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ミスター・レスリング


ミスター・レスリング


ミスター・レスリングMr. Wrestling)ことティム・ウッズTim Woods、本名:George Burrell Woodin、1934年7月28日 - 2002年11月30日)は、アメリカ合衆国の覆面レスラー。ニューヨーク州ユーティカ出身。日本では「ティム・ウッド」とも表記された。活動当時のアメリカの覆面レスラーでは珍しい正統派であり、日本での異名は「正義の白覆面」。

ミシガン州立大学ではレスリングで活躍し、1955年と1957年にAAUのナショナル・チャンピオンとなり、1958年と1959年にはミシガン州におけるビッグ・テン・カンファレンスに選ばれている。

来歴

  • 1963年 - ティム・ウッズをリングネームに、素顔でプロレスデビュー。
  • 1965年 - ネブラスカ州のプロモーターの勧めでミスター・レスリングを名乗り覆面レスラーに変身。
  • 同年11月、スタン・プラスキーを破りネブラスカ・ヘビー級王座を獲得。以降、1967年1月にデール・ルイスに敗れるまで戴冠。
  • 1966年1月 - 素顔のティム・ウッズとしてマッドドッグ・バションのAWA世界ヘビー級王座に挑戦、フォール勝ちを収めるが、ロープが足にかかっていたとしてタイトル奪取は無効とされる。
  • 1970年12月 - テキサス州ダラスにてジョージ・スコットと組み、テキサス・アウトローズ(ダスティ・ローデス&ディック・マードック)からNWAアメリカン・タッグ王座を奪取。
  • 1970年代はフロリダ、ジョージア、ミッドアトランティック地区を転戦。フロリダ地区では素顔で戦っていた時期もある。
  • 1972年7月 - フロリダ州マイアミにてヒロ・マツダと組み、ボブ・オートン&デニス・ホールからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取。
  • 同年9月 - トーナメント決勝でジャック・ブリスコを下しNWAフロリダ・TV王座を獲得。
  • 1973年8月 - グレート・メフィストからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取。
  • 1974年4月 - 全日本プロレスの『第2回チャンピオン・カーニバル』に初来日。トーナメント1回戦でマティ鈴木、2回戦でサンダー杉山、準決勝でジャンボ鶴田を破り勝ち進むも、決勝でジャイアント馬場に敗れる。
  • 同年8月 - ミスター・レスリング2号(ジョニー・ウォーカー)と組んでミネソタ・レッキング・クルー(ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)からNWAジョージア・タッグ王座を奪取。
  • 1975年4月 - 全日本プロレス『第3回チャンピオン・カーニバル』に再来日。予選トーナメントで同ブロックのサムソン・クツワダと鶴田を破り、各ブロックの勝者4人による総当たりの決勝リーグ戦に進むも、馬場、ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキーに敗退。
  • 同年10月 - セスナ機で移動中に墜落事故に遭遇、短期間で奇跡的な復帰を果たしたが、同乗していたジョニー・バレンタインやリック・フレアーは背骨を骨折する重傷を負った(バレンタインはこの事故により引退)。
  • 同年12月 - 全日本プロレス『オープン選手権』に来日。公式戦ではデストロイヤー、ドン・レオ・ジョナサン、ホースト・ホフマン、グレート草津、マイティ井上と対戦した。当時主戦場としていたミッドアトランティック地区のジム・クロケット・ジュニア推薦という触れ込みだった。
  • 1976年5月 - ディノ・ブラボーと組んでミネソタ・レッキング・クルーからミッドアトランティック版NWA世界タッグ王座を奪取。
  • 同年10月 - アンジェロ・モスカを破りNWAミッドアトランティック・TV王座を獲得。
  • 同年11月 - ブラボーとのコンビでNWAミッドアトランティック・タッグ王座争奪トーナメントに出場、決勝でジャック・グレイ&ミシェル・デュボアを破り王者チームとなる。
  • 1977年1月 - レスリング2号との覆面コンビでミネソタ・レッキング・クルーからNWAジョージア・タッグ王座を再度奪取。
  • 1978年3月 - ブラックジャック・マリガンを破りNWA USヘビー級王座(後のWCW US王座、現在のWWE US王座)を獲得。
  • 1979年11月 - 全日本プロレス『'79世界最強タッグ決定リーグ戦」にマスクド・ストラングラー(ホセ・リベラ)をパートナーとして参加。馬場&鶴田、ザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク、ミル・マスカラス&ドス・カラス、大木金太郎&キラー・トーア・カマタ、ワフー・マクダニエル&フランク・ヒルなどのチームと対戦したが、パートナーが弱体であり(当初はデストロイヤーと組んで参加する予定だった)、同じ覆面コンビでマスカラス・ブラザーズが参戦していたこともあって、人気・戦績とも振るわず、これが最後の来日となった。シリーズ中はドリー・ファンク・ジュニアやテリー・ファンクとのシングルマッチも行われた。
  • 1980年 - レスリング2号と組んでジ・アサシンズ(ジョディ・ハミルトン&ランディ・コリー)からジョージア・タッグ王座を奪取。これが最後のタイトル戴冠となった。
  • 1983年 - 引退。
  • 1995年5月 - ジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングのイベント "Carolina Memories" に、エイブ・ジェイコブズ、ネルソン・ロイヤル、ジョニー・ウィーバー、スウェード・ハンセン、マグナムTAらと共にミッドアトランティックのレジェンドとして出席した。
  • 2002年11月30日 - ノースカロライナ州シャーロットの自宅にて心臓発作で死去。

エピソード

  • 力自慢の素人の挑戦を受けた道場破り的な試合で、左手の薬指を噛みちぎられたことがある。なお、この事故の1週間後には、NWA世界王者のジン・キニスキーに挑戦して時間切れ引き分けの死闘を演じている。
  • 1975年10月4日のセスナ機事故は、ベビーフェイスの彼がヒールのバレンタインやフレアーと一緒に移動していたことが公になってしまう問題も孕んでいた。そのため、会場ではミスター・レスリングは別の事故で負傷したと観客にアナウンスし、入院の際も名前や職業を偽っていたという。フェイスとヒールの敵同士が行動を共にしていたという噂を打ち消すために、彼は事故から2週間後にはリングに復帰し、怪我(肋骨のヒビ)が完治していない状態のままサーキットに参加した。フレアーは自著において、業界を救った男として彼を称えている。

得意技

  • ザ・スリーパー
  • スープレックス
  • レッグロック

獲得タイトル

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版): 4回
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座: 1回
  • NWAフロリダ・タッグ王座: 2回(w / ヒロ・マツダ、ビッグ・バッド・ジョン)
  • NWAフロリダ・TV王座: 1回
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・ヘビー級王座: 2回
  • NWAジョージア・タッグ王座: 4回(w / ミスター・レスリング2号×3、サンダーボルト・パターソン)
  • NWAメイコン・タッグ王座: 2回(w / ミスター・レスリング2号)
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座(ジョージア版): 1回(w / ロベルト・ソト)
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座: 1回(w / ディノ・ブラボー)
  • NWAミッドアトランティック・TV王座: 1回
  • NWA USヘビー級王座(ミッドアトランティック版): 1回
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版): 1回(w / ディノ・ブラボー)
NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAアメリカン・タッグ王座: 1回(w / ジョージ・スコット)
アメリカン・レスリング・アソシエーション
  • AWA中西部タッグ王座:1回(w / レジー・パークス)
オールスター・レスリング
  • ネブラスカ・ヘビー級王座:1回

脚注

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外部リンク

  • Online World of Wrestling
  • ミスター・レスリングのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ミスター・レスリング by Wikipedia (Historical)



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