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ビッグレッドマシン


ビッグレッドマシン


ビッグレッドマシン(The Big Red Machine)とは、1970年代、メジャーリーグにおいて圧倒的強さ、人気を誇ったシンシナティ・レッズの愛称。

1970年から1978年にかけて、名将スパーキー・アンダーソンのもと、史上最高の捕手と言われるジョニー・ベンチ、歴代メジャー屈指の二塁手であるジョー・モーガン、通算379本塁打のトニー・ペレスといった後に殿堂入りする選手、さらに史上最多の通算4256安打のピート・ローズ、本塁打王2回・打点王3回のジョージ・フォスター、ケン・グリフィー・ジュニアの父ケン・グリフィー・シニアといったスター選手を揃え、地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドチャンピオンに2度輝いた。

当時の日本においてもその人気は絶大であり、1978年の日米野球で来日した際には、ベンチが9本塁打を記録するなど、14勝2敗1分けという圧倒的な成績でその強さを証明したが、帰国直後にアンダーソンは監督を解任され、ローズもFA権を取得してフィラデルフィア・フィリーズに移籍した。翌、1979年には、地区優勝を果たすも、1982年にはジョニー・ベンチを除き、その多くはチームを去り、ビッグレッドマシンは「解体」となった。

1976年時の基本オーダー

  1. ピート・ローズは得点・二塁打が3年連続リーグ最多、さらにリーグ最多安打も過去5年経験しており、通算安打歴代1位など数々のメジャー記録を打ち立てた。
  2. ジョー・モーガンは出塁率・長打率・OPSがリーグ最高。背番号「8」は後にレッズの永久欠番となる。
  3. ジョージ・フォスターはこの年から3年連続の打点王、さらにオールスターMVPを受賞した。
  4. トニー・ペレスは後に米国野球殿堂入り。同年、ペレスのつけていた背番号「24」がレッズの永久欠番になった。
  5. ジョニー・ベンチはこの年ワールドシリーズMVPとベーブ・ルース賞を受賞。背番号「5」はレッズの永久欠番となり、1989年には野球殿堂入りを果たす。
  6. デーブ・コンセプシオンの現役時代の背番号「13」が永久欠番になる。

成績

関連項目

  • 赤ヘル打線 (三村敏之監督時代、レッズに倣い「ビッグレッドマシン」と呼ばれた)
  • ブルーサンダー打線(1990年代のオリックス・ブルーウェーブ打線の愛称。ビッグレッドマシンに倣って付けられた)
  • グレン・ジェイコブズ(「ケイン」のリングネームで知られるWWEのプロレスラー。ケインのニックネームが「ビッグレッドマシン」である)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ビッグレッドマシン by Wikipedia (Historical)