宮島 大典(みやじま だいすけ、1963年6月6日 - )は、日本の政治家。長崎県佐世保市長(1期)。長崎県議会議員(通算2期)、衆議院議員(2期)、防衛大臣政務官(野田第3次改造内閣)、民主党副幹事長などを歴任した。
長崎県佐世保市生まれ。佐世保市立山手小学校、青雲中学校・高等学校、一橋大学社会学部卒業。
1991年、長崎県議会議員選挙に立候補し、初当選。1995年、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で長崎県選挙区から立候補したが、新進党公認の田浦直に敗れ、次点で落選。
1998年、長崎4区選出衆議院議員・金子原二郎の長崎県知事選挙立候補に伴う補欠選挙に自民党公認で立候補。元自民党衆院議員で、1995年の参院選で長崎県選挙区の議席を争った自由党公認の松田九郎らを破り、当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、長崎4区で保守系無所属の北村誠吾に敗れ、比例復活も叶わず落選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例九州ブロック単独候補として立候補したが、再び落選。その後自民党に離党届を提出し民主党に入党した。2005年の第44回衆議院議員総選挙には民主党公認で長崎4区から立候補したが、再び北村に敗れた。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、長崎4区で北村を破り、9年ぶりに国政に復帰。
2011年、民主党副幹事長に就任。
2012年10月、野田第3次改造内閣で防衛大臣政務官に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、再び北村に敗れ比例復活もならず落選した。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でも北村に敗れ比例復活もならず落選した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に希望の党公認で立候補したが落選した。その後、希望の党が分党した際は国民民主党に参加した。
次期衆議院議員選挙には、長崎4区の党公認候補として内定していたが、その後、翌2019年4月の長崎県議会議員選挙に無所属での立候補の意向を表明したことにより、国民民主党は2018年10月31日付で公認内定を取り消した。2019年4月7日、投開票の結果、当選。
当選直後は国民民主党の党籍を有していたが、2020年2月17日には国民民主党や社会民主党・立憲民主党などで構成される県議会会派「改革21」を離脱し、1人会派「オールながさき」を結成した。
2022年10月26日、翌年に投開票が行われる佐世保市長選挙に出馬表明し、2023年2月に長崎県議会議員を辞職。市長選挙では大石賢吾長崎県知事が支援を表明し、連合長崎が推薦を決定したほか、自民党支持組織である長崎県歯科医師連盟や長崎県看護連盟も自民党佐世保支部の推薦に反して宮島の単独推薦を決定した。
佐世保市長選挙は、2023年4月23日に投開票が行われ自民党長崎県連と自民党佐世保支部が推薦する前佐世保市議会議員の橋之口裕太との事実上の一騎打ちを制した。
2023年4月の佐世保市長選挙の際、当選後に当選礼状とみなされる恐れがあるあいさつ状を市内の企業や団体などに800通以上送っていた。公職選挙法は当選や落選に関するあいさつを目的とした文書頒布などを禁じており、同法に抵触する可能性がある。宮島の事務所によると、あいさつ状は5月に「佐世保市長 宮島大典」の名で企業や団体などに送付。「お陰さまで5万4073票の得票をいただき当選の栄誉を勝ち取ることができました。これも偏に心を一つにして戦ってくださった皆様ひとりひとりのお力添えの賜物であり深く感謝いたします」と支援に対する謝辞をつづった。6月9日、宮島は記者会見で「文書の中に、公職選挙法で禁じられている当選御礼ととらえられる文言があった。(自分が文面を)確認しないまま事務所が送付したことはひとえに管理体制の不備、私の責任だ。大変申し訳ない」と陳謝した。
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