慣例的に、寒冷な国々と関連付けられる冬季オリンピックだが、いくつかの熱帯諸国も参加している。これらの国々にとって、その気候はウィンタースポーツを行う上で不利となり、これまでの冬季オリンピックにおいてメダルの獲得はない。そのため、彼らのエントリー自体が三面記事の対象となることもしばしばである。
初めて冬季大会に参加した温暖な気候の国はメキシコである。メキシコの緯度はほぼ北回帰線より北であり、国土の大部分は砂漠またはステップ気候に属するので、同国は正しくは熱帯国といえない。しかしながら、1928年の冬季オリンピックで、5人の男性選手からなるボブスレー・チームは初の冬季大会競技で23チーム中11位の成績を上げた。1984年のサラエボまで、メキシコが再び冬季大会に登場することはなかった。
初の冬季オリンピックに参加した熱帯国はフィリピンだった。同国は2人のアルペンスキー選手を、1972年札幌オリンピックに送った。ベン・ナナスカは、73人がエントリーした大回転競技に参加し42位、しかしフアン・シプリアーノは途中棄権した。また、回転競技では両選手ともに途中棄権となった。
コスタリカは、1980年の冬季オリンピックに出場し、冬季大会に参加した2番目の熱帯国となった。アルトゥーロ・キンチもまたアルペンスキー競技に参加した。キンチは1980年、1984年、1988年と3大会連続して出場した後、45歳当時の2002年ソルトレークシティオリンピックに4大会振りに出場、4年後の2006年トリノオリンピックにも出場した。なお、このトリノオリンピックでは15kmクロスカントリースキー競技で下から2番目の96位、最下位はタイのプラワット・ナグヴァジャラだった。
カナダのカルガリーで開催された1988年冬季大会には、コスタリカ、フィジー、グアム、グアテマラ、ジャマイカ、オランダ領アンティル、フィリピン、プエルトリコ及びアメリカ領ヴァージン諸島と、より多くの熱帯諸国が参加した。ジャマイカのボブスレー・チームはこの大会で人気を博し、1993年の映画『クール・ランニング』の題材にもなった。その6年後、リレハンメルオリンピックでは、ジャマイカから4人の選手が出場し、アメリカ合衆国とロシアを抑え栄えある14位となった。また、カナダからはジャマイカ人選手が出場し、銀メダルを獲得した。
イタリアのトリノで開催された2006年冬季大会では、エチオピアとマダガスカルが冬季大会に初出場した。また、カナダのバンクーバーで開かれた2010年大会では、ケイマン諸島選手団、コロンビア選手団、ペルー選手団及びガーナ選手団が初出場した。
以下は、完全またはほとんどが熱帯に属し、ケッペンの気候区分において熱帯気候に分類される諸国のうち、オリンピック冬季競技大会に出場した国々の一覧。数字は、出場した冬季大会の開催年。
亜熱帯など、他の温暖な気候の国々も、冬季大会に出場している。例として、オーストラリア選手団(極北が熱帯に位置する)、バミューダ選手団、チャイニーズタイペイ選手団、香港選手団、インド選手団(ヒマラヤ山脈の一部が位置する)、メキシコ選手団、ニュージーランド選手団、南アフリカ選手団、エスワティニ選手団、北アフリカ諸国からもアルジェリア選手団やエジプト選手団、モロッコ選手団などが出場している。
1992年にニュージーランドから出場したアンネリーズ・コバーガーは、南半球諸国の選手として初めて冬季大会のメダルを獲得した。2002年にオーストラリアから出場したスティーブン・ブラッドバリーは、南半球諸国の選手として初めて、冬季大会において金メダルを獲得した。また、2022年にニュージーランドから出場したゾイ・サドウスキー=シノットが女子スノーボードスロープスタイルで金メダルを獲得してる。
トンガからはバンクーバーオリンピックでリュージュの1人乗り競技において初出場を果たした。これには同国からメダルの獲得を期待され、いくつかのメディアから関心を持たれたが、予選の最終ラウンドにおいてクラッシュした。
2010年現在、冬季パラリンピックに出場した熱帯国の選手は1人だけである。Tofiri Kibuukaは、ウガンダ人選手として1976年冬季及び1980年冬季のパラリンピックのクロスカントリースキー競技に出場した。Kibuukaはノルウェー国籍を得た後、1984年からはノルウェー選手団として、パラリンピック陸上競技において6個のメダルを獲得した。
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