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ウッチャンナンチャンのウリナリ!!


ウッチャンナンチャンのウリナリ!!


ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(通称:ウリナリ!!)は、1996年(平成8年)4月12日から2002年(平成14年)3月22日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本のバラエティ番組。お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの冠番組であった。

放送時間

時刻はいずれもJST。

  • 日本テレビ系列29局(テレビ大分除く)
    • 毎週金曜 20:00 - 20:54 (1996年4月 - 1998年9月)
    • 毎週金曜 19:58 - 20:54 (1998年10月 - 2002年3月)
  • 沖縄テレビ(フジテレビ系) 
    • 毎週月曜 24:25 - 25:20 → 毎週水曜 17:00 - 17:54 → 毎週水曜 16:59 - 17:54
    • 前番組ではスポンサードネットだったが、この番組からはローカルスポンサーとなった。

番組の歴史

番組が放送されていた1996年から2002年は日本テレビがフジテレビから視聴率三冠王を奪還、人気番組を量産し、他局を引き離す独走状態であった。それに伴い「ウリナリ」も千秋をボーカルに据えた番組オリジナル音楽グループ「ポケットビスケッツ」のヒットにより人気に火が付き、さらに対抗グループとしてビビアン・スーをボーカルに据えた「ブラックビスケッツ」が登場し、両チームの対決企画などが放送されていた1997年夏頃から1999年秋頃にかけて高視聴率を獲得し、日テレのドル箱番組となった。その後はメンバー変更、ポケビ・ブラビの活動停止等で人気が急降下し、2002年3月を以て終了することとなった。また、これにより『ウッチャンナンチャン』から13年間続いた日本テレビ系のウッチャンナンチャンの冠番組も幕を降ろした。

初期

  • 1996年
    • 4月12日 - 番組名を改題。『ウリウリ!ナリナリ!!』がコント・企画モノ中心の内容だったのに対し、この『ウリナリ!!』ではドキュメント系バラエティとし、ウンナン・レギュラー陣がさまざまな企画に挑戦するというものがメインに変更され、いったんコントは最小限にとどめられる。
    • 8月 - 9月頃 - この時期キャイ〜ン、K2、よゐこ、千秋、ビビアン・スーをのぞく「ウリウリ!ナリナリ!!」時代からのレギュラー及び、「ウリナリ」の新規レギュラーが相次いで番組から姿を消した。理由は不明。
    • 9月4日 - ポケットビスケッツ(以下ポケビ)の2ndシングル「YELLOW YELLOW HAPPY」を発売。ミリオンセラーを記録する。これを機に徐々に番組認知度と視聴率が上昇していく。
    • 9月13日 - エンディングテーマ前のウリナリコントライブコーナー・「ランキングキャラクターライブ」がスタート。

中期

  • 1997年 - この年、藤崎奈々子が初登場した。
    • 1月10日 - ブラックビスケッツ(以下ブラビ)が初登場。
    • 2月 - 普段めったにバラエティに出演しない歌手の松任谷由実と松任谷正隆夫妻2人が内村と勝俣の「モテないブラザーズ企画」で初登場する(ただし、先述の出川・後述の一部芸能人同様、ゲスト扱い)。3月に開催する松任谷由実のライブにてモテないブラザーズが参加する打ち合わせと松任谷由実へのオファーを行った。
    • 3月21日 - 春のウリナリ!!2時間スペシャル『ウリナリ!! 南へ北へスペシャル』(19:00 - 20:54放送、『ぐるナイ』は休止)放送。そのユーミンのライブに内村と勝俣によるモテないブラザーズが「春よ、来い」の演奏でスペシャル参加。2人は見事に演奏、大成功した。4月に完全版が放送された。
    • 4月 - 初めてオープニングCGとタイトルロゴを変更。
    • 10月10日 - 秋のウリナリ!!2時間スペシャル『ウリナリ芸能人社交ダンス部 炎の全日本団体戦スペシャル』(19:00 - 20:54放送、『ぐるナイ』は休止)で平均視聴率28.2%を記録。この回が、特番を含むウリナリの全放送回(1996年 - 2007年)の中で最高視聴率を記録した放送となり、当時、最大の強力裏番組だったテレビ朝日系「ミュージックステーション」(以下、Mステ)に視聴率でついに勝利する。
  • 1998年 - 年間を通じてポケビ VS ブラビ(3人時代)の対決絶好調・全盛期に突入、若年層を中心に支持され、番組発の両者の曲も引き続きミリオンセラーを記録する。
    • 1月30日 - 『ウリナリ大会議』第1回が放送。内村がゲームに敗れて補欠になり、翌週からしばらく番組内のタイトルが『ナンチャンのナリ!!』に変えられてしまう。
    • 10月16日 - 放送時間2分拡大、金曜19:58 - 20:54となる。
    • 12月25日 - 初のウリナリ大型特番『ザッツウリナリテイメント』を生放送。
    • 12月31日 - ポケビとブラビが(設定上)和解し、『第49回NHK紅白歌合戦』紅組にスペシャルユニットとして出場、1997年より度々続いてきたポケビVSブラビ対決は事実上これが最後となった。これ以降、徐々にポケビとブラビのからみが減っていく。
  • 1999年 - この年、神尾米、藤井貴彦アナウンサー、ケディが初登場する。
    • 4月 - ケディが初登場し、5月からブラビの正式メンバーに。
    • 6月18日 - 視聴率が裏番組であるテレビ朝日系「Mステ」に久々に負けを喫した。これ以降徐々に、1997年秋頃から首位独走状態にあった視聴率もついに「Mステ」に奪われはじめる。
    • 5月21日 - ブラビがケディ像をポケビに買うよう求めに行くが拒否された。この放送がポケビとブラビの会話を伴う最後の共演となる(後述の最終回ではそれぞれ別々の登場のため、直の共演はしなかった)。
    • 7月16日、地上波未公開シーンの有料動画配信を実験的に開始。
    • 7月 - シングル「Bye-Bye」が設定された売上枚数に到達せず、ブラビから南々見狂也、ケディが脱退。そのままブラビは活動休止へ。
    • 10月 - ビビアンがブラビの活動停止と同時にレギュラーを降板。なお、ビビアンは2000年12月の「ナトゥ」宣伝時と2002年3月の最終回の「ウリナリ祭り」のみ帰って来ている(ウリナリ祭りは、ブラビとして出演した)。
    • 10月15日 - 「ランキングキャラクターライブ」が終了。
    • 10月22日 - 「ランキングキャラクターライブ」に代わる新コントコーナー「スーパーフライデーナイトライブ」がスタート。
    • 12月31日 - 2000年1月1日 - 『雷電スペシャル いけ年こい年 1999→2000』を日本テレビ大晦日スペシャルとして放送。その中で『ウリナリ!!』企画も放送。松任谷とポケビの夢のライブで新曲『Millennium』を披露、さらに、2年半ぶりにもてないブラザーズが復活、スペシャル版「春よ、来い」を演奏したほか、南原がブラビ活動時に「Timing」で演奏した経験をいかし、松任谷の歌とともにサックス演奏をした。
  • 2000年 - この年、ニラ・バラが初登場(ただし、通常ナトゥ関連のみ。不定期に単発コーナーにも出演)。
    • 1月21日 - 「ポケビ慰安旅行」にて千秋のポケビ卒業&ソロデビューを発表。
    • 3月12日 - 千秋がポケビを卒業。この日、日本武道館で開催されたシークレットライブをもってポケビは活動を休止。そのライブの模様は後にスペシャル(ダイジェスト)で放送されフルバージョンはWOWOWにて放送された。
    • 4月28日 - 総集編、ウリナリ大会議「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!5年の奇跡」を放送。

後期

  • 2000年5月26日 - タイトルロゴの2度目の変更。同時にオープニングCGは廃止され、通常放送のオープニングは放送日の各コーナーの内容の紹介をするだけの簡易的なものになり、タイトルロゴも左上または右上に小さく表示されるだけになる。
    • 9月22日 - 「スーパーフライデーナイトライブ」が終了。一時、コントコーナーが廃止される。
    • 10月 - 内村扮するホワイティ司会(アシスタント:松本志のぶアナウンサー)のスタジオでのレギュラー陣全員でのクイズコーナー「ウリナリゼミナール」がスタート。スーパーフライデーナイトライブや企画ユニットの終了により、この時期から一時、これが番組でのほぼメイン企画化し単発のコーナーが激減する。2001年まで行われた。
    • 11月 - ケディが降板。

末期

  • 2001年 - 番組も6年目を迎え、立ち上げプロデューサーだった土屋敏男が担当から外れる、さらには男性レギュラー陣の大幅入れ替えと視聴率を取り戻すため、様々なてこ入れが行われた大改革の年でもあった。また、前年の2000年以前に比べ、金曜日にもプロ野球中継「劇空間プロ野球」が大幅に編成されるようになり、(4月 - 9月)のプロ野球シーズン中は放送休止が目立つようになった。
    • 1月 - 「21世紀ビッグプロジェクト」としてウリナリ7開始。
    • 4月20日 - 5月11日 - ウリナリ解散総選挙が行われた。レギュラー陣はウッチャンナンチャン・キャイ〜ン・勝俣州和。女性陣は山川恵里佳を除いて一新されるという、事実上番組の大幅リニューアルに踏み切った。この総選挙での落選により、K2の堀部、よゐこの2人が番組を降板。また、総選挙を境に千秋が番組を降板したのだが、本人や番組から何の説明もなかった。それもあってか番組全体の人気に陰りが見え始め、視聴率も低迷した。
    • 6月 - 番組開始当初から携わり、司会のウンナンとも親しかったプロデューサーの土屋敏男が編成部長就任昇格に伴い、当番組から担当を離れた。
    • 10月19日 - タイトルロゴの3度目の変更。視聴率面での回復のため新たなオープニングCGを作り直し、オープニングCGが復活した。
  • 2002年
    • 2月 - 「ウリナリ大会議」にて番組終了および最終回のウリナリ祭りの概要を正式発表する。
    • 3月12日 - 番組旧レギュラー陣の一部(スケジュールの都合等で全員は出れず、出演できなかった者のVTR等のコメント出演もなかった)もゲストという形で登場・出演したラストステージ「ウリナリ祭り」を有楽町・東京国際フォーラムで開催。会場には5000人を超える当番組「ウリナリ!!」のファンが集まり、1Fから2階席まで満席となり立ち見客も出たほどだった。
    • 3月22日 - 最終回を迎えた。7年間のレギュラー放送終了となり、「ウリナリ祭り」の名場面を再編集した1時間枠で終了した。ラストには2001年以降のマーチングバンド部から結成された新レギュラー陣全員で「風になりたい」を演奏。演奏終了後舞台には華やかな紙吹雪が舞い上がり、ウンナンの2人による「内村:みなさん、7年間、本当にありがとうございました!・そして、南原:ありがとうございました!」という大きな声の感謝の言葉で大団円となった。なお、ウリナリ解散総選挙後は人気を集めることができず、旧レギュラー陣中心で放送された最初の6年に比べ、新レギュラー陣による放送期間はわずか約9ヶ月ほどとなった。ウッチャンナンチャンの2人は契約更新は行われず、与えられる新番組は当時なく、特番の出演はあるものの日本テレビでのレギュラー番組出演はしばらく行われなかった(なお、内村は2004年のワールド☆レコーズ、南原は2006年のシャル・ウィ・ダンス? 〜オールスター社交ダンス選手権〜まで)。

終了後

  • 2002年12月27日 - 2007年3月25日 - 『ウリナリ芸能人社交ダンス部』単独特番が9回放送された。
  • 2008年6月18日 - 番組末期のレギュラーだった神戸みゆきが逝去。番組歴代レギュラー陣においては初の逝去者となった。なおウッチャンナンチャンら共演者は追悼のコメントはマスコミやSNSでの公式上では行っていない。
  • 2018年8月 - 24時間テレビ 愛は地球を救う41内にて、サプライズとしてポケビが最終回の東京国際フォーラム以来15年ぶりの本格的なライブを日本武道館にて行う。しかし、当番組自体の復活は一切なく、ウリナリの紹介は簡単にされるにとどまったほか、往年のようなライブ開催に向け何らかの試練をメンバーに与えられる等の演出はなかった。
  • 2022年5月14日 - 全期間に渡り番組進行アナウンサーとウリナリ審査委員会メンバーを担当していた河村亮アナウンサーが逝去。共演者の内、キャイ〜ンが葬儀告別式に参列したことが報じられ、千秋が自身のSNS公式インスタグラム上にて追悼のコメントを行っている。
  • 2022年12月3日 - 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト内にて、今度はブラビが最終回の東京国際フォーラム以来20年ぶりの本格的なライブを麹町スタジオにて行った。これにあたり、ビビアンが来日を果たした。しかし2017年のポケビ復活同様にこちらも当番組自体の復活は一切なかった。
  • 2023年12月 - ポケビとブラビが第74回NHK紅白歌合戦の特別企画『テレビが届けた名曲たち』に出場。両組が紅白に出場するのは25年ぶりとなる。

放送リスト

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

出演者

出演者が言葉を発した際に画面に表示されるテロップは1996年以来、色がほぼ決まっていた。かっこは2002年3月までの出演期間とテロップの色である。特に記述のない限り、テロップの色は主にで、それ以外は毎回色が変わっていた。ただし、一部出演者は同じ色になっている。

また、途中降板したレギュラーは降板の挨拶や卒業の報告など一切行われず、フォローすらなかった。

ウリナリオールスターズ(レギュラー)

メイン(およびリーダー)

  • ウッチャンナンチャン
    • 内村光良(1996年4月 - 2002年3月、赤)
    • 南原清隆(1996年4月 - 2002年3月、青)

『ウリウリ!ナリナリ!!』から続投

  • K2
    • 勝俣州和(1996年4月 - 2002年3月、濃い緑)
    • 堀部圭亮(1996年4月 - 2001年5月、多少濃い緑)
  • キャイ〜ン
    • ウド鈴木(1996年4月 - 2002年3月、灰色)
    • 天野ひろゆき(1996年4月〜2002年3月、黄色、ブラビ(→南々見組→ブランニュービスケッツ)時は濃い紫)
  • よゐこ
    • 濱口優(1996年4月 - 2001年5月、レギュラー降板後の2001年6月 - 2002年3月は不定期で出演、水色)
    • 有野晋哉(1996年4月 - 2001年5月、レギュラー降板後の2001年6月 - 2002年3月は不定期で出演、濃い紫 一時期「有野晋子」と名乗っていた)
    • コンビ時(ポケビ・ブラビの日など)は茶色が多い
  • 室井滋(1996年4月 - 5月、1997年 「ウリナリ」ではMckeeとしての活動報告のみの出演だったが、Mckeeの消滅とともに番組から姿を消した。翌年「芸能人社交ダンス部」に部員として参加。)
  • 国生さゆり(1996年4月 - 5月 「ウリナリ」ではMckeeとしての活動報告のみに留まり、Mckeeの消滅とともに番組から姿を消す)
  • 千秋(1996年4月 - 2001年4月、2002年、ピンク)
  • 高山理衣(1996年4月 - 8月 「芸能界サークル活動宣言」の総合司会を担当したが、コーナーの自然消滅やMckeeの解散、新女性陣の台頭などもあり番組から姿を消す)

全盛期

  • ビビアン・スー(1996年5月 - 1999年10月、2002年、オレンジ 「ウリウリ!!ナリナリ!!」時代からたまに番組に顔を見せていたが「芸能人社交ダンス部」の加入を機にレギュラーとなる。)
  • 藤崎奈々子(1997年頃 - 2001年4月、2002年、薄紫 「芸能人お見合いサークル」の第2弾のお見合い相手として番組初登場。その後「ドーバー海峡横断部」への入部以降レギュラーとなる。)
  • ケディ(1999年4月〜2000年11月、2002年、薄緑)
  • 山川恵里佳(1999年11月 - 2002年3月、赤に近いペールオレンジ)
  • 神尾米(1999年 - 2000年1月、2002年、テロップ色不明 「ドーバー海峡横断部」→「マッターホルン→赤岳登頂部」の部員のみの出番であったが、「ウリナリ大会議」に参加するなど、レギュラー扱いとなっていた)
  • ジニー(2000年9月 - 2002年3月、オレンジ色、2000年12月のビビアン一時復帰出演時は濃いピンク)
  • ハン(2000年9月 - 2002年3月、薄紫)

解散総選挙後

  • ゴルゴ松本(2001年6月 - 2002年3月、水色)
  • 大竹一樹(2001年6月 - 2002年3月、テロップ色不明)
  • 坂本ちゃん(2001年6月 - 2002年3月、テロップ色不明)
  • 小池栄子(2001年6月 - 2002年3月、ピンク)
  • 神戸みゆき(2001年6月 - 2002年3月、テロップ色不明 「女子柔道部・内村虎の穴」の刺客として初登場するが、コーナー自体がウリナリ7解散騒動のドタバタの煽りで消滅したため他のコーナーにも顔を出すようになる)

ウリナリ進行アナウンサー

さまざまな企画でのウッチャンナンチャンのアシスタント的な役割を担った。以下の日本テレビアナウンサー(当時)が担当。

  • 羽鳥慎一(「もってこいしりとり」進行役)
  • 鷹西美佳(初期の社交ダンス部顧問)
  • 後藤俊哉(初期に一時担当)
  • 河村亮(「ウリウリナリナリ」時代から社交ダンス部のみとなった特番まで担当、ウンナン・キャイ〜ン・勝俣に次ぐ最多出演者。彼はこの番組でバラエティにも進出するようになった。ウリナリ審査委員会も担当した)
  • 大神いずみ(「芸能人ルアーフィッシング同好会」リポーター)
  • 松永二三男(レギュラー放送時代中期 - 末期頃に一時担当)
  • 藤井貴彦(ドーバー仮面。ドーバー海峡横断部に部員で参加、ドーバー時のテロップは青)
  • 山王丸和恵(1998年ポケビ100万人署名最終日の集い時、中継担当)
  • 藤井恒久(1999年ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継担当)
  • 船越雅史(奪三振王への道)
  • 魚住りえ(1999年〜2002年、ウリナリブラビ生放送特番スペシャル時、中継担当ほか)
  • 蛯原哲(1998年頃に一時担当)
  • 村山喜彦(1999年ウリナリグレートサミット・UGSの1回のみ)
  • 舟津宜史(1999年のウリナリグレートサミット・UGSの1回のみ)
  • 松本志のぶ(2000年〜2001年、ウリナリゼミナールのホワイティのアシスタント担当)
  • 高橋雄一(2002年)

など

ウリナリ応援団

勝俣を団長に据えた団体。最初の社交ダンス大会の応援以降あらゆる企画に登場したが、要は出番がないレギュラーのために用意した野次馬ポジション。96年秋頃のレギュラーの人員整理によって消滅した。その後はポケビとブラビの対決時などに堀部・よゐこの3人で一時的に復活している。ポケビとブラビが第49回NHK紅白歌合戦に出場した際にもバックダンサーとして登場。「クボジュン命」と書かれた扇子が開かず手こずっていた南原に代わり、応援団の有野が手動で扇子を開いた。

ウリナリ審査委員会

元々は追加ルールや課題の発表などを出演者及び視聴者に発表する役割を受け持つ架空の組織。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の中でリポーターが口癖のように言いながらも実際は虚構の存在だった「生ダラ審査委員会」とは対照的に、こちらは制作側の意思を具現化した団体として設定されている。登場時には必ず黒のタキシードを着ていた。主にポケビ・ブラビシリーズを中心に、中期十数回登場。1999年のポケットビスケッツとのCD発売を賭けてのトライアスロン対決に敗れた事で自然消滅と思われたが、ポケビ・ブラビシリーズ終了後はまだ活動は継続していた。

  • 勝俣州和
  • 堀部圭亮
  • 河村亮
  • 内村光良 ※ウリナリ女王決定戦のみ。

その他のレギュラー出演者

  • 森脇健児(1996年4月 - 8月 当初は「もってこいしりとり」のみのレギュラーであったが、コーナー消滅後は全レギュラー参加企画や「ウリナリ応援団」の参加というポジションばかりであった。「ウリウリ!ナリナリ!!」では「ラバ管ハイジャンプ選手権」に北野誠と共に参加)
  • 巴千草(1996年4月 - 8月 初期のコント出演や、「URIナリキリ」の進行役が主な出番であり、森脇同様全レギュラー参加企画や「ウリナリ応援団」の参加などに甘んじた末フェードアウトしていった)
  • ニラ・バラ(2000年 - 2001年)

1コーナーのみの出演者

  • パッパラー河合(爆風スランプ、1996年4月 - 1999年「ポケビ(新曲発表時)」)
  • 杉本彩(1996年4月 - 2002年3月「社交ダンス部」、濃い
  • わたりとしお(1996年4月 - 1999年「社交ダンス部」、「写真部」テロップ色不明)
  • 鈴木紗理奈(1996年4月 - 5月「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 矢部美穂(1996年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 出川哲朗(1997年「芸能人お見合いサークル」、テロップ色不明)
  • 伊藤裕子(1996年 - 1997年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 遠藤久美子(1997年 - 1998年「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 松任谷由実(1997年2月 - 4月、1999年12月 - 2000年2月「モテないブラザーズ」、テロップ色不明)
  • 松任谷正隆(1997年2月 - 4月、1999年12月 - 2000年2月「モテないブラザーズ」、テロップ色不明)
  • 久保純子(NHKアナウンサー・1999年1月、「ポケビ・ブラビ紅白の真相」)
  • 山本晋也カントク(1999年12月31日、「ザッツ・ウリナリテイメント」)
  • 小倉久寛(2000年「マーチングバンド部」・「ナトゥ」、テロップ色不明)
  • 三宅裕司(2000年「ナトゥ」、テロップ色不明)
  • 北陽(2002年1月 - 2月「狂言部」、テロップ色不明)
  • いとうせいこう(2002年1月 - 2月「狂言部」、テロップ色不明)
  • チューヤン(2002年1月 - 2月「狂言部」、オレンジ色)
  • 加藤茶(2001年「ウリナリライブ2001 スペシャルジョイントカーニバル」、コントのみの出演のためテロップなし)
  • 三津谷葉子(2001年「女子柔道部」・「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 小野愛(2001年「女子柔道部」・「社交ダンス部」、テロップ色不明)
  • 雪野智世(2001年4月 - 5月、「解散総選挙」進行)
  • 舛添要一(2001年4月 - 5月、「解散総選挙」解説者)

主な企画

主なコーナー

収録はどのコーナーも主に日曜日・月曜日の2日間にわたって行われていた。先述・後述にもある通り、当番組は終始体力勝負が鍵になる番組だった。レギュラー陣はポケビとブラビをはじめとする、最終回のウリナリ祭り等の各種舞台の打ち合わせからリハーサル・稽古、さらには社交ダンス振り付けの把握、各コーナー企画での楽器の演奏準備・アスリートスポーツ系企画の練習・またはコントライブの台本の把握と、相当ハードスケジュールのなかで行っていた。また全体でも、週替わりの単発コーナーについてはレギュラー出演者への打ち合わせは簡単な何時に来てくださいというだけであり、現地に到着後に企画の知らせを受けていたためはじめから厳密に構成や進行を把握していたのはメインMCのウッチャンナンチャンの2人だけだったことが後に千秋と勝俣それぞれ2人のYouTubeチャンネルおよび千秋がゲスト出演したウドMCのイッツコム番組で明かされている(ただし、ランキングキャラクターライブや単発コーナーでもキャラクター設定が正確に決められている等の台本が初めから必要なものを除く)。

そのうち、ランキングキャラクターライブについては日曜日の午前と午後に計4本2本撮りが行われていた。そのため、TBS系列の生放送「アッコにおまかせ!」に昼11時45分~13時まで出演していた勝俣については、体力勝負企画が多く収録時間・拘束時間の長いウリナリにおいては主に午後収録と月曜日の収録に参加していた。また、ビビアンについても当番組で一躍注目されて以降、ウリナリ参加当初ほぼ無名・他番組への出演なしだったものがブラビのスタミナにおけるミリオンセラー以降になると故郷の台湾を始め各国からオファーが殺到するようになり、徐々に各国へ幅を広げるようになったため、1998年に社交ダンス部のコーナー時に1週間ほど参加できなくなったのを皮切りに1999年春頃からブラビ以外のコーナー出演を極力減らすようになった(ビビアン・スーも参照 → 同年降板)。

  • ウリナリ芸能人社交ダンス部
  • ポケビ・ブラビシリーズ
  • ドーバー海峡横断部
  • もてないブラザーズ
  • ウリナリ大会議
  • ランキングキャラクターライブ

ウリナリ解散総選挙

2001年4月、ウリナリ大会議で「ウリナリ解散総選挙」実施が決定(決定への経緯は2001年4月20日放送「ウリナリ大会議 ウリナリ解散総選挙について」を参照)。同年5月、総選挙後に番組リニューアルが行われ、メンバーが大幅に変更。女性陣についても山川恵里佳を除き全員変更された。選挙では東京のみならず全国主要都市に投票所を設けた他、出口調査や比例代表制、随時当選確実の速報を入れるなど、本物の制度やそれに関する報道体制を取り入れ、舛添要一が解説で出演した。なお2001年当時の実際の選挙では未成年者および日本国籍を有しない者の投票は認められていなかったが、ウリナリ解散総選挙では原則として誰でも投票可能であった。

しかし、番組の大リニューアルは結果的に失敗し、2002年の3月いっぱいで放送終了が決まった。

  • ウリナリ解散総選挙の結果
    • 当選したウッチャンナンチャン、キャイ〜ン、K2の勝俣州和が暫定レギュラー。ゴルゴ松本(TIM)、大竹一樹(さまぁ〜ず)、坂本ちゃん(アルカリ三世)が新メンバーとしてレギュラー入り。
    • 落選したよゐこ、堀部圭亮が番組を去った(堀部圭亮はこの後、一時期タレント活動をほぼ停止し、放送作家に専念していた。『ウリナリ!!』最後の出演の際、「負けたらテレビから身を引く覚悟でいます」と語っていた)。
  • 「ウリナリ解散総選挙」に立候補したメンバーは次の20組(50音順)
    アクシャン、アルカリ三世、ウッチャンナンチャン、おさる&おかん、キャイ〜ン、K2、さまぁ〜ず、手裏剣トリオ、ずん、底ぬけAIR-LINE、TIM、Take2、デンジャラス、どーよ、ドロンズ、X-GUN、バナナマン、ホーム・チーム、よゐこ、リットン調査団

運命のファイナルステージ ウリナリ祭り 〜7年間の総決算〜

2002年3月12日、有楽町・東京国際フォーラムにて行われた『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』ファイナルイベント。レギュラー放送最終回。映画の撮影でどうしても来られなかった堀部圭亮を除きかつてのレギュラーがほぼ全員出演。千秋、ビビアン以外はエンディングまで出演していた(番組貢献者の千秋とビビアンがなぜ早々に帰ってしまったかは不明だが、スケジュールの都合上説やゲスト扱いのため等さまざまある)。

ポケビ、ブラビ、ウルトラキャッツ、メモリーキャッツ等、番組発ユニットのヒット曲披露(McKee、黒幕&愛人、ウリナリオールスターズを除く)、部活動ヒストリー、現メンバーによるスチールパン演奏などを行い、7年間の番組の歴史に幕を閉じた。

音楽ユニット

この番組から誕生した番組企画ユニット。番組終了に伴い全てのユニットが活動を停止している。あくまで活動停止であり、解散ではないことをウンナンの2人が説明している。活動再開をしない理由は不明であるが、復活の声は20年以上経つ今でも根強く、幾度か復活した事例もある。

唯一、ジニー・リーのみが内村側(ウルトラキャッツ)と南原側(ブランニュービスケッツ)両陣営でCDデビューを果たしている。

内村側ユニット

  • ポケットビスケッツ(1995年11月 - 2000年3月、2002年番組最終回、2018年8月25日〈復活〉、2023年12月31日〈復活〉)
    • TERU、Chiaki & Fruits Flowers、UDO(いずれもソロプロジェクト)
    • Yuming+Pocket Biscuits
  • 黒幕&愛人(2001年)
  • ウルトラキャッツ(2001年10月 - 2002年9月)

南原側ユニット

  • McKee(1995年11月 - 1996年5月)
  • ブラックビスケッツ(1997年1月 - 1999年10月、2002年番組最終回、2022年12月3日〈復活〉、2023年12月31日〈復活〉)
  • 南々見組 (1999年10月 - 2000年)
  • ブランニュービスケッツ(2000年11月 - 2001年1月)
  • メモリーキャッツ(2001年)

その他

  • ウリナリオールスターズ

エンディングテーマ

『ウリナリ!!』では、番組で結成された企画ユニットの曲をエンディングテーマとしていた。主にユニットのプロモーションビデオやメイキングビデオの映像とともに流れていた。なお、TERUの「青の住人」(1999年2月19日放送)は前奏が長いため歌詞がほとんど流れなかった。また、エンディングテーマがない時期もあった。

ポケビvsブラビ対決の全盛期は、3番勝負でエンディングの時間配分を決めることもあり、CDデビュー前のブラックビスケッツがカラオケボックスで歌っている様子が放送されたこともあった。

  1. 「Can't Stop My Heart」McKee
  2. 「Rapturous Blue」ポケットビスケッツ(1996年5月10日等)
  3. 「Yellow Yellow Happy」ポケットビスケッツ
  4. 「Red Angel」ポケットビスケッツ
  5. 「GREEN MAN」ポケットビスケッツ
  6. 「STAMINA」ブラックビスケッツ(1998年1月30日等)
  7. 「Timing」ブラックビスケッツ(1998年4月17日 - 6月5日、7月3日)
  8. 「Pink Princess」ポケットビスケッツ(1998年6月19日)
  9. 「POWER」ポケットビスケッツ(1998年7月17日 - 7月31日、8月21日、9月4日 - 9月11日)
  10. 「Relax」ブラックビスケッツ(1998年10月16日 - 10月30日、11月13日 - 12月18日)
  11. 「HAPPY CHRISTMAS」ウリナリオールスターズ(1999年2月12日)
  12. 「青の住人」TERU(1999年2月19日)
  13. 「マーガレット」CHIAKI&FruitsFlowers(1999年2月26日 - 3月12日)
  14. 「まごころ」ウド鈴木
  15. 「Bye-Bye」ブラックビスケッツ(1999年5月28日 - 7月16日、2000年11月3日)
  16. 「Days」ポケットビスケッツ(1999年7月23日、7月30日、8月27日 - 9月17日)
  17. 「My Diamond」ポケットビスケッツ(1999年8月13日)
  18. 「Millennium」Yuming+ポケットビスケッツ(2000年1月21日 - 2月25日)
  19. 「チッチナ」南々見組(2000年5月12日、5月26日)
  20. 「サヨナラッ」南々見組(2000年6月16日、6月23日)
  21. 「partner"S"」ブランニュービスケッツ
  22. 「東京LOVE」黒幕&愛人(2001年2月9日)
  23. 「TOMORROW」メモリーキャッツ
  24. 「バレム〜願い〜」ウルトラキャッツ

なお、社交ダンス部の特番にはエンディングテーマはない。

DVD・VHS

ポケビ・ブラビなど音楽ユニットのディスコグラフィは各ユニットの項を参照。

  • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ランキング・キャラクター・ライブ傑作選(1 - 6巻・「ザ・ベスト・オブ・ホワイティ」) - 初回特典として各ユニットのカードがランダムに各3枚付いていた。カードは全60種。
  • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ナトゥ
  • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ドーバー海峡完全横断!!(前編・後編)
  • 運命のファイナルステージ ウリナリ祭り完全版
  • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 DVD-BOX
    • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 1996春 伝説はこの大会から始まったスペシャル!!
    • ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 芸能人社交ダンス部 2005春 大復活!新たなる挑戦スペシャル!!

タイトルロゴ

  • 初代 1996.04 - 1997.03
  • 2代目 1997.04 - 2000.05
  • 3代目 2000.05 - 2001.09
  • 4代目 2001.10 - 2002.03

スタッフ

  • 企画:内村光良、南原清隆(クレジットなし)
  • ナレーション:奥田民義、バッキー木場、山口奈々ほか
  • 構成:廣岡豊、清水東、海老克哉、おちまさと、内村宏幸、そーたに、都築浩、中野俊成
  • 美術:小野寺一幸(1996年7月頃-)
  • デザイン:久保玲子、本田恵子
  • 装置:小出幸男
  • メイク:大塚恭子
  • 衣裳:松沢味季
  • TM:伊東聡
  • TD:田中祥嗣(以前はSW)
  • カメラ:青木芳行
  • 音声:近藤良弘
  • 照明:根建勝広
  • 編集:中野栄滋(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
  • MA:石塚亮(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
  • TK:山沢啓子
  • 音効:保苅智子(VAMP、保苅→1996年9月頃-)
  • 制作進行:三浦正義、中田敦子
  • 広報:神山喜久子
  • 企画協力:田村正裕(マセキ芸能社、以前は制作協力)
  • 制作協力:ザ・ワークス、モスキート、テレテック
  • ディレクター:篠宮浩司、小島悟、井村誠男、植木一実、長田昌之、寺野慎一郎(篠宮・植木→1997年4月頃-、篠宮→一時期演出、長田→以前は演出補)
  • 演出:工藤浩之、加藤幸二郎(加藤→以前はディレクター、1997年4月頃-)
  • プロデューサー:戸田一也(以前はAP)、齋藤匠(ザ・ワークス、以前は制作協力→AP)、中村昌哉(以前は制作進行→AP)
  • チーフプロデューサー:吉川圭三(2001年7月 - 2002年3月22日)
  • 製作著作:日本テレビ

過去のスタッフ

  • 構成:鮫肌文殊、藤沢めぐみ
  • 美術:羽谷重信
  • 美術進行:鈴木喜勝、星野充紀
  • 装置:鎌田直毅
  • メイク:井上純子
  • 衣装:宮沢(澤)愛
  • TM:宮下英俊、秋山真
  • TP:田中元一
  • TD:勝見明久
  • SW:福王寺貴之
  • CAM:佐藤博文
  • 音声:糸谷隆夫、今村公威
  • 照明:近藤一男、川島弘、渡辺一成、水戸実、朝倉若菜、合田憲司、平井治雄
  • PA:佐藤武彦
  • VE:高田彰彦、三浦勝志、九里隆雄、高橋一徳、矢田部昭
  • ロケ技術:スウィッシュ・ジャパン
  • 技術協力:共立、プログレッソ
  • 編集:藤井秀隆(パークタワーウエスト)
  • MA:白井俊彦(パークタワーウエスト)、吉澤千鶴(パークタワーウエスト→テレテックメディアパーク)
  • 音効:白根沢修(VAMP)
  • タイトルCG:SYNOV+KOUJI(以前はCG)、アクセス
  • インフェルノ:田所貴司(マックレイ、以前はハリー→フレーム)
  • ヘンリー:佐々木渉(マックレイ)
  • 広報:木村晶子、高木雪
  • 演出補:河野英裕
  • 制作協力:零CREATE
  • アシスタントプロデューサー:似鳥(島)利行、中井信介、赤間佳彦(中井→以前は編成)
  • ディレクター:中西太
  • 演出:星野淳一郎、磯野太、塩谷祥隆(塩谷→以前はディレクター)
  • プロデューサー:土屋敏男(中期は演出兼任、1996年4月 - 2001年6月)
  • チーフプロデューサー:棚次隆(1996年4月12日 - 2000年12月)、増田一穂(2001年1月 - 6月)

関連項目

  • コント
  • 日本お笑い史
  • 投稿!特ホウ王国 - 1994年から97年まで放送された、ウッチャンナンチャン司会の番組
  • ウリナリ芸能人社交ダンス部
  • 世界の果てまでイッテQ! - 内村が司会として出演しており、「遠泳部」などの事実上の後継企画も行われている。
  • ぐるぐるナインティナイン - ウリナリ放送当時金曜19時に放送していたバラエティ番組。
  • ダウンタウンのバラエティ50年史 - 2003年放送。1990年代天才お笑いコンビとして紹介された。
  • クイズスーパースペシャル(96年春、秋)→スーパークイズスペシャル(97年春〜99年秋)- 1990年代の日本テレビ改編期番組対抗クイズ特番。『ウリナリ!!』としては96年春〜99年秋参加、95年春・秋は『ウリウリ!ナリナリ!!』として参加。ウッチャンナンチャンが同じく金曜日に放送されている『ぐるナイ』出演のナインティナインと唯一共演していた番組でもある。ただし、ウンナンとナイナイが話している場面は一切なかった。
  • よゐこ部 - 毎日放送で放送された番組。レギュラーだったよゐこが出演しており、コンセプトが本番組と類似している
  • ミュージックステーション - テレビ朝日系列の裏番組。1997年秋頃以降は視聴率で互角の争いを繰り広げていた。『ウリナリ!!』の放送期間中、業界でタブー視される裏被りの状態になるため、当番組出身の音楽ユニットは出演することができなかった。ただし、番組終了後の2002年にウルトラキャッツが出演し、裏番組ということを内村・司会のタモリがネタにしていた。内村は、別番組発祥のユニット名義でも出演している。

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • ウッチャンナンチャンのウリナリ!!公式サイト(2012年10月17日時点のアーカイブ)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ウッチャンナンチャンのウリナリ!! by Wikipedia (Historical)



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