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1994年の中日ドラゴンズ


1994年の中日ドラゴンズ


1994年の中日ドラゴンズ(1994ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1994年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、高木守道監督の3年目のシーズンである。

概要

前年オフに看板打者の落合博満がFAで巨人に移籍したものの、投手陣は今中慎二・山本昌広とこの年先発復帰の郭源治の三本柱が健在で、打撃陣では大豊泰昭が一塁に入り、4番には前年打率3割のアロンゾ・パウエルが入り、また新外国人のディオン・ジェームズが加入したが、落合の移籍を除けば戦力はヤクルトとマッチレースを演じた前年と変わらなかった。優勝候補にあげられたチームは5月まで2位につけるものの、5月31日の巨人戦で今中をリリーフした北野勝則が松井秀喜にサヨナラ本塁打を浴びるとそれ以降ゲーム差が広がり、一時は10.5ゲーム差をつけられるなど優勝を絶望視され、8月には高木監督の同年限りでの退任、加藤オーナーが熱望していた星野仙一の4年ぶりの監督復帰がほぼ決まっていた。

しかし、開幕から首位独走の巨人の失速もあって9月以降猛追し、終盤になって同率ながら首位に浮上。10.8決戦に勝てば1988年以来6年ぶりのリーグ優勝だったが、エース今中がかつてのチームメイト・落合に先制本塁打を浴びて撃沈。また、走塁面でのミスが多くヒットを放つものの得点には結びつかず、立浪和義が一塁に滑り込んだ際に右肩を脱臼。最後は3対6で敗れ、高木監督の胴上げはならなかった。優勝は逃したものの投手陣では山本昌が最多勝を、郭が最優秀防御率を獲得。今中や2年目の佐藤秀樹もそれなりの成績を収めるなど先発陣が奮闘し、防御率はリーグ2位の3.45を記録しリーグ1位の40完投を記録した。打撃陣では大豊が本塁打王と打点王を、落合に代わって4番に入ったパウエルも首位打者を獲得するなど投打の主力がタイトルを総なめにした。

その結果、高木の監督退任が白紙に戻り、1995年のシーズンも指揮を執ることとなった。

チーム成績

レギュラーシーズン


オールスターゲーム1994

  • 選出選手及びスタッフ

選手・スタッフ

表彰選手

Collection James Bond 007

ドラフト

網掛けの選手は逆指名による入団

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 10.8決戦

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1994年の中日ドラゴンズ by Wikipedia (Historical)



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