厚生省(こうせいしょう、Ministry of Health and Welfare)は、かつて存在した日本の行政機関である。医療・保健・社会保障などを所管していた。
2001年(平成13年)1月、労働省(当時)と統合されて厚生労働省に改称した。
概要
「書経」の「正徳利用、厚生惟和(徳を正しくして用を利し、生を厚くしてこれ和す)」から厚生省と名付けられた。当初、近衛文麿首相は「社会保健省」との命名を提案、これに対して陸軍省が「保健社会省」を提案し、「保健社会省」が採られた。しかし、枢密院審査委員会において「保健社会省とは名前が長すぎる。以前、農商務省というのはあったが、三字止まりだ。もっと簡明な名前にした方がよい」という意見が南弘顧問官から出され、南顧問官から漢籍に出所を持つ「利用厚生」云々はまさに新省の所掌事務を示している。そこで、この厚生をとって厚生省としようという提案があったことに由来する。
沿革
- 1938年(昭和13年)1月11日:当時の陸軍大臣寺内寿一の提唱に端を発し、国民の体力向上、結核等伝染病への罹患防止、傷痍軍人や戦死者の遺族に関する行政機関として、内務省から衛生局及び社会局が分離される形で、厚生省が設置される。設置当初は1官房5局(体力局、衛生局、予防局、社会局及び労働局)からなり、外局として保険院が置かれた。当時は人材を主に内務省内で発掘して、厚生省へ出向させるかたちをとっていた。
- 1947年(昭和22年)9月1日:労働行政部門(労政局、労働基準局及び職業安定局)が労働省として分離される。
- 1947年(昭和22年)10月15日:復員庁は廃止となり第一復員局(旧陸軍省)は厚生省に吸収される。
- 1948年(昭和23年)1月1日:第二復員局(旧海軍省)も厚生省の所管となる。
- 1948年(昭和23年)5月31日:外局に引揚援護庁を設置。
- 1962年(昭和37年)7月1日:外局に社会保険庁を設置。
- 1971年(昭和46年)7月1日:環境・公害行政部門(大臣官房国立公園部及び環境衛生局公害部)が環境庁として分離される。
- 2001年(平成13年)1月5日:中央省庁再編に伴い、労働省と再統合して厚生労働省となる。
組織
内部部局
- 大臣官房
- 医務局……健康政策局に再編
- 健康政策局……医政局に再編
- 保健医療局
- 生活衛生局……一部が健康局、一部が医薬局に再編
- 医薬安全局……生活衛生局とともに医薬局に再編
- 医薬局……後に医薬食品局さらに医薬・生活衛生局に再編
- 社会・援護局
- 老人保健福祉局
- 児童家庭局
- 保険局
- 年金局
地方支分部局
外局
歴代大臣
厚生大臣(こうせいだいじん)は、日本の廃止された国務大臣で社会保障行政を所管していた。厚生省の長。
- 歴代大臣
- 辞令のある再任は代として数え、辞令のない留任は数えていない。
- 臨時代理は大臣を欠いた場合のもののみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載していない。
- 太文字はのちに内閣総理大臣となった者
厚生次官・厚生事務次官
昭和24年6月1日に厚生次官から厚生事務次官に改称。
- 辞令のある再任は代として数え、辞令のない留任は数えていない。
- 臨時代理は大臣を欠いた場合のもののみ記載し、海外出張等の一時不在代理は記載していない。
戦前の厚生次官
脚注
関連項目
- 労働省
- 厚生労働省
- 南弘 - 「厚生省」の名付け親
- 社会保険庁
- 国立病院
- 国立療養所
- 国立ハンセン病療養所
- 国立病院・国立療養所の一覧
外部リンク
- 公式サイト - ウェイバックマシン(1999年1月25日アーカイブ分)
- 『厚生省』 - コトバンク
. Source: