長野市立図書館(ながのしりつとしょかん)は、長野県長野市にある市立図書館である。長野図書館と南部図書館の2館、26の公民館分室と40の市民文庫があり、本館と分室のネットワーク化を推進する。 長野図書館はバランスを重視した資料収集と提供を意識し、市の中心的図書館としての役割を担う。南部図書館は、情報サービスの拠点と位置づけ、分室とのネットワークの拠点として移動図書館の運行を担う。
長野市中心部、長野県庁や信州大学キャンパスの至近に所在する図書館。1985年(昭和60年)、県立長野図書館が若里へ移転した跡地を活用して開館した。市立図書館としての歴史は浅いが、信濃教育会信濃図書館(県立図書館の前身)の時代を含めれば1907年(明治40年)から同地には図書館が置かれてきた。
週末、祝日、長期休業期間中は、3階の講義室を学習室として開放する。1階には、持参したパソコンを利用できる優先席がある。館内で利用できる車椅子やベビーカーの貸し出しを行う。
敷地内の道路に沿って、モモの1種であるロトウザクラが10本植えられており、信州に春を告げる花として、市民に親しまれている。
利用しやすさをモットーに掲げ、入口の段差をなくすほか、屋外にも読書スペースを設ける。
「すべての人に図書館サービスを」という理念のもと、「図書館利用に障害のある方へのサービス」を目標に、開館から10年後の1995年の7月から「障害者サービス」を始める。「視覚に障害があり、活字資料を利用するのが困難な方」を対象とし、障害者手帳の有無は問わない。サービスを担うのは、図書館職員以外に養成講座でスキルを身につけた図書館協力者で、2013年時点で点訳者13人、音訳者36人が登録している。
長野市立図書館の南西の植え込みの中には、境界石と「この立石は口碑に旧善光寺領と松代領との境界標なりと云う。道路拡張のため西方七メートルの箇所にありしを本地点に移転す」と書かれた石碑が立っている。
かつて、この周辺の地名を「堅石」といった。この石が立っていたからである。江戸時代の初め、徳川家康の六男・松平忠輝が現在の信州大学教育学部の東あたりに屋敷を構えていた。そのころ、この石は市神(市場での取引を見守る神)だったという。その後は、善光寺領と松代藩領の境の石になった。
そしてこの石の根は、地獄まで続いていて動かすことができないとか、動かすとたたりがあると言われるようになった。昭和4年(1926年)、県立図書館の新築にともない、道路を拡張して石を動かさなければならなくなった。7メートルほど動かしたが、土に埋まっていた部分は20センチほどで、意外に作業は簡単だった。しかし、その作業をした一人が急死したり、突然高熱を出したりした。
やはり動かすとたたりがあるということで、この石は今もこの場所に残っているという。
旧県立図書館跡地に市立図書館が建つのに先立ち、昭和59年4~5月にこの地で発掘調査が行われた。遺跡は裾花川河岸段丘上にあり、市街化が進んだ今でも、遺跡周辺では段丘を見ることができる。調査では、縄文時代中期(約5,000~4,000年前)の住居跡2軒、縄文時代の埋甕、古墳時代の住居跡4軒などが発見された。出土した縄文土器は関東や東北のものと似ており、広域の交流が行われていたことが窺える。また、注目すべきはタカラガイ形土製品で、粘土でつくられていた。富山県・岐阜県北部(飛騨地方)・長野県北部などに分布が限られており、全国的にも希少な出土例である。市の埋蔵文化財に指定されている。
長野市南部の篠ノ井地区(旧篠ノ井市)に位置する図書館。旧信濃図書館と同じく1907年(明治40年)に篠ノ井通明図書館として開館して以来、市町村合併により名称や運営は何度も変わったが長い歴史を繋いできた。
児童コーナーに、小・中学校の教科書を置いている。
長野市の移動図書館は南部図書館を基地に運用されている。2020年1月現在、市内約92カ所を2週間に1度のペースで巡回している。 1976年(昭和51年)に車両1台と貸し出し用図書3,400冊を購入し、職員3人で7月1日から運用を始めた。運用開始後の9ヶ月で延べ28,500人の利用者に5万冊を貸し出しをした。その後遠隔地に住む市民からの強い要望により、1977年(昭和52年)に2台目、1978年(昭和53年)に3台目の「いいずな」号を購入している。1978年(昭和53年)10月には延利用者が109,000人、延べ利用冊数は203,000冊になった。 移動図書館の名称は、市内からの公募の中から中学生3人の応募「いいづな」から名付けられた。
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