田宮 五郎(たみや ごろう、1967年〈昭和42年〉1月13日 - 2014年〈平成26年〉11月6日)は、日本の俳優。本名、柴田 英晃(しばた ひであき)。旧芸名、田宮 英晃(たみや ひであき)。
東京都出身。東京農業大学農学部畜産学科卒業。身長186cm。スリーサイズはB97・W87・H104。靴のサイズは29cm。趣味・特技はトロンボーン、ピアノ。
父は俳優の田宮二郎。母は元女優の藤由紀子。兄は俳優・教師の柴田光太郎。離婚歴あり(詳細は後述)。芸名の姓は父親の芸名「田宮二郎」、名は父の本名「吾郎」にちなんでいる。
2006年2月、高瀬プロダクションに所属、芸能界入りし、同年7月1日、NHK土曜ドラマ『人生はフルコース』で芸能界にデビュー。2007年3月、ABeBe(現・アベベネクスト)に移籍。2011年、キャストパワーに移籍。主にテレビドラマで活躍。
目の表情、ゆっくりした話し方など父・二郎の面影を髣髴とさせる。またその容貌も、父親譲りの甘いマスクにニヒルな影を漂わせ、186cmという長身に恵まれて、多くの体験を積み人間的深みを得た俳優としてこれからが大いに期待されていたが、2012年4月にくも膜下出血で倒れ、病気療養の末に2014年11月6日に急死。享年47。
幼少時から俳優を志していたが、「俳優になるなら人間を知ってから」との父・二郎の遺言を守り、大学在学中から日本語教師や住み込みの新聞配達、料理人、大工、造園業、司法書士事務、記者など60種類以上に及ぶ職業を経験。記者としては1997年に女子プロレスラーデビュー時の千春の密着取材も担当している。飲食業では2002年6月から2003年4月まで大田市場正門前にて「喰処かぶき」を経営。
28歳の時に中尾彬の姪と結婚したものの約8年後に離婚。元妻との間に1女をもうけている。
2006年、39歳の時に「田宮英晃」名義で『人生はフルコース』コック役で俳優デビュー、その時の「TVフェイス」『朝日新聞』7月15日付朝刊、12版、23面によると、子供の頃から二郎に「俳優は演じる役の本質を分からなくてはだめだ」と言われてきて、前述の通りに二郎の言葉を身を持って体験するために十指に余る職業を経験、遅い俳優デビューは二郎の遺言を最上級に完璧を目指した結果でもあり、「単なる二枚目でなく、悪の部分を表現できる俳優」の二郎を目標として、初演技で俳優に必要なのは「精神の筋肉」と知って、「それには場数を踏むこと。僕には時間がないので何でもやります。」と語っている。その後ラジオドラマ『青春アドベンチャー ウォーターマン』にケビン役で、テレビドラマ『功名が辻』に黒田長政役でそれぞれ出演。
2007年3月13日、父の没年齢に近づき、ついに「急がなければ」と、本格的に俳優活動をすることを宣言し、芸名を「田宮五郎」に改名する。TBSドラマ『孤独の賭け〜愛しき人よ〜』で、伊藤英明演じる主人公とライバル関係になる投資ファイナンス会社常務という冷徹なビジネスマン役での大役に抜擢され注目される。31日にはTBS『オールスター感謝祭'07 超豪華!クイズ決定版』の「赤坂5丁目ミニマラソン」にも参加9位。
2009年、『水戸黄門』に出演。同作品の撮影見学に訪れていた劇作家・脚本家・演出家・作曲家・俳優・映画研究者・振付師の大野裕之によると、「周りに気を使われる方。」だったという。
2012年4月12日、東京都内の自宅で役作りのため筋力トレーニング中にくも膜下出血で倒れて緊急搬送され、翌13日に8時間に及ぶ手術を受けた。術後の4日間は昏睡状態が続き生死の境をさまよったが、その後左半身に麻痺が残りリハビリを開始するまでに回復した。五郎には腎臓病による高血圧の持病があったという。しかしレギュラー出演していた『七人の敵がいる! 〜ママたちのPTA奮闘記〜』は途中降板した(代役は冨家規政が務めている)。
同年7月にはリハビリ専門病院に転院、12月には退院した事が報じられている。車いすの使用から杖を使っての歩行が可能になったという。退院の際には交際していることが判明した浅野ゆう子も付き添っている。復帰を目指して今後もリハビリを継続する、としていた。
2014年11月2日、早朝に交際中の浅野の自宅でくも膜下出血で倒れ、東京都内の病院に入院していたが浅野に看取られ11月6日未明に死去した。47歳没。
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