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ツール・ド・フランス1980


ツール・ド・フランス1980


ツール・ド・フランス1980は、ツール・ド・フランスとしては67回目の大会。1980年6月26日から7月20日まで、全22ステージで行われた。

みどころ

ジロ・デ・イタリアで初優勝を果たしたベルナール・イノーが初のダブル・ツール制覇に意欲満々。当大会の総合3連覇もかかっていた。

対して、当大会2年連続、総合2位は過去通算5回を数えるヨープ・ズートメルクが対抗格に挙げられるも、今大会も2位が精一杯ではないかという見方がされていた。だが、思わぬ事態が待ち構えていた。

今大会の概要

イノーは早くもプロローグの個人タイムトライアルを制したばかりか、第4ステージの個人タイムトライアル、第5ステージと連勝。個人タイムトライアルとなった第11ステージではルディ・ペフェナーフからマイヨ・ジョーヌを奪った。

だが、この区間を制したのはズートメルク。しかもイノーに1分39秒の差をつけていた。そのため、イノーはズートメルクに総合タイムで21秒の差しかつけられず、今大会では唯一のピレネー超えステージとなる、第13ステージに向けて不安を残すことになった。そしてその不安が的中してしまう。

第13ステージ途中でイノーが膝を悪くして棄権してしまったのである。これでズートメルクが替わってマイヨを奪い、2位にハニー・クイパーが1分10秒差で続いた。

第16ステージからは4連続でアルプスステージとなったが、ズートメルクはじわりとクイパーに差を広げ、第18ステージでは名だたるクライマーを利して2番手集団でゴール。対してクイパーはこのステージにおいてズートメルクに2分45秒の差をつけられてしまい、総合タイム差は5分22秒差にまで広がったが、勝負はここでついた形となった。ズートメルクは第21ステージの個人タイムトライアルを制し、完全に今大会のマイヨの座を不動のものとした。

これまで、エディ・メルクス、イノーの存在の影に隠れ、「万年2位」の座に甘んじてきたズートメルクがツール出場10回目にして総合初優勝を飾った。

その後

  • ズートメルクはその後、38歳の年齢で1985年の世界自転車選手権・個人ロードを優勝。また引退年となる1987年には40歳でアムステルゴールドレースを制した。
  • 途中棄権したイノーだが、この年、地元フランス開催となった世界自転車選手権・個人ロードでは優勝を果たした。

総合成績

マイヨ・ジョーヌ保持者

外部リンク

  • 第67回 ツール・ド・フランス 1980(フランス語)
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Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ツール・ド・フランス1980 by Wikipedia (Historical)



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