兵庫県立神戸高等学校(ひょうごけんりつこうべこうとうがっこう、英: Hyogo Prefectural Kobe High School)は、兵庫県神戸市灘区城の下通一丁目にある県立高等学校。
略称は
1948年9月1日、兵庫県立第一神戸中学校(旧制)と兵庫県立第一神戸高等女学校(旧制)であったのが合併し、兵庫県立神戸高等学校(新制)が発足する。
1986年、理数コースを新設する。2003年、総合理学コースが発足する。2007年、総合理学科に改編する。
現校地は、1938年(昭和13年)に神戸一中が三宮に近い新生田川沿いの二宮橋付近から、周辺環境の俗悪化を理由に移転して来たものである(なお、この橋の脇には「一中のくすのき」が現存している)。現校地は「観音山」と称されることがある。これは、丁目を割り当てた住居表示になる以前に使用していた地名「上野観音山」に由来している。
1938年(昭和13年)に竣工した2代目校舎は「ロンドン塔」と呼ばれる塔屋や銃眼に見立てた装飾などを持つ中世南欧の古城を模したロマネスク調建築となっており、大戦時には陸軍の司令部として、また敗戦後の昭和天皇の全国行幸の折には行在所として利用されたという経緯を持つ。
阪神・淡路大震災にも耐えた歴史的な校舎を改築するに当たっては多方面から反対の声が上がり、卒業生や各界の有志による「神戸高校の校舎を考える会」を中心に保存運動が展開された。最終的にはロンドン塔や観音開きの窓、三連アーチのファサードなど建物の最も象徴的なモチーフを含む正面玄関周辺を改修して保存棟として残し、それ以外の部分は解体して、旧来のイメージを残した形で新築するという妥協案で決着をみた。現校舎は第2期改築(2000年-2002年)を経たものである。
神戸高校の校舎は戦前から残る数少ない学校建築として、近年ではドラマや映画などの舞台として使用されることがある。
県一高女の校舎は、兵庫県庁舎(当時)に隣接する下山手通五丁目にあった。幸いにも空襲の被害は少なかったものの、それゆえに、被災した県庁の代わりにこの建物が使われることになり、その後の県一高女は、県二高女への間借りそして北長狭校舎を経て現校地への移転という度重なる引越しを余儀なくされることとなった。県一の旧校舎は兵庫県庁本庁舎として、現在の兵庫県庁1号館に建て替えられるまで使用された。新築された1号館の外壁には「兵庫県立第一神戸高等女学校跡」の石碑が埋め込まれている。
1910年(明治43年)から1932年(昭和7年)までの進学実績は下記の通りである。
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