スーパースランプ(SUPER SLUMP)は、1979年に結成されたインディーズバンドである。
メンバーは主に千葉県立東葛飾高等学校の出身者・早稲田大学在籍者で構成され、独特の風貌と楽曲で人気を得た。
初代ボーカル・サンプラザ中野とギタリストパッパラー河合も在籍したことがあり、そのためバンド名は爆風スランプの語源ともなっている。
リーダーは豊岡正志(とよおかまさし)。
日本のロックミュージシャンにおいては有名な、サンプラザ中野とデーモン小暮の両者が関係したバンドとして、後世に名を残すバンドである。メンバーチェンジは数回行われており、履歴についても不明な部分が多いが、在籍したことが明らかなメンバーは、以下の通りである。
スーパースランプが演奏した音源は見つけるのが極めて困難だが、スーパースランプ在籍者によってカバーされている楽曲もある。
特に、ボーカルを担当していたデーモン閣下のソロアルバム『好色萬声男』では歴代のスーパースランプ在籍者が演奏・コーラスに参加している。
また、1986年にCaptainレーベルより、スーパースランプとしてのアルバム『穴があったら出たい』が下記曲目で発売されている。
コンテスト EAST WEST (1981年)でスーパースランプが準グランプリとなり、同じくグランプリであった「爆風銃(BOP GUN)」とサンプラザ中野、パッパラー河合の二人のみがレコード会社からスカウトされたとき、二人と残されたメンバーとのあいだで「スーパースランプ」の名称の保有権を巡り亀裂が生じかけた。
そこでサンプラザ中野に相談を受け、両者をなだめたのが聖飢魔IIのデーモン閣下である。結果、新バンドがバンド名を合わせて「爆風スランプ」を名乗ることで丸くおさめた。
さらにデーモン閣下は責任感から、残されたスーパースランプでボーカルを務めた(フジテレビの番組「ごきげんよう」にてサンプラザ中野自身が公表した)。
爆風スランプ活動休止時にサンプラザ中野・パッパラー河合が「スーパースランプ」というユニットを組むことになったが、そのときもデーモン閣下の仲介によりリーダーから名称の使用許可を得た。
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