ハリウッドザコシショウ(本名:中澤 滋紀〈なかざわ しげき〉、1974年〈昭和49年〉2月13日 - )は、日本のピン芸人。R-1ぐらんぷり2016優勝者。
静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。吉本興業(1993年 - 1999年)、ワタナベエンターテインメント(2002年)、フリー(2000年 - 2001年・2003年 - 2004年)を経て、2005年以降はソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)所属。
旧芸名はザコシショウ(「雑魚の中の師匠」に由来し、コンビ時代の相方の学生時代のあだ名を拝借したもの。活動初期には「ザコ師匠」表記も用いた)。「ザコ シショウ」の表記は、現芸名への改名後も略表記として用いられている。愛称は「ザコシ」(ライブイベント名や番組名などに用いられる。後述)。
本人曰く幼少期は「根暗根暗の大根暗」な性格で、女子と遊ぶことが多かったため、いじめられっ子だった。母親はザコシショウのためにいじめっ子の家を一軒ずつ訪ねて回り、「どうか息子のことはいじめないでください」と頭を下げて頼んだ。そんな母親と一緒にテレビでお笑い番組を観ていた時、母に「この人たちは、面白いというだけでみんなに尊敬されてるんだよ」と言われたことがお笑いを目指すきっかけの一つだった。また、ビートたけしの存在が芸人をやりたいと思ったきっかけとも話している。小学校3年生の頃から、いじめをはね返すために「調子乗りみたいなこと」をするようになり、そのうち教師のモノマネなどをして同級生を笑わせるようになる。
清水市立第二中学校(現:静岡市立清水第二中学校)を経て、静岡県立清水工業高等学校(現:静岡県立科学技術高等学校)卒業。1992年、高校の同級生の静岡茶っぱ(本名:浅井 和仁)と共に大阪吉本総合芸能学院(NSC)に11期生として入学。同期は陣内智則、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじなど。
翌1993年、静岡茶っぱとのコンビ「G★MENS(ジーメンス)」としてデビュー。上述のとおり最初の芸名「ザコシショウ」は、高校時代、「不良グループに絡まれるメンバーの中で威張る=ザコの中の師匠」であった茶っぱに、ザコシショウが名付けたあだ名であったが、茶っぱが芸名に用いることを拒否したために、自分が名乗ることにしたものである。このためザコシショウ自身は「僕は“2代目ザコシショウ”なんです」としている。コンビ時代は主に心斎橋筋2丁目劇場に出演し、ザコシショウと茶っぱの両方がわめき散らすなど、ハイテンションでシュールな芸風だった(2人とも静岡弁がきつく、大阪ではツッコミの台詞に訛りがあるとウケないため、このような芸風になったという)。この頃に競演していた芸人とは現在も親交が深く、ケンドーコバヤシとは「ザコバ」というユニットを組んだり、ジャリズム・渡辺鐘(世界のナベアツ)らを加えて「ザコバwith港超」というユニットを組んだりしている。1999年、心斎橋筋2丁目劇場の閉館とbaseよしもとの開館に際して、劇場ランクの最下位であったG★MENSはリストラ組の3組に入る。これをきっかけに吉本を辞め、活動拠点を東京に移すため静岡茶っぱと共に上京。オーディションを経てワタナベエンターテインメントと契約する。
2002年、静岡茶っぱの芸人廃業に伴いコンビの活動を停止し、ピン芸人としての活動を始める。その際、芸名を「ハリウッドザコシショウ」に改めた。新芸名はアメリカ合衆国のプロレスラー、ハルク・ホーガンがユニット「nWo」を結成した際に「ハリウッド・ハルク・ホーガン」と名乗ったことにちなんだものである。SMAとの契約後、それまでの所属事務所では経験しなかったインディーズ系のお笑いライブに多く出演するようになり、芸について「イチから勉強をし直した」。
2007年10月10日放送開始の『あらびき団』(TBS)に初回から出演。最多の出演回数を誇り、「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年3月6日放送の『R-1ぐらんぷり』(関西テレビ/フジテレビ)では決勝まで進出し、今までの世間の評価とは裏腹に小島よしお、ゆりやんレトリィバァの2芸人を抑え、圧倒的な得票差で優勝を果たした。R-1でのキャッチコピーは『ルール無用のお笑い超人』。
2021年3月、この年からリニューアルを果たした「R-1グランプリ」にて審査員を務める。
「は〜ぃ。……と言ぅてる訳ですけどね」などとベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う。上述の段ボール工作で作った衣装によって、登場したときの容姿でインパクトを与える(出オチ)目的のネタもある。
など
「誇張しすぎた○○」と称し、人物や架空のキャラクターなどの特徴を原型をとどめないまでにデフォルメして行うモノマネ芸。「普通の○○は、△△。……ですけども〜、誇張した○○は……□□! でさぁ〜ねぇ〜」と、普通のモノマネをしてから誇張したモノマネを披露する。
本人曰く上記の漫談ネタを発展させたパッケージであり、上記のような「ただ変わり者が舞台に出てくるっていう状況」の前に普通のモノマネを演じることで「比較対象があれば『全然ちゃうやないかい!』(略)『なんでそうなるねん』と笑いが起きる」ことを目指したもの。
「ネタが2兆個ある」と自称している。コンビ時代のものも含めた今までやって来たすべてのネタが使えるということで、あながち嘘ではないという。
2009年3月11日より毎日動画配信を行なっている。事務所からブログを書くよう指示されたが、文章を書くのが面倒だったため「ザコシの動画でポン!」の記事名で動画投稿を始めた。最初はアメーバブログにあった動画配信機能(AmebaVision)を使っていたが、2009年9月より、「ザコシの動画でポン!」は動画部分にYouTubeの埋め込みを使用するようになり、事実上YouTubeチャンネルに移行した。企画内容はネタ、トーク、自作アニメーション、芸人仲間から寄せられた動画の品評など多岐にわたる。お笑い芸人に限らずYouTuberを含めても非常に早い試みであり、「HIKAKINよりも早い」という。この動画投稿からライブ用の映像ネタなどが生まれている(後述)。
2021年4月にはライブDVDの発売元であるコンテンツリーグの制作による第2のチャンネル「ハリウッドザコシショウの地獄大連発チャンネル」を開設した(不定期更新)。開設時の本人コメント曰くザコシ個人の制作による「ザコシの動画でポン!」は「動画実験場」であり、「地獄大連発チャンネル」が「待望の公式YouTubeチャンネル」であるとしている。
2016年大会の決勝記者会見で第1回から出場していた旨を語っているが、実際に出場したのは第3回から。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou