石神 良訓(いしがみ よしのり、1957年11月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー選手の石神幸征は甥にあたる 。
静岡県立静岡工業高等学校時代に吉田弘と共に高校サッカー選手権準優勝。卒業後の1976年、当時の静岡県リーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に入部。身体能力を活かした屈強なストッパーとして守備陣を支え、1982年の天皇杯全日本サッカー選手権大会制覇や1987-88シーズンの日本サッカーリーグ制覇などに貢献した。
日本代表には1984年に初選出され、同年9月30日に敵地での韓国代表との親善試合にて代表初出場。加藤久とセンターバックのコンビを組める人材を探していた当時の森孝慈監督に認められ、レギュラーの座を掴むと翌年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場、最終予選進出に貢献した。その後、1986年のアジア競技大会など、国際Aマッチ12試合に出場した。
引退後は指導者の道へ進み、2009年までジュビロ磐田の育成センター育成統括を務めた。
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