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大分郡


大分郡


大分郡(おおいたぐん)は、大分県(豊後国)にあった郡。

19世紀初頭の記録『豊後国志』によれば、東は海部郡(あまべぐん)、西は速見郡、南は大野郡と直入郡、北は海に接している。

郡域

1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。

  • 大分市の大部分(志村・青崎・須賀・丹生・丹川・宮河内・広内以東および今市・荷尾杵・高原・安藤・沢田を除く)
  • 別府市の一部(内成・古賀原)
  • 由布市の大部分(湯布院町各町・庄内町阿蘇野を除く)

古代

天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして大分郡が挙げられている。同書の大分郡の条によれば、景行天皇が巡幸した際に、地形を見て、広く大きいので碩田国(おほきたのくに)と名付けたものが訛ったとされるが、実際の地形から見て「多き田」が語源だとの説もある。

また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』には、この郡に、阿南、稙田、津守、荏隈、判太、跡部、武蔵、笠租、笠和、神前の10郷があったと記されているが、笠租と笠和は重複であるという説もある。

式内社

『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。

江戸時代

  • 慶長6年
    • (1601年)2月 - 肥後熊本藩主加藤清正が豊後国内に2万石を与えられる。
  • 3月11日(1601年4月13日) - 豊後高田城主竹中重利が大分郡府内2万石に転封され、府内藩が成立。
  • 元和9年閏8月23日(1623年10月17日) - 越前北ノ庄藩主松平忠直が豊後に配流され、府内藩主竹中重義に御預となる。大分郡内に忠直の隠居料が設定され、監検使(府内目付)が置かれる。
  • 寛永9年
    • 6月1日(1632年7月17日) - 熊本藩主加藤忠広が改易される。
    • 10月4日(1632年11月15日) - 豊前小倉藩主細川忠利が肥後熊本藩52万石に転封される。大分郡内の39か村は引き続き熊本藩領となる。
  • 寛永11年
    • 2月22日(1634年3月21日) - 府内藩主竹中重義が処刑・改易される。
    • (1634年)4月 - 下野壬生藩主日根野吉明が豊後府内藩2万石に転封され入部する。
    • 閏7月6日(1634年8月29日) - 丹波亀山藩主松平忠昭が豊後亀川藩に転封され、大分郡内に所領を得る。
  • 寛永12年(1635年)4月 - 松平忠昭が藩庁を速見郡亀川から大分郡中津留に移転(中津留藩)。
  • 寛永19年(1642年) - 松平忠昭が藩庁を大分郡中津留から大分郡小路口(高松)に移転(豊後高松藩)。
  • 慶安3年9月10日(1650年10月5日) - 松平忠直が死去。監検使(府内目付)が廃止され、忠直隠居料は収公されて幕府直轄地となる。
  • 明暦2年3月26日(1656年4月20日) - 府内藩主日根野吉明が跡取りを遺さずに死去し、改易される。
  • 明暦4年2月27日(1658年3月30日) - 高松藩主松平忠昭が府内藩に転封され、大分郡内102か村を領する。旧高松藩領は中津留など5か村を除き収公されて幕府直轄地となる。
  • 延宝4年3月27日(1676年5月9日) - 府内藩主松平忠昭が、隠居により旗本・松平近鎮(忠昭の二男)に大分郡内の5か村余を分知。
  • 慶応3年(1867年) - 幕府領が島原藩の預地から熊本藩の預地に変更される。

豊後国・岡藩

豊後国最大の藩であった岡藩は藩学校として輔仁堂、由学館、博済館、経武館、修道館などを持ち、1803年には唐橋世済(君山)らが『豊後国志』を編纂し、のちに幕府に献上した。これによれば当時の大分郡は9郷260町村を有し、約6万1781石の租税収入があった。また豊後大神氏以来の歴史の長さのとおり、神祠や仏寺、史跡としての城塁の数も多い。

幕府領

豊後高松藩主松平忠昭が大分郡内の府内藩へ転封されると、大分郡のうち46村が幕府領に復帰し、そのうち35村は、正徳2年(1712年)に牧野成央が日向延岡藩へ転入した際に延岡藩領に編入され、最終的に幕府領として残ったのは11村(高松・原・乙津・松岡・真萱・光吉・赤仁田・百木・安田・長野・今三川)であった。このうち今三川村については、「旧高旧領取調帳」の現存写本では欠落している(取調帳の原本および豊後国分の一次写本は既に失われている)。

高松陣屋は日田陣屋と共に郡代の拠点となっていたが、寛政11年(1799年)に幕府は日田での一元管理に方針を転換し、高松陣屋の管轄下にあった大分郡11村は肥前島原藩主・深溝松平忠馮の預地となり、以後は島原藩士が高松陣屋に詰めて管理にあたった。

この村々は慶応3年(1867年)に島原藩預地から熊本藩預地へと変更され、慶応4年8月28日(1868年10月13日)に日田県へと移管された。

府内藩領

松平忠昭が隠居した際に、旗本である二男の近鎮に瓜生田・奈良田・直野内山・下田向・中淵の5か村と上淵村の一部を分与した。これらの村々は形式上は独立した所領の扱いであったが、年貢徴収などの村政運営は府内藩によって奥郷野畑組と一体に行われていた。

臼杵藩領

幕府から公認された臼杵藩の御朱印村全279村のうち、大分郡分は39村を管轄。

「旧高旧領取調帳」では、本村を分割したり、枝村のいくつかを村扱にして村高を割り付けているため、数字が46村に増えている。臼杵藩では、この御朱印村を数箇村ごとに一まとめにして「村組」という行政上の単位を設けて管理しており、臼杵城下にあたる海部郡町屋鋪村を除いた278村は、いずれもこの村組に属していた。村組は各地域の事情によりたびたび組替えが実施されたため、組数・所属も時期によってまちまちだが、文政6年(1823年)の時点ではほぼ最終的な村組が確定していたと見られている。

大分郡における文政6年の村組は以下の通り

熊本藩領

豊後国内の熊本藩領全63村のうち、大分郡分は39村を管轄。

なお「旧高旧領取調帳」では、本村を分割したり、枝村のいくつかを村扱にして村高を割り付けているため、数字が72村に増えている。

延岡藩領

日向延岡藩が豊後国内に領地を持つようになったのは、正徳2年(1712年)7月に牧野成央が三河吉田藩8万石から日向延岡藩8万石に転封され入部して以後のことである。

前の延岡藩主・三浦明敬(三河刈谷藩へ転出)の知行高は2万3千石しかなかったため、差額の埋め合わせ分として、日向国内の諸郡と豊後国内の三郡(大分・国東・速見)にあった幕府直轄地を新たに延岡藩領に編入した。延享4年(1747年)3月には牧野氏に代わって内藤政樹が陸奥平藩7万石から日向延岡藩7万石に転封されて入部する。この時、牧野氏時代に比べて所領が1万石減少したが、豊後領分については牧野氏時代と変更無くそのまま内藤氏の所領とされた。廃藩置県に先立つ明治4年2月22日(1871年4月11日)、延岡藩の豊後領分は日田県所轄の日向国内五郡(旧富高県域)と交換されたため、延岡藩による支配は終了した。

大分郡内の延岡藩領は35村(うち相給は3村)である。牧野氏は入部直後に山津(現・大分市山津町)に役所を設置したが、正徳5年(1715年)に千歳(現・大分市千歳)に役所を移転し代官所とした。千歳代官所は延岡藩の豊後領支配の拠点となり、内藤氏時代にも引き続き利用された。

近代以降

町村制以前の沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配形態は以下の通りだが、大分郡については明治8年の村落統合までの過渡期の内容が反映されていることに加え、現存する二次写本以下では欠落している箇所も存在するため、幕末から明治初年時点の実態とずれが生じている箇所が多く、注意を要する。
  • 慶応4年8月28日(1868年10月13日) - 熊本藩預地が日田県の管轄となる。
  • 明治2年12月2日(1870年1月3日) - 旗本・大給松平氏領が日田県の管轄となる。
  • 明治4年
    • 2月22日(1871年4月11日) - 領地替えにより延岡藩領が日田県の管轄となる。
    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が府内県臼杵県熊本県岡県の管轄となる。
    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が大分県の管轄となる。
  • 明治8年(1875年)3月13日 - 以下の各町村の統廃合が行われる。(3町144村)
  • 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の大分県での施行により、行政区画としての大分郡が発足。郡役所が大分町に設置。
  • 明治13年(1880年)7月27日 - 郡内に3村存在する原(はる)村のうち、旧・臼杵藩領の原村が吉野原村に、旧・府内藩領の原村(桑畑・小原・東家の3か村が合併して成立)が庄内原村に改称。旧・天領の原村は変更なし。

町村制以降の沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・大分市。(3町31村)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治32年(1899年)4月1日 - 速見郡湯平村の所属郡が本郡に変更。(3町32村)
  • 明治40年(1907年)4月1日(2町27村)
    • 大分町・西大分町・荏隈村・豊府村が合併し、改めて大分町が発足。
    • 竹中村・河原内村が合併し、改めて竹中村が発足。
    • 稙田村・西稙田村が合併し、改めて稙田村が発足。
    • 野津原村・諏訪村が合併し、改めて野津原村が発足。
  • 明治44年(1911年)4月1日 - 大分町が市制施行して大分市となり、郡より離脱。(1町27村)
  • 大正10年(1921年)1月1日 - 戸次村が町制施行して戸次町となる。(2町26村)
  • 大正11年(1922年)4月1日 - 東大分村の一部が大分市に編入。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存置。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和13年(1938年)4月1日 - 別保村が鶴崎町に編入。(2町25村)
  • 昭和14年(1939年)8月15日 - 東大分村・八幡村・滝尾村が大分市に編入。(2町22村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「大分地方事務所」が大分市に設置され、速見郡・大野郡・直入郡の一部とともに管轄。
  • 昭和18年(1943年)
    • 4月1日 - 三佐村が鶴崎町に編入。(2町21村)
    • 11月11日 - 日岡村が大分市に編入。(2町20村)
  • 昭和19年(1944年)2月11日 - 桃園村が鶴崎町に編入。(2町19村)
  • 昭和22年(1947年)3月1日 - 野津原村が大野郡大野町の一部(沢田の一部)を編入。
  • 昭和25年(1950年)1月1日 - 速見郡由布院町・北海部郡川添村・大野郡今市村・直入郡阿蘇野村の所属郡が本郡に変更。(3町22村)
  • 昭和29年(1954年)
    • 3月31日(2町15村)
      • 戸次町・判田村・竹中村・吉野村が合併して大南町が発足。
      • 鶴崎町・明治村・高田村・松岡村・川添村が合併して鶴崎市が発足し、郡より離脱。
    • 10月1日 - 挾間村・谷村・石城川村・由布川村が合併し、改めて挾間村が発足。(2町12村)
    • 11月1日 - 阿南村・東庄内村・西庄内村・南庄内村・阿蘇野村が合併して庄内村が発足。(2町8村)
  • 昭和30年(1955年)
    • 1月1日 - 東稙田村の一部(旦野原の一部)・賀来村の一部(賀来の一部)がそれぞれ大分市に編入。
    • 2月1日(2町5村)
      • 稙田村・東稙田村・賀来村が合併して大分村が発足。
      • 由布院町・湯平村が合併して湯布院町が発足。
    • 3月31日 - 野津原村・今市村が合併し、改めて野津原村が発足。(2町4村)
    • 4月1日(4町2村)
      • 庄内村が町制施行して庄内町となる。
      • 挾間村が町制施行して挾間町となる。
    • 7月1日 - 挾間町の一部(高崎の一部)が大分市に編入。
  • 昭和31年(1956年)
    • 4月1日 - 挾間町の一部(宮苑・東院の一部)が大分村に編入。

8月1日 - 挾間町の一部(内成の一部)が別府市に編入。

  • 昭和32年(1957年)4月1日(5町1村)
    • 大分村の一部(鬼崎の一部)が挾間町に編入。
    • 大分村が町制施行して大分町(第2次)となる。
  • 昭和34年(1959年)2月1日 - 野津原村が町制施行して野津原町となる。(6町)
  • 昭和35年(1960年)2月1日 - 大分町が野津原町の一部(廻栖野の一部)を編入。
  • 昭和38年(1963年)
    • 3月5日 - 大南町が大野郡大野町の一部(安藤の一部)を編入。
    • 3月10日 - 大分町・大南町が大分市・鶴崎市・北海部郡大在村・坂ノ市町と合併し、改めて大分市が発足、郡より離脱。(4町)
  • 平成17年(2005年)
    • 1月1日 - 野津原町が大分市に編入。(3町)
    • 10月1日 - 挾間町・庄内町・湯布院町が合併して由布市が発足。同日大分郡消滅。

変遷表

行政

歴代郡長
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脚注

参考文献

  • 小倉文雄『岡藩校と庶民教育』小倉文雄『愛宕の里』別巻、竹田、1988年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 44 大分県、角川書店、1980年11月1日。ISBN 4040014405。 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 『大分県史』(大分県)
    • 近世篇Ⅰ(1983年)
    • 近世篇Ⅱ(1985年)
    • 近世篇Ⅲ(1988年)
    • 近代篇Ⅰ(1984年)
  • 昭和第二次『大分市史』中(大分県大分市、1987年)
  • 日本歴史地名大系 45 大分県の地名(平凡社、1995年)

関連項目

  • 消滅した郡の一覧

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 大分郡 by Wikipedia (Historical)



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