高井 崇志(たかい たかし、1969年(昭和44年)9月26日 - )は、日本の政治家。郵政・総務官僚。れいわ新選組所属の元衆議院議員(3期)、れいわ新選組幹事長(初代)。元旧立憲民主党岡山県連合代表。
北海道函館市生まれ。生い立ちについて高井自身は、決して裕福な家庭ではなかったが、1歳年下の弟と共に質素ながらも幸せに育った、と記している。父が転勤族のため転居を繰り返し、小学校は4度転校。中学校時代に読んだ『官僚たちの夏』に影響を受け、国家公務員を志す。
前橋市立若宮小学校、前橋市立第四中学校、函館ラ・サール高校、東京大学経済学部卒業。卒業論文のテーマが「NTT分離分割論」であったため電気通信行政に関心を持つ。国家公務員I種試験に合格し、郵政省に入省。電気通信局電気通信事業部に配属された。
ドイツ・ミュンスター大学への留学、新潟県長岡郵便局副局長を経て、帰国後は大臣官房総務課行政改革担当係長や総務省情報通信政策局放送政策課課長補佐を務める。岡山県企画振興部情報政策課へ出向中に総務省を退官し、岡山県選挙区選出の参議院議員・江田五月の秘書に転じる。
2005年、民主党から第21回参議院議員通常選挙における岡山県選挙区の公認を受けたが、辞退。岡山市長選へ出馬、同年10月9日の岡山市長選挙で落選。落選後、民主党を離党した。
民主党岡山県総支部連合会が実施した衆議院議員総選挙の候補者公募に合格し、民主党に復党。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に岡山1区から民主党公認で出馬。選挙区では自由民主党の逢沢一郎に敗れるも、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選した。
2011年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では馬淵澄夫の推薦人に名を連ねた。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に岡山1区から民主党公認で出馬するも、再び逢沢に敗れ、比例復活もならず落選。
2013年5月21日、民主党を離党。同年7月の第23回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から無所属で出馬し、民主・社民・みどりの風の推薦、新経済連盟などの支援を受けたが、落選。さらに、同年10月の岡山市長選挙に無所属で出馬したが、落選した。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に際して維新の党公認で岡山1区から出馬。選挙区では逢沢に敗北するものの、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し国政復帰を果たす。2016年3月27日、維新の党の解散・民主党との合流に伴い、民進党所属となる。
2017年9月28日、民進党は希望の党への合流を決定。高井は当初は希望の党に公認申請する意向を示していた。10月2日夕方、枝野幸男が新党「立憲民主党」立ち上げを宣言。高井は、希望の党が安全保障法制を容認していることなどについて政策や理念が一致しないと判断。同日夜、枝野に電話で新党参加の意向を伝えた。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が岡山1区に自民党県議の蜂谷弘美を擁立したことが明らかとなった。同日、高井は県政記者クラブで会見し、立憲民主党に公認申請したと表明した。10月22日の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。約3万票差で再び逢沢に敗れるものの比例復活で3選(惜敗率65.03%)。
2020年4月、新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言の発令後に東京・歌舞伎町の「セクシーキャバクラ」と呼ばれる飲食店で遊興していたことを報じられ、同月14日に離党届を提出したが、立憲民主党は離党届を受理せず、翌15日に除籍処分となった。
10月27日、衆議院会派「国民民主党・無所属クラブ」に入会した。
2021年10月5日、記者会見を開き、第49回衆議院議員総選挙にれいわ新選組公認で滋賀3区から出馬することを発表した。
2021年10月31日の投開票の結果、11,227票を得票するも供託金没収点(有効得票のうち10%)に届かず落選。
2021年12月6日、れいわ新選組の幹事長に就任。
2022年4月14日、第26回参議院議員通常選挙に比例代表で立候補することが発表された。同年7月10日実施の参院選で、れいわ新選組は比例代表に特定枠1人を含め計9人の候補者を擁立した。高井の得票数は、特定枠を除いた比例候補者8人中7位であり、同党が比例で獲得した2議席に届かず落選した。
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