高橋 優子(たかはし ゆうこ、1950年9月15日 - 1974年5月17日)は水沢競馬場所属の騎手。勝負服は胴桃、袖桃、紫玉あられ。
日本初の平地競走で騎乗経験のある女性騎手である。
騎手兼調教師である父・高橋武、繋駕速歩競走で女性騎手第1号の高橋クニのもとに生まれた。
新潟県競馬の河内義昭調教師のもとで修行を積み、1968年12月1日付で騎手免許を取得して親元に戻り、1969年4月20日岩手でデビュー。デビューから非凡な才能を発揮し、1年目は19勝を挙げ、翌1970年は農林大臣賞典で重賞初制覇。また、日高賞を制覇し、この年はこれらの重賞勝ちを含むシーズン57勝を挙げリーディング5位。マスコミに注目され、第22回NHK紅白歌合戦の審査員に選ばれるなどした。1972年には盛岡競馬場でトチギホマレに騎乗し、1420メートルを1分29秒5で駆け抜けレコードタイムを更新した。この年にはシーズン56勝を挙げリーディング4位に入った。デビュー5年目の1973年には通算200勝を達成し、年末には同競馬場所属騎手の葛西勝幸と結婚。翌年葛西優子として水沢競馬場で1勝を挙げたあと、第1回盛岡競馬開催初日の前日、急性心不全のため23歳で死亡。生涯通算1776騎乗209勝。
2006年8月、高知競馬所属の別府真衣が女性騎手として史上最年少となる18歳7か月で地方競馬通算50勝を達成したが、それまでの記録を約36年間持っていたのは、1970年に19歳10か月で50勝を達成した高橋優子であった。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou