IWA世界ミッドヘビー王座(アイ・ダブリュー・エーせかいミッドヘビーおうざ)は、国際プロレスが管理、認定していた王座。
中量級の王座だが「ジュニアヘビー級」ではなく「ミッドヘビー級」となっているのは国際プロレスの欧州路線によるものである。
1969年2月11日に創設され、千葉県市原市で行われた王座決定戦で、田中忠治がマイク・マリノを降し初代王座獲得。田中は防衛を重ねた後、1971年3月に、海外遠征のため王座を返上。
1975年1月9日、岡山県西大寺市で突如として復活王座争奪戦が、寺西勇と稲妻二郎との間で行われ、寺西が王座を獲得したが1ヶ月後に返上。
1976年3月13日、茨城県境町にて再び両者による王座決定戦が行われ、寺西が再度獲得。以後、リッキー・マーテルらを相手に防衛戦が行われたが、1977年12月20日に茨城県岩瀬町にて行われたデビル紫との防衛戦を最後に、タイトルマッチが行われることはなく、国際におけるジュニアヘビー級王座はWWU世界ジュニアヘビー級王座が担うことになった。
1981年の国際プロレス崩壊とともに封印。
後年、鶴見五郎が吉原の遺族の了承を得て、国際プロレスプロモーションにて1996年7月20日の興行にて「IWA世界ミッドヘビー級王座」の名称で王座を復活させ、ウルトラマン・ロビンが王者となったが、国際プロレスプロモーションが2007年5月を最後に活動を停止し、王座は封印状態となっている。
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