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松平直道


松平直道


松平 直道(まつだいら なおみち)は、江戸時代中期の大名。出雲国母里藩4代藩主。直政系越前松平家母里藩分家4代。

略歴

享保9年(1724年)誕生。3代藩主・松平直員の長男。母は島氏。幼名は辰之助。

明和2年(1765年)、父・直員の隠居に伴い家督を継ぐ。従五位下大隅守に任官。 直道には世子がなかったため、父・直員は次男(直道の弟)の直行に家督を相続させようとしたが、直道はこれに反対し、家臣の平山弾右衛門に下げ渡したかつての愛妾が生んだ子・弥市を世子に据えようとしたことでお家騒動(母里騒動)が発生した。結局、明和3年(1766年)5月18日に事件が公に露見し、本藩の松江藩の介入により平山を斬首、その他関わった一味を追放処分とすることで収まり、世子は当初の直員の思惑通り直行に決定した。

明和4年(1767年)隠居し、弟で養子の直行に家督を譲る。

安永5年(1776年)、死去。


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 松平直道 by Wikipedia (Historical)