常陸大宮市(ひたちおおみやし)は、茨城県北西部の県北地域に位置する市。
2004年(平成16年)10月16日に那珂郡大宮町が、那珂郡山方町、美和村、緒川村、東茨城郡御前山村を編入合併して常陸大宮町に改称し、同日市制を施行して常陸大宮市となった。
改称の理由は、埼玉県にかつて存在し、現在もさいたま市大宮区としてその名を残している関東地方で認知度の高い大宮市との重複を避けるためである。市名の「大宮」は、旧大宮町下町に位置する甲(かぶと)神社の尊称「甲大宮」に由来し、中心部に位置する鉄道駅は合併以前から「常陸大宮駅」を名乗っていた。
人口42,587人(男20,946人,女21,641人)、世帯数16,011 (平成27年国勢調査)、面積348.45 km²。
茨城県の北西部、八溝山地の東麓に位置し、面積の6割が森林・原野である。市の東部を久慈川が北から南へ流れ、これに沿って国道118号・JR水郡線が整備されている。市南東部に市街地が位置し、特に国道118号の那珂大宮バイパスは市のメインストリートとして多くの商業施設が立ち並んでいる。また、南西部には那珂川が流れ、古くから川沿いに水戸城下と栃木県方面を結ぶ街道が整備され、そのルートはおおむね現在の国道123号となっている。
2004年の合併以前に山方町、美和村、緒川村、御前山村であった地域については各町村の項を参照のこと。
平安後期以降500年、佐竹氏の支配下に入り、後に水戸徳川家で知られる水戸藩領に入る。中心の大宮は南郷街道(南郷は現在の福島県塙町、道筋は水郡線にほぼ沿う)の宿場町として、また久慈川の水運を利用した交易の拠点としても栄えた。古くから文化も発達し、佐竹支配下の16世紀には水墨画家・雪村がこの地で生まれている。ちなみに雪村の使った筆を洗ったとされる筆洗いの池が下村田にある。
初代市長の矢数浩は1988年4月23日から2004年まで大宮町長を務めた。主な政策は以下のとおり。市内の交通環境の改善を図るため、2006年7月19日より無料の市民バスを運行した。市民の立場に立ったサービスを行うため、2008年10月1日、市役所に「すぐ対応課」を設置した。
定数18人(任期:2022年8月4日まで)
第一次産業が中心である。
比較的規模の大きな商業店舗は市の南東部の国道118号バイパス沿いに集中している。
当市は放射性プルームの通過を免れていた可能性が示唆されている。文部科学省による航空機モニタリングによって、常陸大宮市は、茨城県北西部に位置するにもかかわらず土壌のセシウム量が低いことが確認されており、また群馬大学教授早川由紀夫による2011年3月時の放射能汚染ルートの調査でも、同様である。これは、一説には、茨城県西部に局地的に発生した高気圧によるものといわれている。
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