角番(かどばん)は、大相撲の本場所において負け越しをした場合に、その地位から陥落するという状況である。通常は、現役大関の力士に対して用いられる。
新聞などでは「角」の漢字を「かく」「つの」等と読み間違いしないように「カド番」「かど番」とかな字で表記する場合が多い。
大相撲においては、基本的に本場所で負け越した場合には番付が下がる(陥落・降格)が、大関についてはその地位に上がるための規則が変則的であり、異なる基準によってその陥落を決めている。大関は、本場所で2場所連続で負け越した場合に関脇の地位へ降格する決まりになっており、1場所目に負け越した後の2場所目が「角番」といわれる。その場所で勝ち越しすれば、「角番を脱出する」が、負け越すと大関から陥落(関脇に降格)する。ベテランの力士の場合、大関陥落とともに引退する例があることから、「角番」の場所は、該当力士にとって「進退をかけた場所」となることが多い。
ただし、大関から陥落した力士に対しては救済措置として、関脇の地位で取り組み日数の3分の2以上の勝星を挙げれば、特例として大関に復帰できる。1場所の日数は毎場所15日であるため、10勝以上が必要である(以下、「特例復帰」)。なおこの特例は、関脇に降下した直後の1場所のみ有効であり、この場所にて6敗(9勝以下・休場を含む)した場合は、大関の特例復帰が完全消滅となる。特例復帰を失敗した力士がのちに再び大関を目指すためには、新大関の昇進時と同じ成績基準(関脇・小結の地位で連続3場所33勝以上が目安)を達成しなければならない(この場合は「大関の特例復帰」ではなく、「再度の大関昇進」の扱いを受ける)。特例復帰・再昇進のいずれの場合も新たな代数は与えられず、新規昇進した時の代数が維持される。
なお、大相撲の番付の上下については、他の力士の成績との兼ね合いに左右され、横綱・大関昇進についてはその内容までが評価対象となるが、上記の大関陥落、特例の復帰については一切考慮されず、純粋に本人の成績のみによって決まる。
2023年(令和5年)現時点、2人以上の大関が同時に関脇の地位へ降格した例は、未だ一度も無い。
2場所連続負け越しでの大関陥落については、1927年(昭和2年)の東京相撲と大坂相撲の合併以来の諸制度の確定の中で定着した(ただし、1929年(昭和4年)から1932年(昭和7年)までの2場所通算成績などで番付を編成していた時代には、必ずしもこの限りではない)。この頃は復帰に関しての明確な規定はなかった(1949年(昭和24年)1月場所で関脇に転落した汐ノ海が、1950年(昭和25年)1月場所で再び大関に復活したのが唯一のケースである)。その後、1958年(昭和33年)に年6場所制が実施された際「大関で3場所連続負け越しにより関脇へ降下」することを定められた(以下、「旧制度」。この制度下での大関陥落者は、松登と若羽黒の二力士)。
しかし「これでは甘過ぎる」という意見も出たために、1969年(昭和44年)7月場所以降は再び「大関で2場所連続負け越しにより関脇へ陥落」と改める。またそれと同時に、特例復帰の制度が定められた。この制度変更で、大関残留の条件が「負越→負越→8勝」から「負越→負越→10勝」(しかも3場所目は一旦関脇に降格)と、少し厳しくなった。
なお、かつて大相撲で公傷制度が実施されていたときは、公傷が認められた全休場所はカウントされず、その翌場所が角番場所となっていた。公傷制度が始まった1972年(昭和47年)1月場所当初は、大関のみ適用外であったが、1983年(昭和58年)5月場所からは大関も公傷適用の対象に該当された。しかしその後、場所中に公傷適用による休場力士が増加し、さらに当時の大関陣が休場すれば公傷と認定される弊害が多く出た理由もあって、2003年(平成15年)11月場所限りで公傷制度は廃止となった。
2000年代(平成時代中期)には、千代大海と魁皇の2大関がほぼ隔場所で角番の状態で長く大関を維持し、従来の記録を大幅に更新した頃から現行制度の見直しも論じられるようになり、横綱審議委員会から「累積5回の角番で降格や引退勧告」という具体案が出されたこともあった。しかし、日本相撲協会内部で改訂が議論されるまでには至っていない。また彼らは角番回数が多いと共に、大関の地位に在位した期間自体も長く、更に長期在位した多くの大関が角番回数の上位に入っている。
そして令和時代へ入ると、2019年(令和元年)9月〜2022年(令和4年)11月場所の間に、ほぼ毎場所で負け越しや休場・角番力士が発生するなど、大関陣の成績低下が顕著になる。因みに、2022年9月場所後の横審委員会において、大関制度について異議を唱える横審委員が一部におり、「個人的な意見だが、角番大関で大負け(10敗以上)した力士が翌場所、関脇の地位に留めるのは甘過ぎる。三役の最下位・小結まで落とすべきでは?」と、現行の制度や大関昇進の目安について疑問視をする意見もあった。
現行制度(1969年7月以降)によるもの
関脇陥落直後の場所で10勝以上を挙げて、大関特例復帰を成功させた力士は、三重ノ海・貴ノ浪・武双山・栃東・栃ノ心・貴景勝の6人である。その内、三重ノ海はのちに横綱昇進を果たし、栃東は2度の特例復帰を達成している。陥落場所で優勝した力士はいない(貴景勝が優勝同点の成績を残している)。
関脇陥落場所で10勝以上を挙げられず特例復帰を失敗したが、のちに大関再昇進を果たした力士は、魁傑と照ノ富士の2人である。
魁傑は平幕の地位まで降下したが、7場所目で大関再昇進を果たした(しかし、その4場所後にまたも関脇に陥落し、大関再復活ならず)。照ノ富士は序二段の地位まで降下したが、20場所目で大関再昇進を果たし、さらにその2場所後には横綱昇進をも達成させた。
以下の表では各力士の再昇進までの場所別成績を示す。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou