森本 晃司(もりもと こうじ、1959年12月26日 - )は、日本のアニメーション監督、映像作家、ビジュアル・クリエイター、アートディレクター。クリエイティブチーム「phy(ファイ)」主宰。アニメ制作会社「STUDIO4℃」創立メンバーの一人。京都精華大学客員教授。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員(第17回、第18回、第19回)。ビジュアルクリエイターとして世界各国のアートプロジェクトに参加、企業へのアートディレクションやCM、プロダクトデザイン、空間デザインなどアニメーション制作以外の分野で活動も積極的に行っている。
和歌山県海草郡美里町(現在紀美野町)出身。山の村で育ち、幼少時代から絵を描いて過ごす。『宇宙戦艦ヤマト』を見てアニメーション制作を志す。それ以外にも『ルパン三世』や『ガンバの冒険』、『未来少年コナン』などの作品に衝撃を受ける。特に『ガンバの冒険』に影響を受け、監督の出崎統の名前を意識するようになる。
大阪デザイナー専門学校を卒業後、出崎統の所属していたアニメ制作会社マッドハウスに入社。入社前は出崎や宮崎駿などの演出家の方が気になっていて、作画について考えるようになったのは実際にアニメーターになってから。最初に意識したアニメーターは金田伊功で、森本にとっては金字塔のようにそびえ立った存在だった。影響を受けたのはいわゆる金田ポーズのようなわかりやすい部分ではなく、アクションの作り方やエフェクトなどだった。また『ルパン三世(新)』の第145話「死の翼アルバトロス」や映画『カリオストロの城』を作画したテレコム・アニメーションフィルムの友永和秀からも影響を受け、破片や爆発を細かく描くようになった。
1980年、出崎統と杉野昭夫が新しく設立したスタジオあんなぷるに移り、アニメーターとして頭角を現す。
あんなぷる在籍中、『黄金戦士ゴールドライタン』でのなかむらたかしの作画に衝撃を受け、すぐに友人を介してなかむらに一緒に仕事をしたいと申し入れる。そして後に妻となるアニメーターの福島敦子を連れてあんなぷるを辞め、フリーになる。
1987年、オムニバスOVA『ロボットカーニバル』の「フランケンの歯車」で監督デビューを果たす。
1988年、スタジオジブリの草創期を支えた一人、田中栄子と映像制作集団STUDIO4℃を創設。森本が『魔女の宅急便』の制作に参加したことから、当時ジブリのラインプロデューサーだった田中との親交が深まり、「自分たちのパブリックスペースを作りたい」という森本と佐藤好春の願いに田中が賛同したのがきっかけだった。
1991年、『とべ! くじらのピーク』で劇場作品を初監督する。
2011年、STUDIO4℃を離れる。少数精鋭のクリエイティブチーム「Φ Phy」を主宰し、以後はそこを拠点に制作活動を展開する。
大友克洋や押井守たちから絶大な支持を受けるアニメーターとして活躍した後、監督や演出も手掛けるようになる。1980年代前半にリアルさとトリッキーな面白さを合わせもつ作画スタイルでアニメーターとしてファンを魅了すると、後半には大友克洋に才能を認められて『迷宮物語』『AKIRA』等の大友関連作品にメインスタッフとして参加する。オムニバス映画『迷宮物語』の「工事中止命令」では、大友監督のもと、なかむらたかしと二人で作画にあたり、28歳の時には大友が自身の漫画を映画化した初長編作品『AKIRA』で、設定および作画監督補に抜擢される。そして30歳の時に大友原作のオムニバス映画『MEMORIES』の一篇「彼女の想いで - MAGNETIC ROSE」(脚本:今敏)で監督を務める。『AKIRA』以降、湯浅政明や近藤高光などの作画を手掛けるアニメーターと組んだ演出の仕事が増えていく。森本自身は、「自分としては、(『AKIRA』を)作画で参加する作品の最後にしようと思っていた」と語っている。
デジタル技術を取り入れることにも積極的で、3DCGによる作品も手がけている。セガ・エンタープライゼスとシンクの共同出資による3DCGスタジオ、トリロジーの立ち上げにも参加。CGクリエイターのマイケル・アリアスやプロデューサーの竹内宏彰などと共に、松本大洋の漫画作品『鉄コン筋クリート』の3DCGパイロット版を監督する。同作品は第3回文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門優秀賞と第14回マルチメディアグランプリ1999CG部門最優秀賞を受賞した。
オムニバスアニメーション作品『アニマトリックス』では、映画「マトリックス」を監督したウォシャウスキー兄弟直々のオファーにより、その内の一本「ビヨンド」を監督・脚本した。2人はかねてから森本晃司作品に強い影響を受けてきたという。
生粋のテクノファンでも知られる音楽好きの森本は、アーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。1996年にケン・イシイのミュージック・ビデオを監督したのを皮切りに、その後も宇多田ヒカルや浜崎あゆみ、GLAYといったアーティストのMVを手がけて行った。ケン・イシイと組んだ『EXTRA』のビデオは、アジアの混沌とした都市空間を音楽とともに突き抜ける快楽的な疾走感などが国内外から絶大な評価を受けた。その斬新で緻密な世界観を描いたアニメーションMVは世界的に話題となり、ヨーロッパを中心とした日本のアニメーションブームのきっかけの一つとなった。1999年、GLAYのメンバーであるJIROのアプローチを受け、シングル『サバイバル』のMVを監督。日本のビデオ・DVDシングルの歴代売上第1位を記録した(2013年時点)。森本ファンである事を公言していた宇多田ヒカルのアプローチにより、2005年にUtada名義でリリースされた彼女のアルバム『EXODUS』の楽曲を使用したミュージック・ビデオ集『Fluximation』を総監修。1997年のショートフィルム『音響生命体ノイズマン』では、菅野よう子のテクノ音楽とコラボレーションした。
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