『ゴジラvsスペースゴジラ』(ゴジラたいスペースゴジラ)は1994年(平成6年)12月10日に公開された日本映画で、ゴジラシリーズの第21作である。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ。略称は『VSスペゴジ』『VSスペースゴジラ』『vsSG』。
観客動員数は340万人。配給収入は16億5,000万円。キャッチコピーは「破壊神降臨」。
ゴジラVSシリーズ第5作。登場する怪獣は5体で、平成VSシリーズ最多となっている。ゴジラと敵対するメイン怪獣のスペースゴジラは、VSシリーズ初の宇宙怪獣でもある。Gフォースのロボット・MOGERAは、映画『地球防衛軍』(1957年)に登場するモゲラのリメイクキャラクターであり、前作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)のメカゴジラの要素も引き継いでいる。
基本的にリアリズムよりも娯楽性を全面に押した作りであり、新城功二と三枝未希の恋愛劇や結城晃のゴジラへの復讐劇なども繰り広げられる。また、バース島の風景がその淡い恋を彩っている点も見どころである。平成ゴジラシリーズとしては珍しく、ゴジラがやや人類の味方寄りに描かれており、このシリーズで唯一ゴジラがヒーロー的に扱われているのが特徴。
前作から続投のGフォースやベビーゴジラが成長したリトルゴジラ、『ゴジラvsモスラ』(1992年)のモスラとコスモスの再登場、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)で戦死した権藤吾郎の親友と妹が登場するなど、過去のVSシリーズとのつながりが強調されている。
主要襲撃地点は鹿児島、熊本、別府、福岡。本作品でゴジラは九州に初上陸した。また、札幌、山形、神戸などはスペースゴジラの餌食となった。クライマックスの舞台となる福岡がスペースゴジラの結晶体に覆われるという展開は、従来のご当地路線を継承しつつ宇宙的な映像表現を兼ねたものとなっている。
ゴジラの上陸シーンとスペースゴジラの飛来シーンを撮影するため、特撮班による日本縦断ロケが敢行された。ゴジラ初上陸となる九州では、エキストラが予定より100人多く集まるなど特に協力的であったという。
監督の山下賢章の意向により、平成VSシリーズでは唯一となる主題歌「ECHOES OF LOVE」(デイト・オブ・バース)が作られた。山下は、ファミリー映画として親世代にも受け入れられるバラードにした旨を語っている。
メカゴジラがゴジラに敗れてから1年後、国連G対策センターではゴジラ対策として2つのプロジェクトが進行していた。メカゴジラに代わる新たな対ゴジラ兵器の開発計画「Mプロジェクト」と、ゴジラをテレパシーで操作して無害化しようとする計画「Tプロジェクト」である。
南太平洋に浮かぶバース島では、ゴジラ打倒に執念を燃やすGフォースのはみだし隊員である結城晃が、ベビーゴジラの成長した姿であるリトルゴジラに懐かれつつも、ゴジラを倒すためのさまざまな罠を地道に準備していた。Tプロジェクトを支援するためにバース島を訪れた新城功二と佐藤清志は、島の中央に林立している奇妙な結晶体群を発見する。一方、サイキックセンター主任の三枝未希は、フェアリーモスラに化身した小美人コスモスから不吉なメッセージを受け取る。
Gフォースが新兵器MOGERAの完成に沸き立っているころ、宇宙の彼方からは地球へ巨大な宇宙怪獣が凄まじい速度で接近していた。その正体は、かつて宇宙へ飛散したG細胞から生まれた宇宙怪獣スペースゴジラだった。未希も到着したバース島ではTプロジェクトが開始されたが、原因不明のアクシデントにより失敗に終わる。
迎撃に出たMOGERAを電磁波で難なく破ってバース島に降り立ったスペースゴジラは、ゴジラを圧倒して結晶体にリトルを幽閉すると、日本各地を襲撃して福岡に上陸する。そんな折、Tプロジェクトの責任者でありながら裏で企業マフィアと結託していた大久保博士の手引きで未希が拉致されてしまう。日本に戻った新城たちは企業マフィアを一網打尽にし、未希を救出する。その最中、未希はテレキネシスを発現する。
改修・強化されてスペースゴジラ迎撃に出撃したMOGERAと、鹿児島湾からの上陸を経て九州を北上してきたゴジラの三者が、福岡で相まみえる。バトルフィールドで優勢に立つスペースゴジラであったが、ゴジラと2機に分離したMOGERAは宇宙エネルギーを吸収していた福岡タワーを破壊し、逆転する。
スペースゴジラを倒したゴジラはバース島へ帰り、未希はテレパシーで元気になったリトルの姿を見る。
このほか、モスラ(成虫)、バトラ(成虫)、ビオランテ(食獣形態)がライブフィルムで登場している。
※ここでは『東宝SF特撮映画シリーズVOL.9 ゴジラVSスペースゴジラ』で「主な登場人物」として掲載されている人物のみを挙げる。
本来は前作の『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)でシリーズが一旦終了する予定であったが、トライスター版ゴジラの制作が遅れていたために
前作までに過去の人気怪獣はほとんど出していたため、アンケートでも上位に挙がっていた新怪獣を登場させることとなり、これまでVSシリーズでは扱っていなかった宇宙怪獣となった。当初は『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)に登場したキングギドラとは異なる、本来の設定の宇宙超怪獣であるキングギドラを敵に迎えた作品が検討されていたが、直前に公開された『ヤマトタケル』(1994年)に登場するヤマタノオロチがギドラに似ていたことからゴジラ型の新怪獣へと企画が変更された。基本設定は、小林晋一郎による企画書『ゴジラVSネオゴジラ』を元にしている。アンギラスも候補に挙がっていたが、アンケートの順位が低く、四足歩行怪獣も難しいとの判断から採用されなかった。富山は、キングコングを捩った「キングゴクウ」というキャラクターを発想していたが、企画書にすることもなく自粛された。制作が決まった際は、前作よりメカゴジラの続投が案に挙がったが、特技監督の川北紘一から「同じのじゃつまらないでしょ」という意見でモゲラに決まった。
前作の主要スタッフは当時『ヤマトタケル』の撮影に入っており、監督の山下賢章や脚本の柏原寛司など平成VSシリーズの経験がなかった新規のスタッフが参加している。ハリウッド版「ゴジラ」が本決まりになる時期から、休止を意識して『ヤマトタケル』など「平成ゴジラ」に代わる特撮映画のシリーズ化を構想しており、『ヤマトタケル』の企画も本決まりとなったが、日本の「ゴジラ」の継続が内定したため、富山はほぼ並行して2つの特撮映画を抱えることになり、製作補として有正真一郎が参加した。富山は、前作で一度やりきっているため全部新しくしようという狙いもあったと語っている。
山下は、『メカゴジラの逆襲』(1975年)でチーフ助監督、『ゴジラ』(1984年)でB斑監督を務めるベテランであったが、監督を務める機会に恵まれず、本作品は『トラブルマン 笑うと殺すゾ』『19 ナインティーン』(1987年)に続く3本目の監督作であり、富山からそのアクション志向を期待されてオファーされている。後年のインタビューで富山は、本作品は後のミレニアムシリーズと同じく監督中心の制作体制であったと述べている。
柏原は、東宝で企画していた植木等の主演映画や高嶋政伸主演で予定されていた若大将シリーズのリメイク企画などに参加していたがどちらも流れ、本作品に至った。
製作の田中友幸は、脳卒中を患い会話が不自由となり、富山が2週間に1回程度自宅へ報告に訪れるという状況であった。田中は、作品内容に意見を出すことはなかったが、撮影現場やラッシュフィルムの上映には訪れていた。富山の肩書は、東宝本社の意向もありこれまでのプロデューサーから共同製作となり、より田中に近い立場となったが、富山自身は仕事内容自体は前作までと変わらなかったと述べている。
音楽も、伊福部昭の都合がつかなかったため、シリーズ初参加となる服部隆之が担当した。伊福部は、当時因幡万葉歴史館のオープニング曲を手掛けていたほか、翌年のインタビューでは、本作品の脚本を受け取ってはいたが内容がピンとこず、ラジオでラップを聴く場面もあったことから若い人がやった方がいいとして断ったと述べている。音楽プロデューサーの岩瀬政雄も、伊福部がやるならラップは取り払っていただろうと述べている。候補としてはほかに『ガンヘッド』(1989年)の本多俊之も挙がっていた。
柏原は、刑事ドラマやアクション作品などを多く手掛けており、自身に発注が来たことを踏まえ人間ドラマを中心としたアクション映画とすることを心がけた。『傷だらけの天使』(1974年)『俺たちの勲章』(1975年)『あぶない刑事』(1987年)などのテレビドラマを手掛けてきた柏原は、本作品でも自身が得意とするバディムービーの要素を取り入れ、ハリウッド映画からの影響を自認する陽性の作風によりVSシリーズでも異色の雰囲気を持つ作品となった。バース島の設定は、東宝特撮の定番として柏原が独断で取り入れたものである。また、柏原は前作の戦闘シーンを淡白だと感じたことから、本作品ではゴジラとモゲラを共闘させたり、MOGERAが分離して立体的に戦うなど変化を持たせている。
プロット段階から参加した山下は、柏原の方向性に同調しゴジラ対人間のリベンジドラマを主軸とすることを目指した。山下は、ゴジラとスペースゴジラの関係性を「母親と不良家出少年」または「不良家出少年と長男の兄弟喧嘩」に例えてイメージしており、一方で人間側は世代交代をテーマとしている。
有正はアイデアを25人の関係者に求め、多くのアイデアが集まるものの、ゴジラファン的には面白いが、一般層の興味を引く普遍性には欠けると判断されていずれも採用されなかった。有正は「平成ゴジラ」が内包するさまざまな要素を吟味し、『vsビオランテ』や『vsモスラ』で宇宙にG細胞が持ち込まれた可能性に着目して、「宇宙のゴジラ」という題材とした。富山もトライスターとの契約終了後のタイムスケジュールにおける、「ゴジラ」復活のための新たな展開を構想しており、「恐竜時代の物語」「宇宙からの敵」「地底からの敵」という題材の3部作として考えられてたといい、「宇宙のゴジラ」というのは富山としても強く意識していたテーマに密接に絡むキャラクターであったともいえる。
柏原は、検討稿で冒頭のスペースゴジラに襲われるスペースシャトルの描写に力を入れていたが、予算の都合によりカットされた。また、バース島での結城の描写が長く設けられていたが、全体のバランスを考慮して削られた。そのため、柏原は自身がファンであった小高恵美が演じる三枝未希を中心とした物語に切り替えた。一方で、山下は結城と千夏の関係性を重視し、完成作品ではこの2人の描写を膨らませている。
バース島でのゴジラとリトルゴジラの描写は、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)をオマージュしている。検討稿では、スペースゴジラとは別にトンボ型エイリアンが登場しており、スペースゴジラが飛来する前にバース島でリトルゴジラを襲いゴジラと戦うという役割を担っていた。
これまでシリーズではゴジラが九州を襲うことがなかったため、企画当初から九州襲撃が予定され、ランドマークとして福岡タワーがある福岡が舞台に選ばれた。福岡タワーが従来の破壊されるランドマークと異なり、物語上の存在理由が与えられているのも特徴である。川北はこのころ九州でのゴジラ映画が高かったことかも登場の理由に挙げている。ベスト電器など、九州の企業と大々的なタイアップも行われた。
一方で、翌年公開の『ガメラ 大怪獣空中決戦』と舞台が競合しており、両作品のプロデューサーが協議した結果福岡ドームを撮影しないこととなったため、スペースゴジラの進入方向が海側に変更され、ミニチュアでも造られなかった。同地のロケハンでは、川北らが樋口真嗣ら『ガメラ』の撮影チームと遭遇したという。同作品について富山は、同じ特撮の仲間としてジャンルを盛り上げていくのは歓迎していたといい、大ヒットしていたゴジラが再起するガメラに譲るかたちとしたと述べている。有正は、この件について川北よりも山下が憤慨していたと証言している。
山下はスペースゴジラが福岡に出現する理由が必要であると考え、当時環境問題として話題になっていたオゾンホールを結びるけることを発想したが、決定稿には明記されなかった。また、脚本では結晶体から発する強磁界により警察車両や報道ヘリが進入を阻まれるという描写があり、山下も絵コンテでこのシーンに力を入れていたが、予算の都合などから撮影は行われなかった。
ゴジラの九州初上陸に際し、大分県では東宝九州支社と大分合同新聞によりゴジラ誘致の署名活動が行われ、6,000人の署名を受けゴジラが別府市を通過することとなった。鹿児島から福岡へのルートとしては別府を通るのは回り道となるため、川北は不満を述べていたという。一方、スペースゴジラが通過した山形県は、川北の妻の故郷であった。
主演の橋爪淳は、幼少期より怪獣映画を愛好しており、東宝芸能に所属していたため以前からゴジラシリーズへの出演を要望していた。出演依頼を受けた際は、役が明らかになっていなかったため、橋爪はマッドサイエンティストの役と思っていたという。
結城役の柄本明や大久保役の斎藤洋介は、山下からの要望で起用された。柏原は、結城役に萩原健一をイメージしていたが、キャスティング担当から橋爪が二枚目なのに結城も二枚目ではおかしいと反対されたという。富山は、柄本ほどの力量のある俳優でなければ、ゴジラを本気で倒そうとする役は演じきれないだろうと評している。
権藤千夏役の吉川十和子は、キャスティングプロデューサーの田中忠雄の尽力により起用された。
Gフォース上層部は一新することも検討されていたが、山下からの要望により中尾彬らが続投することとなった。
ゴジラのニックネームを持つ読売ジャイアンツの松井秀喜に出演オファーが行われたが、実現には至らなかった。松井の出演は、その後『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)で実現した。
本作品では、ゴジラシリーズで初めてデジタル合成が導入された。同年の『ヤマトタケル』では3カットであったが、本作品では本編2カット、特撮9カットで用いられた。ただし、撮影現場ではデジタル合成のための特別な演出や撮影は行っておらず、オプチカル合成より自然な合成になるという程度の認識であったという。
本編班は、1994年7月23日にクランクイン。7月27日から8月9日にかけては奄美大島・沖永良部島でのロケが行われた。奄美ロケでは、撮影前の大雨により撮影予定であった採石場で地崩れが生じ撮影場所が変更になったほか、帰京時には台風により一部のスタッフが足止めされるなどした。その後、スタジオや東京近郊でのロケを経て、9月19日から21日に福岡ロケが行われた。クランクアップは9月30日。
人間ドラマを重視していた山下と柏原に対し、川北は怪獣バトルやメカの描写に重点を置いており、撮影が先行していた特撮班で脚本から変更された内容にあわせて本編班の内容も修正せざるを得ず、本来想定されていたドラマ部分がカットや変更を余儀なくされた。書籍『平成ゴジラ大全』では、日本独自の特撮監督制の難しさが出たと評している。山下は互いにヒートアップすることもあったと述べているが、製作担当者の小島太郎は、本編班と特撮班でギクシャクした雰囲気はなかったと証言している。
冒頭には、MプロジェクトからTプロジェクトへの転属を命じられた功二と清志が氷川丸の船上で日本での最後の夜を過ごすシーンがあり、8月27日に撮影も行われたが、全体の構成の都合からカットされた。初稿では氷川丸であったものが決定稿では屋台に変わっていたが、氷川丸が撮影で借りられることになり実現したものであった。有正は、苦労した撮影であったため柏原ともどもカットされてショックを受けていたと述べている。
Gフォースヘリコプターの撮影には、川越のエースヘリコプターの機体が用いられた。同社での撮影のほか、沖永良部島ロケにも同行している。
バイクシーンについては橋爪が免許を持っていなかったことから米山善吉の後席ですべて彼に任せていたという。また、沖永良部島の砂浜は細かいサンゴがあるためバイクが走れず、砂が荒く岩盤もある奄美大島で撮影された。
福岡のシーンでは、大規模な瓦礫の造形物をロケでも用いている。セットでの撮影は第8ステージで行われた。美術の酒井賢は、未希のシーンでピラミッド状の瓦礫をシンボリックに構成していたが、思ったよりもリアルになりつまらなくなったと述べている。瓦礫の一部は、東宝スタジオに廃棄寸前で放置されていたセットの残骸などを用いている。
福岡のシーンの一部は、幕張でロケを行っている。千夏と未希が福岡でボートに乗るシーンは、沖永良部島ロケの際に撮影された。
小堺一機と松村邦洋が出演する札幌のゲームセンターのシーンは、9月26日に自由が丘で撮影された。
本作品の制作開始前に映画『ヤマトタケル』の撮影が行われており、川北を始めとする特撮班のスタッフは同作品と掛け持ちであったため、本作品のクランクインは例年よりも2か月遅い6月に入ってからとなった。川北は、タイアップCMも手掛ける予定になっていたが、本作品の撮影で忙しく手が回らなかったため、CMプロデューサーの経験もあった製作担当者の小島太郎が手掛けた。
特撮班は、1994年6月9日にクランクイン。九州を皮切りに、神戸、山形などでロケーション撮影が行われた。福岡の撮影では、予定の150人を上回る250人の一般エキストラが参加した。ゴジラが鹿児島湾を進むシーンの実景は城山観光ホテルから撮影された。
東宝スタジオでの撮影は、6月27日から7月1日にかけて大プールでのゴジラとGフォースの海戦シーンから開始された。1/24スケールでGフォース護衛艦の艦橋部分が新造された。撮影初日にラジコンヘリがプールに墜落する事故が起き、ヘリが登場しない戦艦の爆破シーンなどから撮影が進められた。
7月5日から8月18日にかけては、第9スタジオで福岡バトルエリアの撮影が行われた。福岡のセットでは公開翌年完成のシーホークホテルも造られているが、ホテル側のクレームにより色が変更されている。序盤は戦闘シーンではなく、スペースゴジラによって福岡の街が変化していく様子やスペースゴジラの単独カットなどを中心に撮られた。スペースゴジラが飛来するシーンでは、光球に見立てた照明機材を光らせたまま操演でセットに落としている。戦闘シーンの撮影では、スペースゴジラが転倒したり、モゲラのスーツが破損するなどアクシデントも多く、当初のスケジュールより遅れた結果、モゲラの炎上シーンをドックのシーンよりも先に撮影することとなり、その後急ピッチでモゲラのスーツの修復が行われた。モゲラのドックでのシーンは、8月17日・22日・29日から31日にかけて行われた。7月11日には『日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS)、7月20日には『ポンキッキーズ』(フジテレビ)が撮影現場を取材している。
福岡タワーのミニチュアは、表面のミラー部分はアクリル製で、脆い作りとなっていた。パーツ分けされた内部には鉄骨のブロックが入っており、倒壊シーンではこれを抜いている。倒壊シーンでは本来かたちが残る予定であったが、川北の要望によりより壊れる描写が求められたが、撮影により実際にダメージを負っており、本番では跡形もなく壊れた。飛び散るガラス片の表現には、雲母の粉末が用いられた。
8月19日から26日には、大プールでバース島海岸のシーンが撮影された。ゴジラの上陸シーンを撮影するため、プール内に砂浜のセットが設けられた。岩場には金魚用のポンプを仕込んでおり、エアーで波打ち際の白波を表現している。例年よりも遅い時期での撮影となったため、プール周辺にはトンボが飛び始めていた。天候不順による延期や、ゴジラが水中の段差で転倒するアクシデントが起きるなど、ここでも順調な撮影とはいかなかった。ジャングルでのゴジラの出現シーンは、『キングコング』(1976年版)でのキングコングの出現シーンをオマージュしている。
8月27日には、オープンセットでスペースゴジラが結晶体を出現させる福岡のシーンが撮影された。セットで用いられた福岡タワーのミニチュアは既に撮影で爆破されており、このシーンではベニヤ板に拡大したタワーの写真を貼り付けたものが用いられた。
9月2日から9日にかけては、第9スタジオでバース島のシーンが、9月13日には第3スタジオで地中を進むランドモゲラーのシーンが、9月14日から24日には再び第9スタジオで宇宙空間のシーンが撮影された。クランクアップは9月30日で、公開まで切迫した時期での終了となった。
8月29日には、ハリウッドの映画監督ジェームズ・キャメロンとティム・バートン、SFXスーパーバイザーのジョン・ブルーノ。9月26日には、当時ハリウッド版『GODZILLA』の監督に内定していたヤン・デ・ボンが極秘に撮影現場の見学に訪れている。
宇宙空間のシーンは、対象物を置いてスピード感を出すため小惑星群が舞台となった。スピード感を重視して、背景の星には合成処理を用いていない。小惑星の造形物は300個以上を吊っており、カットごとに付け替えている。撮影の大川藤雄は、小惑星のピアノ線消しと揺れを抑えることに苦労した旨を語っている。そのほか、大型の半立体の書き割りも用いられた。地球は平面状の書き割りだが、角度と照明により立体的に見せている。
脚本ではスペースゴジラとGフォースによる空中戦の描写もあったが撮影されなかった。九州に上陸したゴジラをGフォースの戦車部隊が大分県内の山中で迎え撃つシーンも撮影されたが、未使用となっている。
ラストシーンでの海上に昇る朝日は、大プール奥にセットされたライトで表現している。
鹿児島湾でのゴジラとGフォースの護衛艦隊の戦闘シーンの一部に『ゴジラvsビオランテ』『ゴジラvsモスラ』の流用映像が使用されている。冒頭でのゴジラが目覚めるシーンも、『vsモスラ』からの流用である。
服部隆之は、本作品が2作目の映画劇伴であったが、1作目の『ヒーローインタビュー』は井上鑑との共作であったため、単独制作としては本作品が初めてであった。東宝レコードの岩瀬政雄は、服部を起用した理由について当時業界内で知名度が上がっており、大編成のオーケストレーションを書けるという定評があったためとしている。また、音楽プロデューサーの北原京子は、これまでにないことをやりたいという山下の意向を受けて、確信を持って服部の名を挙げたと述懐している。監督の山下は、服部の音楽についてハリウッド映画のテーマ音楽のような香りがすると評している。
音楽収録は、1994年10月16日と23日に行われた。
服部は、東宝音楽出版側から「アクの強い音楽」を要望され、一般ドラマのようなきれいに流れていく音楽ではなく、SEに負けない管楽器を中心とした編成としている。特にスペースゴジラのテーマではその点を意識したといい、自身で一番気に入った曲に挙げている。本作品では、ゴジラのテーマよりもスペースゴジラのテーマが主軸となっている。
リトルゴジラのテーマでは可愛らしさを強調している。MOGERAはキャラクター自体に掴みどころがないため、結城らMOGERAを操縦する人々を主眼に置いた曲としている。また、善性のキャラクターとしてヒロイックな演奏としている。一方で、ゴジラのテーマは善性になりすぎないよう考慮され、また伊福部の楽曲にもより過ぎないよう、フーガ形式とすることで差別化を図っている。
伊福部による既存曲も流用しており、ゴジラのテーマのほか、フェアリーモスラの登場シーンでは「聖なる泉」も用いている。山下は、1度は伊福部のテーマを使わなければゴジラファンに義理を欠くことになると述べている。
服部は、後年のインタビューで本作品について自身の好きなように書いたが曲が軽くなってしまい、伊福部の楽曲と調和が取れていなかったことを唯一の後悔として挙げており、次に手掛けた『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)では音色重視の作りとしている。岩瀬は、本作品の楽曲について、洗練されたオーケストレーションであったが、伊福部のヴァーヴァリックなエネルギーには負けてしまったかもしれないと述べている。
サウンドトラックの発売はキティ・レコードが担当した。主題歌を担当したデイト・オブ・バースは、同レーベルに所属していたことから起用された。服部は、主題歌「ECHOES OF LOVE」がいかにもなタイアップ曲として流れないよう、同曲のアレンジをエピローグとして取り入れて統一感を図った。
配給収入は16億5,000万円を記録し、1995年の邦画ベスト2位につけた。競合作である『ガメラ 大怪獣空中決戦』の公開もあったが、売上においては本作品の圧勝であった。
一方で、ファンの間では従来の作品と異なる作風に評価は二分された。内容面においても、本来はシリーズ最終章として、安住の地で暮らすゴジラや未希の成長などを描き一つの落とし所としていたが、次作『ゴジラvsデストロイア』が制作されたことにより不安定な位置づけとなった。
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