両として、初代RX-7を改造してRX-7 Evo グループBワークスを製作。しかし、1986年をもってグループBカテゴリーが消滅することが決定したため、製造台数は7台にとどまった。
ラリー参戦車両は、その後323 4WDが引き継いで使用された。
1985年10月にフルモデルチェンジ。車両型式は国内でもVINコードの型式名が採用され、新たにFC3Sへ変更された。
プラットフォームは先代から一新され、新開発のマツダ・FCプラットフォームに基づいて開発された。リアサスペンションは独立懸架化され、セミトレーリングアームマルチリンクとなった。またハブ部分のリンクにブッシュを入れることでパッシブステア性によりセミトレーリングアーム式サスペンションの欠点を打ち消す特性を持つ「トーコントロールハブ」を持ち、キャッチコピーには当時の流行でもあった「4WS感覚」という言葉が使われた。エンジンはインタークーラー付きターボ13B型を搭載する。フロントブレーキには日本車初の対向4ピストンのアルミキャリパーを採用。日本以外では、初代に続き13B NAエンジン仕様車が13Bターボエンジン搭載車とともに販売された。
ポルシェ・944との類似性が自動車雑誌などで話題となり、初代に引き続き「プアマンズ・ポルシェ」の呼称が使われることもあったが、性能面では0-100 km/h加速時間7秒弱、最高速度はメーカーテストで238.5 km/hを記録したなど大きく向上していた。
グレードは最廉価グレード「GT」、ベーシックグレード「GT-R」、ビスカス式LSDとアルミボンネットを装備した「GT-X」、サンルーフ、オートクルーズ等豪華装備の「GT-Limited」、本革シートを装備した最上級グレード「GT-Limited・スペシャルエディション」が用意された。後に、GTはマイナーチェンジに伴って廃止されている。
1987年8月、ロータリーエンジン生誕20周年を記念してカブリオレ仕様(FC3C型)が登場。電動ソフトトップを装備する。ロータリーエンジンを搭載するオープンカーはNSU・ヴァンケルスパイダー以来であり、マツダでは当モデルが唯一の存在である。本モデルの開発で得たノウハウは、後のユーノス・ロードスターに活かされた。
1989年4月にマイナーチェンジが行われ、エアフロメーターをフラップ式からメジャリングコア式に、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯にする変更のほか、サスペンションの改良、ドアミラーの同色化、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイール、前席シート、インパネセンター、計器類のデザイン等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185 PSから205 PSに向上している。
1990年6月にアルミホイールのデザインを変更。また「∞(アンフィニ)」シリーズと呼ばれる2人乗りスペシャルティーモデルが4世代に渡り発売された。このモデルは主に排気システムの高効率化により高出力化され、215 PS @ 6,500rpmとなった。
FD型へのフルモデルチェンジを控えた1991年3月、マツダ・787Bのル・マン24時間レース総合優勝を記念した最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」が1,000台発売された。
1991年11月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1991年12月、クーペはFD型へのフルモデルチェンジに伴い販売を終了するが、カブリオレはFC型の生産が続行され、1992年10月にサバンナRX-7の14年間(サバンナとしては21年間)とカブリオレの5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョンが発売され、同年12月に販売を終了した。2代目の生産台数は27万2,034台。
単室容積654 cc×2の13B-T型ロータリーエンジン。ツインスクロールターボを採用し、185 PS、205 PS、215 PS(スペック3以降のアンフィニのみ)と進化していった。185 PS車を前期、205 PS、215 PS車を後期に分けているが、ローターの種類が違うため、圧縮比や圧縮限度の目安が異なる。トルクは馬力の順に25 kgf・m、27.5 kgf・m、28 kgf・m。輸出型のみ自然吸気仕様も存在する。
1991年10月に発表され、同年12月に発売。車両型式はFD3S。開発コードはX105。
このフルモデルチェンジを機に、1971年から20年続いた「サバンナ」の呼称が外れ、当時の販売店系列「アンフィニ」の名を冠した「アンフィニRX-7」として発売された(後に販売店の統合により『マツダ・RX-7』に変更)。キャッチコピーは『アンフィニのスポーツです。』、『その非凡さが、アンフィニ。』、『ザ・スポーツカー』、『ザ・ロータリースポーツ』。足回りには新開発の4輪ダブルウィッシュボーンが使用された。
シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンは最高出力255 PSを発生し、パワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5 kg/PSを切っていた。後にエンジンの出力アップが行われ、1996年1月のマイナーチェンジで265 PS(MT車)、1999年1月のマイナーチェンジでは280 PSに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは4.50 kg/PSに達した。
同社のユーノス・コスモが1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一のロータリーエンジン搭載量産車となった。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場におけるスポーツカー需要の低下や、ターボ過給によるロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、2002年8月に生産終了、2003年4月に販売終了となり、25年の歴史に幕を閉じた。
生産終了を記念し、最後の特別限定車「RX-7スピリットR」が2002年4月に発売された。2シーター5速MTの「タイプA」、4シーター5速MTの「タイプB」、4シーター4速ATの「タイプC」の3仕様が用意され、販売台数は合計1,500台であった。専用装備としては、BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなどの専用パーツを装着。タイプAは専用のレカロ社製フルバケットシートなどが装備される。2002年8月26日に宇品U3工場で製造された最終生産車は、スピリットR タイプA チタニウムグレーメタリックであった。この車の最終ラインオフにあわせ、FD3Sに携わったマツダのスタッフの他、一般公募のユーザーを加えて式典が催された。この車は市販されず、社内展用車となっている。
12年のモデルサイクル中に複数のマイナーチェンジが行われ、下記のように分けられている。
1994年8月には2シーターグレードである「タイプR Ⅱ I バサースト」を限定販売。
外装はフロントおよびリアコンビネーションランプ、フロントバンパー、リアスポイラー、ABS等が変更されたが、1型から6型で流用不能なものはABSとECU、リヤ補強材の一部であり、マイナーチェンジ前の車両に変更後のパーツを移植することも可能である。
1998年と1999年に4型のRX-7がレーダー付きの高速隊パトカーとして宮城、新潟、栃木、群馬、埼玉、千葉、京都に7台導入された。現在は新潟県警察、群馬県警察、埼玉県警察の配備車両がイベント展示用として残されている。
イギリスの「テレグラフ」誌webサイトの「最も美しい車100選」で61位に選ばれた。
単室容積654 cc×2の13B-REW型ロータリーエンジン。ユーノス・コスモに次ぐシーケンシャルツインターボの採用で、255 PS、265 PS、280 PSへと出力向上が図られた。出力が280 PSに向上するのと同時に、トルクも30 kgf・mから32 kgf・mへと増強されている。出力の向上は主にブースト圧の設定変更によるものであるが、触媒など一部吸排気系の配管やマフラーも変更されている。レッドゾーンは8,000 rpmから。シーケンシャルツインターボは日立製で、複雑な構造と制御を行っていることから制御系の故障が頻発したとされ、開発陣も低回転域のトルク増強には有効だったが、エンジンをもうひとつ搭載するのと同じくらい経費がかかったと述べている。4型以降ではこのシーケンシャル機構に使われるソレノイドバルブが簡略化され、問題を起こしにくいように対処されている。
プライマリー側とセカンダリー側のタービンは同一形状・同一容量である。1-4型と5-6型のタービンは容量が違い、容量的には1-4型の方が出力重視で、5-6型はアブレダブレシールの採用やコンプレッサーホイールの小径化など、反応性重視のタービンとされている。5-6型のタイプRBには4型のタービンが組み合わされ、出力265psのままとなっている。アペックスシールは当初3分割のものが使用されていたが、2002年8月以降の生産終了後、オーバーホール時の補修品やリビルドエンジンに換装する際には2分割のものに変更されている。
「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」を表し、「ロータリー・スペシャリティ」とも表現される。「7」は「マツダ内での車格番号」を意味する。RXの車名を採用した車種は2、3、4、5が存在したが、日本国内向け車種でRXを使用したのは当車が初めてであり、後継の8も同様となった。
RX-7は2002年8月を最後に製造されておらずパーツの枯渇が心配された。そのため2020年12月17日、いくつかのパーツを復刻生産することになった。また、レストアサービスの開始も予定されている。
PlayStation 2(プレイステーション ツー、略称: PS2)は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(略:SCE, 現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント〈略:SIE〉)が日本で2000年3月4日、北米で同年10月、欧州で同年11月に発売した家庭用ゲーム機。
本機は3Dゲーム機の黎明期に当たる1994年に発売されたPlayStation(以下、PS)の次世代機として開発された。本機には独自開発プロセッサであるEmotion Engine(EE)が搭載され、EEによる強化されたリアルタイムの物理演算によって、前世代機よりも表現力が向上した。また同じく独自開発プロセッサであるGraphics Synthesizer(GS)によって、テクスチャマッピングなどの基本的な3Dグラフィック処理のほか、性能上の制約が厳しいがセルフシャドウ描写や擬似的なハイダイナミックレンジ合成を行うこともできる。
本機は縦置きにも横置きにも対応し、DVDを主要メディアとして採用したことで、前世代機よりも映画的なゲームが増大し、DVD-Videoの再生機能を搭載したことで安価なDVDプレーヤーとしても利用でき、DVD-Videoの普及促進にも貢献した。また、光デジタル出力端子が搭載され、ゲーム機としては初となる立体音響が採用された。これによりAVアンプやデジタル用の同軸ケーブルと繋ぐことで、サラウンドサウンドシステムを構築することができる。
このように、本機はゲーム機としての基本スペックが当時のパソコンを上回っており、DVD-Video再生機能やサラウンドサウンド、PlayStation BBを利用したインターネットへの接続などによって、「ゲーム機」の枠を超えた実用的なマルチメディア再生機を実現させた。
PS2のグラフィックシステムも扱えるようにしたLinuxであるPS2 LinuxというOSも別途発売されたが、PS2のリアルタイム3DCGに偏った独特の構造に起因する利用難易度の高さから主にギークの間で少数のみ出回り、各種実験が行われたのみで終わっている。但し、米イリノイ大学の国立スーパーコンピューター応用研究所(NCSA)はPS2 Linuxを利用して理論的には毎秒5000億回の演算が可能なクラスター・システムを構築することには成功している。
本機はPSとの互換機能(画質改善機能も追加)を搭載したため、既存ユーザーをそのまま取り込むことができ、PSで発売されたシリーズ作品の続編も発売されたことなどから人気を得た。2023年現在、史上最も売れたゲーム機(1億5500万台)となり、次世代機である『PlayStation 3』が2006年11月11日に発売されて以降も本機は2012年12月28日まで生産された。
1999年(平成11年)3月2日に東京国際フォーラムで開催された「PlayStation Meeting 1999」において「次世代プレイステーション」として発表。製品発表会にはほとんど姿を出さない出井伸之ソニー社長(当時)が出席し「あまりにも素晴らしいものができたので応援に来た」と発言した。基本仕様とSCEおよびサードパーティー(ナムコ、スクウェア)制作の性能デモが公開される。初代PlayStationのようなポリゴンやテクスチャの歪みが無く、大量の光の粒子で構成される花火やキャラクターの表情が動くなどの高度な3DCGは来場者に衝撃を与え、また期待を集めた。午後4時半に終了した発表会だが、当日の午後5時前後のニュース番組には映像が流れていた。当日の深夜に発表会のリポートを放送したテレビ番組の「トゥナイト2」をビデオリサーチで視聴率を調べたところ、当週の深夜番組の中でトップを記録していた。
同年9月13日にSCEが発売日と外観、39,800円の標準価格を公表し、翌9月14日の朝日新聞に掲載された。日本では日付の語呂にあわせて2000年(平成12年)3月4日発売となり、販売台数は発売から3日で60万台、ネットショップによる2週間先の注文分を含む38万台を加えて98万台を記録した。なお、使用部品の性能の高さと安価性から「兵器転用の恐れがある」としてワッセナー・アレンジメントで輸出規制対象となっていたことが明らかになり、発売当初に話題となった。
2000年12月8日、SCPH-18000の発売時に行列を作ったのはライトユーザーが多かった。PS2用メモリーカードは別売となったが本体と一緒にメモリーカードを購入する人は少なかった。「メモリーカードはいかがですか?」と聞いても「いらない」という答えが返ってきていた。店頭に並んでいた人に本体の用途を聞いてみたところDVDプレーヤーとしての機能の充実に興味を持つ人が多かった。
2003年にアナログ放送録画とHDDを内蔵したソニーのハイブリッドレコーダー「PSX」が発売。
2004年(平成16年)時点で日本の据置ゲーム機の8割のシェアを獲得した。
2005年(平成17年)5月17日には次世代機であるPlayStation 3 (PS3) の概要が発表され、同年12月にはXbox 360がPS3よりも先立って発売されるなど次世代機への関心が高まり、相対的にPS2販売台数は縮小傾向になっていった。
2006年(平成18年)11月に次世代機であるPS3が発売された後も、しばらくはテレビゲーム市場の一角を占めていた。例えば2007年の北米における年末商戦ではPS3が120万台・PS2が130万台を売り上げていた。裕福層がPCゲームへと移行する中、比較的貧困層向けへのビデオゲームの売れ行きが良く、特に発売から年数が経過し購入しやすい価格となったPS2は人気であった。また、この頃よりゲームソフトのマルチプラットフォーム化が進んで、大手メーカーソフトがPS2を含めた多機種で発売されることもあった。
ヨーロッパでは、2010年にPS2を内蔵したソニーの液晶テレビ「BRAVIA KDL22PX300」が販売されている。
2011年(平成23年)時点では日本をはじめ、アメリカやヨーロッパなどの先進国ではPS3が主流となったが、ゲームが楽しめる上にDVDプレーヤーとしても使えること、DVDそのものが依然として主流であること、主要国ではそれらが“枯れた”規格としての手軽さなどから東南アジアや中東などの新興国で売り上げを伸ばしており、同年1月には世界販売台数が1億5000万台を突破した。
2012年(平成24年)12月28日をもって日本国内における本体 (SCPH-90000) の出荷が完了したことがSCEJより発表された。全世界での販売台数が1億5500万台以上で幕を閉じた。海外市場でも完全に生産終了したことが2013年1月4日に英紙the Guardianで報道された。
2014年(平成26年)3月31日には、SCPH-50000MB/NHおよび90000シリーズを除く機種で、2015年(平成27年)3月31日にはSCPH-50000MB/NHの修理等のアフターサービスの受付が終了。
2018年(平成30年)8月31日には、最終モデルであるSCPH-90000の修理受付を終了した。
SCEが発表時に用いる「生産出荷台数」は生産量に近い数字であり、 問屋や小売に販売する"出荷"とは意味の違う言葉であることに注意。本項では登記上正統な「出荷台数」で表記する。
本機は前世代機であるPSとの間に下位互換性があるため、2000年(平成12年)の発売開始当時、すでに世界での出荷台数の累計が7000万台を超えていたPS用のソフトウェアのうち一部を除くほとんどをそのまま遊ぶことができる。ただし、PS用ゲームのセーブにPS2用メモリーカードを使用することはできず、別途PS用メモリーカードとPocketStationが必要である。
また、本機はソフト開発が難しい仕様である上、2000年の間は十分な開発ツールが提供されなかったため、良質なゲームソフトが出揃うまで時間がかかった。そのため新規ユーザーはPS2だけ購入すればPS用ソフトも購入して遊べ、ゲーム開発者はPS用ソフトを引き続き製作してもソフトウェアの売り上げに響かない互換性は大きな意味を持った。
また、PS用ソフトに対して、以下の2点でパフォーマンスを強化することが可能である。これらのモードの使用はサポート対象外であり、動作に問題が生じる場合がある。これらの設定は保存されないため、本機の再起動やリセットのたびに毎回再設定する必要がある。
メモリーカードスロットにも互換性があり、PS用メモリーカードを直接使用できる。PS2用メモリーカード (8MB) にもブラウザ上からPS用ソフトのセーブデータをコピーすることができるが、PS用ソフトからPS2用メモリーカードにアクセスすることはできなくなっているため、バックアップ用途にとどまる。また、メモリーカードの読み書きを高速化する機能も案としてあり技術的には可能であったが、読み書き速度やメモリーカードの容量に依存したソフトが多いことを理由に採用されなかった。
また、PS2をD端子ケーブルやコンポーネント端子ケーブルで接続した場合、PS用ソフトは大幅に画質が向上するが、一般的な映像フォーマットではない240p(256×240ピクセル)で出力される為、接続したモニタによっては信号に対応せずゲーム画面が乱れたり、全く出力されなかったりする事がある。
本体色は特記なければブラックである。前世代機PSと同様に型番はSCPH-XXXXYの形式で付けられている。Sony Computer Playstation 2 Hardwareの略とされる。XXXXが型式、Yが発売地域を表している。Yは日本用([NTSC J]、AC100 V)が0、北米地域用([NTSC U/C]、AC110 V - 127 V)が1、ヨーロッパ・オセアニア地域用([PAL]、AC200V - 240V)が2、アジア地域用([NTSC J]、AC110 V - 240 V)が3、ポーランド地域用([PAL]、AC110 V - 240 V)が4、韓国地域用([NTSC K]、AC110 V - 240 V)が5、、中国地域用([NTSC C]、AC110 V - 240 V)が6、台湾・香港地域用([NTSC C]、AC110 V - 240 V)が7、ロシア地域用([SECAM]、AC110 V - 240 V)が8である。
SCPH-18000以降の型では、自己修理および改造防止のため、PSにはなかったセキュリティシールが継ぎ目部分に貼付されるようになった。マイナーチェンジはSCPH-10000からSCPH-90000まで行われ、SCPH-70000以降は本体を薄型にするなど小型化された。
のちに発売された「薄型モデル」に対して日本では「厚型モデル」、日本国外では「PlayStation 2 Fat」と呼ばれることがある。
日本でのみ発売されたモデル。シリーズで唯一PCカードスロットが搭載されている。消費電力は約50 W。2つのUSB端子と右下のi.LINK端子が存在。このモデルのみ基盤が本体の最下部に取り付けられており、ヒートシンクに非常に巨大なパーツが使用されている。
SCPH-30000は2001年4月18日発売、オープン価格。6月29日から35,000円、11月29日から29,800円、2002年5月16日から再びオープン価格。型番はSCPH-3XXXY。
機能は以前のSCPH-10000シリーズ(日本国内のみ)とほぼ同じ本体背面のPCカードスロットを代わって、北米・欧州モデルに先行して搭載されたエクスパンションベイを付属し、本機は21世紀初めて、世界統一仕様となったモデル。消費電力が39 W(SCPH-35000は47 W、SCPH-30000は39 Wと47 Wが混在)に低下し、EEとGSの0.18 μmへのシュリンクと通気口改善されたが、ファン回転数は増え、騒音は増加した。内部的にもハードディスク接続を見越した部分がある。本体側にはアクセスランプが内蔵され、ソフトウェア側では拡張ベイ部分のドライバを内蔵しておりPlayStation BB Unit使用時にメモリーカードにドライバをインストールする必要がない。リモコンとリモコン受光部別売となった。ディスクドライブのピックアップは消費電力が47 WのものはKHS-400B、39 WのものはKHS-400CまたはHD7が搭載されている。以前のSCPH-10000シリーズでは、i.LINK端子は右下から右上に移動。このモデル以降の厚型は基板が本体の中心部に位置している。
ピックアップレンズが更に強化され、耐久性が上昇した。海外では2000年10月26日以降から販売されたため、ピックアップレンズの性能が18000モデルに準拠している場合がある。
SCPH-50000は2003年5月15日発売、25,000円。機能はSCPH-10000系(日本国内のみ)・SCPH-30000系とほぼ同じで以前のSCPH-10000(日本国内のみ)・SCPH-30000シリーズのi.LINK端子が削除。これにより、『グランツーリスモ3 A-spec』などでi.LINK端子を使用することによってできた対戦が不可能となった。また、リモコン受光部が内蔵され、内蔵DVDプレーヤーがプログレッシブ出力に対応。新たに包装箱には、DVDドライブの対応メディアにDVD-R、DVD-RW、DVD+R、DVD+RWが表記されるようになった。DVDの読み込みが大幅に早くなったが、CDはより遅くなった。
2004年11月3日に薄型モデルが発売されたが、SCPH-50000シリーズは2008年まで継続販売されていた。型番はSCPH-5XXXY。
従来機から部品点数を減らした結果、小型化を実現したモデル。日本では「新型」、または「薄型」、日本国外では「PlayStation 2 Slim」「PlayStation 2 Slimline」などと呼ばれることがある。
SCPH-70000 CBは日本では2004年11月3日に発売、オープン価格。実勢価格19,800円。また欧州で2004年10月29日、北米で同年11月25日、豪州で同年12月2日に発売した。本体色はチャコール・ブラック。従来機からコストダウンが図られ、部品点数を従来製品の「1,614」から「1,216」まで減らし、体積で1/4以下 (約23%) 、質量比で1/2以下 (約45%) にまで押さえた結果、小型化を実現した。
本体は約2.0 kgから約900 gに軽量化し、本体の幅×高さ×奥行きは約301×78×182 mmから約230×28×152 mmに薄型化され、それまでのディスクトレイからトップローディングに変更された。また、トップローディングの蓋となっているのは、PlayStation・PS one以来となる。本体形状の変更により、SCPH-70000以降のモデルはPlayStation BB Unitが使用できなくなった。また、PS2初期モデルからの主電源スイッチは一旦削除された。代わりにイーサネット端子が内蔵されたが、HDDには対応しない。そのため、PlayStation BB対応ソフトのうち、アダプタのみを必要とするソフトは引き続き使用できる。シリーズで唯一電源ユニットが内蔵されておらず、ACアダプターが必要。封印シールは最初は本体背面に貼られていたが、後に底面のネジ蓋のある場所に変更された。
この型番以降、本体のPS2のロゴはカラー印字から着色のない刻印へと変更され、説明書のデザインもPS時代のものから薄いものに変更された。ただし、初期画面でのロゴ表示や「あなたのシステム設定ファイル」の3Dアイコンの「PS2」のロゴの色は藍色と水色のグラデーションのままだった。
SCPH-75000以降のモデルでは正常に動作しないPS/PS2用ソフトが存在する。
なお2014年9月、設計を手掛けた鳳康宏は「スリム化」前のPS2の冷却ファンは通常のものとは回転方向が逆(吸い込み側から見て時計回り)であることを明らかにした。
PS2の最終モデル。機能はSCPH-70000系とほぼ同じで、周辺機器も同じものが使用できる。消費電力は約35 W。本体のサイズはSCPH-70000系とほぼ同じだが、PS2のデザイン上の特徴であった凸凹状の意匠が前面部からは無くなった。型番はSCPH-9XXXY。
一般向けには販売が行われていない開発・検証機も存在した。ゲーム開発会社、流通、出版社などの業務上必要と認められた一部の会社に販売された。「Debugging Station」。主な仕様の違いとしては、バックアップCD、DVDの起動、民生向けでは設定できない設定の変更、本体ロゴの違い(ロゴが「PS2」から「TEST」と表記されている)が挙げられる。またPSの開発機に存在したNTSC/PAL規格の切り替え機能は搭載されておらず、本体色についても民生向けと同一となった。
その性能から譲渡・転売は認められておらず、万が一の流出時には本体のシリアル番号から流出元が特定できる仕組みとなっている。
ソニーから、アナログ放送録画機能とDVDプレーヤーと家庭用ゲーム機(PlayStation・PlayStation 2互換機)のハイブリッドレコーダー「PSX」(160GBモデルではDESR-5X00・250GBモデルではDESR-7X00)が,2003年12月に日本で発売された。なお、HDD機能はPlayStation BB Unitも内蔵(DESR-5000・DESR-5100のみ・DESR-7000・DESR-7100のみ)。
ソニー・コンピュータエンタテインメントが2006年に発売した家庭用ゲーム機PlayStation 3(CECHA00・CECHB00)はPlayStation・PlayStation 2と互換性を持つ。オンライン機能はイーサネットも搭載し、HDD機能はPlayStation BB Unitも内蔵し、PS3用メモリーカードアダプターでPS/PS2用のメモリーカードが必要となるが、一部のPS/PS2用ソフトを使用できる。
KDL-22PX300は2010年12月3日欧州で発売。BRAVIAのテレビにPS2本体の形状を変更して合体させたもの。
ローンチタイトルは『リッジレーサーV』『ストリートファイターEX3』など10タイトル。
CD-ROMが採用されたのは初期ゲーム、規格上容量があまり必要でない作品が中心であり、ゲームデータの複雑化・大容量化に伴って大多数のソフトがDVD-ROM、片面1層のDVD-ROMでは間に合わず2層ディスクや複数枚のディスクを採用したソフトもある。
2001年頃からソフトが出揃い始め、『鬼武者』(カプコン)が初のミリオンセラーに。7月には『ファイナルファンタジーX』(スクウェア)が200万枚以上を売り上げ、ソフト面でもPSからの世代交代を果たした。
そのほか「NEOGEOオンラインコレクション」「SEGA AGES 2500 シリーズ」「オレたちゲーセン族」などアーケードゲームの移植作品が発売された。
2008年に入ると、次世代機であるPS3やWiiの普及、さらに日本の家庭用ゲーム市場が携帯ゲーム機中心にシフトした影響で、日本での全ゲームソフトに占めるPS2ソフトの販売割合は10%未満まで減少した。SCEは同年7月発売でPSPからの移植である『ラチェット&クランク5 激突!ドデカ銀河のミリミリ軍団』を最後に、新作PS2用ソフトの発売を終了した。同様にPSNでもPS2向けの情報配信を終了した。
シェアの衰退に伴い新作ソフト数が減少する中、恋愛ゲームや萌えを意識した内容の作品はPS2で発売していたが、2009年には次世代ないし携帯ハードへの移行、もしくはマルチ展開を行うソフトが出始め、年内にほとんどのタイトルが移行した。女性向けの乙女ゲームは、同年までPS2単独で展開するソフトがほとんどだったが、2010年に入ると次世代ないし携帯ハードやPCへの移行、もしくはマルチ展開を行うソフトが出始め、年内にほとんどのタイトルが移行した。
2012年3月7日より、ゲームアーカイブスでPS2タイトルの配信が開始された。
2013年3月27日に、最後の新作ソフトとなる『ファイナルファンタジーXI アドゥリンの魔境』(スクウェア・エニックス)が発売された。海外では2013年9月19日のPES 2014が最終作である。新作ソフトの発売は2000年(平成12年)3月4日の発売から13年間続き、家庭用ゲーム機ではネオジオ、ゲームボーイに次ぐ長寿ハードとなった。
2014年12月17日には、初代の『ファイナルファンタジーXI』(FFXI) と同日発売で同じくオンライン専用ソフトだった『信長の野望Online』がオンラインサービス終了、PS3版及びPS4版に移行した。
2016年3月31日、PlayStation BBのサービスが終了。同時にFFXIのPS2でのサービスも終了した。
2002年6月にはコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)が設立され、家庭用ゲーム機向けゲームの共通レーティングが開始されたことで、ソフトのパッケージには「年齢区分マークとコンテンツアイコン」が表示されるようになった。これは対象年齢を決定して根拠となる表現を示しているが、ソフトの内容が説明されている物ではない。しかし表記された年齢以上をターゲットとしている表現内容が含まれている事を示している。レーティング機構から見た年齢区分マークの目的は時代によって変動するが当時の扱いはソフトを購入する際に活用する為のものでソフトの購入を規制するものとして重要視されていなかった。コンテンツアイコンは【恋愛】【セクシャル】【暴力】【恐怖】【飲酒・喫煙】【ギャンブル】【犯罪】【麻薬】【言葉・その他】のマークに区切られている。
DVDビデオの普及期に単なるゲーム機ではなく、DVDプレーヤーとして活用できるゲーム機として登場したことでDVDの普及に弾みを付けた。特に日本国内では話題作『マトリックス』のDVDソフトがPS2と同時期に発売されたことが相乗効果となり普及に貢献した。また、発売当初のメーカー希望小売価格である39,800円は既存のDVDプレーヤーと比べて安く、DVDプレーヤーの低価格化の火付け役となった。しかし、2000年当時は開発難易度からゲームのキラーソフトが登場せず、2001年以降に海外版モデルが発売され、キラーソフトが充実し始めたことにより本格的にゲームが売れ始めた。
本機が下位互換性を持たせたことで結果的に他社のゲーム機にも互換性が取り入れられることが増えた。
また、本機のSCPH-10000および周辺機器はデザインが評価され、2000年度のグッドデザイン賞を受賞している。
R言語(アールげんご)はオープンソース・フリーソフトウェアの統計解析向けのプログラミング言語及びその開発実行環境である。ファイル名拡張子は.r, .R, .RData, .rds, .rda。
R言語はニュージーランドのオークランド大学のRoss IhakaとRobert Clifford Gentlemanにより作られた。現在ではR Development Core Team によりメンテナンスと拡張がなされている。
R言語のソースコードは主にC言語、FORTRAN、そしてRによって開発された。
なお、R言語の仕様を実装した処理系の呼称名はプロジェクトを支援するフリーソフトウェア財団によれば『GNU R』であるが 、他の実装形態が存在しないために日本語での慣用的呼称に倣って、当記事では、仕様・実装を纏めて適宜にR言語や単にR等と呼ぶ。
R言語は文法的には、統計解析部分はAT&Tベル研究所が開発したS言語を参考としており、またデータ処理部分はSchemeの影響を受けている。
R言語は、「ベクトル処理」と呼ばれる実行機構により、柔軟な処理を簡便な記法で実現している。
R言語で言う「ベクトル」とは数学的用語のベクトルとはやや異なり「構造を持ったデータ集合」という「リスト」に近い意味を持つ。すなわち、実数や複素数からなる数学上のベクトルや行列はもちろん、配列・リスト・テーブル(データフレーム)・集合・時系列などといった複雑な構造を持ったデータも、特に宣言することなく変数に入れられる。 ベクトルの要素がさらにテーブルや時系列の配列などであるといった「入れ子構造」であってもよい。このおかげで複雑なデータ構造が他愛もなく構築・管理できる。
予約語としてRに組込まれた演算も、関数も、ベクトルを扱える。ユーザー定義関数をベクトル対応にするための関数もある。こうしたRの演算子やRの関数は、ベクトルの全要素に順に作用したり調べるといった構造にできている。そのおかげで、プログラム全体の制御構造が単純化して意味が明瞭になる。リストをうまく使うことによって、通常他の言語で複数要素を処理する時の「目的とする計算の本質とかけ離れたアルゴリズム」(たとえば、カウンターを使ったループや条件分岐等)の作成負担から解放される(他のプログラミング言語で似た記法を探すとすれば、たとえばLisp言語のmapcar関数、Perl言語のmap関数など)。
例として、円周率をモンテカルロ法で近似する計算を挙げる。
ここで『 <- 』は代入(この場合『 = 』とも書けるが推奨はされていない)、『 runif(a) 』は一様乱数を a 個作りベクトルで返す関数、『 a^2 』は a の二乗、『 sum( a <= b) 』は引数のベクトル要素数を返す関数、を意味する。この場合sum関数の引数はTRUEまたはFALSEのリストからなる論理値型ベクトルである。ベクトルaおよびbの対応要素同士を比較演算子で比較した結果が並んでいるので、真であった個数が返る。
上の例で、sum関数によって、条件分け計算を複数回行なう指示が暗黙のうちになされていることに注目されたい。すなわち、0から1の値をとる一様乱数xとyの組からなる「サンプルを十万個作り、そのうち半径1の円内に入ったサンプルが何個かを数える。」という計算の本質を、forループのような繰返し処理の記述を必要とせず、簡潔に表現できている。
代入『 <- 』は「付値」と呼ばれる関数でもあり、以下のように一行に書き換えても意味は同じとなる。
論理値型ベクトルは数値計算の関数や演算子に渡すと数値「TRUE=1」「FALSE=0」と解釈される。上記の計算では、それを利用して集約関数の sum で合計を出している。
ベクトルは「論理添字(元のベクトルと要素数が等しい論理値型ベクトルを用いた添字指定)」を使うことで要素の絞り込みができ、そのベクトルに対して付値を行うと、絞り込んだ要素だけを別内容に置き換えることが可能になる。論理添字も変数に付値すれば複数の取り回しはさらに簡素化する。
Rの添字では数値ベクトルによる「数値添字」も利用でき、変数に付値もでき要素抽出にも不自由なく使えるが、「論理添字」の場合は複数を揃えて論理計算できるため、数値添字だけでは難しい複雑な抽出処理が制御も分岐も使わず明快に出来る。
添字ベクトルxの利用は基本的に、1次元ベクトル・テーブルでは『変数 [x]』のように記述して指示する。行列などでは次元数に適宜準じ指定添字次元だけが間引き対象になり、時系列やレコードの部分抽出などに利用される。
以下は論理添字同士の論理計算を利用したFizzBuzz問題の解答例(記号"#"から改行まではコメント文)。
このコードをコメント文に照らして見れば、先の例と同様「ループもカウンターも条件分岐もないのに同等の処理ができる」ことを利用して、題意に沿った論理が無理なく実装できているとわかる。ここでは「FizzSet」と「BuzzSet」が論理添字変数であり、これらによる、抽出・置換・論理積を利用している。
なお、付値記号の矢印は代入の向きを左右どちら向きにもできる。一般的には左向き矢印が推奨されているが、機能は変わらないので混乱のない限り可読性の向上に利用できる。以下では「計算 -> 新規変数」「抽出要素 <- 置換値」の意味づけで用いている。
ベクトルの各種演算に加えて、行列の各種演算が可能である。
イテレーターとしての for をはじめ各種制御命令も充実しているので、ベクトルや行列の簡潔な処理では書けない制御や大型の計算も記述できる。
最小限の労力で見通しよく解析するために工夫された命令体系を備えている。
Rはマルチパラダイムなプログラミング言語である。広義の関数型言語の一つであるSchemeの影響を受けていて、リストを基本にした内部処理・遅延評価・静的スコープなどの特徴をもつ。インスタンス生成などオブジェクト指向機能ももっている。手続的な表記法にはCの影響がある。いわゆる「Hello, world」プログラムのコードと実行結果は以下とおり。
for, if, while, repeat, switch, break といった構造化構文がある。自前の関数(手続き)を定義でき、自前の二項演算子さえも定義できる。関数は function 関数で生成する。次に、階乗を計算する自前の関数を生成し、toyfactorial として呼出せるようにする例を示す。
上記は実用的ではないかもしれないが、関数のネスティング・再帰呼び出し・スコープの例として挙げた。R言語ではPascalやModula-2のように関数のネスティングが可能である。この例では、関数内部でさらに局所的な関数を生成し、f として参照している。スコープもPascal等と同様、辞書式で、関数 f の中ではその外側にある toyfactorial の変数が「見える」。f は局所変数なので、関数の外側に同じ名前の変数があっても影響を与えない。ただし、Rでは呼び出しスタックをさかのぼる動的スコープも実現可能である。
f の内部では自分の名前を参照できないので、自分自身を再帰的に呼び出すために Recall 関数を用いている。関数型の引数を利用することもでき、その場合複数の関数が互いに呼び出しあうことができ、また無名の関数をその場で定義して関数型の引数として渡せる。一種の複文のような用途に用いられる。NA(not available) は統計処理においては欠くことのできない特殊なデータ「欠損値」(欠測値)(missing value)で、データが無効であることを示す。
R言語の関数はそれ自体がオブジェクトであり、ある関数自体を外から参照したり書き換えられる。関数の本体部分を返す body 関数・仮引数リストを返す formals 関数・関数に付随する環境を返す environment 関数などが用意されている。
渡された式そのものを操作可能で、特定の環境(名前とポインタのリスト)の下で与えられた式を評価する eval 関数・渡された式の要素を環境に応じて置き換える substitute 関数・式を文字列に分解する deparse 関数等がある。
関数呼び出しも一種のリストとして処理されており、次のように call 関数を用いて、関数名と引数のリストから関数呼び出しオブジェクトを生成できる。
関数はファイルから読み込むこともでき、さらには、パッケージとしてひとまとまりにもできる。
R言語には継承やメソッドの実行時ディスパッチといったオブジェクト指向プログラミングの手法が取り入られており、数多くの総称的な (generic) 関数を持つ。これは同じ関数名であっても、取り扱うオブジェクトが属しているクラスによって独自の方法で処理を行うものである。Rでは、クラスはオブジェクトに付随する属性として扱われるものの一つであり、リストとして保持される。
数値型(複素数を含む)・文字型・論理型といった基本的な型やベクトル・リスト・行列といった統計処理や情報処理に必要な型を備えている。既述のように、関数それ自体もデータである。データフレームは配列ないしはリストの拡張版で、コラムごとに異なったデータ型を持てるため、表の形で表現されたデータを格納/操作するのに有用である。データフレームは行列から生成することもあるが、ここではリストとの関連で説明する。
ベクトル型は、データをある順序で並べたものである。 2:5 または c(2, 3, 4, 5) は数値型データ2, 3, 4, 5をこの順序で並べたものである。変数 a, b を同じ要素数をもつ数値型データのベクトルとすると、 a + b は両ベクトルを要素毎に加算してできた、同じ要素数の数値型ベクトルを返す。 a + 1 はベクトル a の各要素に1を加算したベクトルを返す。 c('猫', '猫', '犬') のように文字(列)型・論理型データを要素とするベクトルを作ることもできる。
リスト型は様々な型のデータを並べたものである。ベクトルのリストやリストのリストも可能である。 list 関数によって生成できる。
文字型データを要素とするベクトル f1 ・数値型データを要素とするベクトル f2 からリスト f が生成される。 field1, field2 はリストの要素を指す「タグ」である。LISP風のdotted pair listも実装されているので必要に応じて用いられる。
さて、上記の2つのベクトル f1, f2 の要素数は等しい。このような場合、リストをデータフレームに変換できる。
dfはデータフレーム型変数であり、各ROW(以下「行」)に「たま」「みけ」「ぽち」のラベルがつく。
もうすこし大きな表、例えば
を例えば「犬猫」という名前の変数にデータフレームとして付値(代入に相当)すると、その内容は
犬猫 種 性別 月齢 愛らしさ たま 猫 ♀ 1 5 しろ 猫 ♂ 2 4 くろ 猫 ♂ 1 5 みけ 猫 ♀ 3 5 ぶち 猫 ♂ 12 3 とら 猫 ♂ 18 2 みゃぁ 猫 ♀ 30 4 猫じゃ 猫 ♂ 80 0 ぽち 犬 ♀ 2 5 ころ 犬 ♀ 10 5 たろ 犬 ♂ 40 3 じろ 犬 ♂ 40 3 じんぺい 犬 ♂ 50 2 わん 犬 ♀ 60 4 のらくろ 犬 ♂ 100 5
のように、本来のデータをよく表現するものとなっている。それだけでなく、「猫」「犬」「♀」「♂」などの文字データは内部的に因子ないしはカテゴリに変換されている。データフレームから特定のデータコラムを抽出するには 変数名$タグ名 、例えば、 犬猫$月齢 とする。特定のデータ行だけを抽出するには subset 関数または要素の指定 [ ] を用いる。例えば、
は「愛らしさ」の平均値を猫と犬の間でt検定する(この例では、p値 = 0.6537 となる)。
Rには標準状態でも統計、検定、解析向けの強力な関数が備わっており、必要に応じて新たな関数を定義でき(既述のとおり、CやFORTRANなどによって記述し、外部でコンパイルした関数を呼び出せる)、自分でプログラムを書かなくても、多くのパッケージを利用できる。これに加えて、便利な入出力機能やグラフ作成機能を備えている。
ベクトルを読み込む scan 関数や簡易にデータフレームを読み込める read.table 関数等のようにテキストファイル入出力用のさまざまな関数が用意されている。また、市販の統計解析パッケージSPSS・SAS等の独自形式バイナリデータを直接扱うこともできる。画像をバイナリデータとして読むこともでき、読み込み後は行列として扱えるので、画像処理にも用い得る。パイプやソケット(ポート参照)を扱う関数も用意されている。
plot 関数によって多彩なプロットができる。 plot は総称的な関数であり、引数として渡されたデータの種類によって、自動的に様々なグラフを描き分ける。他にヒストグラムを描画する関数、イメージを描画する関数など高レベルの描画関数がある。これらはデフォルトでも機能するが、細かなパラメーターを指定することもできる。加えて、単に線を引いたり点を打ったりする低レベルの描画関数も用意されているため、好みのグラフを生成できる。プロットは画面に対して行われるだけでなく、PDF・SVG・PS・PNGといった形式の出力を直接行える。
図にデフォルトでのプロット例を示す。上から順に plot(犬猫$種, 犬猫$性別) ・ plot(sin(seq(0, 2 *pi, 0.1))) ・ image(x <- -50:50, x, x %*% t(x)) の実行結果である。 seq 関数は等差級数からなるベクトルを生成する。 %*% は行列の積を計算する演算子、 t は転置行列を生成する関数である。最初の例では先に扱った動物種毎の性比を表示、次の例では、正弦関数(自動的にベクトルの添字が横軸となり、ベクトル生成式が縦軸のラベルとなっている)を表示し、最後の例では、引数を評価する中でベクトルを生成してxに代入し、積を計算し、その各要素の値を色の濃さで表現している。
現在の作業状況に名前を付けて保存し、後に再利用できる。コマンドを発行するコンソールの内容も保存できるので、どのような処理を行って結果を得たかを確実に記録し、再現できる。発見的操作を伴う研究用途では極めて重要な要素である。
日本語に対応しており、関数名・変数名・コメントなどに日本語を使える。
CRAN (The Comprehensive R Archive Network) からダウンロード・インストールすれば直ちにRを利用開始できる。動作環境はマルチプラットフォームに対応し、Windows・macOS・UNIX・Linuxで動作する。アップデートは精力的に継続され、ソースコードもCRANにて公開されている。
Rの用語でパッケージとはR言語のプログラムを配布用の形式に保存したものをいう。関数やデータセット・リファレンスマニュアルなどがひとまとめにされた、いわば、でき合いのアプリケーション・関数ライブラリ・データベースなどといえる。Rにはあらかじめいくつかの標準パッケージが添付されており、たとえば、3層ニューラルネット (nnet) などがすぐに利用できる。
CRANを使い、インターネット越しに随時パッケージの一覧検索・ダウンロード・インストール・作業領域へのロード・アップデートをRシステムが管理する。パッケージ間で関数を引用しあう依存関係も自動的に処理され、ユーザーが気を配らなくてよい。Rユーザから見ると、CRANはRとシームレスに統合された機能の一部になっている。世界中のRユーザーが作成したパッケージがCRANで公開されており、これらは自由に使用できる。CRANはR資産の知識共有メカニズムともいえ、CRANによってRの機能は日々強化されている。R本体のみでも機能は潤沢だが、第一線ユーザ達の実務経験が反映した豊富なパッケージ群は、大きな助力となり得る。
パッケージのダウンロードは自由に手動でできるが、相互依存関係の解決やインストール・アップデート・ロード管理は人手で行なうとわずらわしいので、そのための機能を備えているRシステムに一元管理させるのが推奨される。パッケージの管理をR自体が行なうためには、あらかじめいずれかのCRANサイトを手元のRシステムに登録設定しておく必要がある。設定は一度行なえばよい。
なお、パッケージを用いなければ上記設定をしなくてもRを使うことはできる、また、オフラインのみでRを使用しても問題はない。パッケージが必要になった時に改めてCRANに接続するようにすればよい。
Rユーザー自身がパッケージを作成するためのツールキットが、標準パッケージとしてRに添付されている。
Rは以下の標準インタフェース画面を通じて用いる。
厳密に言えば、この方式はマルチウインドウのGUIと言えなくはないが、Rを操作する「コンソールウィンドウ」は「命令をテキスト入力して使うCUI」である。この点についてユーザーの間でも商業ソフトに見られるようなマウスオペレーションを望む声は多く、それに呼応してR CommanderというGUIがCRANからパッケージとして提供されている。
R標準以外のGUIを利用する方法として、RStudio・Tinn-Rがある。なお、他にも、GNUの時系列解析環境であるgretlがあり、そのGUIを通じてRを操作できる。(gretlはR以外に対しても使用できる。)また、データ分析プロセスをフローチャート式に描くことでプログラムできるR AnalyticFlowというソフトウェアも企業から無償提供されている。
インタプリタ言語であることから、R言語の処理速度は不当に低く評価されることが多い。しかしS言語商用版であるS-PLUSよりも多くの場合高速であるばかりか、汎用行列系言語のスタンダードとも言えるMATLABやその派生語のGNU Octave・Scilabよりも総合的に高速であるという評価例がある。
「特徴」にもあるとおり、「統計計算に特化した情報処理」機能を充分生かしてこそ高い生産性を発揮できる。生産性の最たる「計算速度」への効果に関しては、基本的な作法が幾つも提唱されている。
R言語プログラムの高速化を目指すときは、R言語に組み込みの関数群が充分に高速化されているので、これらを活用すべきである。組み込み関数と同じ機能を新たにコーディングすることは避けなければならない。
ベクトルを纏めて扱える関数がある場合では、それを用いる。ベクトル要素ごとに分けて処理すると、速度は低下する。論理判断を含んだループ処理をするのは、多くの場合、間違った方法である。それに替えて論理添字集合の操作で一挙に答えを出すといった方法が推奨される。R言語に限らず行列系言語何れにおいても、高速化するには「forやrepeatといったループ系の命令を無駄に使わず、極力ベクトル化(あるいは行列化)する」ことが基本である。
上述の通り、標準機能と同目的の自家製コード(車輪の再発明)は忌避すべきなのに、例えば参照先に挙げたサイトでは言語別の類似条件下での処理速度比較を標榜しつつも、クイックソートなどを当然のようにループとifのネスティングで組んでいる。わざわざ不得手なことをさせずとも、R標準装備のソート関数「sort」ならば関数ひとつで済み、再発明コードの50倍ほどの速度で実行できる。 。
ところで、どの計算機言語を使うにせよ、多くの分析者ユーザーにとってはコーディング自体が目的でなく、コードの実行結果を得るのが目的である。
となると、自前の新たな分析コード開発に際して、コーディングの試行錯誤だけに例えば数時間とか数日を費やすよりは、分析を企図してから数十秒とか数十分で信頼できるコードを組み立て正しい分析結果を迅速に得て先へ進む方が、圧倒的に有意義である。こういう時にコード実行時間だけ抜き出して比較しても意味はない。
Rは統計分析に頻繁に登場するSIMD風の高水準な処理概念をそのまま記述できるため、「動く擬似コード」の実行環境としても利用できる。あるいは、高水準分析ロジックを検証する「プロトタイピングツール」と見ても良い。Rで正しい動作が確認できたのち、コードの実行速度が必要な場合は改めて最適な言語に翻訳すれば、大枠のロジック検証は省くことができて開発全体を高速化したことになる。
教育課程から実務への移行や職務環境の変化が生じると、利用可能な計算資源というものは変わってしまう。
R言語の登場以前は、学術論文など社会的信頼性を要求される統計データの処理環境といえば高額なプロプライエタリソフトウェアばかりが前提とされた。だが、これでは継続的な予算がつかなくなれば環境のサポートやアップデートは停止してしまい、極端な話、予算が元から無い立場に異動してしまうと在来の統計処理が何もできなくなる事態になり兼ねない。
統計家にとっては、今まで習得し錬成した手法と蓄積したデータとその運用方法は例え環境が変化しようとも継承できなくては困る。この意味から、他に多く存在するプロプライエタリ・「生かすも殺すも版権保持者の都合次第」というような統計処理ツールと比べ、R言語のようなオープンソースで、それゆえ、CRANパッケージ等によって日々機能拡張し得る、つまり、「フリーソフトウェアの精神に則り永続的で世界規模な集合知に支えられ、無償でありながら高い信頼に値する。」統計環境というのは、統計家の長期的な生産性に大きく寄与する「持続可能な統計環境」と言える。
Rパッケージ数の飛躍的な増大に見られるとおり、統計学を超えて学問分野や業界を問わず、金融工学・時系列分析・機械学習・データマイニング・バイオインフォマティクスなど、柔軟なデータ解析や視覚化そして知識共有の需要に応え得るR言語の普及は世界的な広がりを見せている。
近年では、生命科学分野のためのRパッケージプロジェクトのBioconductorが立ち上がり、既に多くのゲノムスケール関連のパッケージが配布されている。ゲノムスケールデータの諸情報、すなわち、大規模遺伝子発現プロファイル・質量分析データ・蛋白質相互作用データなどを解析するプログラムやデータをRパッケージとしてRユーザーに配布する仕組みである。
また、アメリカ食品医薬品局 (FDA) への、嘗てSAS一辺倒だった、薬事申請や報告の際にも現在ではRが用いられている。
SPSSでは、2009年より製品名をPASW Statisticsと改め、R言語との連携強化を発表した。SPSSのインタフェースからR言語の機能を使える。
2009年7月にSAS Instituteは"R Interface Coming to SAS/IML Studio"によってSASからR言語へのインタフェースを提供することを発表した。SAS InstituteのWebサイトには、新たな統計手法は大抵の場合は真先にR言語上で実装されるという現状を踏まえて、SASユーザーの要望に応えてインタフェースの提供を行なう、との旨が述べられている。
RGLと呼ばれる3Dグラフ描画パッケージも提供されている。このパッケージを使用することでOpenGLにより実現される高速かつ美麗な3DCGを用いてデータのグラフ化が出来る。
NSX(エヌエスエックス)は、本田技研工業(ホンダ、Honda)がかつて生産、販売していた2シーターのミッドシップスポーツカーである。
キャッチコピーは『our dreams come true』、『緊張ではない、解放するスポーツだ』。 車名はホンダの新しいスポーツカー、「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」を合成させたNew SportsCar Xの略である。
もともとは第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表、翌1990年9月14日の販売開始から2006年1月末までの16年間、フルモデルチェンジを行うことなく製造され、2005年12月まで販売された。
価格は販売当初、1グレードのみの800万円(AT仕様は60万円高)に始まり、車両の改良や装備の追加などによる値上がりとカスタムオーダープランへの対応で900万 - 1,500万円台にもなった。なお、この15年間は当時のスポーツカーの新車価格では日本車最高額だった。ホンダにおけるフラッグシップの役割を担っていたが、生産終了以降はレジェンドにその座を譲った。
エンジンを運転席後方に搭載し後輪を駆動するミッドシップエンジン・リアドライブ方式 (MR) を採用し、市販自動車としては世界初の「オールアルミモノコック・ボディー」を採用した。1990年にはこのボディ構造が、社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」の「車体」部門で「剛性解析により理想的な高剛性設計とした」として選出されている。その特殊性から、工場に発電所を併設したり、大工場での産業用ロボットによる流れ作業製作ではなく、エンジンと同様に車両の生産は全て手作業で行っていた。このような特色と価格帯から、日本車では数少ないスーパーカーとも評される。日本での販売店はベルノ店。
日本国外ではホンダブランドのほか、北米ではホンダの高級車チャンネルのアキュラブランドから日本名と同じ「NSX」の名前で販売された。欧米で2006年から始まる燃費・排ガス環境規制への対応が難しいため、欧州向けは2005年9月末、北米向けは同年12月末、国内向けは2005年をもって生産終了となった。
1984年、前年からF1エンジン製造者として参戦していたホンダは、得意分野である前輪駆動とは異なる駆動方式を本田技術研究所の研究の元で何とか市販化できないかと模索していた。3月頃F1参戦への祝賀会及び決起会を開催した際に、当時業界関係者として参加者であったモータージャーナリスト・元レーシングドライバー黒澤元治が当時取締役常務の川本信彦に助言したことが車両開発の契機となる。その後黒澤は開発ドライバーを担当する。
「世界最高峰の技術を投入したハイパフォーマンススポーツ」を目標理念として、上原繁を開発責任者に据え開発に着手。操縦安定性を専門に研究していた上原の意向・当時タイヤ開発も兼任していた黒澤のタイヤマッチングとハンドリングドライバビリティーの両立にこだわった車を目指すべきという意向から、F1技術の応用としてミッドシップ・リアドライブ(MR)方式と軽量なオールアルミボディの採用など、当時の革新的な技術が開発・採用されるに至った。
開発にあたっては高級・高性能なスポーツカーが比較対象になったが、特にフェラーリのV型8気筒モデル「328」を越える走行性能を目指して開発され、個体性能差が大きかった328をデータ取りのために何台も購入したといわれている。開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがエンジンを供給していたF1チームのドライバーが1日のみ走行テストに参加した。車両をテストした彼らからボディ剛性の低さを指摘されたため、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンクなどでの走行テストを繰り返し実施したとも言われている。当時ニュルブルクリンクでの走行テストは、テスト車両のみを持ち込み走り込むというものが主流である中で、サーキットに程近いミューレンバッハ村にテスト基地を建設し、8か月(冬季は封鎖)にわたり走行テストを繰り返すという姿勢で開発に臨んだ。その結果、世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディが完成した。
搭載するエンジンはさまざまな案が提案され、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案から、2.0 Lの直列4気筒エンジンが搭載される予定だった。しかし、社内事情やアメリカ市場を見据えたリサーチなどから、レジェンドのC27A型エンジンをベースにした3.0L・V6 SOHC (250 PS / 6,800 rpm) を搭載する計画に変更された。さらには同社B型エンジンに追加された新機構のVTECに対する市場の好評を受け、DOHC VTEC化がなされた。DOHC化によりシリンダーヘッドが大きくなることから、ホイールベースの延長を余儀なくされたが、エンジンを傾斜させて全長を30 mm延長することで対処している。
外見の特徴であるリアオーバーハングの長さの理由は2つあり、ひとつはマフラーをエンジンルームから遠ざけ、ルーム内の温度上昇を防ぎエンジン補機類の寿命を延長すること、もうひとつは空力性能の向上による高速走行時の安定性向上のためである。副次的作用として、オプションの専用ゴルフバッグや交換したタイヤが搭載可能なトランクが用意され、マフラーからの熱は受けるもののスペシャルティカーとしても高い実用性を有している。
当時のスーパースポーツの多くは「車中心」の設計思想が主流で、運転姿勢や快適装備などでドライバーに負担を強いる部分が多数あったのに対し、NSXではそれを考慮して「ドライバー中心」のスポーツカーとすることを目標とした。
例えばスタイリング上の特徴に、F-16戦闘機のキャノピーをモチーフとしたフロントウィンドウがあり、従来のスーパーカーと比較して運転席からの視界は良好なものとなっている。実際に運転席からの水平方向の視界は311.8度ある。
型式は3.0 L車がNA1型、3.2 L車がNA2型。
1990年の生産開始にあわせてアルミニウムを電気溶接する際の電力消費を補うため、工場敷地内に発電所を備えた専用生産工場を、栃木県塩谷郡高根沢町にホンダ栃木製作所高根沢工場として建設した。当時の日本ではバブル景気が続いており、NSXは発売当初、3年先まで予約の入る人気となり、中古車が新車を上回るプレミア価格で販売されるという現象もみられた。これに対し、ホンダはNSXを約半年で納車できるようにするために製造工員を倍にしての二交代体制を敷き、1日あたり25台の生産数を倍にする増産体制をとった。
しかしながら直後にバブル崩壊を迎え、発売翌年の1991年(平成3年)になるとキャンセルが相次ぐ事態となった。生産台数は1991年をピークに減少傾向となり、販売開始から10年が経った21世紀以後の年間生産台数は日本国内外合わせて年間300台程度に下落した。
2004年4月にホンダの完成車一貫生産構想に基づき、高根沢工場での生産を終了し、三重県鈴鹿市にある鈴鹿製作所の少量車種専用ライン、TDライン(Takumi Dreamライン)へ生産を移管した。一方、製造は完全受注生産であり、ほとんどを手作業で製造されることから納車には2か月 - 3か月半を要していた。この頃、月間生産数はわずか10台ほど(日本向けはその半分程度)まで減少していた。
2005年7月の生産終了発表以降は駆け込み需要で注文が殺到し、わずか1週間ほどで生産予定枠の注文数を満たしたことから早々に販売受付が打ち切られた。
生産ラインは閉じられたが、経年車を生産工場に戻し、新車時の性能や質感を蘇らせる「NSXリフレッシュプラン」が継続されている。
バブル景気で予約が殺到した日本に加えて日本国外でも高い評価を得たNSXは、日米欧で累計1万8,734台を販売、そのうち日本での販売台数は7,415台であった。うち6,000台余りが1991年以前の初期モデルである。
現在の中古車市場におけるNSXの価格は、2005年の生産終了前後から状態の良いものには高値が付くことが多い(とりわけタイプRでは顕著)。2007年の段階で6,600台ほどが現存していたという。
元々レース参戦用のホモロゲーションを考慮した車両ではなかったため、1990年の発表当初はレース活動には全く使用されず、エンジンのみが改造され1990年より3年間アメリカのIMSAに参戦 (ACURA-SPICE SE90CL) し、キャメル GTP Lightクラスにおいてドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを3年連続で獲得している。
1992年の「NSX-R」投入以後から、それをベース車両として徐々に日本国内外でレース活動を行うようになる。1993年から2年間はドイツ国内レースの「ADAC GT CUP」(ドイツツーリングカー選手権 (DTM) よりも改造範囲が限定された市販車により近いカテゴリー)に投入し、BMWやポルシェらと戦い優勝もしたが、日本国外のローカルレースのために日本国内ではそれほど話題にはならなかった。しかし、その車両を改良し1994年から3年間にわたってル・マン24時間レースに参戦した際は、日本人レーシングドライバーも多数登用されたこともあって日本国内においても話題となった。1994年はル・マン24時間レースなどの耐久レースで実績を持つクレマー・レーシングと組んで参戦し、相次ぐ駆動系トラブルに苦しみながらも14、16、18位と全車完走した。1995年はGT1クラスにワークス・チーム、GT2クラスにチーム国光と中嶋企画のプライベートチームが参戦し、チーム国光がGT2クラス優勝(ドライバーは高橋国光/土屋圭市/飯田章)を果たした。1996年はGT2クラスにチーム国光のみが参戦し、クラス3位を獲得した。しかしこの年を最後にNSXはル・マンから去っている。
ル・マン24時間レースに参戦したマシンは、全てイギリスのTCPが製造していた。1995年にGT1クラスにエントリーした「NSX GT1」は、車体剛性を高める目的でタルガトップの「NSX-T」をベースとして製作され、さらに高速走行時の安定を図るためにロングテール仕様となっており、3台中1台はターボエンジンを搭載していた。しかしGT1クラスはトラブルや深夜のクラッシュなどで全く成績を残せず、1年で姿を消している。
改造範囲が限定された市販車により近いスーパー耐久にも参戦しているほか、全日本ジムカーナ選手権でも1999年・2004年・2005年に山野哲也がシリーズチャンピオンを獲得するなどの活躍を見せている。日本国外においてはニュルブルクリンク24時間レースに2003年から毎年参戦している。
1996年からは、市販車レース国内最高峰の全日本GT選手権 (JGTC) に参戦を開始した。参戦初年度はル・マンGT2車両を使用したが、翌年よりN-GT車両を使用した。そして、2000年にはGT500クラスで(ドライバーは道上龍)、2004年にはGT300クラスで(ドライバーは山野哲也/八木宏之)年度チャンピオンを獲得しているが、ミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされて、その後は良い結果が残せなくなった。2004年のGT500クラスには、それまでのC32B改に代えてC30Aにターボを装着したエンジンを投入したが、結果としてマシンの重量バランスが崩れる・冷却系のレイアウトに無理が出るなどの問題を抱え不振に終わり、2005年のシーズン途中にはエンジンを元に戻すことになる。当時の開発リーダーだった白井裕(後に日本レースプロモーション社長)は「エンジンをターボ化するという私の判断が間違っていた」と自らの非を認めている。
選手権の名称が「SUPER GT」となった2005年よりベース車両を「NSX-R GT」に変更した結果、コンスタントに優勝を飾るなどして復調のきざしが見え、2007年には再びGT500クラスで年度チャンピオンを獲得した(ドライバーは伊藤大輔/ラルフ・ファーマン)。また、同年の開幕戦(鈴鹿サーキット)の公式予選にて伊藤大輔が1分49秒842を記録し、それは2014年に車両規定が大幅に変更されるまで更新されることは無かった。しかしそれ以降は再度不利な状況が続き、2009年を最後にSUPER GTから撤退することが表明された。RAYBRIG NSX、ARTA NSX、KEIHIN NSX、TAKATA 童夢 NSX(2009年シーズンのみROCK ST☆R 童夢 NSX)、EPSON NSXなどのマシンでホンダは出場してきたが、2010年からは、新型車両「ホンダ・HSV-010」で参戦することとなった。なお、当車の2009年モデルの足回りはGT300仕様のCR-Zに流用されている。
1992年、ホンダから栃木県警察にNA1型のパトカーが寄贈された。同車は高速道路交通警察隊に配備されていたが事故で廃車となったため、その後継として1999年、ホンダからNA2型のパトカーが改めて寄贈された。
DIN規格のオーディオスペースがないため、サイレンアンプおよびストップメーターは助手席に装備される。警察車両では珍しく希望ナンバーで「・110」を取得している。
NA2型のパトカーは2019年現在も現役で、県内で警察関係の啓発イベントがある際にはしばしば出動、展示される。
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